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2007年10月31日 (水)

金沢市の坂-3

2007年10月31日

Dsc03547 金沢駅・・・金沢表参道通り・金沢東別院・・・金沢西別院・・・塩屋町坂・・・昌永橋(浅野川)・・・四ツ割坂・・・漏尿(ろうばり)坂・・・小橋(浅野川)・鏡花の道・・・浅野川大橋・・・爪先上りの小路・泉鏡花記念館・・・久保市乙剣宮・・・暗がり・主計町(かずえまち)茶屋街・路地坂・・・金沢文芸舘・枯木橋・枯木橋坂・・・寺島蔵人邸・・・兼六坂・・・小尻谷坂・・・東内惣構堀・・・賢坂・・・旧八坂・・・松山寺・八坂・・・小立野通り・・・新坂新坂横の坂(旧新坂)・・唯念寺・・・中坂・・・嫁坂・・・石引町バス停→金沢駅

 大まかに言うと、枯木橋坂までは浅野川左岸近くの坂で、兼六坂、小尻谷坂、八坂は小立野台地方向へ上る坂、新坂、嫁坂、中坂は小立野台地から犀川方向へ下る坂。塩屋町坂、四ツ割坂、漏尿坂は傾斜もほとんどなく今は坂とは呼べないだろうし、坂の場所もはっきりしたものではない。

 浅野川と卯辰山の眺めがいい鏡花の道を行くと主計町の茶屋街に出る。泉鏡花記念館前の「照葉狂言」に出てくる「爪先上りの小路」を上り、鏡花の子どもの頃の遊び場だったという久保市乙剣宮境内の裏から暗がり坂を下る。料亭街の路地の細い石段で木漏れ日がまぶしく、暗がりの雰囲気はない。今度は夜に歩いてみたい坂だ。すぐ隣りにももっと細い路地があり料亭の間を石段が上っている。昔は東京にもこんな感じの路地がいくつもあってよく遊んだ。今は懐かしい匂いのする秘密の抜け道といった感じだ。この坂を『サカロジー 金沢の坂』は「路地坂」と呼ぶ。

 橋場町交差点の金沢文芸舘の裏に枯木橋があるが、古い欄干だけが残っているだけでこの下を惣構堀が今でも細く流れているのは気づきにくい。枯木橋坂を上り、寺島蔵人邸から兼六坂下に出て兼六坂を上る。坂の半ばあたりから左に下りる石段坂がある。上の写真が石段上から建物の間を通してみる風景だがヨーロッパの田舎の感じがするようで気に入った。(といっても行ったことはないが) この石段を下ると小尻谷坂の途中に出る。小尻谷とは兼六坂のもとの名の尻谷坂によるもの。この坂も曲がりながらも石段坂よりもう少し坂上の兼六坂の途中に出る。

 小尻谷坂の坂下の東内惣構堀から賢坂を下り、賢坂辻から入って旧八坂を上り、八坂下の松山寺に出る。八坂は直線的なきれいな急坂で兼六坂まで上っている。兼六坂を上り、小立野通りの石引3丁目の交差点から右に入ると新坂の下りとなる。真っ直ぐ下って右に曲がる所から細い石段坂が左方向に下っている。この坂は坂下の唯念寺の所で再び新坂に出る。新坂の途中から真っ直ぐな石段坂の中坂が新坂を挟んで上下し、新坂の坂下近くの唯念寺の前からはきれいな石段坂の嫁坂が曲がりながら上っている。
 嫁坂には幸、不幸の由来話があるが坂標の説明文はもちろん幸の話だけ。このあたりは小立野台地から犀川方向に下る有名、無名の坂が密集していて以前は欠原町の町名もあった金沢の坂銀座といった感じだ。

 兼六坂は「金沢市の坂①」(2007年10月3日)に記載。

 ルート地図

 *参考:『金沢九十九坂

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03455 塩屋町坂(坂下から) 瓢箪町7-7と7-8の間を北に下る。《地図

『金沢九十九坂』によれば、塩屋町の頭より岩根町に下る坂で、それに当てはまるのがこの坂という。傾斜はほとんどなく今は坂とは呼べないかも。

Dsc03458 坂上から

「旧塩屋町」町標(瓢箪町7の四ツ割坂の辻の所)

説明文 「藩政の初め、金沢城北側の大手門付近に塩問屋があつまっていたので、この名がついた。寛永のころ、この地に移った。」

Dsc03464 四ツ割坂(①写真の左方向の昌永橋へ下る坂。②正面へ下る細い坂。③右方向へ下る坂。) 『金沢九十九坂』の《地図

塩屋町の北東角より岩根町に下る坂という。岩根町は小橋から中島大橋へ至る浅野川沿いの道筋で、現在の彦三1丁目、瓢箪町、笠市町。①②③のどれかの坂なのか? 『金沢九十九坂』は3つの坂が町を4つに割っているので、3つの坂が一緒になって四ツ割坂と呼ぶのではと考察している。①②③とも傾斜はほとんどないが。

Dsc03465①昌永橋(前方正面)からの坂。

この坂は漏尿坂へと続いているが。

Dsc03466 ①の隣りの坂

Dsc03467 ②の隣りの坂

Dsc03470 漏尿(ろうばり)坂(坂上方向) 四ツ割坂①のから南方向に続く坂。

藩政初期、浅野川に堀川揚場という船着き場があり、近くに「堀川新地」と呼ばれる遊郭があった。遊郭で遊んだ男たちが、帰路、立小便をした坂。『サカロジー 金沢の坂』 今の坂は広く明るい。ここで立小便をするのはへべれけに酔っているか、夜でも度胸?勇気?がいる。 『居眠り磐音江戸双紙』(佐伯泰英)の「雪華ノ里」では、「漏尿」を「いばり」と読んでいる。

Dsc03473 坂上から

Dsc03475 小橋近くから浅野川と鏡花の道

Dsc03482 泉鏡花の文学碑 「化鳥」(けちょう)

Dsc03479 鏡花の道から浅野川大橋、卯辰山。

Dsc03484_2 主計町(かずえまち)茶屋街

鏡花の道沿い。右は浅野川。主計町は加賀藩士、富田主計の屋敷があった場所で、平成11年10月、29年ぶりに復活した町名。旧町名復活は全国で初めてとか。

Dsc03521 爪先上がりの小路 《地図

「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上りの小路なり。」泉鏡花の小説『照葉狂言』の一文。

Dsc03514 坂上の泉鏡花記念館前から (尾張町2-12)

Dsc03485 久保市乙剣宮(尾張町2-16)

白山七社の一つで、「くぼいちさん」の愛称で親しまれている。泉鏡花の生家も近く、よくここで遊んだという。

Dsc03486暗がり坂 久保市乙剣宮境内から主計町茶屋街へ下る石段坂。《地図》(路地坂・枯木橋坂も掲載)

【坂標】の説明文 「久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。暗闇坂とも言う。」 

お茶屋町がはなやかなころ、尾張町界隈の旦那衆がこの坂を抜けて主計町やひがし茶屋街に通った。『サカロジー 金沢の坂』

坂上の久保市乙剣宮の境内から暗がり坂の下り口(坂上)へ。

Dsc03488 坂下方向

Dsc03494 坂上方向

暗いどころか眩しい。

Dsc03501 坂下の主計町茶屋街から

Dsc03512 路地坂(坂下から)

Dsc03503 坂上方向

Dsc03506 坂下の路地を石段上から。

Dsc03511 坂上の下り口から

Dsc03522 枯木橋説明板

3つの由来が書かれている。さらに、『サカロジー 金沢の坂』には、「山口記によると、枯木橋が架けられたのは慶長4年、関が原の合戦の前年である。」とある。いずれにせよ400年も前のこと。

Dsc03523 枯木橋

下に東内惣構堀が流れる。左が枯木橋坂。

Dsc03531 東内惣構堀だが、流れはわずか。

Dsc03530枯木橋坂(坂下から) 尾張町1丁目の橋場交差点から西に上る100万石通り。

左は金沢文芸舘。

Dsc03532 坂上から

Dsc03535森忠商店(尾張町2-11)

天保14年(1843)からの塗料店。

Dsc03540 寺島蔵人邸(大手町10-3)

Dsc03546 兼六坂の途中から小尻谷坂の途中に下る石段坂。《地図

Dsc03565 石段下から

Dsc03568小尻谷坂 東兼六町1と2の間を兼六坂(百万石通り)から曲がりながら北西から北東に下る。《地図

【坂標】の説明文 「藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。」

*尻谷坂は兼六坂のもとの名

正面の石段下から左に曲がってのぼるのが小尻谷坂。

Dsc03570 坂下の小将町地蔵橋地蔵尊

Dsc03564 坂上方向

Dsc03561 坂下方向

Dsc03551 坂上近く

正面は兼六坂

Dsc03575 賢坂(坂上から) 兼六元町と小将町の間を南東に賢坂辻に下る。《地図》(八坂・旧八坂も掲載)

丘陵の先端地であることから昔は剣先が辻と呼んだが、明治4年、賢坂辻と改めた。久保市乙剣宮と椿原神社の氏子の地境。

Dsc03578 坂下の賢坂辻から

Dsc03581 旧八坂(坂下から)

旧八坂町(現東兼六町の一部)から旧材木町2丁目(現在の扇町)に降りる坂。『金沢九十九坂』 途中で東外惣構堀の賢坂橋を渡る。

Dsc03582 地蔵堂?(坂の途中)

Dsc03583 坂上から

Dsc03585 坂上を左に曲がると八坂の坂下に出る。

正面右が松山寺。

Dsc03587八坂 東兼六町2と松山寺の間を南西に兼六坂へ上る。

【坂標】の説明文 「昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺さか、伊予殿坂とも呼ばれた。」 また、『サカロジー 金沢の坂』には、八坂と憧寺坂は別の坂で、法憧寺坂は、国立金沢病院の西端にあた法憧寺の門前坂で、当時の八坂は東兼六町にある永福寺の辺りから、材木町に下りる崖地ということになる。」とある。このあたりは坂が多く八坂町と名づけられ、この坂もその内の一つの坂だろう。

左に松山寺

Dsc03589 松山寺

Dsc03588説明板

Dsc03593 坂上方向

Dsc03596 坂下方向

正面は卯辰山。

Dsc03602 坂上から

Dsc03604新坂 石引町3丁目交差点から南西に入り曲がって西方向に下る。《地図》(中坂・嫁坂・新坂横の坂も掲載)

【坂標】の説明文 「加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂とも呼ばれた。」

新坂は真ん中の下り坂。

Dsc03608 坂上方向

ここから写真の左方向へ下る。

Dsc03616 坂下近く

左側は唯念寺で、その向い側から嫁坂が上る。

Dsc03617説明板

Dsc03609 新坂横の坂(旧新坂)

『金沢九十九坂』によれば、「もともとの新坂はこの坂で、明治になって改修され、新坂が崖を斜めに下るようになり、元の坂が残ったものかもしれない。」 とある。とすればこの坂は旧新坂ということになる。

Dsc03611 坂下方向

坂下の唯念寺で新坂に出る。

Dsc03613 中坂(新坂途中から上る石段の坂)

中坂は普通は左右の坂の間に新しく開かれた坂のことをいうが、藩政時代からある坂らしく、新坂、嫁坂とどちらが先に作られたのか分からない。むしろ新坂の真ん中にある坂で中坂と呼ばれるようになったのかも。

Dsc03620_2 石段上から

坂上を写真の右方向に行くと嫁坂の坂上に出る。

Dsc03614中坂(新坂途中から下る石段。)

坂下は新坂横の坂

Dsc03619 坂下から

Dsc03623嫁坂 新坂の坂下近くから曲がりながら北方向に上る。

【坂標】の説明文 「加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。」 また、『金沢古蹟志』には、「邪険な姑が嫁を谷へ落として殺したから」という。今でも石段の急坂をその昔、花嫁衣裳を着て下る(花嫁は現石引町に屋敷があり、主馬は坂下の本多町に住んでいた。)というのはどんなものか。とはいえ嫁が殺された坂に嫁坂と名づけるだろうか。両説ともいまいちの感じだ。

Dsc03631 坂上方向

Dsc03635坂下方向

Dsc03644 坂下から

坂下は新坂の途中。

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コメント

(=゚ω゚)ノいよう!
yahoo!!
http://www.yahoo.co.jp/

投稿: (=゚ω゚)ノいよう! | 2007年11月 5日 (月) 18:49

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