朝霞市の坂-2・新座市の坂-3
2007年9月24日
北朝霞駅(JR武蔵野線)・・・泉水公園・泉水山稲荷神社・泉水の坂・(朝霞市)・・・泉橋(黒目川)・・・白山神社・・・黒目川通り・・・黒目川橋・・・旧川越街道・大橋・・・・たびや(足袋屋)の坂(新座市)・合道の坂(朝霞市)分岐・・・合道の坂・・・片山県道・・・榎木ガード・・・東福寺・・・東福寺通り・・・千代田橋(黒目川)・平店坂(へいみせ)跡近く・・・荒沢不動尊・・・山川橋(黒目川)・駒形坂跡・カチ坂跡近く・・・市場坂橋・市場坂・妙音沢・・・油面坂・・・法台寺・・・片山小学校バス停→北朝霞駅
【地図】
黒目川沿いの坂道散歩です。泉水の坂は広い通りのわりには車の通行量は少なく、きれいにカーブして泉橋まで下っている。黒目川通りから川越街道の黒目川橋を渡り、旧川越街道に入り大橋を渡る。今は片山県道との辻にあったという大榎木はない。近くに榎木バス停、榎木ガードなどが残ってはいるが。少し上るとたびやの坂と合道の坂の分岐の庚申塔の所に出る。旧川越街道は庚申塔の所から左へ、たびやの坂へと続く。たびやの坂は新座市では榎木坂、朝霞市では地倍の坂とも呼んでいる。庚申塔から右へ上るのが合道の坂で坂上近くで川越街道に合流する。
黒目川から東方向に上る平店坂、駒形坂、カチ坂は自衛隊駐屯地や市営墓園の中に消滅している。黒目川沿いに進むと、鶴が未来に向ってはばたく姿をイメージしているという市場坂橋が見えてくる。昔の板橋だった頃の板橋供養塔が馬頭観音とともに橋の歩道の脇に保存されている。ここは妙音沢に近く茶店もあり、市も立ち賑わったところという。
妙音沢から第3中と新座高校の間を通り油面坂へ。油の表面のようになめらかで静かな坂の意ではない。曲がりながら練馬区大泉学園町の近くまで上るけっこう長い坂だ。坂下から坂名にゆかりのある法台寺へ向う道は辻に地蔵さんが立っていたりして昔の面影が残っている。片山県道に出て、関越自動車道をくぐり法台寺へ向った。
*「たびやの坂」は「川越街道の坂」に記載。
写真をクリックすると拡大します。
泉水の坂(坂下方向) 泉水2丁目と3丁目の間を南東に泉橋(黒目川)へ下る。《地図》
中世期から江戸初期にかけて泉通院という寺院があったといわれていることから、峡下には多く湧水があり、これがなまって泉水といわれるようになったのであろう。『朝霞市史 民俗編』
たびやの坂(直進方向・旧川越街道)・合道の坂(右へ) 左は片山県道。ここに大榎があったのか?
合道の坂(坂上方向) 旧川越街道の膝折3交差点から北方向に上る。坂上近くで川越街道と合流する。《地図》
県道保谷志木線にあり、膝折、畑中、片山の三方向に通じる坂であるところから「合道」と当てられたのであろう。『朝霞市史 民俗編』
東福寺(畑中2-5)
黒目川の千代田橋あたりから自衛隊朝霞駐屯地(正面方向)の方へ上る清戸道(江戸道)の坂だったらしい。
東福寺奥の院の跡。お堂の後ろに「屋根がけを嫌う不動明王」が立っている。
今も屋根なしの雨ざらしのまま。延宝2年(1674)の建立。
黒目川の山川橋あたりから今は市営墓園(正面方向)の方へ上る坂だったらしい。
黒目川から市場坂橋(正面)
市場坂(歩道の坂上近く) 馬場3丁目と池田1丁目の間から市場坂橋を渡り北東方向に上る市場坂通り。《地図》
「妙音沢の伝説」: 江戸時代、天から降りてきた弁財天が十二天村出身の杉山検校に琵琶の秘曲を授けた。妙音沢近くには茶店もでき、片山から練馬方面へ行く人たちの憩いの場所にもなった。また市も立つようになり、市場坂の名もつけられた。『新座市史 第四巻』 詳しくは『新座の民話-妙音沢』
市場坂橋上の月待地蔵?・板橋供養塔(石柱の左・天保7年(1836)の建立)・馬頭観音(石柱の右二つ)
妙音沢(左)は市場坂橋近くの黒目川へ流れ込む。黒目川は東久留米市のさいかち窪を源流とし、新座市、朝霞市を流れ新河岸川に合流し、やがて荒川に合流する全長14.48kmの一級河川。
油面坂(坂下から) 栄1丁目と池田3丁目の間を南から曲がりながら南東に上る。《地図》
法台寺の灯明料として、村人が坂の付近にあった田畑を寄進した。『新座市文化財散策ガイド』
正面へ下るのが油面坂。
法台寺(道場1-10)
地名の「道場」、油面坂ゆかりの寺。妙音沢の検校が納めたという弁財天の軸も保存されているという。
法台寺説明板
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント