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2007年10月13日 (土)

和光市(埼玉県)の坂-3

2007年10月13日

和光市駅(東上線)・・・(東京外環自動車道)・・・谷中川・・・(笹目通り)・・・城山坂・・・市城通り・市場峡公園・・・稲荷坂・豊川稲荷神社・・・吹上通り・吹上観音(東明寺)・・・妙典寺・妙典寺坂(動坂)・・・下新倉氷川八幡神社・・・弥太郎坂(やたら坂)・・・金泉禅寺・・・壱鑑寺・・・弥太郎坂・・・氷川通り・・・長坂・・・牛王(ごぼう)山(新羅郡郡衙跡?)・・・大正通り・・・下井戸稲荷神社・とうか坂・・・半三池通り・・・(東京外環道)・・・天神坂・・・宮坂・・・新倉氷川八幡神社・天神宮・・・地蔵橋(谷中川)・地蔵坂あたり・・・さがしら坂・・・柿の木坂湧水公園・(東京外環道)・柿の木坂・柿ノ木坂児童公園・・・和光市駅

 城山坂は白子川近くから笹目通りの方へ上る坂だが、城山地域に城や舘跡の形跡は発見されていないという。市城通りから稲荷坂を上り、吹上観音通りに出て両脇にいい坂が下っている吹上観音へ。 
 白子、新倉は名の通り、新羅からの渡来者により開かれたところ。新倉3丁目の高台の午王山に新羅郡の郡衙(律令制下、郡を治める役所)があったとする説もある。とうか坂は、『和光市史 民俗編』では「稲荷(とうか)坂」といい、道路標識は「とう火坂」となっている。どっちが正しいのか? 天神坂沿いに今は天神社はなく、氷川八幡神社の境内に天神宮の小社が祀られている。

 外環自動車道の通っている所は起伏が波のように続いている。自動車道によりこのあたりの道筋も大きく変えられたのだろう。
 越戸川に合流する手前の谷中川に地蔵橋跡はあるがあちこち探しても地蔵は見当たらず、地蔵坂通路というのも自動車道の下に作られているが地蔵坂がどれなのか(どれだったのか)はっきりしない。地蔵坂の名は『和光市史 民俗編』には記載されていない。さがしら坂のことをいうのだろうか? 

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02854 城山坂(坂上近く) 白子3-6と3-33の間を北西に上る。笹目通りをくぐり右にカーブしてさらに上る。  《地図

白子の市城の城山から白子川の谷へ下りる坂。『和光市史 民俗編』 近くに旧石器から中世にかけての集落跡の城山南遺跡があるが、城跡、舘跡は見つかっていないようだ。なぜこのあたりを城山というのか?

Dsc02855坂下方向

正面の橋は笹目通り。

Dsc02869稲荷坂 市城通りから豊川稲荷神社へ上る坂。  《地図

引又道(志木街道)の道筋。引又とは現在の志木のことで、新河岸川の重要な河岸で定期市も開かれていた。白子から引又を目指す道は各ムラを起点にして何本もあった。『和光市史 民俗編』

Dsc02872 豊川稲荷神社(白子3-27)

Dsc02871 坂上から

Dsc02881 吹上観音(左)沿いの坂

Dsc02890 仁王門

Dsc02892 吹上観音(白子3-14)

Dsc02900 妙典寺(下新倉4-13)

日蓮が佐渡へ行く途中で、領主の妻のお産を助けたという伝説があり、「子安の池」が本堂裏にある。

Dsc02899 妙典寺縁起

Dsc02903 妙典寺坂(動坂) 妙典寺(右)に沿って南西に上る。《地図

動坂が本来の坂名のようで、『和光市史 民俗編』には、「これは現在ではあまり聞かれないが、『新編武蔵風土記稿』が「動坂 是モ吹上近辺ナリ、不動ノ辺ニアル故ニ名トセリ」と紹介している。その場所は下新倉の妙典寺の前から東本村の三叉路へ行く坂のようである。」とある。しかし、不動堂(尊)が近くに見当たらない。動坂の位置は違うかも知れない。坂上を行くと下新倉氷川八幡神社。

Dsc02905 坂下方向

左が妙典寺の墓地、坂上を行くと下新倉氷川八幡神社。

Dsc02908 下新倉氷川八幡神社(下新倉3-13)

Dsc02921弥太郎坂 下新倉4-18の酒井浄水場に沿って北東に下る。《地図

「やたら坂 字をあてれば弥太郎坂で、下新倉の三協から西本村へ下りる坂である。『新編武蔵風土記稿』に「弥太郎坂 吹上の辺ニアリ、其名ノ起ルユエンヲ知ラズ」と記す。」 『和光市史 民俗編』 坂の近くに弥太郎さんの家があったものだと思っていたがそうとは限らないようだ。

右側に庚申塔の小祠

Dsc02938 坂上から

左側が酒井浄水場

Dsc02925 金泉禅寺(新倉3-10)

「雨乞い竜伝説」がある。

Dsc02926 庚申塔(境内)

踏みつけられている邪鬼のメタボラ腹がおかしい。

Dsc02942 長坂(坂上から) 新倉2丁目と3丁目の間を南西に上る。《地図

新倉の「長坂」を通る坂。文字通りの長い坂で、下りきったところが「坂下」。

Dsc02947

坂上方向

Dsc02951 午王(ごぼう)山説明板

新羅郡の郡衙がここにあったという説もある。

Dsc02952 午王山(坂上方向) 新倉3-11あたり 《地図

Dsc02954狭間稲荷神社(坂の途中)

Dsc03052 下井戸稲荷神社

Dsc03048とう火坂道標 新倉2-30と2-23の間を北西に上る。坂下に下井戸稲荷神社。《地図

半三池から坂下の下井戸に出る道で、下井戸稲荷近くの坂。この稲荷は「とうかざか稲荷」と呼ばれている。トウカは稲荷であるから、稲荷坂稲荷ということになろう。『和光市史 民俗編』 確かに「とうか」は稲荷でも有り得るが。中央区日本橋にも「稲荷堀(とうかんぼり)」跡が「とうかん堀通り」として残る。すると道標の「とう火」は何なのか?市史の説明はあまり説得力がないような気がする。「とう火坂稲荷」ではなかろうか? では「とう火」とは何だ。分からん。

Dsc03058 坂下方向

Dsc02964 半三池通りの坂上あたり(とう火坂の坂上を進んだ所) 《地図

玉石垣が続く綺麗なところ。左からの道がとう火坂へ。

Dsc02969 天神坂道標(旧家の前)

Dsc02973 天神坂(坂下方向) 新倉5-19と氷川八幡神社の間を北西から北東方向に下る。坂下近くは石段坂。《地図

かつて坂の所に天神が祀られていたという。『和光市史 民俗編』 今は、新倉氷川八幡神社境内に小さな天神宮が祀られている。

Dsc02978 坂下近くから

Dsc02988 宮坂(坂上方向) 新倉5-18の新倉氷川八幡神社の西側に沿って北西に下る。 《地図

新倉氷川八幡神社による坂名。

Dsc02994 坂上近くから

Dsc02996 新倉氷川八幡神社

Dsc02997 天神宮(氷川八幡神社境内右奥の小社)

天神坂の由来の天神をここに移したのだろう。

Dsc02993氷川八幡神社由来書

Dsc03010 地蔵坂通路 《地図》(地蔵坂通路・地蔵橋あたり)

東京外環自動車道の下を通る。地蔵坂はどの坂か? 近くの坂をすべて歩くがどこにも地蔵さんは見当たらず。

Dsc03074さがしら坂 新倉1-29と1-23の間を南西に上る。《地図

柿の木坂の西側で、越戸川の谷へ下る坂。「さがしら」とは沢頭のことだろう。『和光市史 民俗編』

右の児童遊園地の右側に越戸川が流れ、坂下の地蔵橋そばで谷中川と合流する。

Dsc03077 坂下方向

坂下を右に曲がると地蔵橋、その先に地蔵坂通路がある。

Dsc03037 柿の木坂湧水公園

柿の木坂の坂上の東京外環自動車道沿い

Dsc03041 柿の木坂(坂上から) 新倉1丁目の柿ノ木坂児童公園の南側から南西に東京外環道路の方へ上る大正通り。《地図

新倉の原新田の北側から谷中川の谷へ下る坂。古くは坂の所に柿の木があったために付けられたのであろうか。『和光市史 民俗編』 東京外環自動車道が出来る前は、柿の木坂湧水公園のあたりから谷中川へ直線的に下っていた坂だったのだろうか? 坂上近くに地蔵堂がある。地蔵橋、地蔵坂の由来の地蔵堂がここに移されたのか? それとも昔からここにあるのだろうか? 

Dsc03042 坂下方向

Dsc03046 坂上方向

柿の木坂児童公園あたりから

Dsc03045 坂下から谷中川

今の柿の木坂は川のかなり上を通っている。左側が柿ノ木坂児童公園。正面の外環自動車道の下が地蔵橋。

Dsc03102 地蔵堂

柿の木坂の坂上近く。地蔵橋、地蔵坂にあった地蔵堂なのか? 左側に「地蔵堂改修供養塔」が立っている。いつ立てたものか確認するのを忘れた。

Dsc03097 堂内の地蔵さん?

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