大和市の坂-6
2007年9月2日
中央林間駅(小田急江ノ島線)・・・月見野遺跡・つきみ野野球場・・・谷戸坂・天竺坂②跡・つきみ野野球場・・・つる舞の里歴史資料館・・・旧浅間神社・下鶴間浅間社遺跡・・・宮内坂・・・阿弥陀坂・・・公所(ぐぞ)公園・鎌倉街道・道正坂・・・西の坂・・・寺の坂(上の写真)・定方寺・・・浅間神社・下鶴間甲一号遺跡・・・万蔵の坂・下の坂・・・(東京環状)・・・二津屋の坂・鎌倉街道・・・(桜の散歩道)・・・城山橋・(田園都市線)・・・下鶴間城山遺跡跡・・・大六天神社・・・大上(おおかさ)公園・・・鎌倉街道?・山谷スポーツ広場・・・八王子街道・・・鎌倉街道・観音寺・・・矢倉沢往還・大黒天開運神社・・・目黒川・・・下鶴間宿・下鶴間ふるさと館(旧小倉家住宅・高札場跡)・・・矢倉沢往還の坂・・・鶴林寺・・・諏訪神社・・・伊勢社・・・(山王)日枝神社(矢倉沢往還・滝山道交差点)・・・山王原公園・・・鶴間駅(小田急江ノ島線)
【地図】
大和市の最後は下鶴間・つきみ野地区の坂道散歩。つきみ野は起伏の多いところで波のうねりのように道が続く。つきみ野遺跡から谷戸坂を下り、野球場交差点からつる舞の里歴史資料館へは上り坂となる。再び下って上り、旧浅間神社から相模原市との境の宮内坂から国道16号を歩道橋で渡り、ラブホテルの間を抜け阿弥陀坂を下る。今は国道16号で寸断されているが、昔は阿弥陀坂から宮内坂は続いていた鎌倉古道の道筋だったのだろう。
阿弥陀坂の坂上を南方向に行き、公所公園を過ぎると木々の間を未舗装の道正坂が下っている。舗装工事でもするのか坂上も坂下も通行止めの標識が置いてあるが、長い間放置されているという感じだ。風情のある鎌倉古道の坂をうまく残してもらいたい。坂下から西の坂の上りとなり、少し行くと寺の坂が定方寺に沿って上っている。
公所浅間神社から万蔵の坂、下の坂を通り東京環状をくぐり、二津屋の坂を上り鎌倉古道は続く。城山橋で田園都市線を越ると、北大和小学校あたりで道は暗くなる。左側が城山跡だろうか?案内板もなく分かりにくい。「新編相模国風土記稿」に「山中修理助壘(とりで)跡」と記録があるそうだ。山中修理助は小田原北条氏の家臣で天正年間(16C末)の人物らしい。この先は鎌倉古道は途切れるが山谷スポーツ広場の脇を通り、観音寺の方へ続いていたのだろう。回り道をして、大六天神社から角に小さな地蔵堂が立つ八王子街道に出る。下ると観音寺の手前に鎌倉街道の木柱が立っていて、鎌倉街道は観音寺の境内を通っていたと記す。
観音寺前から西方向に矢倉沢往還に入る。途中、大黒天開運神社を過ぎゆるやかに下る。明治の初めの写真ではこの坂もけっこう傾斜があるように見える。このあたりが下鶴間宿だった所で、目黒川を渡ると旧小倉家住宅が復元され、大きな旧家も残っている。ここからゆるやかな長い上り坂となる。両側の旧家の家並みや鶴林寺などが坂沿いにありなかなか趣のある坂だ。坂名を下鶴間ふるさと館で尋ねてみたが知っている人はいない。まあそんなもんだろう、期待はしていなかったが。坂上には小さな地蔵の祠と道標のようなもの、渡邊崋山が泊まった旅館「まんじゅう屋」の説明板が置かれている。
鶴林寺の前あたりまで坂を戻り、南に諏訪神社に寄る。明治から大正にかけ境内と隣接地で競馬が行われた。鳥居の近くに「鶴間競馬会」の記念の石碑が立っている。矢倉沢往還と滝山街道が交差する所にある山王社(日枝神社)から山王原公園を過ぎ、鶴間駅に出た。
写真をクリックすると拡大します。
旧石器・縄文・平安時代の重複遺跡.。この坂は新しい無名の坂だろう。
谷戸坂(坂下方向) つきみ野5丁目と6丁目の間を南西に上る。つきみ野野球場の北側。《地図》
公所から上野への途中の坂。谷戸川(目黒川)を通る坂。『大和市の地名』 谷戸川は今は暗渠か。
坂下左側がつきみ野野球場。
天竺坂③はこの近くにあった長く急な細い坂だった。『大和市の地名』
つる舞の里歴史資料館(つきみ野7-3)
歴史資料館から旧浅間神社への途中の坂(旧浅間神社側から) つきみ野8丁目
下って上る、相生坂、薬研坂。途中で平になるところがある段々坂。
旧石器・縄文・近世の遺構。
下鶴間391へ昭和50年に遷宮。
旧石器・縄文・近世の遺構。
17世紀後半に作られた塚が2基あった。今は1基の塚跡だけ残るようだ。
宮内坂(坂上から) つきみ野8-10と相模原市上鶴間3丁目の間を南西に下る。《地図》 真ん中に下る坂。
宮司コキクナイ(斉宮内)の屋敷があった所。『大和市の地名』 屋敷跡は近世まであったという。
阿弥陀坂(坂上から) 下鶴間173と10の間を南東に上る。《地図》
右側の空き地が阿弥陀堂跡?
道正坂 下鶴間29と124の間から北東に下る。(坂上から)《地図》
鎌倉街道で道中坂、道庵坂、道照坂とも呼ばれる。これらを別坂という説もあるが詳しいことは不明。『大和市の地名』 相模原市にも道正坂がある。この坂から1km足らず北西の町田市との境近くで、道正山と呼ばれた所から上鶴間高校の方へ下る坂。かつて道正院があったという。 「相模原市の坂-9」
坂下にも通行止めの看板と土留めが置いてある。
西の坂(坂上方向) 道正坂の坂下から東方向に上る。《地図》
道正坂から公所高木へ通ずる坂。ニシンザカと呼ぶ人もいた。『大和市の地名』 何に対して西なのか。公所高木から西ということか?
寺の坂 下鶴間145の定方寺の東側を南西に上る。《地図》
浅間神社(下鶴間391)
公所(ぐぞ)の鎮守。「公所」の由来は公文所があったことからとか、鎌倉街道を源頼朝が通った時休んだので、公(おおやけ)の所ということからなど伝える。『大和市の地名』
浅間神社近辺。古墳時代後期の集落跡
下の坂②の坂上角に小さな「地神塔」がある。
万蔵の坂(坂上から)下鶴間337を東に下る。《地図》
万蔵さんの家があったのだろう。
下の坂②(坂上から) 万蔵の坂の坂上近くから南東方向に下る《地図》
上の坂は万蔵の坂のことか?
二津屋の坂(坂下から) 下鶴間の特養ロゼホームの東側を南西に上る。《地図》
公所の六集落の二津屋にある坂。二津屋については、①家が2軒あった。②二津屋という屋号の家があった。③大昔は海で二つ船着場があった。という説がある。『大和市の地名』
さくらの散歩道《地図》
散歩道の下には導水館が通る。上は鎌倉街道。
右は北大和小学校
城山遺跡だろうか?案内板も説明板もなく立ち入り(不法投棄禁止だったかも)禁止のテープで囲われている。
大六天神社《地図》
山谷スポーツの広場の方へ下る道。《地図》
鎌倉街道が八王子街道とぶつかる所。
観音寺境内を通っていたという。観音寺で設置したものか。
鶴林寺の方から観音寺の方向を撮っている。右下の土蔵とその後ろが小倉家。
旧小倉家住宅(復元)(下鶴間2359)と高札場(下鶴間ふるさと館)
向い側にも旧家(長谷川家)の蔵が見える。
左側が小倉家住宅。ふるさと館の人に聞いても坂名は分からず。
右が鶴林寺・下鶴間不動尊
左側に旧家、右側に下鶴間宿の説明板。
道標?・地蔵の小祠・説明板がある。
鶴林寺(下鶴間1938)
諏訪神社(下鶴間2540)
公所を除いた下鶴間の鎮守。
諏訪神社では境内とその隣接地を借用して一周600mの競馬場を整備し、明治の末ごろから関東大震災(大正12年)まで農耕馬による草競馬が行われた。『市史の散歩道』 立派な優勝旗もあったそうだ。
矢倉沢往還(大山街道)と滝山街道が交差する所。
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