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2007年6月23日 (土)

横須賀市の坂-14

2007年6月23日

逗子駅 バス→久留和・・・妙忍寺・・・秋谷(あきや)の坂・・・久留和バス停・関根川・・・子安の坂・・・関根御滝不動尊・・・子安の里通り・茶屋・・・西光院・・・見晴らし台・・・炭焼き小屋・・・花立(はんたて)の坂・・・西海岸通り(国道134号)・・・前田中橋(前田川)・・・向坂・・・秋谷きらきら公園・・・十二所神社・・・芦名マリーナ・・・ごへん坂・・・西海岸通り・・・馬骨坂・・・大楠芦名口バス停→逗子駅

  【ルート地図

 今日も暑く坂道散歩よりは海水浴日和という日だった。長井行きのバスが葉山町から横須賀市に入った長者ケ崎の海岸はいい波が立っていてサーファーたちが波乗りを楽しんでいる。久留和でバスを降りて海に背を向けて秋谷の坂を上る。上りは無風状態で暑苦しいが、下りは海からの風が心地よい。子安の里は湘南国際村の造成や、子安の里通りの開通で随分変わってしまったようだが、所々に隠れ里の雰囲気が残っていて歩いていて気分がいい。

 かつては生活道路だったという花立の坂は、今は山道で一般道ではない。最初から山道と思って歩けばそれほどではないが、坂道散歩のつもりでいると一苦労する。ハイキングコースみたいに整備しないとこの道もいずれ廃道になってしまうだろう。

 十二所神社近くの海岸からごへん坂を上る。坂名の由来が分からない。坂沿いの大楠小学校あたりにあったという芦名城に関連のある坂名なのだろうか。坂上は西海岸通りで、かつては曲がりくねった急坂だったという馬骨坂を上り下りし、大楠山を望む大楠芦名口のバス停まで戻りバスで逗子へ向った。

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Dsc00366 妙忍寺(秋谷4313)

日蓮宗の寺。

Dsc00372_1 秋谷の坂(坂上方向) 妙忍寺の北側を北東に上る。《地図

Dsc00383_1 坂下方向、正面は相模湾

坂上あたりは戦時中の砲台道。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc00386_1 久留和バス停の後ろ側の石造物

Dsc00388_1 子安の坂 秋谷の関根川に沿って北東方向に上る。《地図

Dsc00390_1 坂上方向

左側の崖下に7基の庚申塔。真ん中の庚申塔は享保4年(1719)。

Dsc00399関根御滝不動尊

湧水を車で汲みに来る人が続く。飲食店用に大量に持って行く人もいるようだ。

Dsc00400_2 不動さん

Dsc00403_2 坂下方向

正面が御滝不動尊

Dsc00409_1 茶屋

子安の里通りの関根トンネルを出た近く。おはぎなどを売っている。左側に庚申塔が2基安置してある。子安の里通りが開通する以前は旧道の御滝不動尊の先の崖上にあったようだ。

Dsc00406_2 庚申塔

右は天和3年(1683)・左は明和4年(1767)のものという。

Dsc00413 茶屋の前を通り、湘南国際村の方へ上る子安の里通り。さらに国際村から葉山町の黄金坂(葉山町)へと続く。

Dsc00426 西光院へ

茶屋の前あたりから旧道に入る。

Dsc00432_1 西光院(子安10-8)への石段

Dsc00431 西光院

雑草に覆われている。軽部一族のゆかりの寺という。このあたりは隠れ里の雰囲気が残っている静かな所。軽部姓が多いそうだ。

Dsc00434_1 見晴らし台の方へ

Dsc00438_2 道が濡れている

Dsc00445 通称見晴台から相模湾方向

子安の里で一番高いあたり。

Dsc00449_1 炭焼き小屋(見晴らし台そば)

話好きなご主人と談笑し、小休止。

Dsc00447_1 炭焼きの竈(かまど)

Dsc00451 炭焼き小屋から下る坂。

Dsc00457_1 庚申塔(坂下右側の崖上)

いづれも享保年間(1716~35)の建立という。11基あるようだ。

Dsc00458_1御幣を担いだ一猿の庚申塔。

享保6年(1721)建立。

Dsc00464 馬頭観音と石仏

庚申塔の所から左に進んだ所。

Dsc00465左、花立(はんたて)の坂へ・右、子安への分岐点。

Dsc00469_2花立の坂へ

少し行くと行き止まりの感じで、何度も行ったりきたりした。

Dsc00471_1 花立の坂への入口

草に覆われていて分かりにくく入りづらい。今はほとんど通られていないようだ。草がはびこり露で靴とズボンはびっしょり。蜘蛛の巣を払い、やぶ蚊に食われながら進む。

「子安の里からまっすぐ久留和の海岸に出ても回り道をしないと、秋谷に行けなかった。花立の山越えならば、じかに秋谷の宿に行けた。」(子安に住む古老(平成5年当時80歳)の話) この道は、かつての通学路、生活道路でもあった。『坂道風土記 三浦半島』 今の様子からは信じられない。西海岸通りもなかった頃の話であろう。

Dsc00472_2 上り方向

Dsc00474 ここは道幅も広い方

Dsc00477 下りとなる 《地図》(写真と地図の位置とは一致しない

Dsc00479 右側に相模湾

Dsc00480 馬頭観音

Dsc00482_2 一般道になって下る

Dsc00492_1 西海岸通りに出るあたりから坂上方向。正面の山越えの道が「花立の坂」だ。標高は70mぐらいしかないが。

Dsc00493_1 坂下の西海岸通りから。古い民家(正面)の右側を上って行く坂が花立の坂。

Dsc00499 向坂 秋谷一丁目の前田中橋(前田川)から南方向に上る。坂上に「秋谷一丁目きらきら公園」《地図》(道筋の標示が途切れている。)

この坂は前田川左岸の秋谷一丁目で鎌倉道だという。この坂だと思うが確かではない。

Dsc00510_1 坂上の「秋谷一丁目きらきら公園」から

確かに海が「きらきら」輝いて見える。写真の撮り方は下手だが。

Dsc00514 きらきら公園から下りとなる。

なんとなく鎌倉道風の風情がある道だが。

Dsc00520_2 坂下近くの入江

Dsc00526_1 十二所神社(芦名38)

城山(大楠小学校あたり)にあった三浦為清(大介義明の弟)の舘の鎮守だったという。

Dsc00523 説明板

Dsc00527 芦名マリーナ

Dsc00529_1 ごへん坂 芦名1丁目の大楠小学校の南側を北東に上る。坂上は西海岸通りの大楠小入口交差点《地図

この坂は地図にも坂名が載っているが、坂名の由来が分からない。大楠小学校のあたりに三浦為清の館(芦名城址 )があったというから、それに何か関連がある坂名なのだろうか?

Dsc00537 坂下方向

Dsc00546 馬骨坂(大楠芦名口方向) 西海岸通りの佐島入口交差点から北西に上り、大楠山入口交差点まで下る。《地図

西海岸通りの山側の字名が「馬骨」。坂はもっと急で、今の国道(西海岸通り)を縫うように曲がりくねっていた。「子どものころ、秋谷へ行く荷車を押し上げて、駄賃をもらった。昭和40年頃まで牛も飼っていた。牛も骨が折れるので、前足の草履をはかせました。」(古老の話)『坂道風土記 三浦半島』 今は傾斜もゆるく、車の往来の絶えない平凡な坂だ。

Dsc00550_2 佐島側から

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2007年6月19日 (火)

逗子市の坂-5・葉山町の坂-1

2007年6月19日

Dsc00308 逗子駅(横須賀線)・・・亀井地蔵(亀井公園)・・・田越橋(田越川)・・・県道24号(横須賀逗子線)・・・六代御前の墓・・・富士見橋・・・渚橋・田越神明社・・・桜山の切通し(逗子市)・・(葉山町)・旗立山(鐙摺(あぶずり山)・葉山港・須賀神社・海宝寺・日影茶屋・・・葉山マリーナ・・・諏訪神社・・・清浄寺・・・脇町の庚申塔・・・亀井戸橋(森戸川)・・・長徳寺・・・木の下交差点・・・岩崎坂・・・国道134号線・・・イエズス孝女修道院・・・葉山消防署の五差路・・・下道坂・・・平松地蔵尊・・・下道坂・夜泣き石・庚申塔・六地蔵・・・一色小交差点(県道27号横須賀葉山線)・一色前田前庚申塔・・・滝の坂・・・滝の坂不動尊(吾妻神社)・・・滝の坂トンネル・・・小金坂・・・新善光寺・・・黄金坂橋(下山川)・黄金坂(上の写真)・・・旧道(古東海道)・・・道中橋(栗坪川)・・・栗坪の庚申塔・六地蔵・・・猪俣橋(下山川)・・・上山橋・・・県道27号・鍛冶屋坂・・・木古庭大沢橋(下山橋)・・・大沢の庚申塔・神明社・木古庭不動尊・不動の滝・・・不動橋・・・県道27号・大楠山登山口交差点・・・高祖坂・高祖井戸・・・県道27号・木古庭陸橋交差点・・・宗源寺坂(この坂を高祖坂とする説もある)・「高祖坂」の庚申塔・・・境地蔵(葉山町・横須賀市の境)・・・おかん塚の坂・・・伝馬場坂・・・金谷交差点・衣笠通り・・・衣笠駅(横須賀線) 

 梅雨に入ったというのに晴れて蒸し暑い日、逗子駅から衣笠駅までの浦賀道沿いの坂を歩く。古東海道、鎌倉街道と重なる道筋もあるようだ。県道は歩道が分離していない所が多く歩きづらいが旧道に入ると静かで庚申塔や地蔵さんが残っていてほっとする。坂道散歩でいろんな滝(跡)に出会ったが、木古庭不動尊の不動の滝は小さいながらもいまだ涸れずにちゃんと流れていて嬉しくなった。いつまでこの滝の流れが続くのか。

おかん塚の坂・伝馬場坂は「横須賀市の坂-13」(2007年2月25日)に記載。

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Dsc00182 亀井地蔵尊(逗子5-4の亀井公園内)

ここに建立されたのは昭和59年と新しい。

Dsc00181_2 亀井地蔵尊由来

Dsc00183六代御前の墓 《地図

平家の嫡流で田越河原で斬首されたという、六代目平高清の墓という伝承の地。
平高清の伝承は各地にある。初瀬街道の西方寺の五十六橋、沼津市の東海道には六代の首塚と伝える「六代松の碑」、埼玉県川口市には六代の妙覚上人の開基と伝える観福寺と首塚がある。(『六ヶ村用水・緑川を歩く』の力神社と観音橋の所に記載)

Dsc00185_1 説明板

Dsc00189 田越神明社(桜山8丁目、渚橋の南の国道134号沿い)

右の長柄トンネルを抜ける坂が田越坂か?

Dsc00194_1 桜山の切通し(坂上方向) 桜山9丁目の渚橋交差点から南西方向に上る県道207号(森戸海岸線) 《地図

Dsc00196_2 坂下方向

両側の崖を切通している。近くにある逗子市の天然記念物「鐙摺(あぶずる)の不整合の露頭」へ行ってみたが場所も形もはっきりしなかった。

Dsc00198_2 旗立山(鐙摺山) 葉山港の南側

Dsc00208_1 旗立山・鐙摺山地名由来

鐙摺山は源頼朝、旗立山は三浦義澄に由来。

Dsc00200_1 葉山港

Dsc00201_1 須賀神社(海宝寺隣り)

Dsc00202_1 海宝寺(旗立山の南側)

三浦三十三観音霊場第24番。境内の庚申塔・六地蔵

Dsc00209_2 日影茶屋(海宝寺前、葉山町堀内)

江戸時代中期からの料理茶屋

Dsc00210_2 諏訪神社(葉山町堀内)

Dsc00211_2 清浄寺(堀内284)

Dsc00212 脇町の庚申塔(堀内324、清浄寺の南の県道207号沿い)

葉山町指定文化財

Dsc00218 長徳寺の庚申塔(堀内805)

左から文化、天明、明治の建立。1基が葉山町指定文化財。

Dsc00220_2 岩崎山(正面)

この上に葉山教会があるようだ。

Dsc00223 岩崎坂 堀内の県道207号の木の下交差点から南東に下って、上る。 《地図

左側が岩崎山

Dsc00226_1 下って、国道134号(鎌倉葉山線)まで上る

Dsc00229_1 イエズス孝女修道院(堀内の国道134号の向原交差点近く)

大正3年の竣工の建造物。

Dsc00233_1 葉山消防署前の五差路 《地図

右から二番目の道が浦賀道で下道坂へ続く。

Dsc00240 下道坂(坂上方向)

Dsc00264 下道坂(右)・平松地蔵へ左へ上る。《地図

Dsc00250_1 平松地蔵尊(左の小堂)

Dsc00249_1 地蔵(小堂内)

Dsc00247_1庚申塔(平松地蔵尊の隣り脇)

Dsc00257 下道坂(県道27号横須賀葉山線の方へ下る) 《地図

Dsc00263_2 夜泣き石(左下)・六地蔵・庚申塔(右後方)

一色1193、下道坂の坂下近く。

Dsc00262_1 夜泣き石

夜泣きする赤子を連れて参れば夜泣きが止むと言い伝えられているそうだ。

Dsc00259 六地蔵と庚申塔

Dsc00254_4「一色前田の庚申塔」(一色1028)

下道坂の坂下の一色小交差点そば

Dsc00271_1 滝の坂(旧道の坂上方向) 《地図

Dsc00272_1 県道に出る所

Dsc00277 滝の坂トンネル(右)・滝の坂不動へ(左) 《地図

Dsc00287_1 滝の坂不動への坂。古東海道の道筋だったのだろう。

Dsc00278 坂下方向

Dsc00280 滝の坂不動(吾妻神社) 《地図

かつては吾妻神社で今でも鳥居が立っている。

Dsc00281_1 堂内の不動(左)

Dsc00282 霊泉説明板

Dsc00283_2 霊泉井戸

日本武尊が東征の折、この湧水を飲んで休息したという。

Dsc00285 滝の坂不動(左の石段上)から先は行き止まり。滝の坂トンネルができる前は新善光寺の方へ浦賀道は続いていたのだろう。

Dsc00293 滝の坂トンネルを抜けた所に立つ地蔵さん

ここから少し下った新善光寺前から小金坂の下りとなる。

Dsc00294小金坂(坂下方向) 新善光寺前を北東に下る県道横須賀葉山線。《地図

坂名の由来分からず。

Dsc00300 新善光寺四脚門

Dsc00296_1 説明板

Dsc00295 新善光寺本堂(上山口1368)

古くは鎌倉の名越にあったという浄土宗の寺。葉山八景の一つ「新善光寺晩鐘」 

Dsc00303_2 小金坂(坂下近く)

Dsc00310_1 黄金坂橋(下山川) 県道横須賀葉山線の湘南国際村入口交差点の所。

Dsc00306_2 黄金坂(坂上方向) 《地図》 

新しくできた坂。小金坂に近いので同じ坂名としたのか? この坂は湘南国際村まで上っているのだろうが、時間がないので途中までしか行かなかった。

Dsc00313_2 湘南国際村入口交差点から北東に入る旧道(古東海道) 《地図

Dsc00318 栗坪の庚申塔(右下)・六地蔵(左上)

道中橋を渡った、上山口469あたり。この道筋は古東海道と伝えられ、「かながわの古道50選」にも選ばれている。

Dsc00315_2 六地蔵

Dsc00316_1 庚申塔

Dsc00319 上山橋近くで県道に出る。

Dsc00320_2 鍛冶屋坂(坂上方向) 上山橋あたりから南東に上る横須賀葉山線。《地図

街道を往来する馬のための鍛冶屋があったのだろうか。

Dsc00322_1 坂下方向

Dsc00329_2 大沢の庚申塔(木古庭761)《地図

神明社の参道下

Dsc00331 神明社

Dsc00336_1木古庭不動尊(瀧不動堂)

「畠山重忠の守護不動」ともいわれる。

Dsc00332 横浜横須賀道道・東京湾方向(不動尊境内から)

Dsc00337_1不動庚申塔?(木古庭不動尊境内)

Dsc00338 不動堂から不動の滝へ下る

Dsc00341_1 不動の滝

三浦半島唯一の滝? 高さ5mというが、もっと高そうにも見える。水量が豊かとは言えないが流れもしっかりしている。鍾乳洞から流れ出ているとも。木古庭の南側一帯の灌漑用水として昔から利用されてきたという。

Dsc00342_1 不動橋の方へ下る坂 《地図

Dsc04488 高祖坂 横須賀葉山線の大楠山登山口交差点から北西に上る。 《地図

日蓮が布教のため房州(千葉)から海を渡り、横須賀米が浜から鎌倉へ向う途中、ここ木古庭に滞在したという。この坂は滞在中に日蓮が切り開いたとも。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04491 坂の途中から高祖井戸へ

Dsc04492_1 高祖井戸

Dsc04494 坂上近くから

Dsc04497_1 坂上から県道へ下る坂

Dsc00349_1 宗源寺坂 木古庭陸橋交差点から南東に上る。《地図

この坂を高祖坂とする説もある。「宗源寺」がどの寺なのか(だったのか)分からず。

Dsc00351_1 坂下方向

正面は横浜横須賀道路。

Dsc00356_1 坂上の庚申塔(左の2基と石仏(右手前)・(木古庭1514)

「高祖坂の庚申塔」と書いてある。(標柱の下部)

葉山町ではこの坂を「高祖坂」としているようだ。

Dsc00354 三面の石仏

Dsc00359 境地蔵の方へ上る坂(葉山町と横須賀市の境) 《地図

この坂を宗源寺坂という説もある。

Dsc00361_1 坂上の「境地蔵」の所

Dsc00360 境地蔵(木古庭1597)《地図

Dsc00363_1 庚申塔(境地蔵のそば)

脇の木柱によると左は元禄3年(1690)建立。右が昭和46年とあるが建立の年ではないだろう。

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2007年6月11日 (月)

逗子市の坂-4

2007年6月11日

鎌倉駅・・・大宝寺・・・妙法道・・・妙法寺・・・安国論寺・・・名越踏切(横須賀線)・・・長勝寺・・・銚子の井・・・日蓮乞水・・・名越坂踏切(横須賀線)・・・名越切通し・・・お猿畠大切岸・・・山王社・法性寺奥の院・・・法性寺・・・岩殿(がんでん)寺の坂・岩殿寺・・・(横須賀線)・・・披露山の坂・・・披露山公園・・・七曲り(古東海道)・・・新宿(しんじゅく)稲荷・逗子海岸・・・逗子駅

【坂道散歩ルート地図

 「名越の切通し」、「七曲り」とも古東海道の道筋と推定され、往時の面影が残っている。とくに七曲りは今は落葉に埋もれた道跡といった感じで、廃道寸前という趣だ。日本武尊と弟橘媛が通ったのはどちらの道なのか?伝説とはいえヤマトタケルは古代の複数の人物の集合体だろうから、いろんなヤマトタケルが両方の道を通ったのだろう。(上の写真は舗装された道になってからさらに下る七曲りの坂下方向)

 「披露山の坂」は、「逗子市の坂-3」に記載。

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Dsc09994 苔寺と呼ばれる妙法寺の苔石段。通行はできない。

Dsc00012_1 化粧窟(苔石段の下)

やぐら(中世の横穴墓)だろう。.

Dsc00003護良親王の墓(妙法寺のてっぺん)

Dsc00004_1 材木座海岸・稲村ガ崎方面(護良親王の墓の所から)

Dsc00033_1銚子の井」の石標

長勝寺前の県道沿い。

Dsc00034_2 銚子の井(県道から路地を入った所)

「鎌倉十井」の一つ

Dsc00035_2 今の名越坂(県道311号鎌倉葉山線)

白い煙突?はクリーンセンター

Dsc00036 日蓮乞水(右)から名越の切通し(正面)

横須賀線沿いの旧道、名越坂踏切の手前

Dsc00038 日蓮乞水

「鎌倉五名水」の一つ。名越の切通しへ向う人、切通しから下りて来た人がここで水を飲んで一休みしたのだろう。

Dsc00040 名越坂踏切から名越の切通し(トンネルの上あたり)、名越トンネル。

Dsc00045 名越の切通しへ

Dsc00049 右下を名越トンネルに入る横須賀線が通る。

Dsc00050_2 鎌倉方面

Dsc00052_1 庚申塔

右は寛政12年(1800)の建立

Dsc00054_1切通しへの細い上りの道 《地図

Dsc00064_1 道の真ん中に置かれた「置石」

騎馬隊の通行を妨げるために置かれた石。

Dsc00066_1 名越の切通し(標柱の立っている所) 

鎌倉七切通し(七口)」の一つ。この先に「おおほうとう(大空洞)」と呼ばれる岩の間の細い道があるという。大切岸、法性寺の方への道に入ったため今回は断念。

鎌倉の世界遺産登録に向け整備するというが、この古東海道の風情を残すためにも観光客はあまり来て欲しくない。(自分勝手な言い草だが) 近くの「まんだら堂跡」の調査、発掘、整備はどうなっているのか?

Dsc00067_1 法性寺への途中の「無縁緒霊之碑」

Dsc00069_1 石廟(大切岸の上の逗子ハイランドへの道沿い)

Dsc00073 お猿畠大切岸の上の逗子ハイランドへの道

右が切り立った垂直の崖。

Dsc00086_2 お猿畠の大切岸(下から) 《地図

鎌倉防衛、特に三浦氏の侵入を防ぐ目的で人為的に垂直な崖に切り落としたといわれる。大切岸の前面上には2~3段の平場が築かれていて、そこで敵を待ち伏せて、矢を射掛けたという。それに対し、石切り場説、開墾による段々畑説もある。切り場や、自然の地形を利用した段々畑に手を加えて軍事、防衛上からも利用したのではないだろうか。このあたりをお猿畠ということからも畑があったのでは。畑の方が新しいかも知れないが。

Dsc00091 法性寺の上の墓地からお猿畠大切岸

Dsc00106_1 法性寺奥の院(右)・山王社(左の崖上)

Dsc00094_1 山王社多宝塔

法難にあった日蓮を助けた山王様の権現の白猿にちなむ。

Dsc00095_2 山王社説明板

Dsc00096_1山王社から逗子市街地

下は横須賀線

Dsc00100 披露山、逗子湾方向

Dsc00102_2 大崎公園方向

Dsc00107_1 奥の院から下る坂

Dsc00109 法性寺本堂へ下る

Dsc00113 猿畠山法性寺の山門

猿が扁額を抱えている。法難で焼打ちに会った日蓮を猿がここ法性寺まで導いたという。

Dsc00114 横須賀線の東側の県道金沢逗子線に並ぶ庚申塔など

Dsc00117_1 岩殿寺の坂《地図

Dsc00119_1岩殿寺(がんでんじ)

坂東三十三観音第二番札所

Dsc00121_1 爪彫地蔵?

Dsc00123 観音堂

Dsc00130_2 観音堂説明板

Dsc00126_2 観音堂から逗子湾方向

Dsc00141 七曲り 披露山公園の尾崎行雄記念碑の後ろから下る古東海道) 《地図

薬研状の道に落葉がぎっしり。

Dsc00155 坂下方向

真昼間なのに真っ暗。

Dsc00157 一般道に出る近く。正面は某知事の別荘。

本武尊と弟橘媛が通り、「お夏と孫三郎」という人をだます恋仲の狐の物語の残っているタイムトンネルのような道の向うは、夢から醒めたようなありふれた今日的な風景になる。

Dsc00167 さらに下る古東海道

Dsc00172_1 新宿稲荷下の庚申塔

木製の説明板があるが完全に文字が消えて判読不能。

Dsc00174_1 新宿稲荷

Dsc00173_1 新宿稲荷縁起

Dsc00179_1 逗子海岸海水浴場

子どもの頃、父と一緒によく来た海水浴場だ。

Dsc00180_2 亀岡八幡(逗子5-2)

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2007年6月10日 (日)

逗子市の坂-3

2007年6月8日

逗子駅(JR横須賀線)・・・小坪入口交差点(県道鎌倉葉山線)・・・披露山入口バス停・・・披露(ひろ)山の坂・・・披露山神社・観音堂・・・披露山公園・・・浪子不動ハイキングコース・・・高養寺(浪子不動)・不如帰の碑・・・披露山公園・・・披露山庭園住宅・・・諏訪神社・・・大崎公園の坂・・・大崎公園・・・天照神社・・・小坪漁港・・・仏乗寺・・・大六天神社・・・大崎の八大竜王大神の近く・・・子之神社・・・一の宮神社・・・ゆうき食堂・・・小坪バス停・・・逗子駅

 ルート地図

 「披露山の坂」、「大崎公園の坂」は『坂道風土記 三浦半島』で名づけられた坂名です。

 披露山公園から浪子不動ハイキングコースを下り、浪子不動の高養寺から逗子湾沿いに大崎の八大竜王大神に行き、大崎公園に上ろうと思っていたが道(国道134号)は途中でカーブして海岸から離れてしまって海岸沿いの道はないようなので、ハイキングコースを上り返し、披露山庭園住宅から大崎公園へ。公園から崖下の大崎に下る道も見当たらず、小坪漁港へ細い小径を下る。一般道に出ても細く曲がった坂が続く。途中の天照大神社の石段は急だ。

 小坪漁港を南に海岸沿いを八大竜王大神を目指すが見当たらず、その先は海に入らねばならず浜辺を引き返すと、ちょうど犬と散歩の海パンをはいた人がやって来た。八大竜王大神社は海に突き出た崖の向こう側にあるらしい。崖上の大崎公園からの道はないようだ。海パン人は引き潮の時なら海岸づたいに歩いて行けると言い、犬を連れて海に入って行った。岩の上に腰掛けて見ていると、遠浅のようでどんどん犬と一緒進んで崖の向うに見えなくなった。犬は泳いでいるのだろうか。海岸の陽射しは強く、じりじりと日焼けしそうになりそうなので漁港に引き返し、「ゆうき食堂」で、新鮮でボリュームのある「かつおと生しらすの合わせ丼」(千円)を食べ、小坪バス停から逗子駅に戻った。

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Dsc09835披露山の坂 小坪の披露山バス停近くから曲がりながら南西に披露山公園に上る。《地図

正面が披露山(標高90mぐらい)

Dsc00136 坂上方向

Dsc09842 坂上方向

Dsc09854 披露山神社

Dsc09853_1 神社略記

Dsc09861_1 観音堂

Dsc09859_1 堂内の観音像

Dsc09866 披露山展望台へ

Dsc09868 披露(ひろ)山説明板

鎌倉時代将軍に献上品を披露した所。あるいは献上品を披露する役人が住んでいた所。アイヌ語の坂を意味する「ピラ」が訛って、「ヒロ」になったとも。

Dsc09869 大崎公園・浪子不動説明板

Dsc09871 逗子マリ-ナ・江ノ島方向

Dsc09874 逗子湾・葉山港・葉山マリーナ方向

Dsc09873_1 逗子八景(昭和25年頃)の「披露山の暮雪」

ちょうど浪子不動ハイキングコースからの下り口あたりからの写真

Dsc09882 浪子不動ハイキングコースへ 

 

Dsc09909 坂の途中から逗子湾

Dsc09915 高養寺(浪子不動)  坂下の逗子湾沿い。

徳富蘆花の小説「不如帰」の舞台となり、ヒロインの「片岡浪子」の名から「浪子不動」と呼ばれている。武男と浪子が海岸を散歩してこの不動堂のあたりで、浪子が有名なセリフ、「人はなぜ死ぬのでしょう。生きたいわ・・・・・・」と言う場面か?

Dsc09911 不如帰の碑(高養寺の下の木の間の海中)

兄の徳富蘇峰の筆による。

Dsc09922 大崎公園の坂 披露山庭園住宅の西側から大崎公園に南西に上る。《地図

Dsc09926_2 坂下方向

向い側は披露山庭園住宅の間の坂

Dsc09923_1諏訪神社(小坪4-19)

Dsc09937_1 小坪漁港・逗子マリーナ・江ノ島方向(大崎公園から)

Dsc09931 逗子湾・葉山港・葉山マリーナ方向

Dsc09938 小坪漁港の方へ下る細い道

Dsc09942 坂の途中から

Dsc09949_1 小坪漁港へ

Dsc09954_1 天照大神社(小坪4-20)へ上る男坂の石段

数えたら175段ある。休みなく(踊場のような広い所がない)一気に上る急坂だ。

Dsc09955_1 石段上から

Dsc09960 地蔵さん(小坪漁港へ下る坂の途中)

Dsc09964_1 大六天神社(奥の鳥居)

仏乗院(右側の白い建物。小坪4-26、小坪漁港の道路沿い)

19.木造阿弥陀如来立像は逗子市指定文化財

Dsc09967 犬を連れて海へ入っていった人の先の崖(大崎)の向うに八大竜王大神の社があるらしい。水は冷たくないのだろうか? 漁港の人ではなく、マンションの「小坪マリーナ」か「東急ウイングコースト」の住人らしい。

Dsc09976 左上に上る石段が八大竜王大神の社殿へ通じているのだろう。(崖の先端部分のアップ写真) 《地図

Dsc09977 子之神社(小坪港前交差点の所)

Dsc09978 一の宮神社(小坪港前交差点東側・小坪4-8)

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2007年6月 5日 (火)

鎌倉市の坂-1・逗子市の坂-2

2007年6月5日

Dsc09787 鎌倉駅(JR横須賀線)・・・若宮大路・・・大巧寺・・・小町大路・・・蛭子(ひるこ)神社・・・日蓮辻説法跡・・・本覚寺・夷堂橋(滑川)・・・妙本寺・・・常栄寺(ぼたもち寺)・・・八雲神社・・・教恩寺・・・別願寺・・・安養院・・・上行寺・・・本興寺・・・辻の薬師堂・・・(横須賀線)・・・元八幡・・・啓運寺・・・妙長寺・・・向福寺・・・来迎寺・・・五所神社・・・実相寺・・・久品寺・・・補陀落(ふだらく)寺・・・材木座海岸・・・光明寺・・・光明寺坂(上の写真)・・・小坪坂・・・須賀神社・・・披露山入口・・・小坪入口・・・逗子駅(横須賀線)

  【ルート地図

 今年の1月から3月にかけて湘南、三浦半島の坂道散歩してからもう3ヶ月が過ぎ、梅の季節から桜も終わり、あじざいの見ごろ、梅雨入りが近い。鎌倉駅から南へ光明寺までの2km程を、道沿いの寺や神社に寄りながらのんびり歩く。元八幡は鶴岡八幡宮へ遷座前の八幡宮で、「油比若宮」として重要文化財に指定されている。元八幡そばの石清水井戸の近くが芥川龍之介が住んでいた借家があった所。五所神社では今度の土日が例大祭「乱材祭」の日。

 光明寺から材木座海岸へ出て、東に入り光明寺坂を上り坂上から小坪坂へ、ちょうど峠越えのような感じだ。鎌倉市側からの上りは広い道になっているが、逗子側へ下りる旧道の古東海道への入口が分かりにくい。昔の面影を残す細い坂が小坪の国道まで続いている。坂下のこのあたりを姥が谷(やつ)といい、古東海道はここから披露(ひろ)山へ上り、七曲りを下り木古庭から衣笠を通り、走水に抜け海を房総半島へ渡っていたらしい。ここまであちこち寄り道をしたのでかなり時間がかかった。披露山公園、大崎公園へは次回として逗子駅に向う。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09724 元八幡(由比若宮)

重要文化財だが社殿自体は新しく小さい。

Dsc09720 石清水井戸(元八幡のそば)

京都の石清水八幡宮にちなむ名か。このあたりの借家に芥川龍之介が一時住んでいた。『芥川龍之介を巡る
墨田区両国が生育地で、北区の上の坂の坂上、横須賀の長源寺坂の坂下にも住んでいた。

Dsc09755_1 五所神社「乱材祭」のポスター

Dsc09770_1

光明寺山(三)門

Dsc09779 光明寺坂 鎌倉市材木座と逗子市小坪の境の新小坪トンネルの手前から北東に上る。坂上は鎌倉第一中学校、光明寺の裏山。《地図

Dsc09780_1 内当家墓地(坂下近く)

延岡藩主内藤家の歴代の墓。向こう側に材木座の海

Dsc09782 坂下方向

Dsc09794_1材木座海岸

坂上の「かながわの景勝50選・光明寺裏山の展望」の碑の所から。それほどの景観でもない。

Dsc09791 小坪坂(鎌倉市側からの上り)

光明寺坂上から(右のトンネル)から写真の左方向へ上る坂。 《地図

Dsc09792 坂上方向

Dsc09799 坂上近くで右側のガレージの先から右に石段を上る。ここは鎌倉市と逗子市の境。

Dsc09805_1 逗子市側へ下る小坪坂へ上る石段

民家の階段のようで分かりにくく、上りづらい。

Dsc09806 小坪坂(逗子市側の坂下方向)小坪6-2と6-10の間を南方向に下る。坂上は石段 《地図

Dsc09810坂上方向

右に木製の案内板が倒れている。「足柄峠を越えて東国へ入った古東海道は小坪坂を登って姥が谷(うばがやつ)へ下り披露山から七曲りを通って逗子へ入りました。この札の立っている辺りは古道の面影の色濃く残っている所です 逗子市教育委員会」

Dsc09812 坂下方向

Dsc09830 須賀神社(小坪6-6)

小坪坂の坂下を進んだ国道134号の小坪橋近く

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2007年6月 1日 (金)

日の出町(東京都)の坂-1

2007年6月1日

Dsc09571 武蔵五日市駅(五日市線)・・・徳蔵寺・・・まいまい坂・・・福寿寺・・・ぐみの木峠・・・幸神神社・・・奥多摩あきる野線(都道184号)・・・岩井橋(平井川)・・・岩井(がんせい)院・・・勝峰神社・・・間坂(将門坂(上の写真)・・・青梅日の出線(都道251号)・・・長井寺・・・西徳寺・・・坂本交差点(秋川街道)・・・西福寺・・・大久野のフジ・・・三嶋神社・・・玉の内橋(玉の内川・平井川)・・・西平井橋(平井川)・・・武蔵増戸駅(五日市線)

 幸神神社までは「あきる野市の坂-4」(4月15日)に歩いたコース。神社から北に都道184号に出て北方向に岩井橋を過ぎると岩井院。何で「いわい」ではなく「がんせい」と読ませるのか? 
 勝峰神社から眺める将門が藤原秀郷と戦った勝峰山はセメント採掘で肌を削られ、骨がむき出していて秩父の武甲山を思い出させる。ここは日の出町大久野の岩井地区。平将門の本拠地、茨城県岩井市(現在は合併して坂東市)と関連があるのか。そんなことを考えながら歩いていると間坂峠への上り口で老婦人から声をかけられた。茨城の岩井とは姉妹都市でしばしば訪れているという。帰ってから調べても日の出町と旧岩井市が姉妹都市であった様子はない。ここ大久野の岩井地区と茨城県岩井市の人たちの私的な交流なのであろう。いろいろ話していると「高齢者外出支援バス ひまわり号」というマイクロバスが迎えに来た。老婦人は療養に温泉に行くという。「つるつる温泉」に行くのだろうか。それとも五日市の「秋川渓谷瀬音の湯」か。

 間坂は昨日までの雨が道に流れ、下草も濡れていて靴もズボンの膝下までびっしょり。峠越えといっても標高差はたいしてなく峠向うの都道まで15分くらいだが、なんだか山道を歩いた気分になる。千年以上も前、勝峰山から将門がこの道を駆け上り、下って青梅方面に逃げ延びたという。いまだ将門の怨念が籠もる往古の雰囲気が残る道だ。
 峠を下り都道251号を南東に坂本交差点の所から秋川街道沿いの旧道の西福寺から東の北大久野川を渡り、都の天然記念物という「大久野のフジ」を通る道は、これも峠越えという感じの静かな道。下って玉の内川に出て南下し、三嶋神社から平井川の西平井橋へ出て南へ、都道185号(山田平井線)を武蔵増戸駅へ向う。途中に平井本宿があり栄えた所というが、当時を偲ばせる物は見当たらなかった。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09545勝峰山岩井(がんせい)院(日の出町大久野2808) 《地図

Dsc09552_1 勝峰山(454m) 勝峰神社下から

承平・天慶の乱の時、平将門がこの山に砦を築いたという。セメントの採石で山肌が露出している。

Dsc09555 勝峰神社(大久野2998?)

平将門を祀るという。

Dsc09557不動明王掛け軸

本堂左の堂内

Dsc09564 間坂(将門坂) 都道184号から間坂峠を越えて都道251号に至る未舗装の道。《地図

承平・天慶の乱の末頃、藤原秀郷に攻められた平将門は勝峰山の砦から脱出し、この坂(峠)を越え、青梅方面に逃れていったという。

Dsc09569 峠へ

Dsc09573 坂上(峠)近く

Dsc09577 反対側(都道251号方向)へ下る

Dsc09586 旧家(長井寺近くの都道251号沿い)

屋根が苔むしている。

Dsc09585 長井寺(大久野5576)

Dsc09590 西徳寺

変わった形の石灯篭の下に馬頭稚児さん

Dsc09597 西福寺(平井712)

多摩の郷八十八カ寺、第53番札所。

Dsc09606_2大久野のフジ(都天然記念物)(大久野坊平622) 《地図

フジのつるが木に巻きついている。5月中旬が花の見ごろというが、花はすっかり終わってしまったようだ。

Dsc09605 説明板

Dsc09604_1説明板

Dsc09608_1フジ

Dsc09624 地蔵(玉の内川近く)

Dsc09631三嶋神社(大久野8748)

8月第2土曜日に獅子舞が奉納される。かつては雨乞いのために舞われたという。また、7月に夏バテ防止祈願の茅の輪くぐりでは、丸い輪ではなく三角形のものを用いる。『歴史・文化 大久野地区東部

Dsc09634_1 平井川沿いから都道の平井本宿あたりへ上る坂。

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