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2007年7月 3日 (火)

大和市(神奈川県)の坂-1

2007年7月3日

Dsc00587 高座渋谷駅(小田急江ノ島線)・・・滝山街道・・・宗昌寺・・・大坂①・・・福田橋(引地川)・・・蓮慶寺の坂・蓮慶寺・山王社・・・サンヤの坂・・・(東海道新幹線)・・・福寿橋・・・デーノ(上の写真)・・・常泉寺・・・神明橋・神明坂・神明神社・・・若宮八幡宮・・・代官橋・・・鬼子母神・・・田中八幡宮・・・八幡山公園・・・御嶽山神社・・・御嶽橋(引地川)・・・山王橋・・・大和霊園(姥山伝説碑・福田開拓九人衆碑)・・・引地台公園・・・福田神社・・・桜ケ丘駅(小田急江ノ島線) 

  ルート地図

 大和市は神奈川県のほぼ中央部に位置し、北から下鶴間・林間地区、上草柳・下草柳地区、深見地区、福田地区、上和田・下和田地区に分けられる。今日は南に藤沢市、西に綾瀬市と接する福田地区の坂を歩いた。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00554 えさをねだるつばめの子(高座渋谷駅東口)

もう巣立ちも近いようだ。それにしても巣がよく壁にくっついているものだ。

Dsc00556 滝山街道(小田急江ノ島線の東側に沿う道。写真のあたりは藤沢市長後が入り込んでいる所。)

八王子滝山城(大永元年(1521)武蔵国守護代大石定重が築城したとされる戦国期の城館)と鎌倉玉縄城(永正9年(1512)北条早雲が築城した、後北条氏の東相模における重要な支城)を短距離で結ぶ戦国時代以降の古道。八王子街道ともいう。後北条氏が領国支配するうえで重要な道だった。『やまと歴史マップ』

Dsc00563_2 宗昌寺(福田1544)

藤沢市との境にある曹洞宗の寺。慶安元年(1648)に後北条氏の家臣とも言われる鈴木宗昌が創建したと伝える。『やまと歴史マップ』

Dsc00560 庚申塔(右)と「飯都社旧址」碑(右)?

宗昌寺から大坂の坂上(左の道)へ向う辻の所。

Dsc00557_1 大坂(坂上から) 下福田中学校の北側を西方向に下る。【ルート地図】の①

Dsc00566_2 坂上方向

Dsc00567_1 蓮慶寺の坂(坂下から)

大坂の坂下から福田橋(引地川)を渡り、蓮慶寺の南側へ上る坂。【ルート地図】の②

Dsc00570_1 坂下方向

Dsc00572_1 蓮慶寺(福田1279)

文禄元年(1592)開山という古義真言宗の寺。

Dsc00573 「姥山伝説」(後述)ゆかりの優婆尊尼像が安置されている。室町時代後期の作風という。

Dsc00575_2 山王社(蓮慶寺の北側)

Dsc00576_1 サンヤの坂 山王社の北側を西に上る。【ルート地図】の③

「サンヤ」という屋号の家が坂近くにあったのか?

Dsc00579 坂下方向

Dsc00581_1 福寿橋(引地川)から

ちょうど正面に東海道新幹線が走る。

Dsc00584_1 デーの坂 下福田小学校の南の福寿橋から曲がりながら北東に上る。【ルート地図】の④

「デー」という屋号の家があった。デーはダイから転じているという。現在は妻恋坂と呼ばれている。『大和市の地名』 ダイは台か。妻恋坂の由来は何だろう?

Dsc00588_1 神明橋から神明坂へ

Dsc00602 神明坂(坂下方向) 神明神社の北側を塩付道へ上る道。《地図

塩付道は高座郡鵠沼村(藤沢市)や腰越村(鎌倉市)周辺の海浜部で生産された塩や海産物を、津久井や八王子さらには甲斐国(山梨県)などに運んだ道。『やまと歴史マップ』

坂上を行くと塩付道、中原街道にも通じている。

Dsc00598 神明神社(福田529)

道祖神(安政4年(1857))がある。

Dsc00596_2 若宮八幡宮(福田509)

下福田の鎮守

Dsc00594 由来書

Dsc00592_2 道祖神・猿田彦塔(若宮八幡境内)

右は双体道祖神。

Dsc00611_1 鬼子母神(田中八幡宮の西側)

Dsc00613_1 鬼子母神に沿う坂(坂下方向)

Dsc00617_1 田中八幡宮(福田6-20)

左下の小さい石塔は道祖神・右は供養塔?

Dsc00618_1 御嶽山神社(福田7-38)

Dsc00619_1 説明板

Dsc00632 双体道祖神・庚申塔(大和霊園前)

Dsc00627_1 福田開拓九人衆之碑(大和霊園内)

永正元年(1505)からこの地へ来て開拓し、福田村と名づけたと伝わる九人衆の碑。

Dsc00622説明板

Dsc00624_3 姥山由来記(大和霊園内)

《姥山伝説》 福田開拓九人衆の一人、小林大玄の妻イトは、夫の家出を悲しむあまり発狂し、人々を脅かしては盗みを働き、果ては幼児までも食べてしまいました。たまりかねた村人は花見の宴で毒を盛り、イトを亡き者にしてしまいます。それ以来この山は亡霊がでるという噂が広まり、近寄る人もなくなりました。ある時、ここを通りかかった高貴な人が、和歌を詠んで冥福を祈ったところ、亡霊も出なくなったということです。村人は優婆尊尼像をいただいてお堂にまつり、やがてこの像は子育ての姥さまとして親しまれるようになりました。(蓮慶寺の木造優婆尊尼坐像) 『やまと歴史マップ』

『大和の文化と伝説』(第一集)によれば、イト(糸)さんは大酒飲みで気が荒く、やきもち焼きで残忍凶暴で、医者とか修験者とかいわれた小林大玄は、手の施しようがなくついに呆れ果てて、妻イトを捨て行方をくらましたという。花見の宴は滝山街道と中原街道が交差する桜株のあたり。桜株は桜ケ丘駅の東側で今も「桜株」というバス停がある。姥山は桜ヶ丘駅北側一帯で、大和霊園の上の引地台公園あたりが一番高い所か。

裏面の和歌:「相模なる福田ケ原の山姥は いつのいつまで夫や待つらむ」

Dsc00637_1 福田神社の方へ下る坂

Dsc00640福田神社(福田8-8)

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