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2007年7月 9日 (月)

大和市の坂-2

2007年7月9日

Dsc00821 桜ヶ丘駅(小田急江ノ島線)・・・金毘羅神社・・・桜株跡あたり(藤沢街道(国道467号)と中原街道交差点あたり)・・・中原街道・・・順(巡)礼街道・・・豚坂・・・境川・・・新道大橋・・・大坂②・・・左馬(さば)神社(上和田)・・・綿屋の坂・・・境川・・・城山土合・・・中道(鎌倉道)・・・赤坂・薬王院・信法寺・・・上和田野鳥の森公園(納豆山?)・・・下の坂・・・藤沢街道・・・お宮の坂(上の写真)・左馬神社(下和田)・下和田のケヤキ・大津家長屋門・・・桶屋の坂・・・大坂③(石塚の坂)・・・下ノ原遺跡跡・・・藤沢街道・・・さざんかの小みち・・・高座渋谷駅

 横浜市瀬谷区と泉区とに境を接する大和市の南東部の上和田・下和田地区の坂道散歩です。桜株は前回(福田地区)の姥山伝説ゆかりの所。藤沢街道(国道467号)の「桜株」バス停にその名をとどめている。豚坂、大坂②、綿屋の坂は台地から境川の方へ下る坂で、城山は境川から大和南高校へ上ったあたりで、和田義盛の城があったという伝承がある所。

 かつては納豆山と呼ばれていたらしい上和田野鳥の森公園へ入り、公園の南側の下の坂を上った藤沢街道を南下すると上和田地区から下和田地区になる。東海道新幹線が地下を走っているすぐ南側を東方向に入り進むと、前が暗い感じ道になり、お宮の坂が下和田左馬神社の前を下っている。なかなか感じのいい坂で気に入った。
 左馬神社の向いの大津家には「下和田のケヤキ」と立派な長屋門がある。坂下から高座渋谷駅の方へ上る桶屋の坂も細くて暗いなんとなく雰囲気のいい坂だ。桶屋坂の坂下へ戻り、田んぼの広がる所からこれは明るい感じの大坂③を上り、下ノ原遺跡があった滝山街道の下和田交差点近くに出た。藤沢街道を北に、途中から「さざんかの小みち」に入り高座渋谷駅へ。案の定、駅の壁のつばめの巣は空っぽだった。きっと無事に巣立ったのだろう。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00737 金毘羅神社(桜ヶ丘駅東口そば)

史実、例祭などは不詳で調査中とあるが、お祭りの準備中のようだ。

Dsc00742_2 順(巡)礼街道 《地図》 

巡礼者がめぐった坂東三十三札所のうちの第8番星谷寺(座間市)、第14番弘明寺(横浜市)、または鎌倉の第4番長谷寺を結ぶ江戸時代からの古道。南方向に行けば上和田左馬神社前に出る。

Dsc00740_1 順礼街道沿いの畑の中に立つ墓?

左側は墓地。

Dsc00746 豚坂(坂上から) 上和田の境川沿いの上の町バス停から南西に入り、順礼街道まで上る。 《地図

坂上で豚を飼っていた。別名を茂右衛門(もえもん)坂。『大和市の地名』 

いろんな動物名の坂があるが「豚」は珍しい。今のところ横浜市の山羊坂の別名(前の名)の「ブタ坂」だけ。

Dsc00748_1 坂下方向

坂下の用水路に茂右衛門橋が架かっていたようだ。

Dsc00754_1 大坂②(坂下の境川の新道大橋から) 上和田の境川の新道大橋から南西に上る中原街道。坂上で順礼街道と交差する。《地図

昔は急坂で膝をついて這い上がったという。「久田の大坂」と呼ばれていた。改修して現在の坂になった。『大和市の地名』

Dsc00757_1 坂下方向

上和田左馬神社前に「順礼街道」標柱が立つ。

Dsc00762_1 左馬(さば)神社(上和田1168)

上和田の鎮守。祭神は左馬頭源義朝。「相模七左馬」の一つ。境川沿いには左馬神社と呼ばれる社が11社あり、そのうち上和田・下和田・下高倉・今田・下飯田・上飯田・瀬谷の7社をいう。1日でこの七左馬をお参りすることを「七左馬参り」といい、疱瘡・麻疹・百日咳などの悪病よけになるとされる。『やまと歴史マップ』 左馬は鯖の変化したものか? 下和田左馬神社のところで再述。サバ神社は12社とする説もある。

Dsc00761_1 説明板

Dsc00769 綿屋の坂(坂上から) 上和田の宮久保橋(境川)から西方向に上る。 《地図

坂近くの家の屋号による坂名か。

Dsc00777 城山への坂 《地図

古くから城山と呼ばれている所。城の構造、年代、城主などはすべて不明。和田判官という人物が住んでいたという伝承がある。この和田判官は和田左衛門尉義盛ではないかと言われている。義盛は建保元年(1213)北条氏に抵抗して和田の乱を起こし敗死し、和田一族は滅亡した。上和田の矢ノ下は、義盛が戦った場所とされ、義盛軍の射た矢から根が生え、矢竹となったといわれている。『やまと歴史マップ』 「矢ノ下」は城山の南の大和南高校の南側あたり。)

Dsc00782_2 城山土合説明柱(城山への坂上、大和南高校の北側近く)

「どえー」と発音するそうだ。城山城址に関する地名で、1~2m程の土地の高まりが続いていた場所の名称。

Dsc00785 赤坂(坂下から) 上和田の薬王院の北側を北西に上る。坂下の中道は鎌倉道 《地図

赤土の急坂で雨の日は滑って難儀した。両側には木が生い茂り、いつもじめじめしていて、カニが沢山いた。『大和市の地名』 今は急坂ではない。

Dsc00786坂上近くから

Dsc00789_1 薬王院(上和田2710)

信法寺の別院。

Dsc00790_1 薬師如来縁起

Dsc00798 信法寺(上和田2710)

左前は岩船地蔵尊(左)と三面双体地蔵(右)?

Dsc00800 納豆山(上和田野鳥の森公園)への坂

坂上近くから左へ入る。納豆山の名の由来は不明という。

Dsc00809_1 野鳥の森公園(上和田2833、上和田小学校の南側)

Dsc00811_1 下の坂(坂下から) 上和田の国道467号の団地入口交差点から南東に中道へ下る。 《地図

現在はバス通りの広い道だが、幅9尺くらいの狭い道だった。

Dsc00814_1 坂下方向

Dsc00816 お宮の坂(坂下方向) 下和田左馬神社前を北西上る。坂上を行くと国道467号に出る。《地図

Dsc00823_1 坂下方向

左側が左馬神社・右側が下和田のケヤキ・長屋門の大津家。

Dsc00820_1 左馬神社(下和田1396)

下和田の鎮守。「相模七左馬」の一つ。江戸時代には「鯖神社」と記していた。境内の常夜灯(寛政元年(1789))には、「鯖大明神」と刻まれている。廃寺となった鯖宮山真福寺が別当寺だったと『新編相模国風土記稿』にある。『やまと歴史マップ』

古く、境川流域にはサバ神社が村の鎮守として祀られていた。サバ神社12社のうち10社が常夜灯などに「鯖」の字を当てている。境川流域に集中する理由として、「サバ」には「分ける」という意味があるとして民俗学的観点から、境界神あるいは道祖神的性格があったろうとする説。また鯖神社の由来としては、初穂の魚に鯖を供えることで信仰が成立したという説。鯖の豊漁の年に病がはやり多くの人が死んだので鯖の頭を奉るようになったという説。中世このあたりが源氏との関わりが深いことから左馬頭義朝や満仲を祭神にしたという説。怨念も持って死んだ義朝の御霊を祀ることで疫病などが避けられるという説など様々。『かながわ 坂のある風景』より

Dsc00824_2 下和田のケヤキ(下和田1105の大津家の敷地内)

樹齢500年の「かながわ名木百選」の一つ。

Dsc00825_2 説明板

Dsc00831 長屋門(大津家)

幅が22mくらいある。安物のカメラでは全部収まらない。

Dsc00828 説明板

Dsc00833_2 桶屋の坂(坂下から) 下和田の渋谷中学校の西側から北西に上る。 《地図》 

坂付近の家の屋号による坂名か。細い暗い坂道だが高座渋谷駅への近道か通行人が多い。別名を背戸(せど)の坂。

Dsc00836 坂下方向

Dsc00847_1 大坂③(石塚の坂)(坂下から) 下和田1086と861の間を南西に上る。 《地図

石塚家の前の坂。石塚家があるか確認するのを忘れた。

Dsc00854_2 坂下方向

Dsc00858_1 下ノ原遺跡説明板

Dsc00860 下ノ原遺跡跡あたり

平安時代の住居址などが出土。

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和田さんシリーズです。 今度は和田義盛さんが乱れます。 北条氏に対して、反乱を起こします。 ついに... [続きを読む]

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