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2007年9月27日 (木)

新座市の坂-5

2007年9月27日

朝霞台駅(東上線)バス→池田2丁目・・・池田上橋(関越自動車道)・・・観音坂・観音堂(五領院)・・・引坂・・・稲荷神社・・・前原橋通り・・・庚申塔(片山2丁目交差点)・・・中沢の坂(産業通り)・・・中沢川・・・歴史民俗資料館・・・西坂・・・武野(たけしの)通り・・・八幡坂・・・満行寺・武野神社(旧八幡神社)・・・団子坂(餅屋坂)・・・栗原バス停→朝霞台駅

 今日は黒目川、中沢川右岸の坂道散歩で、いずれの坂も南東方向に上っている。八幡坂の坂下の満行寺は古歌に「野寺の鐘」として歌われている寺で、『廻国雑記』の道興准后もこの地に立ち寄り歌を詠んでいる。
 道興准后は横浜市南区の鎌倉街道の「餅井坂」(南区の坂-3)でもおかし味のある歌を残している。よほど坂と餅に縁があるのか、川越の「うとう坂」(川越市の坂-1)でも歌を残し、ここもすぐ近くに「餅屋坂(団子坂)」がある。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02205 観音坂(坂上から) 片山2-1と関越自動車道の間を南東に上る。《地図》 右は関越自動車道

Dsc02216 坂上方向(墓地の所から)

坂を挟んだ墓地の前(左側の関越道の所)に観音堂があった。今は坂下の片山県道沿いに移設。

Dsc02367 坂下近くから坂上方向

Dsc02363 観音堂(坂下を進んだ片山県道沿い。隣りに稲荷社)

「五領院」というようだ。

Dsc02362 小さな観音像が安置されている。

Dsc02220 墓地の所から南西方向に入る道。

階段坂の坂下から引坂の坂下、中沢の坂の坂下近くへと続く。手前は関越道で遮断されているが古くからの道だろう。

Dsc02225 引坂(坂下から) 片山2-5と2-7の間を曲がりながら南東方向に上る。《地図

坂名の由来不明

Dsc02226_2 坂上方向

Dsc02207 稲荷神社

左は引坂上へ、右は階段坂となって下る。

Dsc02208 右の階段坂の坂上から《地図》(道の標示はない)

坂下を左に行くと引坂の坂下に出る。

Dsc02234 庚申塔と御獄神社・阿夫利神社・榛名神社の?塔

中沢の坂上の前原橋通りと産業道路と大泉通りから分かれる清戸道の片山2丁目交差点の所。大泉通りと産業道路は清戸道の道筋だろう。庚申塔は元文4年(1739)の建立。

Dsc02235 中沢の坂(坂下方向) 前原橋通りの片山2丁目交差点から北西に下る産業通り。《地図

坂下の地名による坂名。

Dsc02238 さらに中沢川の方へゆるやかに下る。

Dsc02240 中沢川(暗渠)の所の石橋供養塔? ここに石橋が掛かっていたのだろうか?

Dsc02242 台座の文

「安永5年」・「為供養石橋」などが読める?

Dsc02245 馬頭観音(歴史民俗資料館の前あたり)

右側面に「右ハ 清戸道」 左側面に「北ハ 志木 南ハ 東京」とある。

Dsc02369 西坂(坂下から) 片山2丁目と野寺3丁目の間を南東に上る。坂上を行くと武野通りに出る。《地図

片山の一番西の坂ということか?

Dsc02371                        

坂上から

Dsc02256 八幡坂(坂上から) 野寺3-9と3-12の間を北西に下る。《地図

武野神社は以前は北向きの八幡社といわれていた。

Dsc02266 坂上方向

右が武野神社(旧八幡神社)・左が満行寺

Dsc02274 武野(たけしの)神社(旧八幡社)(野寺3-11)

明治末に栗原村の浅間神社、石神村の氷川神社など近郷の5社を野寺村の八幡社に合祀した。武蔵野の「武」と野寺の「野」をとって「武野神社」と改称した。源義家が奥州征伐の時に戦勝を祈願して立ち寄ったと伝える。

Dsc02269 説明板

Dsc02276 旧本殿

寛永年間(1624~43)の建立

Dsc02263 満行寺

古歌に「野寺の鐘」と歌われるのはこの寺という。文明18年(1486年)京都聖護院門跡の道興准后は関東下向の折にこの地に立ち寄り、「おとに聞く 野寺を問へば跡ふりて こたふる鐘もなき夕哉」(「廻国雑記」)と詠んだ。当時は戦乱の世で寺は焼けてなく、鐘も土中の埋まったままだったのか。

新座の民話「野寺の鐘」① 「野寺の鐘」②

Dsc02264 説明板

Dsc02270 今の「野寺の鐘」か

Dsc02279 身変地蔵尊(八幡坂の坂下)

「身代」ではない。

Dsc02281 庚申塔(野寺2-17、団子坂の坂下近く)

弘化2年(1845)の建立

Dsc02282 団子坂(餅屋坂) 県道24号の野寺小交差点から栗原2-5と野寺3-12の間を北方向に下る。 《地図

坂上に団子屋、坂下に餅屋があったといい。上から下へ下りるときには「団子坂」と呼び、下から上へ上るときには餅屋坂といったという。『新座市史 第四巻』 今は団子屋も餅屋もない。

Dsc02285 坂下方向

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2007年9月26日 (水)

新座市の坂-4

2007年9月26日

Dsc02162 朝霞台駅(北朝霞駅) バス→原ケ谷戸・・・畑中公民館通り・芝山坂・・・峰山坂・・・蓮光寺・・・宮坂・・・氷川神社・・・宮上橋(関越自動車道)・・・堀之内坂右の写真は途中から南西に上る切通しの坂)・・・堀ノ内橋(黒目川)・・・白山坂・・・(産業道路)・嵯峨山通り・・・天照院・・・堂坂上(馬喰橋通り)・・・石神緑地・・・浄明寺墓地(釈迦堂?)・・・桶屋の坂・・・上の坂・・・野猿坂・・・神宝大橋(黒目川・落合川分岐)・・・栗原坂・・・栗原観音堂・・・栗原バス停→朝霞台駅(東上線)

  【ルート地図

 芝山坂は清戸道(江戸往還道)で下って荒沢不動尊の前を通り黒目川を渡り、今はなき平店坂の上りへと続いていたのだろう。芝山坂と平行するように峰山坂、宮坂が水道道路まで上っている。宮坂の坂下近くの氷川神社から関越自動車道沿いに上り、宮上橋で関越道を越えると堀之内坂が関越道と平行して下っている。白山坂は細く曲がって上る坂で、途中木に覆われ昼なお暗い所を通るいい感じの坂だ。

 白山坂の坂上から産業道路を横切り嵯峨山通りに入る。石神緑地沿いの坂を下り、浄明寺の墓地に寄る。小さなお堂は室町時代の鉄仏を納めるという釈迦堂か? 墓地の先から桶屋の坂を上る。上の坂の坂上に出て東久留米市との境を下ると野猿坂のゆるい上りとなって神宝大橋へと下る。『新座市史』の地図では「上の坂」の坂下から続く坂を「ヤエン坂」としているが、『新座市文化財散策ガイドブック』の地図では「上の坂」の所を「野猿坂」とする。ここでは『新座市史』に従い別坂としたが、「野猿坂」は傾斜がゆるすぎて坂とは呼べない感じだ。新座市生涯学習課へ問い合わせたが分からない。まあどっちでも大した問題ではないが。
 栗原坂も古道の道筋らしいがこの坂もゆるやで今は坂の感じがしない。栗原観音堂も思ったより小さく、堂内に観音様もいないようだった。

 *堂坂・上の坂は「新座市の坂-2」(2007年8月29日)に記載。

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Dsc02123 芝山坂(坂下から) 畑中1丁目と馬場1丁目の間を北西に上る畑中公民館通り。《地図

Dsc02128坂下方向

Dsc02130 峰山坂 馬場1-2と1-10の間を北西に上る。《地図

Dsc02135 坂上方向

Dsc02138 蓮光寺(馬場1-9)

古くは馬場の氷川神社の別当も兼ねていた。

Dsc02139 説明板

Dsc02142 樽茶室(蓮光寺境内)

床にはちゃんと畳が敷いてある。

Dsc02144 宮前稲荷(馬場4-5?)

「宮」は氷川神社のことだろう。

Dsc02147 宮坂(坂下から) 馬場4-2と4-12の間を北西に上る。《地図

坂下近くの馬場氷川神社による坂名。坂下近くに馬頭観音(文政8年(1825))が立っている。

Dsc02149 坂上から

Dsc02158 氷川神社(馬場4-10)

片山郷の総鎮守

Dsc02152 説明板

Dsc02157 神木の切り株

樹齢700年だったという。

Dsc02159 関越道沿いの坂

氷川神社(右側)から宮上橋の方へ上る。

Dsc02161 堀之内坂(坂上から) 堀ノ内1-3と関越自動車道の間を南東に下る。《地図

Dsc02163 坂上方向

Dsc02168 白山坂(坂下から) 堀ノ内1-7と1-8の間を曲がりながら北西方向に上る。《地図

このあたりの地名による坂名か? 「しろやま」か「はくさん」か?

Dsc02172 坂下方向

Dsc02179 石神緑地沿いの坂

Dsc02180 釈迦堂?(浄明寺墓地内(石神4-12))

室町時代の鉄仏が納められているという。釈迦堂は堂坂の坂名の由来となった「堂」だろうか?

Dsc02181 桶屋の坂(坂下から) 石神4-11と4-12の間を北西に上る。《地図

坂近くの家の屋号による坂名だろう。

Dsc02188 坂下方向

Dsc02185 坂上方向

Dsc02189 野猿坂(坂上方向) 石神3-14と東久留米市神宝町1丁目の間を南西に上って神宝大橋へ下る。《地図

Dsc02193 上って神宝大橋の方へ下る。

Dsc02197神宝大橋から坂上方向

Dsc02196 黒目川(右)・落合川(左)の分岐点

神宝大橋から

Dsc02198 馬頭観音(栗原1-13?)

Dsc02201 栗原坂(坂上から) 栗原1-5の栗原小学校と1-6の間を北に上る。《地図

Dsc02202 坂上方向

Dsc02203 栗原観音堂(栗原1-5)

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2007年9月24日 (月)

朝霞市の坂-2・新座市の坂-3

2007年9月24日

北朝霞駅(JR武蔵野線)・・・泉水公園・泉水山稲荷神社・泉水の坂・(朝霞市)・・・泉橋(黒目川)・・・白山神社・・・黒目川通り・・・黒目川橋・・・旧川越街道・大橋・・・・たびや(足袋屋)の坂(新座市)・合道の坂(朝霞市)分岐・・・合道の坂・・・片山県道・・・榎木ガード・・・東福寺・・・東福寺通り・・・千代田橋(黒目川)・平店坂(へいみせ)跡近く・・・荒沢不動尊・・・山川橋(黒目川)・駒形坂跡・カチ坂跡近く・・・市場坂橋・市場坂・妙音沢・・・油面坂・・・法台寺・・・片山小学校バス停→北朝霞駅

 【ルート地図

 黒目川沿いの坂道散歩です。泉水の坂は広い通りのわりには車の通行量は少なく、きれいにカーブして泉橋まで下っている。黒目川通りから川越街道の黒目川橋を渡り、旧川越街道に入り大橋を渡る。今は片山県道との辻にあったという大榎木はない。近くに榎木バス停、榎木ガードなどが残ってはいるが。少し上るとたびやの坂と合道の坂の分岐の庚申塔の所に出る。旧川越街道は庚申塔の所から左へ、たびやの坂へと続く。たびやの坂は新座市では榎木坂、朝霞市では地倍の坂とも呼んでいる。庚申塔から右へ上るのが合道の坂で坂上近くで川越街道に合流する。

 黒目川から東方向に上る平店坂、駒形坂、カチ坂は自衛隊駐屯地や市営墓園の中に消滅している。黒目川沿いに進むと、鶴が未来に向ってはばたく姿をイメージしているという市場坂橋が見えてくる。昔の板橋だった頃の板橋供養塔が馬頭観音とともに橋の歩道の脇に保存されている。ここは妙音沢に近く茶店もあり、市も立ち賑わったところという。

 妙音沢から第3中と新座高校の間を通り油面坂へ。油の表面のようになめらかで静かな坂の意ではない。曲がりながら練馬区大泉学園町の近くまで上るけっこう長い坂だ。坂下から坂名にゆかりのある法台寺へ向う道は辻に地蔵さんが立っていたりして昔の面影が残っている。片山県道に出て、関越自動車道をくぐり法台寺へ向った。

 「たびやの坂」は「川越街道の坂」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02025 泉水山稲荷神社(泉水3-3)

Dsc02027 泉水の坂(坂下方向) 泉水2丁目と3丁目の間を南東に泉橋(黒目川)へ下る。《地図

中世期から江戸初期にかけて泉通院という寺院があったといわれていることから、峡下には多く湧水があり、これがなまって泉水といわれるようになったのであろう。『朝霞市史 民俗編』

Dsc02031説明板

Dsc02038 坂下から

Dsc02039 白山神社(泉水2-3)

Dsc02049 たびやの坂(直進方向・旧川越街道)・合道の坂(右へ) 左は片山県道。ここに大榎があったのか?

Dsc02051 合道の坂(坂上方向) 旧川越街道の膝折3交差点から北方向に上る。坂上近くで川越街道と合流する。《地図

県道保谷志木線にあり、膝折、畑中、片山の三方向に通じる坂であるところから「合道」と当てられたのであろう。『朝霞市史 民俗編』

Dsc02055 坂上近くで川越街道に出る。

Dsc02056 坂下方向

Dsc02058 東福寺(畑中2-5)

Dsc02059 東福寺説明板

Dsc02063 平店(へいみせ)坂跡方向

黒目川の千代田橋あたりから自衛隊朝霞駐屯地(正面方向)の方へ上る清戸道(江戸道)の坂だったらしい。

Dsc02068 荒沢不動尊(馬場2-12)

東福寺奥の院の跡。お堂の後ろに「屋根がけを嫌う不動明王」が立っている。

Dsc02065 説明板

Dsc02066 堂の後ろの不動明王

今も屋根なしの雨ざらしのまま。延宝2年(1674)の建立。

Dsc02070 駒形坂跡・カチ坂跡方向(山川橋から)

黒目川の山川橋あたりから今は市営墓園(正面方向)の方へ上る坂だったらしい。

Dsc02072黒目川から市場坂橋(正面)

Dsc02075 市場坂(歩道の坂上近く) 馬場3丁目と池田1丁目の間から市場坂橋を渡り北東方向に上る市場坂通り。《地図

「妙音沢の伝説」: 江戸時代、天から降りてきた弁財天が十二天村出身の杉山検校に琵琶の秘曲を授けた。妙音沢近くには茶店もでき、片山から練馬方面へ行く人たちの憩いの場所にもなった。また市も立つようになり、市場坂の名もつけられた。『新座市史 第四巻』 詳しくは『新座の民話-妙音沢

Dsc02080 市場坂橋上の月待地蔵?・板橋供養塔(石柱の左・天保7年(1836)の建立)・馬頭観音(石柱の右二つ)

Dsc02077 車道の坂下方向

Dsc02096 妙音沢説明板

Dsc02090_2 妙音沢(左)は市場坂橋近くの黒目川へ流れ込む。黒目川は東久留米市のさいかち窪を源流とし、新座市、朝霞市を流れ新河岸川に合流し、やがて荒川に合流する全長14.48kmの一級河川。

Dsc02093 妙音沢の上流方向

Dsc02112 油面坂(坂下から) 栄1丁目と池田3丁目の間を南から曲がりながら南東に上る。《地図

法台寺の灯明料として、村人が坂の付近にあった田畑を寄進した。『新座市文化財散策ガイド』

Dsc02108_2坂下方向

正面へ下るのが油面坂。

Dsc02113 坂下近くの地蔵さん(池田町2-3)

Dsc02117 法台寺(道場1-10)

油面坂ゆかりの寺。妙音沢の検校が納めたという弁財天の軸も保存されているという。

Dsc02119

法台寺説明板

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2007年9月 7日 (金)

新潟市の坂

2007年9月7日

Dsc01988_2  新潟駅・・・万代橋(信濃川)・・・古町・・・どっぺり坂(右の写真)・異人池跡・・・あづま通り・・・会津八一記念館・・・寄居浜(日本海)・・・文学の砂山(芭蕉堂・坂口安吾碑・白秋砂山の碑)・護国神社・・・日本海タワー・・・新潟駅

 台風が東北地方を縦断中で山形新幹線は運転中止で心配したが、酒田から新潟へのいなほ6号はほぼ定刻通りの発着だった。どっぺり坂は新潟駅の市内案内図にも載っている地元では有名?な坂。雲が流れ、時折雨が落ちてくる蒸し暑い中を駅から万代橋越え、繁華街の古町を横切りひたすら真っ直ぐ行くと車道が右にカーブする所からどっぺり坂の59段の石段が上っている。ただの短い石段坂だが坂名の由来が面白い。坂上からはあいづ通りとなり、会津八一記念館から日本海へ下る道へと続いている。

 風が舞い上げる砂にあたりながら文学の砂山を歩き、護国神社から日本海タワーへ上る。案の定、回転式の展望台からは佐渡は見えない。昨日も今日の朝もくっきり見えたそうだ。台風に追いかけられたような3日間だったが、予定の坂は歩き、プラスαの坂にも出会えたし、まあ収穫の多い坂道散歩だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01983 万代橋

Dsc01984万代橋から信濃川

Dsc01987 どっぺり坂(西大畑町) 【ルート地図】の②の所

車道から離れ真っ直ぐ上る石段。坂上からあいづ通り、会津八一記念館、寄居浜(日本海)へ続く。

Dsc01989 坂標も立派だ

Dsc01998   坂上から

Dsc01990説明板

「どっぺり」はドイツ語の「ドッペルン(2重にする)」から。坂上の学生寮からこの坂を往来し古町の繁華街などに遊びに行くのが度が過ぎると落第(ダブル)するぞということ。石段は及第点の60点から1点少ない59段で作られている。確かに59段だった。

Dsc01992_2 異人池の風景(どっぺり坂の坂下)

異人池の跡には異人池駐車場・異人池ハウス・異人池ヒルズ・コーポ異人池などが並ぶ。

Dsc02021 異人池駐車場の後ろの新潟司教館礼拝堂

上の写真の教会だろう。昭和2年建築。M・ヒンデルの設計。

Dsc02022みその保育園?

Dsc02000 会津八一記念館

Dsc02001 会津八一記念館前から日本海の方へ下る坂

正面が日本海の寄居浜。右は西海岸公園。左へ行くと文学の砂山、護国神社。

Dsc02010 芭蕉堂

永久保存のため密閉されている。意図がよく分からん。

Dsc02007 説明板

Dsc02013 坂口安吾の碑

Dsc02011 説明板

Dsc02015 白秋砂山の碑

Dsc02014 説明板

Dsc02017日本海タワー

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2007年9月 6日 (木)

酒田市(山形県)の坂

2007年9月6日

Dsc01846_3  酒田駅(羽越本線)・・・本間美術館・・・福稲荷神社・・・八雲神社・・・妙法寺・・・竜厳寺・・・浄福寺唐門・・・秋田街道・願掛稲荷・相馬楼・舞娘坂(右の写真)・・・日枝神社参道・光丘文庫・日枝神社・旧白崎医院・・・日和山公園・皇太神社(神明様)・酒田港金刀比羅神社・・・神明坂・・・芭蕉坂・・・船着場近く・・・芭蕉坂・・・日枝神社随神門・・・・下小路坂(日和山通り)・海向寺・・・寺島彦助宅跡・・・実生橋(新井田川)・・・三居稲荷・山居倉庫・・・酒田奉行所跡・・・秋葉神社・・・本間家旧本邸・・・薬師神社・・・近江屋跡・・・鐙屋・・・伊東不玉邸跡・・・市立資料館・・・天正寺・・・清亀園・・・日枝神社・・・神明社・・・村社(伏見)稲荷神社・・・稲荷社・・・福徳稲荷神社・・・酒田駅

  【ルート地図

 酒田駅前は寂れている。真っ昼間なのに開いている店が少ない。新幹線が通っていないからか。台風が来る前のフェーン現象なのか今日も暑いが、空気が乾いているのが救いだ。相馬楼の前の坂を「舞娘坂」というのは知らなかった。後日、相馬楼のホームページで見つけた坂名だ。相馬楼でつけた坂名だろう。写真を撮っておいてよかった。舞娘坂の坂上から日枝神社の鳥居をくぐり石段を上り、光丘文庫、日枝神社社殿、旧白崎医院から皇太神社へ。このあたり一帯は日和山公園として整備されている。

 皇太神社(神明様)の石段下から真っ直ぐ下る神明坂の石段、右へ細い芭蕉坂が酒田港の方へ下っている。松尾芭蕉は元禄2年(1689)6月13日(陽暦7月29日)に鶴岡から川舟で酒田へ着いた。御米置場付近の船着場から芭蕉坂を上り、鶴岡街道と呼ばれる出町・六間小路を通って町中へ出て、伊東不玉宅へ向ったようだ。6月25日に酒田を立つまで、この間15日から象潟へ行き18日夕刻に酒田に帰着しているから酒田には9泊した。寺島邸・近江屋で句会なども催し、「奥の細道」にも二句残すが、酒田での記事は短い。

 下小路坂(日和山通り)を下り、芭蕉ゆかりの寺島邸跡・近江屋跡・不玉亭跡や、観光スポットの山居倉庫、本間家旧本邸、鐙屋などに寄りながら町中を歩いた。駅前とは違い平日なのに観光客も出ていて新旧入り混じった活気のある酒田の町だった。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01827 本間美術館(御成町7)

Dsc01829 八雲神社(御成町交差点の所)

Dsc01830 妙法寺(相生町2-1)

「奥の細道」で酒田を訪れた芭蕉が泊まった医師伊東不玉の墓(再建)がある。

Dsc01832 妙法寺前の切通しの道

正面が妙法寺

Dsc01836 浄福寺唐門(中央西町4)

宝暦年間(1751~64)の建造で、寛政12年(1800)本間光丘が寄進したと伝う。

Dsc01839説明板

Dsc01841 秋田街道(相馬楼の東側)

芭蕉はここを通り象潟へ向ったのだろう。正面の木の下は願掛稲荷。

Dsc01843 舞娘坂(坂上方向) 相馬楼の前を北西に上る。正面が相馬楼 《地図

相馬楼のHPの住所の後に「舞娘坂」とある。相馬楼でつけた坂名か。「まいこ」と読ませるのだろう

Dsc01845 相馬楼(日吉町1丁目)

江戸時代からの料亭。今、JR東日本のCM(吉永小百合の)に出ている。

Dsc01844 舞娘坂(相馬楼の前の所)

Dsc01847 日枝神社へ(舞娘坂の坂上)

Dsc01850 光丘文庫(日吉町2-7)

Dsc01849 「光丘文庫」説明板

Dsc01852 日枝神社(日吉町2-7)

社殿は天明4年(1784)に本間光丘が寄進したという。

Dsc01857_2 旧白崎医院(南新町1-6)

大正8年(1919)建てられた木造洋風の外科医院。酒田大火(昭和51年10月29日夕刻発生)の後、昭和55年にここに移築、保存された。

Dsc01855 「旧白崎医院」説明板

Dsc01863日和山公園(南新町1丁目)から六角灯台(旧酒田灯台)、日本海方向。

Dsc01868 皇太神社(神明様)

Dsc01867 酒田港金刀比羅神社(皇太神社境内)

船頭たちの信仰が厚かった。

Dsc01869 神明様(皇太神社)から神明坂・芭蕉坂の坂上方向を望む。

Dsc01871 皇太神社石段下

左に旧出町の標柱が立つ。芭蕉坂・神明坂の坂上の所。この石段も神明坂に含まれるかも。

「旧出町」説明文:「明暦図や天和3年(1683)巡見使覚書には猟師町と出ている。元禄以降船場町が栄えると共にできたものであろう。 ここから秋田町に至る通りを鶴岡街道といい、鶴岡から赤川を下ってくる旅人で賑わった。芭蕉翁もここを通ったものと思われる。」

Dsc01872 神明坂 皇太神社の下から南に下る石段。《地図

【坂標】の説明文:「皇太神社(神明様)はもと下台町の北にあったが享保19年(1734)焼失後、元文5年(1740)に現在地へ建てられた。坂の石段は文化14年(1817)本間家四代光道が市街と湊との交通を便利にすることと、荷物運搬者の苦労を軽くする目的から作られ、神明坂と呼ばれるようになった。」 芭蕉が訪れた時は日和山公園あたりは砂山で皇太神社も神明坂の石段もなく、芭蕉坂を上り今の皇太神社の下に出て、鶴岡街道から伊東不玉宅へ向ったのだろう。

Dsc01876 芭蕉坂(坂上から) 《地図

皇太神社の下から北西方向に下る。

【坂標】の説明文:「昔、鶴岡・酒田間は赤川を走る日通し船で主に往来していた。旅人は御米置場付近から上陸するとこの坂を歩き、鶴岡街道とよばれる出町・六間小路を通って町へ出た。古い石段はそれを物語る。俳聖芭蕉も曽良とともにこの坂を歩いて伊東不玉宅を訪れたのであろう。」

Dsc01895 坂上

芭蕉が歩いた鶴岡街道は白い建物の右の道か?この道は今は秋田街道とぶつかる所まで続く。建物の左は皇太神社への石段。当時は神社も石段もなかったが、ここを上って神社裏から今の日枝神社随神門前を下る日和山通りが鶴岡街道なのか。この道は秋田街道を横切り真っ直ぐ伸び、伊東不玉邸の北側を通るが。

Dsc01881 石畳の道はここまで。

Dsc01886 さらに道なき道を進む。右側は日和山公園下。

Dsc01887 真っ直ぐ行くと酒井港に突当たる。

芭蕉と曽良は鶴岡から船で赤川を下り、このあたりにあった船着場で降り、芭蕉坂を上ったのだろう。(赤川は当時は最上川に合流していた。)

Dsc01897 皇太神社境内から日和山通り(鶴岡街道?)へ

芭蕉坂、皇太神社境内を上り、日枝神社の随神門の前へ続く道。

Dsc01900 随神門

天明7年(1787)に本間光丘が寄贈したというから芭蕉の時代にはなかった。

Dsc01899説明板

Dsc01901 下小路坂(坂下方向) 随神門の前あたりから南東に下る日和山通り。《地図

これが鶴岡街道か? 芭蕉はここを下り、秋田街道を横切り、伊東不玉宅へ向ったのだろうか。 坂上南側の町名だった「下小路」による坂名か。

Dsc01914 坂下から

Dsc01905海向寺(下小路坂の坂上近く)

即身仏堂に忠海上人、円明海上人の二体の即身仏(ミイラ)が安置されている。右の堂は粟嶋水月観音堂(あわしまさま)。

Dsc01907 海向寺縁起

Dsc01908 「あわしまさま」由来

女性一代の守り観音。

Dsc01918 寺島彦助邸跡 本町3-6 《地図

元禄2年6月14日(陽暦7月30日)に芭蕉が句会を開いた酒田湊御城米浦役人の寺島彦助、俳号「安種亭令道」の屋敷跡。

Dsc01922 三居稲荷神社(山居町1-2)

山居倉庫の裏側。

Dsc01921 説明板

Dsc01930山居倉庫(新井田川から)

NHK朝のTVドラマ「おしん」のロケ地に使われた。

Dsc01925 明治26年酒田米穀取引所の附属倉庫として建造され今も現役の倉庫として活躍。

Dsc01923 倉庫とケヤキ並木。

ここはよく出てくる構図だ。

Dsc01939 酒田奉行所跡(本町1-5)

Dsc01935 説明板

Dsc01936 鳥瞰図

Dsc01938 奉行所の敷地跡

Dsc01942本間家旧本邸(二番町12)

「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と歌われた大地主。

Dsc01950 説明板

Dsc01951 伏龍(がりゅう)の松

樹齢400年以上の赤松。「門かぶりの松」とも。

Dsc01948

向い側の本間家別館の「お店」

Dsc01956 薬師神社(二番町12、本間家の北側)

Dsc01957 「薬師の森」由来

Dsc01958 酒田大火の時、空洞から火が入った欅。今は上の方から若木が出ている。

Dsc01961 「玉志近江屋三郎兵衛宅跡」の標柱

芭蕉が6月23日に句会を開いた近江屋三郎兵衛宅跡。酒田の発展に尽くした酒田三十六人衆の一人。

Dsc01960 近江屋宅跡 中町1-13の荘内証券の前。《地図

Dsc01963 鐙屋(中町1-14)

酒田を代表する廻船問屋

Dsc01964 伊東不玉亭跡(中町1-11)《地図

『奥の細道』に「川舟に乗りて酒田の湊に下る。渕庵不玉と云ふ医師(くすし)の許を宿とす。」とあるが、芭蕉が九泊したとは断定できないのでは?『曽良旅日記』には、(13日は)「留守にて明朝逢」とある。芭蕉が来訪することが分かっていて泊まったか、その日は他で宿をとったかだろう。

Dsc01965 上の3句の英語訳

全く俳句の味わい、風情が出ない。

Dsc01966_2 不玉亭跡 

Dsc01970 天正寺(相生町1-6)

Dsc01973 清亀園(浜田町1-11)

大地主の伊藤四郎右衛門家の別荘だった。

Dsc01972 清亀園庭園

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2007年9月 5日 (水)

上山市(山形県)の坂

2007年9月5日

Dsc01791_2  かみのやま温泉駅(山形新幹線)・・・眉川橋(前川)・足湯・・・三島坂・(上山城)・三島神社・・・古峯神社・・・観音坂・湯の上観音寺・愛宕神社・・・御館坂・・・月岡神社・御館坂・・・清光院・・・鶴の休み石(温泉発祥の地)・・・鶴舞坂・・・寿仙寺・鶴舞坂・中之坂・・・上山藩校明新館・武家屋敷・・・湯出坂・・・袖摺坂・・・天神坂袖摺坂・・・沢庵坂・・・春雨庵・松山地蔵・・・沢庵坂・・・栗川稲荷神社・・・安産地蔵堂・・・弥生橋(荒町川)・・・八幡神社・紅花地蔵尊・・・二日町共同浴場・・・願成寺・・・湯出坂・・・武家屋敷通り(中之坂上)・・・月待坂(上の写真)・・月岡神社・・・上山城・・・法円寺・・・市神様(市神石憧)・・・眉川橋・・・かみの山温泉駅

  【ルート地図

 上山城の周辺のかみのやま温泉街の坂道散歩です。城を中心に起伏のある静かな温泉町で散歩にはうってつけの所だが、今日は蒸し暑いのが玉に傷。昨日あたりから暑さがぶり返したそうで、台風のせいなのか。坂は多いが狭い範囲なので半日かけて汗びっしょりになりながら、途中二日町共同浴場で一風呂浴びて小休止などしてゆっくり回った。名のある坂には木製の坂標が設置してあって歩きやすいが、説明文が裏面に書いてあり読みづらい。興味がなければ裏までは見ないだろう。後ろの建物の塀や壁との間がなく読めないものもある。設置者も設置年月も書いてなく説明文もいまいちの感じだ。

 三島坂は月待坂へ続き、観音坂の坂上あたりから御館坂へ入る。鶴舞坂、中之坂、湯出坂は武家屋敷が残る同じ道筋。天神坂から袖摺坂、沢庵坂へと続く道は上山で一番古い道筋という。確かに曲がりながらゆるやかに上り下りする道には県道や車道で途中分断されてはいるが昔の面影が所々残っている。

 月待坂を最後に坂上の月岡神社境内から上山城に入る。十日町商店街の通り(羽州街道)を駅に向う途中に小さな市神様があった。永享3年(1431)造立でもとは松山(春雨庵や松山地蔵尊のある地区)にあったのを寛文の頃ここに移したという。行きにここは通ったのに気づかないほどで商店のかたわらにひっそりと祀られていた。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01629 足湯(眉川橋の脇)

かみのやま温泉には5ヶ所の足湯がある。

Dsc01632 三島坂(坂下から) 十日町と沢丁の間から曲がりながら上山城、三島神社の方へ上る。《地図

【坂標】の説明文 「三島神社は城主土岐山城守頼行により上山城(月岡城)の守護神として萬治二年(1659)に奉られた。」
坂上に三島神社がある。右奥は上山城。

Dsc01634 坂下方向

Dsc01807_2坂上方向

上山城へ上る石段の所から。坂上を行くと月待坂の坂上に出る。

Dsc01643 三島神社

Dsc01644由緒

Dsc01649 古峯神社の庭園から

Dsc01650 古峯神社

火伏せの神。奇習「カセ鳥」が行われる。

Dsc01659 観音坂(坂下から) 十日町の湯の上観音寺の前を北西に上る。《地図

正面の石段上が湯の上観音寺、右は下大湯共同浴場。

Dsc01658 坂上方向

Dsc01664 湯の上観音寺(十日町9)

最上三十三観音第十番札所で室町時代から賑わった。

Dsc01661 最上四十八地蔵の第十四番延命地蔵菩薩(観音堂境内)

Dsc01666_2 愛宕神社(十日町11)

寛永5年(1628)第三代城主土岐頼行により建立。

Dsc01681 御館坂(坂の途中から坂上方向) 元城内の市民会館の南側から南西に上る。坂上は月岡神社境内。《地図

【坂標】 元禄5年(1692)、幕命により上山城(月岡城)の天守閣が取り壊された後、歴代城主の屋敷はこの坂の西側(市民会館付近)に建てられ、このあたりを御館と言っていた。

Dsc01683 坂下方向

Dsc01684 坂上方向

坂上は月岡神社境内

Dsc01688 月岡神社(元城内3)

元禄10年(1697)城主松平信通の建立。

Dsc01690_2 清光院(軽井沢1)

Dsc01679 温泉発祥の地(湯町)

正面に足湯、右に「鶴の休み石」、左に神社

Dsc01677_3「温泉発祥の地」・「鶴の休み石」由来碑

Dsc01678 鶴の休み石

長禄2年(1458)、旅僧月秀が沼地で鶴が傷を癒しているのを見て温泉が湧き出ているのを発見したという。ここはその源泉地とされる。

Dsc01691 鶴舞坂(坂下から) 湯町と鶴脛町の間を北に上る。《地図

【坂標】「肥前の僧侶月秀は長禄2年(1458)上山を訪れた時、足を痛めた鶴が沼池で傷を癒しているのを見て温泉を発見した。」

Dsc01694 坂上から

Dsc01696 寿仙寺(鶴脛町2-13)

Dsc01700 中之坂(坂上方向) 鶴舞坂の坂下から南西に上る。《地図

【坂標】「かつて上山城の西側は武家屋敷が立ちならんでおり湯町と新湯通りの中間にあるこの通りは中の町と言われてきた。」 

Dsc01701 坂下方向

Dsc01706上山藩校明新館(中之坂の武家屋敷通り)

Dsc01704 明新館説明板

Dsc01707 武家屋敷説明板

4軒の屋敷が残されている。

Dsc01711 旧曽我部家

Dsc01710旧曽我部家説明板

Dsc01714 裏側から

Dsc01722 湯出坂(坂下方向) 新湯1-1と1-3の間を北東に上る。 《地図

【坂標】「昔よりこの坂一帯は雪どけが早く温泉がでるのではと語りつがれていた。江戸時代には新之助坂と呼ばれていた。」

Dsc01725 坂上方向

Dsc01740袖摺坂(坂下近く) 新湯3と7の間を北東に上る。 《地図

【坂標】「この通りは上山で一番古い街道筋になっており昔は人の往来にくらべ道巾がせまく袖がふれ合うくらいであった。
右に曲がるあたりから沢庵坂の上りとなる。

Dsc01739_3 坂上から

今は道幅は広い。坂上で車道を渡ると天神坂が細く上っている。

Dsc01729_2 天神坂((坂下から) 袖摺坂の坂上から北東に上る。《地図

【坂標】「江戸時代までこの坂の近くに天神様(現在月岡神社に合祀)があったため「天神坂」と呼ばれるようになった。」

Dsc01735 坂上近くから

Dsc01742 沢庵坂(坂上方向) 袖摺坂の坂下あたりから南西に上る。荒町川を越え、県道を横切り、坂上に春雨庵。 《地図

寛永6年(1629)、京都大徳寺の高僧沢庵禅師は紫衣事件で三代将軍家光により上山へ流された。時の上山城主土岐頼行は禅師のためこの坂の上に庵を建て丁重にもてなした。

Dsc01748 坂上方向

県道を渡りさらに上る。

Dsc01761 坂上から

左が春雨庵

Dsc01755 春雨庵(松山2-10)

紫衣事件で上山へ流された沢庵のために藩主土岐頼行がこの庵を作り手厚く迎えた。

Dsc01762 春雨庵由緒

Dsc01759 沢庵坂の坂上からさらに上っている。手前左側に松山地蔵

Dsc01758 松山地蔵尊(上山四十八地蔵第十一番松山地蔵菩薩)

春雨庵の斜め向い側。

Dsc01768 栗川稲荷神社

Dsc01767由来

日光街道利根川沿いの葛飾郡栗橋の「栗」と「川」からつけた神社名。藩主松平家の守護神。今は商売繁盛、金運に霊験あらたかとか。

Dsc01772 安産地蔵尊

弥生橋(荒町川)近く

Dsc01779 八幡神社(二日町5)

Dsc01783 紅花地蔵尊(八幡神社境内)

Dsc01784 二日町共同浴場(八幡神社の西側)

入浴料100円

Dsc01787 月待坂(坂下から)鶴脛町1-6と新湯の月岡ホテルの間を南東に上る。《地図

【坂標】「上山城(月岡城)本丸跡は昔天神森と言われてきたがこの地から眺める名月はすばらしくこの後月岡と呼ばれるようになった。」

月は坂上あたりから眺められるのか。坂上を行くと三島坂の坂上につながる。

Dsc01789 坂下方向

正面は自然休養林がある経塚山(403m)だろう。

Dsc01800上山城(元城内3)

昭和57年に上山(月岡)城址に建設された。中は歴史・郷土資料館になっている。

Dsc01801 上山城の沿革

Dsc01806 上山城から東方向

中央下は法円寺の屋根か。

Dsc01816 市神様(市神石憧) 十日町2 《地図

Dsc01814市神石憧説明板

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2007年9月 2日 (日)

大和市の坂-6

2007年9月2日

Dsc01486_2  中央林間駅(小田急江ノ島線)・・・月見野遺跡・つきみ野野球場・・・谷戸坂・天竺坂②跡・つきみ野野球場・・・つる舞の里歴史資料館・・・旧浅間神社・下鶴間浅間社遺跡・・・宮内坂・・・阿弥陀坂・・・公所(ぐぞ)公園・鎌倉街道・道正坂・・・西の坂・・・寺の坂(上の写真)・定方寺・・・浅間神社・下鶴間甲一号遺跡・・・万蔵の坂下の坂・・・(東京環状)・・・二津屋の坂・鎌倉街道・・・(桜の散歩道)・・・城山橋・(田園都市線)・・・下鶴間城山遺跡跡・・・大六天神社・・・大上(おおかさ)公園・・・鎌倉街道?・山谷スポーツ広場・・・八王子街道・・・鎌倉街道・観音寺・・・矢倉沢往還・大黒天開運神社・・・目黒川・・・下鶴間宿・下鶴間ふるさと館(旧小倉家住宅・高札場跡)・・・矢倉沢往還の坂・・・鶴林寺・・・諏訪神社・・・伊勢社・・・(山王)日枝神社(矢倉沢往還・滝山道交差点)・・・山王原公園・・・鶴間駅(小田急江ノ島線)

  【ルート地図

 大和市の最後は下鶴間・つきみ野地区の坂道散歩。つきみ野は起伏の多いところで波のうねりのように道が続く。つきみ野遺跡から谷戸坂を下り、野球場交差点からつる舞の里歴史資料館へは上り坂となる。再び下って上り、旧浅間神社から相模原市との境の宮内坂から国道16号を歩道橋で渡り、ラブホテルの間を抜け阿弥陀坂を下る。今は国道16号で寸断されているが、昔は阿弥陀坂から宮内坂は続いていた鎌倉古道の道筋だったのだろう。

 阿弥陀坂の坂上を南方向に行き、公所公園を過ぎると木々の間を未舗装の道正坂が下っている。舗装工事でもするのか坂上も坂下も通行止めの標識が置いてあるが、長い間放置されているという感じだ。風情のある鎌倉古道の坂をうまく残してもらいたい。坂下から西の坂の上りとなり、少し行くと寺の坂が定方寺に沿って上っている。

 公所浅間神社から万蔵の坂、下の坂を通り東京環状をくぐり、二津屋の坂を上り鎌倉古道は続く。城山橋で田園都市線を越ると、北大和小学校あたりで道は暗くなる。左側が城山跡だろうか?案内板もなく分かりにくい。「新編相模国風土記稿」に「山中修理助壘(とりで)跡」と記録があるそうだ。山中修理助は小田原北条氏の家臣で天正年間(16C末)の人物らしい。この先は鎌倉古道は途切れるが山谷スポーツ広場の脇を通り、観音寺の方へ続いていたのだろう。回り道をして、大六天神社から角に小さな地蔵堂が立つ八王子街道に出る。下ると観音寺の手前に鎌倉街道の木柱が立っていて、鎌倉街道は観音寺の境内を通っていたと記す。

 観音寺前から西方向に矢倉沢往還に入る。途中、大黒天開運神社を過ぎゆるやかに下る。明治の初めの写真ではこの坂もけっこう傾斜があるように見える。このあたりが下鶴間宿だった所で、目黒川を渡ると旧小倉家住宅が復元され、大きな旧家も残っている。ここからゆるやかな長い上り坂となる。両側の旧家の家並みや鶴林寺などが坂沿いにありなかなか趣のある坂だ。坂名を下鶴間ふるさと館で尋ねてみたが知っている人はいない。まあそんなもんだろう、期待はしていなかったが。坂上には小さな地蔵の祠と道標のようなもの、渡邊崋山が泊まった旅館「まんじゅう屋」の説明板が置かれている。

 鶴林寺の前あたりまで坂を戻り、南に諏訪神社に寄る。明治から大正にかけ境内と隣接地で競馬が行われた。鳥居の近くに「鶴間競馬会」の記念の石碑が立っている。矢倉沢往還と滝山街道が交差する所にある山王社(日枝神社)から山王原公園を過ぎ、鶴間駅に出た。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01428 月見野遺跡あたり(つきみ野5丁目)

旧石器・縄文・平安時代の重複遺跡.。この坂は新しい無名の坂だろう。

Dsc01429 「月見野遺跡群」説明板

Dsc01434 谷戸坂(坂下方向) つきみ野5丁目と6丁目の間を南西に上る。つきみ野野球場の北側。《地図

公所から上野への途中の坂。谷戸川(目黒川)を通る坂。『大和市の地名』 谷戸川は今は暗渠か。

Dsc01436坂上方向

坂下左側がつきみ野野球場。

Dsc01437 月見野野球場

天竺坂③はこの近くにあった長く急な細い坂だった。『大和市の地名』

Dsc01443 つる舞の里歴史資料館(つきみ野7-3)

Dsc01445 歴史資料館から旧浅間神社への途中の坂(旧浅間神社側から) つきみ野8丁目

下って上る、相生坂、薬研坂。途中で平になるところがある段々坂。

Dsc01449 旧浅間神社・下鶴間浅間社遺跡(つきみ野8-14)

旧石器・縄文・近世の遺構。

Dsc01450 浅間神社遷宮碑

下鶴間391へ昭和50年に遷宮。

Dsc01447 「下鶴間浅間社」遺跡説明板

旧石器・縄文・近世の遺構。

Dsc01452 富士塚跡(旧浅間神社のてっぺん)

17世紀後半に作られた塚が2基あった。今は1基の塚跡だけ残るようだ。

Dsc01456 宮内坂(坂上から) つきみ野8-10と相模原市上鶴間3丁目の間を南西に下る。《地図》 真ん中に下る坂。

宮司コキクナイ(斉宮内)の屋敷があった所。『大和市の地名』 屋敷跡は近世まであったという。

Dsc01457 坂下方向

Dsc01460坂上方向

Dsc01464 阿弥陀坂(坂上から) 下鶴間173と10の間を南東に上る。《地図

Dsc01466 坂上方向

右側の空き地が阿弥陀堂跡?

Dsc01470 道正坂 下鶴間29と124の間から北東に下る。(坂上から)《地図

鎌倉街道で道中坂、道庵坂、道照坂とも呼ばれる。これらを別坂という説もあるが詳しいことは不明。『大和市の地名』 相模原市にも道正坂がある。この坂から1km足らず北西の町田市との境近くで、道正山と呼ばれた所から上鶴間高校の方へ下る坂。かつて道正院があったという。 相模原市の坂-9

Dsc01474 坂下近く

坂下にも通行止めの看板と土留めが置いてある。

Dsc01479 西の坂(坂上方向) 道正坂の坂下から東方向に上る。《地図

道正坂から公所高木へ通ずる坂。ニシンザカと呼ぶ人もいた。『大和市の地名』 何に対して西なのか。公所高木から西ということか?

Dsc01483 寺の坂 下鶴間145の定方寺の東側を南西に上る。《地図

Dsc01493 定方寺

Dsc01488 瘡守稲荷堂(定方寺境内)

Dsc01498 浅間神社(下鶴間391)

公所(ぐぞ)の鎮守。「公所」の由来は公文所があったことからとか、鎌倉街道を源頼朝が通った時休んだので、公(おおやけ)の所ということからなど伝える。『大和市の地名』

Dsc01499 由緒

Dsc01494「下鶴間甲一号」遺跡説明板

浅間神社近辺。古墳時代後期の集落跡

Dsc01501 万蔵の坂(左)・下の坂②(右)

下の坂②の坂上角に小さな「地神塔」がある。

Dsc01502 万蔵の坂(坂上から)下鶴間337を東に下る。《地図

万蔵さんの家があったのだろう。

Dsc01505坂下から

Dsc01506 下の坂②(坂上から) 万蔵の坂の坂上近くから南東方向に下る《地図

上の坂は万蔵の坂のことか?

Dsc01508 坂上方向

Dsc01512 二津屋の坂(坂下から) 下鶴間の特養ロゼホームの東側を南西に上る。《地図

公所の六集落の二津屋にある坂。二津屋については、①家が2軒あった。②二津屋という屋号の家があった。③大昔は海で二つ船着場があった。という説がある。『大和市の地名』

Dsc01517 坂上から

Dsc01523 さくらの散歩道《地図

散歩道の下には導水館が通る。上は鎌倉街道。

Dsc01525 城山橋から田園都市線

Dsc01528 城山遺跡あたりの鎌倉街道

右は北大和小学校

Dsc01531 城山遺跡だろうか?案内板も説明板もなく立ち入り(不法投棄禁止だったかも)禁止のテープで囲われている。

Dsc01532 大六天神社《地図

Dsc01541 鎌倉街道?

山谷スポーツの広場の方へ下る道。《地図

Dsc01542 地蔵堂

鎌倉街道が八王子街道とぶつかる所。

Dsc01544 地蔵堂の前から観音寺の方へ下る八王子街道。

Dsc01545 鎌倉街道の道標

観音寺境内を通っていたという。観音寺で設置したものか。

Dsc01555_2  観音寺(下鶴間2240)

Dsc01551 観音寺縁起

Dsc01560_3新田義貞像(大黒天開運神社境内)

Dsc01559 由来書

Dsc01565 大黒天開運神社前の矢倉沢往還

Dsc01571 下鶴間宿(明治4年)

鶴林寺の方から観音寺の方向を撮っている。右下の土蔵とその後ろが小倉家。

Dsc01578 写真の説明板

Dsc01569 旧小倉家住宅(復元)(下鶴間2359)と高札場(下鶴間ふるさと館

Dsc01576 「小倉家住宅」説明板

Dsc01568 「高札場」説明板

Dsc01580 小倉家土蔵

向い側にも旧家(長谷川家)の蔵が見える。

Dsc01584 旧小倉家前の矢倉沢往還の坂

左側が小倉家住宅。ふるさと館の人に聞いても坂名は分からず。

Dsc01586 坂上方向

右が鶴林寺・下鶴間不動尊

Dsc01602 坂の途中

左側に旧家、右側に下鶴間宿の説明板。

Dsc01590 「下鶴間」宿説明板(坂の途中)

Dsc01591

Dsc01609 坂上

道標?・地蔵の小祠・説明板がある。

Dsc01606_2 道標?

Dsc01605 渡邊崋山が泊まった旅館「まんじゅう屋」の説明板

Dsc01596 鶴林寺(下鶴間1938)

Dsc01600 下鶴間不動尊への石段

Dsc01597 下鶴間不動尊(鶴林寺の境内)

Dsc01617 諏訪神社(下鶴間2540)

公所を除いた下鶴間の鎮守。

Dsc01618 境内の大木

Dsc01620 鶴間競馬会記念碑(大正13年建立)

諏訪神社では境内とその隣接地を借用して一周600mの競馬場を整備し、明治の末ごろから関東大震災(大正12年)まで農耕馬による草競馬が行われた。『市史の散歩道』 立派な優勝旗もあったそうだ。

Dsc01623( 山王)日枝神社(下鶴間2985)

Dsc01625_2 神社前の石柱

矢倉沢往還(大山街道)と滝山街道が交差する所。

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