朝霞市の坂-4
2007年10月22日
朝霞駅(東上線)・・・根岸の馬頭観音・・・台雲寺・・・板石塔婆・・・郷戸遺跡?・・・台坂・・・ゴンボウジ坂・金剛寺・・・カツ坂・・・サカの坂・・・朝霞蕨線・・・根岸御嶽神社・仏坂・・・柊塚(ひいらぎ)塚古墳歴史広場・柊坂・・・一夜塚古墳跡(朝霞第二小学校)・・・岡氷川神社・・・城山公園・尾崎坂・・・城山通り・・・花の木橋(黒目川)・・・朝霞蕨線・・・美女神社・・・念法寺・・・ハケの坂(上の写真)・・・ハケの山古墳跡?・・・ハケのお大尽屋敷・・・地蔵堂・・・岡橋(黒目川)・・・中央通り(和光志木線)・・・朝霞市博物館・・・東円寺・不動坂・不動堂・・・中道跨線橋(東上線)・斜めの坂・・・溝沼氷川神社・・・二本松通り・綿屋の坂・光善寺・・・新高橋(黒目川)・・・弁財の坂・・・朝霞台駅(東上線)
今日の坂道散歩はいろんな時代の遺跡が多く残る地域を行く。
台の城山があったという台坂を下るとゴンボウジ坂の上りとなる。コンゴウジ(金剛寺)が訛った坂名ではなく、ここも古代の遺跡に由来する坂名だ。
仏坂の根岸御嶽神社の位置がはっきりせず、ちょうど金剛寺で境内を掃除していた老刀自に尋ね、しばらくこの近辺の昔の有様などを伺う。カツ坂は坂沿いの雰囲気がちょっと変わっている感じだ。坂上に戻り、金剛寺前を通り名前の由来が不明のサカの坂を下って根岸御嶽神社へ。今は寂れた感じの参道が仏坂で、曲がりながら神社へと続く。
柊塚古墳は前方部が削られているが、歴史広場としてきれいに整備、保存されている。それにひきかえ柊坂を上った朝霞第二小学校にあった一夜塚古墳は哀れだ。戦時中に小学校の増築のため一夜のうちに?破壊された。今は校庭の隅に石碑が残るだけ。戦後、後ろめたい気持ちからか東円寺境内に一夜塚供養塔が立てられたが。
岡の城山から下の耕地へ下っていたという尾崎坂は今は城山公園内の道筋ははっきりしない。城山通りを進み、黒目川を花の木橋で越え、朝霞蕨線(東通)を北に、新河岸川手前の意外に小さな美女神社へ寄る。
浜崎通りに入り、内間木農協前からハケの坂を上る。坂上のハケの山古墳も消滅寸前のようだ。このあたり一帯の地主だった「ハケのお大尽」の家の前から地蔵堂を経て、岡橋を渡り朝霞市博物館から東円寺に出る。仁王門脇から不動堂へ下る。この坂が今は不動坂だろう。東円寺前の古道は不動堂まで下ってはいるが境内には入れない。
東円寺前の古道を南方向に行くと中道跨線橋で東上線を越え、牟礼道の斜めの坂の下りとなる。下って溝沼の氷川神社から二本松通りに入ると綿屋の坂の上りだ。途中に坂名の名残りの「わたや駐車場」があり、道路を挟んでだいぶ風化した庚申塔が一基、車の往来の前にポツンと場違いな様子で立っている。坂上の城山通りとの交差点まで行き、光善寺に寄って綿屋の坂を下り、新高橋(黒目川)を渡ると弁財の坂が緩やかに上り始める。坂下近くに小祠があるがこれが弁財天の社なのか? 坂上から朝霞台の駅は近い。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
根岸の馬頭観音 根岸台5-10の辻 《地図》
江戸時代前半の建立。広沢から白子(和光市)方面・引又河岸(志木市)方面・内間木方面・膝折方面・片山方面(新座市)へ向う道の分岐点に立つ。『朝霞市歴史の道』
台雲寺(根岸台4-1)
鉄造阿弥陀如来立像が安置されている。
不動曼荼羅と五輪塔を刻む正安3年(1301)銘の板碑。敷地内で入れず塀の上から撮影。
台坂 根岸台4-12と8-12の間を曲がりながら南東に上る。《地図》
別名を大(だい)坂。台村より根岸村へ下る坂。
ゴンボウジ坂 根岸台3-5と4-13の間を北西に上る。 《地図》
左に入ると金剛寺。
金剛寺(根岸台3-4)
宝暦13年(1763)の建立。
カツ坂(坂上から) 根岸台3-5と3-7の間を南西に上る。 《地図》
別名をカチ坂、金剛寺の坂。昔、細沼某という人がこの急坂を大声をあげて修業にはげんだという坂である。『朝霞市史 民俗編』 大声で経でも唱えてたのだろうか?
サカの坂(坂上近く、金剛寺の方へ上る方向。) 根岸台3-2と3-10の間を南東に上る。朝霞蕨線の根岸坂下住宅バス停から金剛寺の方へ上る坂。《地図》
坂名の由来不明
仏坂(坂下から) 根岸台3-14の根岸御嶽神社の参道の坂 《地図》(地図には御嶽神社の記載はないが、根岸郵便局の南隣。)
神社なのに仏とは?
曲がりながら上って行く。参道脇に神社付近から見つかった板碑がたくさん並んでいる。
途中に小さな社がある。
背後が作られた小さな御嶽山だという。
右側に柊坂がある。
柊坂(坂下から) 根岸台2-11と岡3-17の柊塚古墳歴史広場の間を南西に上る。 《地図》
6世紀前半の全長75mの前方後円墳。前方部は削られている。一夜塚古墳などとともに根岸古墳群を形成していた。
氷川神社(岡3-20)
岡・根岸・溝沼地区の鎮守。
尾崎坂(城山公園から城山通りの方へ下る遊歩道から) 岡3-30の城山公園から城山通りを越え北方向に下る。《地図》
岡の城山虎口前方で城山通りを挟む。『新編武蔵風土記稿』には、「城山ノ間ニアリ西ノ耕地ヘ下ル所ナリ」とある。異字に御前(おさき)坂とするものもある。『朝霞市史 民俗編』
太田道灌が作った城との言い伝えもある。
城山通りから下る
美女神社(田島2-17)
今では「びじょ」と呼ばれているが、明治時代までは「うつくし」といわれていた。
ハケの坂(庚申坂)(坂下から) 浜崎4-12と4-13の間を北西に上る。 《地図》
地形が峡状にあり、この地の旧名主の屋号にも「ハケの家」という呼び名がある。『朝霞市史 民俗編』 「ハケの家」は「ハケのお大尽」の須田家のこと。坂からは少し離れているが、この辺一帯は同家が地主だったのだろう。からは少し離れているが、この辺一帯は同家が地主だったのだろう。

中央の木が茂っているところか。古墳時代後期に黒目川と新河岸川の間の台地上に作られた内間木古墳群の中で残存する唯一の古墳というが案内板も説明板もなく保存状態も悪い。
江戸時代からの旧家。慶応2年(1866)の名栗村から起きた武州世直し一揆で襲われた跡が屋敷に残っていたという。今は新しい家だが前面は長屋門など古い様式を残している。後ろのプラネタリウムも同家の中にある。意外と違和感のない景観だ。
元禄5年(1692)僧旧西の開基創建という。彩色地蔵菩薩が安置され、右に高さ約50cmの石棒が立てられているという。
東円寺(岡2-8)
朝霞第二小学校の校庭にあった直径40mの大型円墳だった。戦時中に小学校の増築のため取り壊された。
不動堂への坂(坂下方向) 岡2-8の東円寺の脇から不動堂へ下る坂。《地図》
弘法大師が錫杖をついた所から湧き出したという霊泉から流れ落ちる。滝の上に倶利伽羅竜王と不動明王が立っている。
不動坂(坂上から) 岡2-7と2-8の間を北西に下る。 《地図》
別名をタキ坂。『新編武蔵風土記稿』には「尾崎坂ノ南ニアリ坂ノ下ニ不動堂アリ故ニ名ツク」とある。荒澤不動尊又は弘法大師杖堀りの滝に由来する。『朝霞市史 民俗編』
右が不動堂だが扉に鍵が掛かっていて入れず。
左は朝霞歴史博物館
斜めの坂 溝沼6-18と7-5の間を東方向に上る。坂上を行くと東上線の中道跨線橋に出る。《地図》
この坂は牟礼道の道筋
氷川神社(溝沼6-23)
江戸時代に村人が畑から「地類権現」と彫られた石を発見し、領主の中山勘三郎が「地類権現社」を建てのが始まりという。
綿屋の坂 溝沼6丁目交差点から北西に下る二本松通り。 《地図》
坂下に「わたや駐車場」、反対側の道路脇に地蔵堂・庚申塔がある。
右下に地蔵堂
光善寺(溝沼6-4)
江戸時代に領主中山勘三郎が開いたという。
弁財の坂 黒目川の新高橋から北西に上る二本松通り。 《地図》
これが弁財天か? 奥は稲荷社のようだが。石造物は左から庚申塔(2)・水神宮・馬頭観音・瘧神・延命地蔵。瘧とは、「えやみ」・「おこり」で悪性の流行病のこと。
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