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2007年7月18日 (水)

世田谷区の坂-7

2007年7月18日

等々力駅(東急大井町線)・・・等々力渓谷・日本庭園・・浄音寺坂・・・天神橋(丸子川)・・・善養寺・・・(第三京浜国道)・・・明神橋・明神坂下・・・稲荷坂下近く・・・(大井町線)・・・行善寺坂・行火(あんか)坂下・行善寺・・・瀬田夕日坂・・・(東急田園都市線)・・・(国道246号)・・・雁追橋・まむし坂下・・・下山橋・馬坂下・・・(静嘉堂文庫)・・・おんな坂下・(岡本民家園)・・・堂ケ谷戸橋・堂ケ谷戸坂・・・岡本三丁目の坂・・・岡本三丁目の坂(その②・その③・その④)・・・砧公園・砧大塚・八季の坂路・・・用賀駅(田園都市線)

ルート地図

 昨年の9月以来の東京23区内の坂道散歩で、新しい坂は浄音寺坂・瀬田夕日坂・八季の坂路の3坂です。

 等々力渓谷の日本庭園の西側に沿う坂を下り、坂下から西へ進み浄音寺坂を下る。坂の途中の墓地が浄音寺のあった所だろうか。坂下の天神橋は日本庭園あたりの天神山から由来する名だろう。天神橋から丸子川(六郷用水)に沿って上流(北西方向)へ歩く。すぐ先の善養寺には寺としては奇妙な形の石像物が並び面白い。都の天然記念物の大カヤよりはこっちの方がいい。

 丸子川から北方向に有名、無名の坂が何本も上っている。調布橋で丸子川から離れ行善寺坂を上る。途中から右へ上る行火坂の姿がいい。(行火坂を行善寺坂の途中(「行火坂」の石の坂標がある所)から右に上る坂と思っていたが、行火坂は行善寺坂のことのようだ。このサイトを読んでそう思った。どちらかが古くからある坂名なのだろう) 
 坂上の行善寺を過ぎると短く小さな瀬田夕日坂が西方向に下っている。坂下から田園都市線の跨線橋を渡りさらに下ると丸子川と再会するが、そのすぐ先の国道246号でまた別れる。歩道橋で246号を越え、丸子川沿いの道に戻り、ひたすら西への西遊記だ。

 堂ケ谷戸坂を上るとアルジェリア大使館、「♪・・・ここは地の果てアルジェリア、どうせ・・・♪」『カスバの女』なんて歌詞からは程遠い瀟洒な建物だ。坂上から西に行くと岡本三丁目の急坂が下っている。近くの坂を上り下りしてみた。閑静な高級住宅街で車の往来も激しくなくいい坂が並んでいる。

 公園橋で東名高速を越え砧公園へ、隣りの大蔵運動公園も含めるとすごく広い公園だ。地図には公園内に「大塚山古墳」と書いてあったが実際は「砧大塚」と呼ばれる中世の修法用の祭壇だそうだ。正門近くに「八季の坂路」がある。「四季」ではない。「八つの季節」の草花が楽しめるという坂路という意味。八季の坂路を往復し、正門から環8通りに出て用賀駅へ向った。小雨がぱらついたが、涼しい日で坂道歩きにはありがたい天気だった。

 *明神坂・稲荷坂は「世田谷区の坂-1」、行善寺坂・行火坂・馬坂は「世田谷区の坂-2」、まむし坂・おんな坂は「世田谷区の坂-4」に記載。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc01039 等々力渓谷

 

Dsc01045_1 日本庭園から下る坂(坂下近くから)

 

Dsc01049_1 浄音寺坂の坂上の稲荷の小社

 

Dsc01051_1 浄音寺坂【坂標】 「世田谷地団協」が設置。

野毛1-5と1-8の間を北に上る。

 

Dsc01054_2 浄音寺坂(坂上から)

浄音寺は天保の頃焼失したという。右側の墓地の所にあったのだろうか。

 

Dsc01055 坂下近くから

 

Dsc01058 善養寺

奇妙な形の石像物があちこちに立っていてユニークな寺だ。一見の価値あり。

 

Dsc01059 石段を挟んで向き合う「海駝(かいだ)」は、韓国の宮殿などに見られる「ヘ(エ)テ」という想像上の動物で、火事除けの守り神。いわば韓国版の「狛犬」か。ただここは、神社ではなく寺だが。

 

Dsc01057 近くの野毛大塚古墳ゆかりの「吾妻大権現」石像というが、いかにも韓流的な武人という感じの石像だ。

 

Dsc01063善養寺説明板

「大カヤ」の説明はあるが、石像物の記載はない。

 

Dsc01061_1 大カヤの木

都天然記念物

 

Dsc01073 南大山道道標

行善寺坂の坂下の調布橋の東側。ここから南に多摩川に出て二子の渡しで現川崎市に入り大山へと向った。西方の慈眼寺坂を下って来る大山道もある。

 

Dsc01074_2 「瀬田貝塚跡」(行善寺の坂上近く)

縄文時代前期にはこのあたりまで海岸線が来ていたのだろう。

 

Dsc01078 「瀬田夕日坂」案内モニュメント(多摩美大工作センター製作)

坂上・坂下近くに2つ立っている。

 

Dsc01077 坂上から 瀬田1-29と2-12の間を東に上る。

自動車・バイクは通れない短く細い坂。

 

Dsc01084_1 坂下から

 

Dsc01087_1 瀬田夕日坂下の田園都市線の跨線橋の上から西方向。正面は国道246号。夕日はどのあたりに落ちるのか。

 

Dsc01095_1 堂ケ谷戸坂(坂上から) 丸子川の堂ケ谷戸橋から北西に上る。

右側にアルジェリア大使館

 

Dsc01096_1 アルジェリア大使館

 

Dsc01100_2 岡本三丁目の坂 岡本3-34と3-37の間を北に上る。

 

Dsc01103_1 坂上から富士山が見えるようだが今日はムリ。

 

Dsc01107_1 坂下近くから

右側は歩行者用の石の階段坂。

 

Dsc01098 岡本三丁目の坂(その②)

3-28と3-29の間。

 

Dsc01116_1 その③

3-26と3-27の間の坂。

 

Dsc01120_1 その④

3-25と3-26の間の坂。

 

Dsc01127_1 砧公園案内図

左下に「八季の坂」とある。実際は「八季の坂

 

Dsc01128_1 砧公園内

 

Dsc01132_1 砧大塚

説明板によると古墳ではなく鎌倉から室町時代の仏教の修法の祭壇。東名高速下からここに移築。もとは古墳で坊主たちが祭壇として利用したのでは?

 

Dsc01133_2 砧大塚説明板

 

Dsc01137_1 「八季の坂路」説明板

 

Dsc01138_2 四季をさらに八つの季節に分けたので「八季」。

 

Dsc01136_3 坂下から 

坂路といっても傾斜はゆるい。

 

Dsc01149_1 ムクゲ

八季のうちの「夏の花」

 

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コメント

 バイザシー赤バー様

 コメントありがとうございます。
 私が善養蜜寺を訪れたのはもう6年前になりますが、当寺のユニークな境内の様子はまだ、はっきり思い出せます。
 「琵琶湖の西側」は朝鮮半島からの渡来人が多く移り住んだ地で、なるほど納得です。

投稿: 坂道散歩 | 2013年9月 3日 (火) 08:01

上記の名前は、ツイッターのものです。本日、前から気になっていた2013.09.02に、世田谷善養蜜寺に行き、写真を撮っていたところ、当寺、住職と面会する機会があり、馬鹿ゆえに、知りたい疑問をぶつけてみました。最初の疑問は、普通は、狛犬の類は寺にはいないので、どうしてですかを、疑問をぶつけてみました。
そうしたところ、狛犬ではなく、それらは、海駄というものであるということを教えられました。
うちに戻ってから、インターネットで、海駄を検索したところ貴ブログがありましたので、うれしく書き込みをさせていただきました。
住職には、そうした石造物は、琵琶湖の西側にそうしたところが存在し、そこから、入手する。
善養蜜寺で、そうしたことが出来るのは、良い檀家に恵まれている。
その他、樹齢千年はあるであろう栢木の話、本堂右側におかれている、大きな水鉢の中に大賀ハスが植えられているなどの話を伺ってきました。
貴ブログに、善養蜜寺の海駄があったので、ついうれしくて書き込みをしてしまいました。

投稿: バイザシー赤バー | 2013年9月 2日 (月) 22:18

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