日の出町(東京都)の坂-1
2007年6月1日
武蔵五日市駅(五日市線)・・・徳蔵寺・・・まいまい坂・・・福寿寺・・・ぐみの木峠・・・幸神神社・・・奥多摩あきる野線(都道184号)・・・岩井橋(平井川)・・・岩井(がんせい)院・・・勝峰神社・・・間坂(将門坂)(上の写真)・・・青梅日の出線(都道251号)・・・長井寺・・・西徳寺・・・坂本交差点(秋川街道)・・・西福寺・・・大久野のフジ・・・三嶋神社・・・玉の内橋(玉の内川・平井川)・・・西平井橋(平井川)・・・武蔵増戸駅(五日市線)
幸神神社までは「あきる野市の坂-4」(4月15日)に歩いたコース。神社から北に都道184号に出て北方向に岩井橋を過ぎると岩井院。何で「いわい」ではなく「がんせい」と読ませるのか?
勝峰神社から眺める将門が藤原秀郷と戦った勝峰山はセメント採掘で肌を削られ、骨がむき出していて秩父の武甲山を思い出させる。ここは日の出町大久野の岩井地区。平将門の本拠地、茨城県岩井市(現在は合併して坂東市)と関連があるのか。そんなことを考えながら歩いていると間坂峠への上り口で老婦人から声をかけられた。茨城の岩井とは姉妹都市でしばしば訪れているという。帰ってから調べても日の出町と旧岩井市が姉妹都市であった様子はない。ここ大久野の岩井地区と茨城県岩井市の人たちの私的な交流なのであろう。いろいろ話していると「高齢者外出支援バス ひまわり号」というマイクロバスが迎えに来た。老婦人は療養に温泉に行くという。「つるつる温泉」に行くのだろうか。それとも五日市の「秋川渓谷瀬音の湯」か。
間坂は昨日までの雨が道に流れ、下草も濡れていて靴もズボンの膝下までびっしょり。峠越えといっても標高差はたいしてなく峠向うの都道まで15分くらいだが、なんだか山道を歩いた気分になる。千年以上も前、勝峰山から将門がこの道を駆け上り、下って青梅方面に逃げ延びたという。いまだ将門の怨念が籠もる往古の雰囲気が残る道だ。
峠を下り都道251号を南東に坂本交差点の所から秋川街道沿いの旧道の西福寺から東の北大久野川を渡り、都の天然記念物という「大久野のフジ」を通る道は、これも峠越えという感じの静かな道。下って玉の内川に出て南下し、三嶋神社から平井川の西平井橋へ出て南へ、都道185号(山田平井線)を武蔵増戸駅へ向う。途中に平井本宿があり栄えた所というが、当時を偲ばせる物は見当たらなかった。
写真をクリックすると拡大します。
勝峰山岩井(がんせい)院(日の出町大久野2808) 《地図》
承平・天慶の乱の時、平将門がこの山に砦を築いたという。セメントの採石で山肌が露出している。
平将門を祀るという。
本堂左の堂内
間坂(将門坂) 都道184号から間坂峠を越えて都道251号に至る未舗装の道。《地図》
承平・天慶の乱の末頃、藤原秀郷に攻められた平将門は勝峰山の砦から脱出し、この坂(峠)を越え、青梅方面に逃れていったという。
屋根が苔むしている。
変わった形の石灯篭の下に馬頭稚児さん
多摩の郷八十八カ寺、第53番札所。
フジのつるが木に巻きついている。5月中旬が花の見ごろというが、花はすっかり終わってしまったようだ。
三嶋神社(大久野8748)
8月第2土曜日に獅子舞が奉納される。かつては雨乞いのために舞われたという。また、7月に夏バテ防止祈願の茅の輪くぐりでは、丸い輪ではなく三角形のものを用いる。『歴史・文化 大久野地区東部』
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