逗子市の坂-4
2007年6月11日
鎌倉駅・・・大宝寺・・・妙法道・・・妙法寺・・・安国論寺・・・名越踏切(横須賀線)・・・長勝寺・・・銚子の井・・・日蓮乞水・・・名越坂踏切(横須賀線)・・・名越切通し・・・お猿畠大切岸・・・山王社・法性寺奥の院・・・法性寺・・・岩殿(がんでん)寺の坂・岩殿寺・・・(横須賀線)・・・披露山の坂・・・披露山公園・・・七曲り(古東海道)・・・新宿(しんじゅく)稲荷・逗子海岸・・・逗子駅
【地図】
「名越の切通し」、「七曲り」とも古東海道の道筋と推定され、往時の面影が残っている。とくに七曲りは今は落葉に埋もれた道跡といった感じで、廃道寸前という趣だ。日本武尊と弟橘媛が通ったのはどちらの道なのか?伝説とはいえヤマトタケルは古代の複数の人物の集合体だろうから、いろんなヤマトタケルが両方の道を通ったのだろう。(上の写真は舗装された道になってからさらに下る七曲りの坂下方向)
*「披露山の坂」は、「逗子市の坂-3」に記載。
写真をクリックすると拡大します。
苔寺と呼ばれる妙法寺の苔石段。通行はできない。
やぐら(中世の横穴墓)だろう。.
護良親王の墓(妙法寺のてっぺん)
「銚子の井」の石標
長勝寺前の県道沿い。
「鎌倉十井」の一つ
白い煙突?はクリーンセンター
日蓮乞水(右)から名越の切通し(正面)
横須賀線沿いの旧道、名越坂踏切の手前
「鎌倉五名水」の一つ。名越の切通しへ向う人、切通しから下りて来た人がここで水を飲んで一休みしたのだろう。
名越坂踏切から名越の切通し(トンネルの上あたり)、名越トンネル。
右は寛政12年(1800)の建立
切通しへの細い上りの道 《地図》
騎馬隊の通行を妨げるために置かれた石。
「鎌倉七切通し(七口)」の一つ。この先に「おおほうとう(大空洞)」と呼ばれる岩の間の細い道があるという。大切岸、法性寺の方への道に入ったため今回は断念。
鎌倉の世界遺産登録に向け整備するというが、この古東海道の風情を残すためにも観光客はあまり来て欲しくない。(自分勝手な言い草だが) 近くの「まんだら堂跡」の調査、発掘、整備はどうなっているのか?
右が切り立った垂直の崖。
鎌倉防衛、特に三浦氏の侵入を防ぐ目的で人為的に垂直な崖に切り落としたといわれる。大切岸の前面上には2~3段の平場が築かれていて、そこで敵を待ち伏せて、矢を射掛けたという。それに対し、石切り場説、開墾による段々畑説もある。石切り場や、自然の地形を利用した段々畑に手を加えて軍事、防衛上からも利用したのではないだろうか。このあたりをお猿畠ということからも畑があったのでは。畑の方が新しいかも知れないが。
法難にあった日蓮を助けた山王様の権現の白猿にちなむ。
下は横須賀線
猿が扁額を抱えている。法難で焼打ちに会った日蓮を猿がここ法性寺まで導いたという。
岩殿寺の坂《地図》
岩殿寺(がんでんじ)
坂東三十三観音第二番札所
七曲り 披露山公園の尾崎行雄記念碑の後ろから下る古東海道) 《地図》
薬研状の道に落葉がぎっしり。
真昼間なのに真っ暗。
日本武尊と弟橘媛が通り、「お夏と孫三郎」という人をだます恋仲の狐の物語の残っているタイムトンネルのような道の向うは、夢から醒めたようなありふれた今日的な風景になる。
木製の説明板があるが完全に文字が消えて判読不能。
子どもの頃、父と一緒によく来た海水浴場だ。
亀岡八幡(逗子5-2)
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