大和市の坂ー5
2007年8月18日
大和駅・・・大尽の坂(右の写真)・極楽寺・・・(厚木街道)・・・ノボさんの坂・・・山(さん)神社・・・村田の坂・・・屋根屋の坂・・・デンブクの坂・現金坂①跡あたり・・・ニーヤの坂・・・大坂⑦・・・稲荷社・稲荷坂跡(日本飛行機敷地内)・・・押し上がりの坂跡(日飛入口の坂・日本飛行機敷地内)・・・大下さくら橋・堂の坂・やまと冒険の森・厚木飛行場・・・辻の坂・・・晃風園・丸山の坂跡あたり・・・中央7丁目市民の森・現金の坂②跡あたり・・・大和駅
焦げるような暑い日が続いたがようやく一段落して今日は涼しい。久しぶりの坂道散歩は大和市の下草柳地区を歩く。引地川の方へ下る似たような坂と、今は消滅してしまった坂が多く、面白味のある坂には出会えなかった。
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大尽の坂(坂上から) 草柳1184の極楽寺の前を北東に上る。《地図》
別名を脇の坂。ハチクマ大尽の家の近くの坂。家のそばを通りにくかったので、この「脇の坂」を通ったという。『大和市の地名』
右が極楽寺
ノボさんの坂 草柳1-22の横浜銀行グラウンドの北側から北東に上る。《地図》
「ノボさん」と呼ばれる人の家が坂の近くにあったのだろうか?
正面は横浜銀行グラウンド
《地図》下草柳の鎮守。今日は祭礼日。
村田の坂(坂下方向) 横浜銀行グラウンドの南側から北東に上る。坂下は引地川。《地図》
屋根屋の坂 横浜銀行グラウンドの東側から草柳1-21の間を東方向に上る。《地図》(道の標示は途切れているが石段の部分)
「屋根屋」という屋号の家が坂のあたりにあったのだろう。
デンブクの坂(坂下方向) 草柳1-4と1-5の間を北東に上る。《地図》
日蓮の太鼓をたたく家があったという。『大和市の地名』 現金坂①(私道で通行料をとったという坂)はこの近く(やなぎ幼稚園あたりか)にあった坂。
ニーヤの坂 草柳1-13と1-15の間を北東に上る。《地図》
「ニーヤ」という屋号の家の近くの坂。『大和市の地名』
「ニイヤ」だろう。坂上を東に進んだ大坂の坂上の草柳1-8に「にいやハイツ」がある。「新谷」か「新屋」「新矢」か。
坂下は引地川でその向うは日本飛行機(株)の敷地。
大坂⑦(坂上から) 草柳1-11の草柳2号公園と草柳2-23の間を北東に上る。《地図》
赤土で雨が降るとツルツル滑って苦労した。生活の道で、一番大きな坂。『大和市の地名』
左側の木が茂っている所が旧山神社のあった場所か?
草柳2号公園
稲荷坂跡 草柳2公園の西側の引地川の草柳4合橋を渡った所の稲荷社から厚木海軍飛行場方面に向って上るS字状の坂だった。くねくねした急坂で一本椹(さわら?)へ行き着く道だった。《地図》
稲荷社までは行けるが、坂は日本飛行機の敷地内でフェンスで囲まれ行き止まり。
堂の坂(坂上方向) 草柳3丁目の大下さくら橋から「やまと冒険の森」の南側を厚木飛行場へ上る坂。《地図》
坂の途中にお堂があったが、今は道路でなくなった。『大和市の地名』 この道路は新しく造られたようで、大下さくら橋も引地川の上の高架橋で坂自体の傾斜もゆるい。以前は引地川から上る急坂だったのだろうか。
辻の坂 草柳3-2と3-7の間を東に上る。一部石段の坂。《地図》
「辻」は石段下の四つ角の所のことか?
丸山の坂跡あたりの坂(中央6-12と6-14の間)《地図》 坂上からさらに草柳4号公園の方へ上っていたのか。
晃風園のそばを通って六軒へ行く急坂だった。切り通しで木が覆いかぶさっていた。『大和市の地名』
現金坂②跡あたりの中央7丁目市民の森(中央7-15)《地図》 このあたりを通っていた坂か?
六軒村から小菅家の脇を通り桜ケ丘の桜株へ通じていた。谷坂で降りてすぐ登る短い坂の意。『大和の地名考』 谷坂の位置、文の意味が分からない。
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