大和市の坂-4
2007年7月24日
大和駅(小田急江ノ島線)・・・あとみ坂・ふれあい広場・・・熊野神社・・・善徳寺・・・大和トンネル・・・大坂⑥・・・稲荷坂跡・侍坂跡・・・泉の森公園・・・くらやみ坂・・・桜森稲荷神社・・・相模大塚駅(相鉄線)
梅雨明けかと思わせるほどのカラッとした晴天の日、大和市中央部西側の上草柳(かみそうやぎ)地区を坂道散歩。あとみ(後見)坂は平安古道と推定される道筋の坂で、いろんな言い伝えのある急坂だったそうだが今はなんてことはないなだらかな坂で、ふれあい広場に入る手前にわずかに昔の面影が残っている。
熊野神社から広大な敷地の善徳寺へ。塀を新しくしているようで、まだ古い趣のある塀の所がある。(上の写真)。善徳寺北側で東名高速を越える歩道は未舗装で草が生え、昔ながらの道という感じだ。大坂⑥を下り、上草柳2号橋の手前の釣堀から東方向に入る。この道はふれあい広場、熊野神社下、善徳寺下から続く道だ。道沿いの稲荷坂は消滅同様、侍坂は東名高速で消滅している。
泉の森公園は広い。しらかし池、野鳥観察の森、亀甲山、民家園など木漏れ日の道をあっちこっち行ったり来たり。今は公園の遊歩道のようなくらやみ坂を上り桜森稲荷から相模大塚駅に向う。坂道散歩というより公園散歩の半日だった。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
旧蓼川(たてかわ)村(綾瀬市)から旧草柳村を経て深見神社北側へ至たる平安古道。①薄暗い急坂で、登り切るまで後ろを振り返ることが出来なかった。『やまと歴史マップ』 ②暗くて怖い場所だったので、上から降りてくる人が必ず後ろを振り返った。③子どもを奉公に出す際、奉公先から帰って来るのではないといい聞かせるために、後ろを振り返ると坂の上から臼が転がってくる恐ろしい所だと伝えた。④厚木方面から製糸工場に来た女工達が、この坂で工場の人に引き渡された。二度と帰れないと思って振り返ったという。『大和市の地名』 など様々な言い伝えがある。
熊野神社(上草柳905)
上草柳の鎮守。
下に東名高速が走る。
稲荷坂跡(左へ上る坂) 大坂の坂下近くから東に入り北東に上る。
右は侍坂跡あたりへ下る坂。
この先で行き止まり。造成工事中のようで、坂上のアズマ稲荷も見当たらず。
侍坂は稲荷坂の南。急な坂道だったという。東名高速道路建設のため消滅。『大和市の地名』 徳川末期にこの地に住んだ源康則の死んだ所。坂上に永安寺がありこの境内に墓碑があったが、現在は善徳寺内墓地に移す。『大和の地名考』 源康則にちなんで侍坂と名づけたのか?
大坂⑥の坂下の上草柳2号橋を越えると上り坂となる。新道(シンドー)と呼んでいた。
しらかし池(泉の森公園)
泉の森公園内から南に上る坂。《地図》
旧石器時代、縄文時代、中世の複合遺跡。
江戸時代の二つの旧家を移築保存。
左・小川家/右・北島家
江戸中期の民家
江戸末期の養蚕民家
くらやみ坂(坂下から) 大坂の向い側の坂の坂下近くから南東方向に上る。
木が茂っていてトンネルのようになっており、昼間でも暗い坂道だった。戦時中に防空壕があった。『大和市の地名』
桜森稲荷神社(桜森3-5)
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