金沢市(石川県)の坂-1
2007年10月3日
金沢駅・・・六枚交差点・・・鞍月用水・・・高厳禅寺・・・真福院・・・玉川公園・・・大谷廟所・・・甚右衛門坂・・・尾崎神社・・・黒門・・・金沢城公園・・・いもり坂・・・尾山神社・・・いもり堀跡・・・石川橋(石川門)・下坂・・・紺屋坂・・・上坂・・・兼六坂(尻垂坂)・・・兼六園(随身坂・長谷坂・真弓坂・松濤坂・不老坂・桂坂)・・・石浦神社・・・広坂・・・金城霊沢(きんじょうれいたく)・金沢神社・・・県立歴史博物館・・・広坂・・・金沢市役所・・・香林坊坂・香林坊橋跡・・・香林坊109横の坂・鞍月用水・・・大野庄用水・・・老舗記念館・・・長町武家屋敷・・・鞍月用水・・・六枚交差点・・・金沢駅
【地図】
金沢駅から南東に金沢城公園、兼六園、小立野台地が続き、北東側を浅野川、南西を犀川が流れる金沢市街の坂を数回に分けて歩く予定で、今日は金沢城公園、兼六園内と兼六園沿いの坂道散歩です。
金沢駅東口から南へ六枚交差点を越え、すぐに鞍月用水沿いの道に入る。鞍月用水は水量豊かで、音を立てて澄んだ水が勢いよく流れている。中央小学校の所で用水と別れ金沢城公園へ。甚右衛門坂は坂上近くの一画が工事中で歩行禁止。大回りして黒門から入り坂上からなんとか写真を撮る。いもり坂を下っていもり(宮守)堀園地、兼六園の真弓坂口から桂坂口へ。石川門の石川橋の所からお堀通りへ下る坂を『金沢九十九坂』では下坂と呼んでいるが、兼六園随身口の係員の女性は下坂の名は聞いたことがないという。通称されている坂名ではないようだ。
紺屋坂を往復し、兼六園に沿って上坂を上り下りすると兼六坂の坂上近くに出る。兼六坂にはいくつもの坂名の変遷があるが、今の坂名が一番つまらない。兼六園は歩きたくないが坂名のついている坂が6つもあるので入らないわけにはいかない。上坂口から園内へ。平日でもかなりの人で外国人も多い。徽軫(ことじ)灯篭の前の虹橋の所では写真を撮る人が待っている。
桂坂口から出て、真弓坂口前の石浦神社から広坂を上る。広くて美しい坂だ。車の往来もさほででない。途中、きれいにカーブして本多の森へと上っていく。坂上近くの金城霊沢は「金沢」の地名の起こりの地という。広坂を下り、百万石通りを、繁華街の香林坊へ。香林坊交差点の北国街道が香林坊坂で犀川大橋へと下っている。香林坊109脇の鞍月用水沿いから大野庄用水沿いに出て、長町の武家屋敷跡などを通り、再び鞍月用水に出て六枚交差点から金沢駅へ向った。
*参考:『金沢九十九坂』
*兼六園内の坂は最後にまとめて掲載。
写真をクリックすると拡大します。
犀川の上菊橋上流右岸から取水し、市内繁華街を流れる用水。
甚右衛門坂 お堀通りの大谷廟所前あたりから南東に金沢城公園に上る。 《地図》
【坂標】の説明文:「天正八年佐久間盛政の攻撃を受けたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。」
工事中で通行止め。警備員と押し問答するが通れず。
尾崎神社(丸の内5-5)
いもり坂(坂下方向) お堀通りのいもり堀園地の北側から北東に金沢城公園に上る。
いもり(宮守)堀跡から上る明治以降に開かれた坂。
いもり坂の坂下。
和洋混合のユニークな三層の門。国の重要文化財。
前田利家を祀る。明治6年卯辰山山麓から金谷御殿の跡地に新社殿を建築した。
桃山風御殿様式の唐門。
下坂(右) 金沢城石川門の石川橋から南西にお堀通りに下る。坂上は紺屋坂の坂上。《地図》
上坂に対しての坂名だが、通称されてはいないようだ。
紺屋坂 石川橋から北東に兼六園下交差点に下る。《地図》
【坂標】の説明文:「加賀藩初期に藩の御用染商、舘紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名がついた。」
上坂(紺屋坂上から) 兼六園上坂口前を上り下りして石川橋(紺屋坂と下坂の坂上)に至る坂。《地図》
坂名の由来が分からず。
兼六坂(坂下方向・上坂から撮影) 兼六園下交差点から南から南東、南西に上る百万石通り。《地図》
①「修理谷坂」(小幡修理の屋敷があった。)→②「汁谷坂」(いつも坂から水が滲み出ていた。)→③「汁垂坂」→④「尻垂(しりたれ)坂」(長い坂で大八車を押し上げる人足の尻が垂れているように見えた。) こんな風に坂名の変遷があったのか。「尻谷坂」とも呼ばれた。坂上近くから下る坂に「小尻谷坂」がある。
『サカロジ- 金沢の坂』には、「尻垂れている」は貧乏しているとか、ダウンしているという意味で、そんな名前はふさわしくないというので、昭和33年に住民の合意もあって兼六坂と改名された。」とある。
石浦郷7カ村の郷社。天平時代の創立という。
広坂(坂上方向) 広坂交差点(お堀通・本多通)から東から南東に兼六園に沿って上る。
【坂標】の説明文:「坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。」
「作事坂」は兼六園の所にあった土木工事を司る奉行所に通じていたから。「安房殿坂」は本多安房守の屋敷が坂上あったから。 『サカロジー 金沢の坂』 坂上は藩老本多蔵品館、県立歴史博物館などがある「本多の森」
「金洗沢」ともいわれる。「金沢」の地名の起こりという。
金沢の地名伝説『芋掘り藤五郎』
県立歴史博物館(出羽町3-1)
陸軍の兵器庫から戦後は金沢美大の校舎だった。
香林坊坂(坂下方向) 香林坊交差点から片町交差点の方へ下る北国街道(国道157号)。《地図》
香林坊は僧の名。比叡山の僧だったが、還俗して金沢の向田家に婿入りした。目薬を調合する秘法を知っていて前田利家に献上した。香林坊が営む薬種屋のある町を香林坊とよんだ。『サカロジー 金沢の坂』
欄干の石柱か
香林坊109横の坂《地図》
歩道の右側に鞍月用水の水が流れる。
上の写真のすぐ手前
老舗記念館(長町2-2)
手前は大野庄用水。
犀川の桜橋上流で取水し、市街を抜けて北陸線以西の水田を灌漑している。金沢で最も古く、金沢城の築城に大きな役割を果たした。
随身坂(坂下方向)
左は成巽閣。
幕末まではここに物見所があった。
松籟(しょうらい・松に吹く風の音)を濤(大きな波)にたとえて坂の名がつけられたとされる。
藤の旺盛な成長ぶりにあやかって名づけられたとされる。
写真撮影の定番スポット
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