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2007年7月16日 (月)

大和市の坂-3

2007年7月16日

鶴間駅(小田急江ノ島線)・・・ライラック通り(厚木街道)・・・国道246号・・・長堀南遺跡・・・深見城址・天竺坂①・・・谷戸坂・八雲神社・・・大坂④・・小坂(稲荷坂)・・・脇の坂・・・(東名高速)・・・四万(しまん)坂・・・銀行坂・・・中島橋(銀行橋)・・・地蔵坂・・・馬(うんま)坂・坊の窪の石仏群・坂⑤・・・天竺坂②・・・八坂神社・・・(相模鉄道)・・・深見神社・仏導寺・・・大和駅(小田急江ノ島線)

  【ルート地図

 台風一過の晴天ではなかったが、そんなに暑くもなく1週間ぶりの坂道散歩は大和市中央部東側の深見地区を歩いた。国道246号を越えると急に静かな空間に入ったような感じだ。天竺坂①、深見城址から境川右岸上の深見地区を南下した。天竺坂①・谷戸坂・銀行坂には大和市には珍しい立派な石の坂標が立ち、長堀南遺跡・深見城址・四万坂(古戦場)・深見神社には案内説明板がある。大和市は昔は深見郷で、それ以前の往古から人が住みつき開けていた所だったようで遺跡も多い。

 四万坂は戦国時代の2つの戦の伝承がある坂。坂上から西に瀬谷銀行ゆかりの銀行坂が上っている。なぜか台東区の赤字坂を思い出した。地蔵坂の坂下、馬坂と大坂の途中には地蔵や庚申塔、道祖神などがまとめられて立っている。南に天竺坂②から八坂神社、市内唯一の延喜式内社の深見神社から西へ相模鉄道沿いに大和駅へ出た。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00863 案内図(大和駅近くのライラック通り)

天竺坂・深見城址・谷戸坂・四万坂・銀行坂・長堀南遺跡・滝山街道・矢倉沢往還などが載っている。

Dsc00864_1 長堀南遺跡(下鶴間2698の北部浄化センターのあたり)

旧石器時代から中世に至る重複遺跡。

Dsc00866_2 遺跡跡(北部浄化センター)

Dsc00867 深見城址説明板

築城は戦国時代の16世紀か。城主を宝徳年間(1449~1451)にこの地を領した山田伊賀守経光とする伝承がある。

Dsc00869_1 写真の左側が天竺坂①

Dsc00872 天竺坂①【坂標】 

北部浄化センターの東側を北方向に境川の方へ下る。【ルート地図】の①

もとは深見城の築城の際の空堀の跡。

Dsc00870_1 坂下方向

Dsc00880_1 坂上方向

坂下は境川沿いの道路。

Dsc00883_1天竺坂①の坂上から八雲神社への道

谷戸坂の坂上近くに続く。

Dsc00891_1 谷戸坂【坂標】 八雲神社の前を東方向に下る。 《地図

「八戸坂」と書いているものもある。

Dsc00888_1 坂上近く(右側に八雲神社)

Dsc00892_1 八雲神社(深見480?)

深見城の裏鬼門(南西)にあたり、山田伊賀守が守り神としていたという。『大和の文化と伝説 第十集』

 

Dsc00902 坂下近く

Dsc00903 坂下の石造物

双体道祖神は頭の部分がが欠けている。

Dsc00905_1 大坂④(坂下から) 深見384と392の間を北方向に上る。【ルート地図】の②

坂が急すぎて荷車が上がらないため、小坂をつくった。『大和市の地名』

Dsc00906_2 大坂④右へ・小坂(稲荷坂)左へ上る分岐の所。

Dsc00907 大坂④(坂上方向)

Dsc00912_1 坂上方向

右側に地蔵さんの祠

Dsc00916_1 小坂(稲荷坂) 大坂④の途中から左(南から南西)に上る。《地図

右前方に稲荷の小社。

Dsc00917_1 坂上方向

Dsc00918 坂下方向

Dsc00923 脇の坂(坂下方向) 深見442と573の間を東方向に下る。【ルート地図】の③

何の脇の坂なのだろうか? この坂は坂上と坂下に通行止めの標識が置かれている。私道なのか車の往来だけを禁じているのか?

Dsc00925_2 坂上方向

Dsc00927 坂下方向

Dsc00931_1 新脇の坂(脇の坂の南側の東名高速の脇に沿う坂)

今はこの坂の方が通られているようだ。東名高速の脇の坂なので、「新脇の坂」と呼んでみた。

Dsc00930_2 東名高速の下をくぐって四万坂へ

Dsc00933 四万坂(坂上方向) 東名高速のトンネルを抜け南方向に上る。【ルート地図】の④

Dsc00936_1 四万坂古戦場案内板

①深見城主山田伊賀守が長尾景春方に組した時、扇谷上杉家の武将太田道灌と、それを迎え討つ深見城の合わせて四万の軍勢が戦った地と伝える。(道灌方の軍勢が四万だともいう。) ②天正18年(1590)時の城主伊賀守直安が北条方から上杉方に寝返り降和した。この時、城は焼かれ北条の大軍に迎撃されたのがこの四万坂といわれている。小田原落城の3ヶ月前の事である。また(柳田國男は)四万坂は語源的には島津坂がつまった言葉であるという。『大和の地名考』 「島津」はこのあたりの字名。

Dsc00937_1 かつての四万坂

昭和50年代の写真か?

Dsc00940_1 坂下方向

Dsc00945_1 銀行坂【坂標】四万坂の坂上あたりから西方向に上る。【ルート地図】の⑤

大正時代に瀬谷銀行が中心となって整備した。中島橋は「銀行橋」と呼ばれていた。瀬谷銀行が坂上の藤沢街道(国道467号)までの土地を買収して作った坂だという。

銀行橋(中島橋)で境川を渡り、対岸の瀬谷銀行(横浜市瀬谷区中屋敷)に通じていた坂だろう。瀬谷銀行は1907年の創業、1935年鎌倉銀行と合併、1941年に横浜銀行と統合した。

Dsc00942_1坂下から

Dsc00943 坂上方向

Dsc00950 坂下方向

Dsc00957_1 銀行橋(現中島橋)から境川上流方向

Dsc00959 地蔵坂下の地蔵堂・庚申塔・地神塔など

Dsc00968 地蔵は首が欠けている。

Dsc00964_1 庚申塔

左から享保元年(1716)・寛文12年(1672)・元禄17年(1704)・地神塔(文久元年(1861))もある。

Dsc00960_2 地蔵坂(坂下から) 深見1014から西方向に上る。《地図

左側の一段高い所に小地蔵堂などの石造物。

Dsc00971_2 坂上方向

Dsc00973_1坂下方向

Dsc00979 大和東高校前の坂

この坂は上らずに坂下の道を行く。

Dsc00980 大和東小学校前の旧道

昼なお暗い小道

Dsc00985_2 馬(うんま)坂(坂下から) 深瀬橋から西方向に上る。《地図

坊の窪石仏群の上の坂。『大和市の地名』

Dsc00990 坂上方向

正面左に「坊の窪石仏群」

Dsc00987坊の窪石仏群 《地図

「石仏神御動座の辞」?(左)・猿田彦碑・双体道祖神などの石造物。

Dsc00986_2「石仏神御動座の辞」の碑

昭和54年建立。かすれていて読めない。(読むのがめんどうくさい。)深見地区の道路拡張工事などで、ここへ集められた石造物について述べているのだろうと、いい加減な推測。

Dsc00989 双体道祖神

顔が削り取られている。

Dsc00996 左が馬坂・右正面が大坂⑤

石仏群の上で一緒の道になり上る。

Dsc00995 坂上方向(大坂・馬坂)

Dsc00998 坂下方向(大坂・馬坂)

Dsc01003_1大坂⑤(坂下から)《地図

坊の窪石仏群の南側の坂。『大和市の地名』

Dsc01011_1 天竺坂②(坂上方向)深見2256から西へ入り南西方向に上る。《地図

坂名の由来分からず。古道の道筋なのか?

Dsc01012_2 坂上方向

Dsc01004_1 八坂神社(深見3015?)

Dsc01021_2 深見神社社号標

寛政3年(1791)の銘。深見村領主の坂本重治が造立したという。

Dsc01020_2 説明板

Dsc01025 深見神社(深見3367)

深見の鎮守で市内唯一の延喜式内社。左が神木の「ハルニレ」か。大和市指定天然記念物で「かなかわ名木百選」。

Dsc01023_1 説明板

Dsc01027_1 深見神社(左)と仏導寺の間の坂。

Dsc01032_3 仏導寺(深見3361)

Dsc01029_1 説明板

Dsc01034_1 徳本念仏塔

Dsc01033_2説明板

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