« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月24日 (火)

大和市の坂-4

2007年7月24

大和駅(小田急江ノ島線)・・・あとみ坂・ふれあい広場・・・熊野神社・・・善徳寺・・・大和トンネル・・・大坂⑥・・・稲荷坂跡・侍坂跡・・・泉の森公園・・・くらやみ坂・・・桜森稲荷神社・・・相模大塚駅(相鉄線)

 梅雨明けかと思わせるほどのカラッとした晴天の日、大和市中央部西側の上草柳(かみそうやぎ)地区を坂道散歩。あとみ(後見)坂は平安古道と推定される道筋の坂で、いろんな言い伝えのある急坂だったそうだが今はなんてことはないなだらかな坂で、ふれあい広場に入る手前にわずかに昔の面影が残っている。

 熊野神社から広大な敷地の善徳寺へ。塀を新しくしているようで、まだ古い趣のある塀の所がある。(上の写真)。善徳寺北側で東名高速を越える歩道は未舗装で草が生え、昔ながらの道という感じだ。大坂⑥を下り、上草柳2号橋の手前の釣堀から東方向に入る。この道はふれあい広場、熊野神社下、善徳寺下から続く道だ。道沿いの稲荷坂は消滅同様、侍坂は東名高速で消滅している。

 泉の森公園は広い。しらかし池、野鳥観察の森、亀甲山、民家園など木漏れ日の道をあっちこっち行ったり来たり。今は公園の遊歩道のようなくらやみ坂を上り桜森稲荷から相模大塚駅に向う。坂道散歩というより公園散歩の半日だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01151 あとみ坂(坂上から) 中央3-2と3-3の間を西に下る。【ルート地図】の①

旧蓼川(たてかわ)村(綾瀬市)から旧草柳村を経て深見神社北側へ至たる平安古道。①薄暗い急坂で、登り切るまで後ろを振り返ることが出来なかった。『やまと歴史マップ』 ②暗くて怖い場所だったので、上から降りてくる人が必ず後ろを振り返った。③子どもを奉公に出す際、奉公先から帰って来るのではないといい聞かせるために、後ろを振り返ると坂の上から臼が転がってくる恐ろしい所だと伝えた。④厚木方面から製糸工場に来た女工達が、この坂で工場の人に引き渡された。二度と帰れないと思って振り返ったという。『大和市の地名』  など様々な言い伝えがある。

Dsc01152 あとみ坂【坂標】

Dsc01154 坂上方向

Dsc01156 坂下の「ふれあい広場」方向

Dsc01161 公園内をさらに下る。

Dsc01167 熊野神社(上草柳905)

上草柳の鎮守。

Dsc01166 熊野神社東側の女坂(坂上方向)

Dsc01180 善徳寺の東側に沿う坂。途中から新しい塀になる。

Dsc01189 善徳寺(上草柳3-10-5)

Dsc01192 大和トンネルを越える歩道。

下に東名高速が走る。

Dsc01208 大坂⑥(坂下方向) 上草柳2号橋(引地川)から北東に上る。【ルート地図】の②

Dsc01210_2 大坂⑥(坂下方向)

Dsc01211 大坂⑥(坂上方向)

Dsc01229 稲荷坂跡(左へ上る坂) 大坂の坂下近くから東に入り北東に上る。【ルート地図】の③

右は侍坂跡あたりへ下る坂。

Dsc01230 稲荷坂跡(坂上方向)

この先で行き止まり。造成工事中のようで、坂上のアズマ稲荷も見当たらず。

Dsc01232_2 稲荷坂の途中から侍坂跡方向。【ルート地図】の④あたり。この先は東名高速のトンネル。

侍坂は稲荷坂の南。急な坂道だったという。東名高速道路建設のため消滅。『大和市の地名』 徳川末期にこの地に住んだ源康則の死んだ所。坂上に永安寺がありこの境内に墓碑があったが、現在は善徳寺内墓地に移す。『大和の地名考』 源康則にちなんで侍坂と名づけたのか?

Dsc01236 上は東名高速。この上を越えるのが侍坂だったのだろうか?

Dsc01213 大坂⑥の坂下の上草柳2号橋を越えると上り坂となる。新道(シンドー)と呼んでいた。

Dsc01223 大坂⑥を振り返る。

Dsc01220 馬頭観音(坂下近く)

Dsc01275 馬頭観音近くから上る石段坂

Dsc01225 しらかし池(泉の森公園

Dsc01246 地蔵祠と左は?塔(しらかし池の南側の道端)

Dsc01255 泉の森公園内から南に上る坂。《地図

Dsc01245 シラカシ林説明板

Dsc01258 しらかしの木

Dsc01259 上草柳東遺跡説明板(泉の森公園内)

Dsc01261 遺跡跡あたり。右は国道246号。

旧石器時代、縄文時代、中世の複合遺跡。

Dsc01262 民家園案内図(泉の森公園内)

江戸時代の二つの旧家を移築保存。

Dsc01263 民家園説明板

左・小川家/右・北島家

Dsc01264 小川家

江戸中期の民家

Dsc01266 天井部分

Dsc01267 北島家

江戸末期の養蚕民家

Dsc01269 蚕を飼育している。(北島家)

Dsc01272 蚕の一生説明図

Dsc01215 くらやみ坂道標

Dsc01241 くらやみ坂の位置(泉の森案内板)

Dsc01276 くらやみ坂(坂下から) 大坂の向い側の坂の坂下近くから南東方向に上る。 【ルート地図】の⑤

木が茂っていてトンネルのようになっており、昼間でも暗い坂道だった。戦時中に防空壕があった。『大和市の地名』

Dsc01279 坂下方向

Dsc01280 坂上方向

Dsc01284 桜森稲荷神社(桜森3-5)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

世田谷区の坂-7

2007年7月18日

等々力駅(東急大井町線)・・・等々力渓谷・日本庭園・・浄音寺坂・・・天神橋(丸子川)・・・善養寺・・・(第三京浜国道)・・・明神橋・明神坂下・・・稲荷坂下近く・・・(大井町線)・・・行善寺坂・行火(あんか)坂下・行善寺・・・瀬田夕日坂・・・(東急田園都市線)・・・(国道246号)・・・雁追橋・まむし坂下・・・下山橋・馬坂下・・・(静嘉堂文庫)・・・おんな坂下・(岡本民家園)・・・堂ケ谷戸橋・堂ケ谷戸坂・・・岡本三丁目の坂・・・岡本三丁目の坂(その②・その③・その④)・・・砧公園・砧大塚・八季の坂路・・・用賀駅(田園都市線)

  【ルート地図

 昨年の9月以来の東京23区内の坂道散歩で、新しい坂は浄音寺坂・瀬田夕日坂・八季の坂路の3坂です。

 等々力渓谷の日本庭園の西側に沿う坂を下り、坂下から西へ進み浄音寺坂を下る。坂の途中の墓地が浄音寺のあった所だろうか。坂下の天神橋は日本庭園あたりの天神山から由来する名だろう。天神橋から丸子川に沿って上流(北西方向)へ歩く。すぐ先の善養寺には寺としては奇妙な形の石像物が並び面白い。都の天然記念物の大カヤよりはこっちの方がいい。

 丸子川から北方向に有名、無名の坂が何本も上っている。調布橋で丸子川から離れ行善寺坂を上る。途中から右へ上る行火坂の姿がいい。(行火坂を行善寺坂の途中(「行火坂」の石の坂標がある所)から右に上る坂と思っていたが、行火坂は行善寺坂のことのようだ。このサイトを読んでそう思った。どちらかが古くからある坂名なのだろう) 
 坂上の行善寺を過ぎると短く小さな瀬田夕日坂が西方向に下っている。坂下から田園都市線の跨線橋を渡りさらに下ると丸子川と再会するが、そのすぐ先の国道246号でまた別れる。歩道橋で246号を越え、丸子川沿いの道に戻り、ひたすら西への西遊記だ。

 堂ケ谷戸坂を上るとアルジェリア大使館、「♪・・・ここは地の果てアルジェリア、どうせ・・・♪」『カスバの女』なんて歌詞からは程遠い瀟洒な建物だ。坂上から西に行くと岡本三丁目の急坂が下っている。近くの坂を上り下りしてみた。閑静な高級住宅街で車の往来も激しくなくいい坂が並んでいる。

 公園橋で東名高速を越え砧公園へ、隣りの大蔵運動公園も含めるとすごく広い公園だ。地図には公園内に「大塚山古墳」と書いてあったが実際は「砧大塚」と呼ばれる中世の修法用の祭壇だそうだ。正門近くに「八季の坂路」がある。「四季」ではない。「八つの季節」の草花が楽しめるという坂路という意味。八季の坂路を往復し、正門から環8通りに出て用賀駅へ向った。小雨がぱらついたが、涼しい日で坂道歩きにはありがたい天気だった。

 *明神坂・稲荷坂は「世田谷区の坂-1」(2005年11月1日)、行善寺坂・行火坂・馬坂は「世田谷区の坂-2」(2005年11月4日)、まむし坂・おんな坂は「世田谷区の坂-4」(2006年3月7日)に記載。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc01039 等々力渓谷

Dsc01045_1 日本庭園から下る坂(坂下近くから)

Dsc01049_1 浄音寺坂の坂上の稲荷の小社

Dsc01051_1 浄音寺坂【坂標】 「世田谷地団協」が設置。

野毛1-5と1-8の間を北に上る。【ルート地図】の①

Dsc01054_2 浄音寺坂(坂上から)

浄音寺は天保の頃焼失したという。右側の墓地の所にあったのだろうか。

Dsc01055 坂下近くから

Dsc01058 善養寺

奇妙な形の石像物があちこちに立っていてユニークな寺だ。一見の価値あり。

Dsc01059 石段を挟んで向き合う「海駝(かいだ)」は、韓国の宮殿などに見られる「ヘ(エ)テ」という想像上の動物で、火事除けの守り神。いわば韓国版の「狛犬」か。ただここは、神社ではなく寺だが。

Dsc01057 近くの野毛大塚古墳ゆかりの「吾妻大権現」石像というが、いかにも韓流的な武人という感じの石像だ。

Dsc01063善養寺説明板

「大カヤ」の説明はあるが、石像物の記載はない。

Dsc01061_1 大カヤの木

都天然記念物

Dsc01073 南大山道道標

行善寺坂の坂下の調布橋の東側。ここから南に多摩川に出て二子の渡しで現川崎市に入り大山へと向った。大山道は別の道筋があり、地元では「江戸道」と呼んでいるそうだ。

Dsc01074_2 「瀬田貝塚跡」(行善寺の坂上近く)

縄文時代前期にはこのあたりまで海岸線が来ていたのだろう。

Dsc01078 「瀬田夕日坂」案内モニュメント(多摩美大工作センター製作)

坂上・坂下近くに2つ立っている。

Dsc01077 坂上から 瀬田1-29と2-12の間を東に上る。【ルート地図】の②

自動車・バイクは通れない短く細い坂。

Dsc01084_1 坂下から

Dsc01087_1 瀬田夕日坂下の田園都市線の跨線橋の上から西方向。正面は国道246号。夕日はどのあたりに落ちるのか。

Dsc01095_1 堂ケ谷戸坂(坂上から) 丸子川の堂ケ谷戸橋から北西に上る。【ルート地図】の③

右側にアルジェリア大使館

Dsc01096_1 アルジェリア大使館

Dsc01100_2 岡本三丁目の坂 岡本3-34と3-37の間を北に上る。【ルート地図】の④

Dsc01103_1 坂上から富士山が見えるようだが今日はムリ。

Dsc01107_1 坂下近くから

右側は歩行者用の石の階段坂。

Dsc01098 岡本三丁目の坂(その②)

3-28と3-29の間。

Dsc01116_1 その③

3-26と3-27の間の坂。

Dsc01120_1 その④

3-25と3-26の間の坂。

Dsc01127_1 砧公園案内図

左下に「八季の坂」とある。実際は「八季の坂

Dsc01128_1 砧公園内

Dsc01132_1 砧大塚

説明板によると古墳ではなく鎌倉から室町時代の仏教の修法の祭壇。東名高速下からここに移築。もとは古墳で坊主たちが祭壇として利用したのでは?

Dsc01133_2 砧大塚説明板

Dsc01137_1 「八季の坂路」説明板

Dsc01138_2 四季をさらに八つの季節に分けたので「八季」。

Dsc01136_3 坂下から【ルート地図】の⑤

坂路といっても傾斜はゆるい。

Dsc01149_1 ムクゲ

八季のうちの「夏の花」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月16日 (月)

大和市の坂-3

2007年7月16日

鶴間駅(小田急江ノ島線)・・・ライラック通り(厚木街道)・・・国道246号・・・長堀南遺跡・・・深見城址・天竺坂①・・・谷戸坂・八雲神社・・・大坂④・・小坂(稲荷坂)・・・脇の坂・・・(東名高速)・・・四万(しまん)坂・・・銀行坂・・・中島橋(銀行橋)・・・地蔵坂・・・馬(うんま)坂・坊の窪の石仏群・坂⑤・・・天竺坂②・・・八坂神社・・・(相模鉄道)・・・深見神社・仏導寺・・・大和駅(小田急江ノ島線)

  【ルート地図

 台風一過の晴天ではなかったが、そんなに暑くもなく1週間ぶりの坂道散歩は大和市中央部東側の深見地区を歩いた。国道246号を越えると急に静かな空間に入ったような感じだ。天竺坂①、深見城址から境川右岸上の深見地区を南下した。天竺坂①・谷戸坂・銀行坂には大和市には珍しい立派な石の坂標が立ち、長堀南遺跡・深見城址・四万坂(古戦場)・深見神社には案内説明板がある。大和市は昔は深見郷で、それ以前の往古から人が住みつき開けていた所だったようで遺跡も多い。

 四万坂は戦国時代の2つの戦の伝承がある坂。坂上から西に瀬谷銀行ゆかりの銀行坂が上っている。なぜか台東区の赤字坂を思い出した。地蔵坂の坂下、馬坂と大坂の途中には地蔵や庚申塔、道祖神などがまとめられて立っている。南に天竺坂②から八坂神社、市内唯一の延喜式内社の深見神社から西へ相模鉄道沿いに大和駅へ出た。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00863 案内図(大和駅近くのライラック通り)

天竺坂・深見城址・谷戸坂・四万坂・銀行坂・長堀南遺跡・滝山街道・矢倉沢往還などが載っている。

Dsc00864_1 長堀南遺跡(下鶴間2698の北部浄化センターのあたり)

旧石器時代から中世に至る重複遺跡。

Dsc00866_2 遺跡跡(北部浄化センター)

Dsc00867 深見城址説明板

築城は戦国時代の16世紀か。城主を宝徳年間(1449~1451)にこの地を領した山田伊賀守経光とする伝承がある。

Dsc00869_1 写真の左側が天竺坂①

Dsc00872 天竺坂①【坂標】 

北部浄化センターの東側を北方向に境川の方へ下る。【ルート地図】の①

もとは深見城の築城の際の空堀の跡。

Dsc00870_1 坂下方向

Dsc00880_1 坂上方向

坂下は境川沿いの道路。

Dsc00883_1天竺坂①の坂上から八雲神社への道

谷戸坂の坂上近くに続く。

Dsc00891_1 谷戸坂【坂標】 八雲神社の前を東方向に下る。 《地図

「八戸坂」と書いているものもある。

Dsc00888_1 坂上近く(右側に八雲神社)

Dsc00892_1 八雲神社(深見480?)

深見城の裏鬼門(南西)にあたり、山田伊賀守が守り神としていたという。『大和の文化と伝説 第十集』

 

Dsc00902 坂下近く

Dsc00903 坂下の石造物

双体道祖神は頭の部分がが欠けている。

Dsc00905_1 大坂④(坂下から) 深見384と392の間を北方向に上る。【ルート地図】の②

坂が急すぎて荷車が上がらないため、小坂をつくった。『大和市の地名』

Dsc00906_2 大坂④右へ・小坂(稲荷坂)左へ上る分岐の所。

Dsc00907 大坂④(坂上方向)

Dsc00912_1 坂上方向

右側に地蔵さんの祠

Dsc00916_1 小坂(稲荷坂) 大坂④の途中から左(南から南西)に上る。《地図

右前方に稲荷の小社。

Dsc00917_1 坂上方向

Dsc00918 坂下方向

Dsc00923 脇の坂(坂下方向) 深見442と573の間を東方向に下る。【ルート地図】の③

何の脇の坂なのだろうか? この坂は坂上と坂下に通行止めの標識が置かれている。私道なのか車の往来だけを禁じているのか?

Dsc00925_2 坂上方向

Dsc00927 坂下方向

Dsc00931_1 新脇の坂(脇の坂の南側の東名高速の脇に沿う坂)

今はこの坂の方が通られているようだ。東名高速の脇の坂なので、「新脇の坂」と呼んでみた。

Dsc00930_2 東名高速の下をくぐって四万坂へ

Dsc00933 四万坂(坂上方向) 東名高速のトンネルを抜け南方向に上る。【ルート地図】の④

Dsc00936_1 四万坂古戦場案内板

①深見城主山田伊賀守が長尾景春方に組した時、扇谷上杉家の武将太田道灌と、それを迎え討つ深見城の合わせて四万の軍勢が戦った地と伝える。(道灌方の軍勢が四万だともいう。) ②天正18年(1590)時の城主伊賀守直安が北条方から上杉方に寝返り降和した。この時、城は焼かれ北条の大軍に迎撃されたのがこの四万坂といわれている。小田原落城の3ヶ月前の事である。また(柳田國男は)四万坂は語源的には島津坂がつまった言葉であるという。『大和の地名考』 「島津」はこのあたりの字名。

Dsc00937_1 かつての四万坂

昭和50年代の写真か?

Dsc00940_1 坂下方向

Dsc00945_1 銀行坂【坂標】四万坂の坂上あたりから西方向に上る。【ルート地図】の⑤

大正時代に瀬谷銀行が中心となって整備した。中島橋は「銀行橋」と呼ばれていた。瀬谷銀行が坂上の藤沢街道(国道467号)までの土地を買収して作った坂だという。

銀行橋(中島橋)で境川を渡り、対岸の瀬谷銀行(横浜市瀬谷区中屋敷)に通じていた坂だろう。瀬谷銀行は1907年の創業、1935年鎌倉銀行と合併、1941年に横浜銀行と統合した。

Dsc00942_1坂下から

Dsc00943 坂上方向

Dsc00950 坂下方向

Dsc00957_1 銀行橋(現中島橋)から境川上流方向

Dsc00959 地蔵坂下の地蔵堂・庚申塔・地神塔など

Dsc00968 地蔵は首が欠けている。

Dsc00964_1 庚申塔

左から享保元年(1716)・寛文12年(1672)・元禄17年(1704)・地神塔(文久元年(1861))もある。

Dsc00960_2 地蔵坂(坂下から) 深見1014から西方向に上る。《地図

左側の一段高い所に小地蔵堂などの石造物。

Dsc00971_2 坂上方向

Dsc00973_1坂下方向

Dsc00979 大和東高校前の坂

この坂は上らずに坂下の道を行く。

Dsc00980 大和東小学校前の旧道

昼なお暗い小道

Dsc00985_2 馬(うんま)坂(坂下から) 深瀬橋から西方向に上る。《地図

坊の窪石仏群の上の坂。『大和市の地名』

Dsc00990 坂上方向

正面左に「坊の窪石仏群」

Dsc00987坊の窪石仏群 《地図

「石仏神御動座の辞」?(左)・猿田彦碑・双体道祖神などの石造物。

Dsc00986_2「石仏神御動座の辞」の碑

昭和54年建立。かすれていて読めない。(読むのがめんどうくさい。)深見地区の道路拡張工事などで、ここへ集められた石造物について述べているのだろうと、いい加減な推測。

Dsc00989 双体道祖神

顔が削り取られている。

Dsc00996 左が馬坂・右正面が大坂⑤

石仏群の上で一緒の道になり上る。

Dsc00995 坂上方向(大坂・馬坂)

Dsc00998 坂下方向(大坂・馬坂)

Dsc01003_1大坂⑤(坂下から)《地図

坊の窪石仏群の南側の坂。『大和市の地名』

Dsc01011_1 天竺坂②(坂上方向)深見2256から西へ入り南西方向に上る。《地図

坂名の由来分からず。古道の道筋なのか?

Dsc01012_2 坂上方向

Dsc01004_1 八坂神社(深見3015?)

Dsc01021_2 深見神社社号標

寛政3年(1791)の銘。深見村領主の坂本重治が造立したという。

Dsc01020_2 説明板

Dsc01025 深見神社(深見3367)

深見の鎮守で市内唯一の延喜式内社。左が神木の「ハルニレ」か。大和市指定天然記念物で「かなかわ名木百選」。

Dsc01023_1 説明板

Dsc01027_1 深見神社(左)と仏導寺の間の坂。

Dsc01032_3 仏導寺(深見3361)

Dsc01029_1 説明板

Dsc01034_1 徳本念仏塔

Dsc01033_2説明板

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 9日 (月)

大和市の坂-2

2007年7月9日

Dsc00821 桜ヶ丘駅(小田急江ノ島線)・・・金毘羅神社・・・桜株跡あたり(藤沢街道(国道467号)と中原街道交差点あたり)・・・中原街道・・・順(巡)礼街道・・・豚坂・・・境川・・・新道大橋・・・大坂②・・・左馬(さば)神社(上和田)・・・綿屋の坂・・・境川・・・城山土合・・・中道(鎌倉道)・・・赤坂・薬王院・信法寺・・・上和田野鳥の森公園(納豆山?)・・・下の坂・・・藤沢街道・・・お宮の坂(上の写真)・左馬神社(下和田)・下和田のケヤキ・大津家長屋門・・・桶屋の坂・・・大坂③(石塚の坂)・・・下ノ原遺跡跡・・・藤沢街道・・・さざんかの小みち・・・高座渋谷駅

 横浜市瀬谷区と泉区とに境を接する大和市の南東部の上和田・下和田地区の坂道散歩です。桜株は前回(福田地区)の姥山伝説ゆかりの所。藤沢街道(国道467号)の「桜株」バス停にその名をとどめている。豚坂、大坂②、綿屋の坂は台地から境川の方へ下る坂で、城山は境川から大和南高校へ上ったあたりで、和田義盛の城があったという伝承がある所。

 かつては納豆山と呼ばれていたらしい上和田野鳥の森公園へ入り、公園の南側の下の坂を上った藤沢街道を南下すると上和田地区から下和田地区になる。東海道新幹線が地下を走っているすぐ南側を東方向に入り進むと、前が暗い感じ道になり、お宮の坂が下和田左馬神社の前を下っている。なかなか感じのいい坂で気に入った。
 左馬神社の向いの大津家には「下和田のケヤキ」と立派な長屋門がある。坂下から高座渋谷駅の方へ上る桶屋の坂も細くて暗いなんとなく雰囲気のいい坂だ。桶屋坂の坂下へ戻り、田んぼの広がる所からこれは明るい感じの大坂③を上り、下ノ原遺跡があった滝山街道の下和田交差点近くに出た。藤沢街道を北に、途中から「さざんかの小みち」に入り高座渋谷駅へ。案の定、駅の壁のつばめの巣は空っぽだった。きっと無事に巣立ったのだろう。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00737 金毘羅神社(桜ヶ丘駅東口そば)

史実、例祭などは不詳で調査中とあるが、お祭りの準備中のようだ。

Dsc00742_2 順(巡)礼街道 《地図》 

巡礼者がめぐった坂東三十三札所のうちの第8番星谷寺(座間市)、第14番弘明寺(横浜市)、または鎌倉の第4番長谷寺を結ぶ江戸時代からの古道。南方向に行けば上和田左馬神社前に出る。

Dsc00740_1 順礼街道沿いの畑の中に立つ墓?

左側は墓地。

Dsc00746 豚坂(坂上から) 上和田の境川沿いの上の町バス停から南西に入り、順礼街道まで上る。 《地図

坂上で豚を飼っていた。別名を茂右衛門(もえもん)坂。『大和市の地名』 

いろんな動物名の坂があるが「豚」は珍しい。今のところ横浜市の山羊坂の別名(前の名)の「ブタ坂」だけ。

Dsc00748_1 坂下方向

坂下の用水路に茂右衛門橋が架かっていたようだ。

Dsc00754_1 大坂②(坂下の境川の新道大橋から) 上和田の境川の新道大橋から南西に上る中原街道。坂上で順礼街道と交差する。《地図

昔は急坂で膝をついて這い上がったという。「久田の大坂」と呼ばれていた。改修して現在の坂になった。『大和市の地名』

Dsc00757_1 坂下方向

上和田左馬神社前に「順礼街道」標柱が立つ。

Dsc00762_1 左馬(さば)神社(上和田1168)

上和田の鎮守。祭神は左馬頭源義朝。「相模七左馬」の一つ。境川沿いには左馬神社と呼ばれる社が11社あり、そのうち上和田・下和田・下高倉・今田・下飯田・上飯田・瀬谷の7社をいう。1日でこの七左馬をお参りすることを「七左馬参り」といい、疱瘡・麻疹・百日咳などの悪病よけになるとされる。『やまと歴史マップ』 左馬は鯖の変化したものか? 下和田左馬神社のところで再述。サバ神社は12社とする説もある。

Dsc00761_1 説明板

Dsc00769 綿屋の坂(坂上から) 上和田の宮久保橋(境川)から西方向に上る。 《地図

坂近くの家の屋号による坂名か。

Dsc00777 城山への坂 《地図

古くから城山と呼ばれている所。城の構造、年代、城主などはすべて不明。和田判官という人物が住んでいたという伝承がある。この和田判官は和田左衛門尉義盛ではないかと言われている。義盛は建保元年(1213)北条氏に抵抗して和田の乱を起こし敗死し、和田一族は滅亡した。上和田の矢ノ下は、義盛が戦った場所とされ、義盛軍の射た矢から根が生え、矢竹となったといわれている。『やまと歴史マップ』 「矢ノ下」は城山の南の大和南高校の南側あたり。)

Dsc00782_2 城山土合説明柱(城山への坂上、大和南高校の北側近く)

「どえー」と発音するそうだ。城山城址に関する地名で、1~2m程の土地の高まりが続いていた場所の名称。

Dsc00785 赤坂(坂下から) 上和田の薬王院の北側を北西に上る。坂下の中道は鎌倉道 《地図

赤土の急坂で雨の日は滑って難儀した。両側には木が生い茂り、いつもじめじめしていて、カニが沢山いた。『大和市の地名』 今は急坂ではない。

Dsc00786坂上近くから

Dsc00789_1 薬王院(上和田2710)

信法寺の別院。

Dsc00790_1 薬師如来縁起

Dsc00798 信法寺(上和田2710)

左前は岩船地蔵尊(左)と三面双体地蔵(右)?

Dsc00800 納豆山(上和田野鳥の森公園)への坂

坂上近くから左へ入る。納豆山の名の由来は不明という。

Dsc00809_1 野鳥の森公園(上和田2833、上和田小学校の南側)

Dsc00811_1 下の坂(坂下から) 上和田の国道467号の団地入口交差点から南東に中道へ下る。 《地図

現在はバス通りの広い道だが、幅9尺くらいの狭い道だった。

Dsc00814_1 坂下方向

Dsc00816 お宮の坂(坂下方向) 下和田左馬神社前を北西上る。坂上を行くと国道467号に出る。《地図

Dsc00823_1 坂下方向

左側が左馬神社・右側が下和田のケヤキ・長屋門の大津家。

Dsc00820_1 左馬神社(下和田1396)

下和田の鎮守。「相模七左馬」の一つ。江戸時代には「鯖神社」と記していた。境内の常夜灯(寛政元年(1789))には、「鯖大明神」と刻まれている。廃寺となった鯖宮山真福寺が別当寺だったと『新編相模国風土記稿』にある。『やまと歴史マップ』

古く、境川流域にはサバ神社が村の鎮守として祀られていた。サバ神社12社のうち10社が常夜灯などに「鯖」の字を当てている。境川流域に集中する理由として、「サバ」には「分ける」という意味があるとして民俗学的観点から、境界神あるいは道祖神的性格があったろうとする説。また鯖神社の由来としては、初穂の魚に鯖を供えることで信仰が成立したという説。鯖の豊漁の年に病がはやり多くの人が死んだので鯖の頭を奉るようになったという説。中世このあたりが源氏との関わりが深いことから左馬頭義朝や満仲を祭神にしたという説。怨念も持って死んだ義朝の御霊を祀ることで疫病などが避けられるという説など様々。『かながわ 坂のある風景』より

Dsc00824_2 下和田のケヤキ(下和田1105の大津家の敷地内)

樹齢500年の「かながわ名木百選」の一つ。

Dsc00825_2 説明板

Dsc00831 長屋門(大津家)

幅が22mくらいある。安物のカメラでは全部収まらない。

Dsc00828 説明板

Dsc00833_2 桶屋の坂(坂下から) 下和田の渋谷中学校の西側から北西に上る。 《地図》 

坂付近の家の屋号による坂名か。細い暗い坂道だが高座渋谷駅への近道か通行人が多い。別名を背戸(せど)の坂。

Dsc00836 坂下方向

Dsc00847_1 大坂③(石塚の坂)(坂下から) 下和田1086と861の間を南西に上る。 《地図

石塚家の前の坂。石塚家があるか確認するのを忘れた。

Dsc00854_2 坂下方向

Dsc00858_1 下ノ原遺跡説明板

Dsc00860 下ノ原遺跡跡あたり

平安時代の住居址などが出土。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 7日 (土)

横須賀市の坂-15

2007年7月7日

Dsc00661_1 逗子駅 バス→長井・・・川間橋(川間川)・・・荒井観音道標・・・弘誓(ぐぜい)寺・・・大久保坂(右の写真)・大久保の庚申塔・・・稲荷社・・・経塚・・・ソレイユの丘・・・勧明寺・・・長慶寺(荒井観音堂)・・・荒井漁港・・・住吉神社・・・中央水産研究所・荒崎公園・・・熊野神社・・・漆山漁港・・・長井(ちょうしょう)寺・・・おこり石・・・ポックリ地蔵・長徳寺・・・五郎坂・・・不断寺・・・第六天神社・・・富浦公園(小田和湾)・・・長井バス停

 【ルート地図

 朝から空模様が怪しかったが、長井行きのバスが逗子駅を出るとすぐ雨の区域に入ってしまった。傘さして地図を見ながらの坂道散歩で歩きづらかったが、気温が低めだったので助かった。
 荒井観音道標の所から右回りに大久保坂からソレイユの丘に上る。晴れていれば360度の眺望もきかず雨と風の丘の上から荒井漁港の方へ下る。住吉神社の先の荒崎公園は城山といい三浦義明の五男の長井五郎義季の城があった所で、水産研究所の裏には江戸末期、砲台が築かれていたそうだが、この天気では公園内を散策する気にもなれず早々に引上げる。

 海岸沿いの道を熊野神社に寄り、海岸から離れ長井寺からおこり石の方へ。このあたりは田園風景が少し残っている。長徳寺の裏のポックリ地蔵の先から下りとなって五郎坂の坂上近くに出る。五郎坂を下り海岸沿いの道より一段高い旧道を行くと不断寺で、長井港が近い。旧道を右回りに東方向に進み、第六天神社から荒井観音道標の所へ戻って来た頃には雨はほとんど上がり薄日もこぼれてきた。

 *参考横須賀市長井史跡巡り・観光名所案内

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00643_3 川間橋から荒井観音道標(正面)

Dsc00644_1 荒井観音道標(長井3-8)【ルート地図】の①

正徳元年(1711)に建てられたもの。「南無大悲観音菩薩 左 長井村江道 右 あらい勧んをんみち」とある。荒井観音堂は長慶寺本堂で、三浦三十三観音霊場の第31番札所。今日は左へ行き大久保坂からソレイユの丘に登り、荒井観音堂のある荒井漁港の方へ下った。

Dsc00647 弘誓(ぐぜい)寺(長井2-3)

浄土真宗の寺。大久保地区で唯一の寺。

Dsc00649 大久保坂(坂上方向) 弘誓寺前を南西に上る。【ルート地図】の②

このあたりの地名による坂名。途中の右側の大久保町内会館の前に「大久保の庚申塔」が立っている。

Dsc00651_1 稲荷神社(大久保坂の途中)

Dsc00653 大久保の庚申塔

大久保坂の途中。後ろは大久保町内会館。

左が享保4年(1719)・中央が貞享元年(1684)・右が元禄6年(1693)の銘がある前面下と左右側面下に猿が彫ってある立派なもの。

Dsc00666_1 ソレイユの丘への道から(北東方向)

坂上一帯は平坦な感じで、航空自衛隊無線標識所、農地などが広がり「ソレイユの丘」に続いている。終戦間近に特攻隊基地が造られたのはここか。完成が終戦直前ですでに特攻機はなく、偵察機が5、6基あったのみだったという。

Dsc00668 経塚?(右)(ソレイユの丘の北側の一番高い農地内)

永正13年(1516)三浦義同と北条早雲が戦った時、義同の家臣の別覆(べべ)坊がここに経巻を埋めて逃れたという。最近の調査では経文は出ず、前方後円墳ではないかと考えられている。

Dsc00669ソレイユの丘(長井4丁目)から

左側に相模湾がうっすらと見える。

Dsc00670 ソレイユの丘公園から漆山湾の方へ下る坂(坂の途中から坂上方向)

Dsc00672_1 勧明寺(長井6-16)

文明元年(1469)創建という浄土真宗の寺。このあたりは三浦義明の五男の長井五郎義季の本拠地といわれる。

Dsc00673 「長井の道切り」説明板(勧明寺前)

Dsc00674_1 勧明寺から荒崎漁港への坂。

Dsc00675 上って下りとなる切通しの坂。

Dsc00681 長慶寺(長井6-28)

三浦三十三観音の31番札所の荒井観音堂。荒井観音道標から海沿いの平坦な旧道を左回りでここに参ったのだろう。荒井はこのあたりの地名。

Dsc00677 荒井漁港

Dsc00679 住吉神社(長井6-28 荒井漁港の前)

以外に小さな社だ。

Dsc00685_2 熊野神社(長井6-16)

Dsc00687 漆山湾(熊野神社内から)

Dsc00688_2 長井(ちょうしょう)寺(長井6-14)

山号を別覆(べべ)山という浄土宗の寺。「経塚」に出てくる別覆坊だろう。

Dsc00691_1 「おこり石」の方へ

海沿いの道から離れ長徳寺の方へ続く田畑の中の細い道(右の柵の右側が道)

Dsc00692_1 おこり石【ルート地図】の③

風の強い日は唸り声を上げたという。古くから神の宿る石として信仰されてきたのであろう。

Dsc00693_1 説明柱

Dsc00702_2 ポックリ地蔵(長徳寺裏の墓地) 【ルート地図】の④

本当は地蔵ではなく、阿弥陀如来という。名前のとおり「ポックリ」いける地蔵だというが、うっかりお参りするとポックリ逝ってしまうかも。下の小さいのは地蔵さんだろうか。

Dsc00703_2 長徳寺(長井5-20)

行基が開基と伝える浄土真宗の寺。右のいちょうは、「かまくらと三浦半島古木・名木百選」の木。

Dsc00706 ポックリ地蔵の前(長徳寺裏の上の道)から下って五郎坂の坂上近くに下る。

Dsc00713_2 五郎坂(右・坂下方向) 長井小学校の南側に沿って西から北西に下る。【ルート地図】の⑤

この地に城を構えたという三浦義明の五男の長井五郎義季に因む坂名か。

Dsc00710_1 坂上方向

Dsc00715 坂上方向

Dsc00717 御霊神社(五郎坂の坂下)

Dsc00721_1 長井漁港(屋形湾)

「屋形」も城に関係のある地名か?

Dsc00724 不断寺(長井3-1)

鎌倉光明寺の末寺の浄土宗の寺。

Dsc00731 第六天神社(長井3-10)

石段脇に庚申塔が並ぶ。

Dsc00735 餌を探しに巣を飛び立った親つばめを目をパッチリ開けて待っている。真ん中が餌を獲得する確率がいいのか一番肥っているように見えるが気のせいだろうか。兄弟と競ってこの位置を確保したのか。巣は人の手の届く高さにある。人間に対する警戒心がないのか、信頼しているのか、開き直っているのか、こんな人通りの多い人目に立つ所に巣作りするなんて見事であっぱれというしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 3日 (火)

大和市(神奈川県)の坂-1

2007年7月3日

Dsc00587 高座渋谷駅(小田急江ノ島線)・・・滝山街道・・・宗昌寺・・・大坂①・・・福田橋(引地川)・・・蓮慶寺の坂・蓮慶寺・山王社・・・サンヤの坂・・・(東海道新幹線)・・・福寿橋・・・デーノ(上の写真)・・・常泉寺・・・神明橋・神明坂・神明神社・・・若宮八幡宮・・・代官橋・・・鬼子母神・・・田中八幡宮・・・八幡山公園・・・御嶽山神社・・・御嶽橋(引地川)・・・山王橋・・・大和霊園(姥山伝説碑・福田開拓九人衆碑)・・・引地台公園・・・福田神社・・・桜ケ丘駅(小田急江ノ島線) 

  ルート地図

 大和市は神奈川県のほぼ中央部に位置し、北から下鶴間・林間地区、上草柳・下草柳地区、深見地区、福田地区、上和田・下和田地区に分けられる。今日は南に藤沢市、西に綾瀬市と接する福田地区の坂を歩いた。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00554 えさをねだるつばめの子(高座渋谷駅東口)

もう巣立ちも近いようだ。それにしても巣がよく壁にくっついているものだ。

Dsc00556 滝山街道(小田急江ノ島線の東側に沿う道。写真のあたりは藤沢市長後が入り込んでいる所。)

八王子滝山城(大永元年(1521)武蔵国守護代大石定重が築城したとされる戦国期の城館)と鎌倉玉縄城(永正9年(1512)北条早雲が築城した、後北条氏の東相模における重要な支城)を短距離で結ぶ戦国時代以降の古道。八王子街道ともいう。後北条氏が領国支配するうえで重要な道だった。『やまと歴史マップ』

Dsc00563_2 宗昌寺(福田1544)

藤沢市との境にある曹洞宗の寺。慶安元年(1648)に後北条氏の家臣とも言われる鈴木宗昌が創建したと伝える。『やまと歴史マップ』

Dsc00560 庚申塔(右)と「飯都社旧址」碑(右)?

宗昌寺から大坂の坂上(左の道)へ向う辻の所。

Dsc00557_1 大坂(坂上から) 下福田中学校の北側を西方向に下る。【ルート地図】の①

Dsc00566_2 坂上方向

Dsc00567_1 蓮慶寺の坂(坂下から)

大坂の坂下から福田橋(引地川)を渡り、蓮慶寺の南側へ上る坂。【ルート地図】の②

Dsc00570_1 坂下方向

Dsc00572_1 蓮慶寺(福田1279)

文禄元年(1592)開山という古義真言宗の寺。

Dsc00573 「姥山伝説」(後述)ゆかりの優婆尊尼像が安置されている。室町時代後期の作風という。

Dsc00575_2 山王社(蓮慶寺の北側)

Dsc00576_1 サンヤの坂 山王社の北側を西に上る。【ルート地図】の③

「サンヤ」という屋号の家が坂近くにあったのか?

Dsc00579 坂下方向

Dsc00581_1 福寿橋(引地川)から

ちょうど正面に東海道新幹線が走る。

Dsc00584_1 デーの坂 下福田小学校の南の福寿橋から曲がりながら北東に上る。【ルート地図】の④

「デー」という屋号の家があった。デーはダイから転じているという。現在は妻恋坂と呼ばれている。『大和市の地名』 ダイは台か。妻恋坂の由来は何だろう?

Dsc00588_1 神明橋から神明坂へ

Dsc00602 神明坂(坂下方向) 神明神社の北側を塩付道へ上る道。《地図

塩付道は高座郡鵠沼村(藤沢市)や腰越村(鎌倉市)周辺の海浜部で生産された塩や海産物を、津久井や八王子さらには甲斐国(山梨県)などに運んだ道。『やまと歴史マップ』

坂上を行くと塩付道、中原街道にも通じている。

Dsc00598 神明神社(福田529)

道祖神(安政4年(1857))がある。

Dsc00596_2 若宮八幡宮(福田509)

下福田の鎮守

Dsc00594 由来書

Dsc00592_2 道祖神・猿田彦塔(若宮八幡境内)

右は双体道祖神。

Dsc00611_1 鬼子母神(田中八幡宮の西側)

Dsc00613_1 鬼子母神に沿う坂(坂下方向)

Dsc00617_1 田中八幡宮(福田6-20)

左下の小さい石塔は道祖神・右は供養塔?

Dsc00618_1 御嶽山神社(福田7-38)

Dsc00619_1 説明板

Dsc00632 双体道祖神・庚申塔(大和霊園前)

Dsc00627_1 福田開拓九人衆之碑(大和霊園内)

永正元年(1505)からこの地へ来て開拓し、福田村と名づけたと伝わる九人衆の碑。

Dsc00622説明板

Dsc00624_3 姥山由来記(大和霊園内)

《姥山伝説》 福田開拓九人衆の一人、小林大玄の妻イトは、夫の家出を悲しむあまり発狂し、人々を脅かしては盗みを働き、果ては幼児までも食べてしまいました。たまりかねた村人は花見の宴で毒を盛り、イトを亡き者にしてしまいます。それ以来この山は亡霊がでるという噂が広まり、近寄る人もなくなりました。ある時、ここを通りかかった高貴な人が、和歌を詠んで冥福を祈ったところ、亡霊も出なくなったということです。村人は優婆尊尼像をいただいてお堂にまつり、やがてこの像は子育ての姥さまとして親しまれるようになりました。(蓮慶寺の木造優婆尊尼坐像) 『やまと歴史マップ』

『大和の文化と伝説』(第一集)によれば、イト(糸)さんは大酒飲みで気が荒く、やきもち焼きで残忍凶暴で、医者とか修験者とかいわれた小林大玄は、手の施しようがなくついに呆れ果てて、妻イトを捨て行方をくらましたという。花見の宴は滝山街道と中原街道が交差する桜株のあたり。桜株は桜ケ丘駅の東側で今も「桜株」というバス停がある。姥山は桜ヶ丘駅北側一帯で、大和霊園の上の引地台公園あたりが一番高い所か。

裏面の和歌:「相模なる福田ケ原の山姥は いつのいつまで夫や待つらむ」

Dsc00637_1 福田神社の方へ下る坂

Dsc00640福田神社(福田8-8)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »