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2007年10月31日 (水)

金沢市の坂-3

2007年10月31日

Dsc03547 金沢駅・・・金沢表参道通り・金沢東別院・・・金沢西別院・・・塩屋町坂・・・昌永橋(浅野川)・・・四ツ割坂・・・漏尿(ろうばり)坂・・・小橋(浅野川)・鏡花の道・・・浅野川大橋・・・爪先上りの小路・泉鏡花記念館・・・久保市乙剣宮・・・暗がり・主計町(かずえまち)茶屋街・路地坂・・・金沢文芸舘・枯木橋・枯木橋坂・・・寺島蔵人邸・・・兼六坂・・・小尻谷坂・・・東内惣構堀・・・賢坂・・・旧八坂・・・松山寺・八坂・・・小立野通り・・・新坂新坂横の坂(旧新坂)・・唯念寺・・・中坂・・・嫁坂・・・石引町バス停→金沢駅

 大まかに言うと、枯木橋坂までは浅野川左岸近くの坂で、兼六坂、小尻谷坂、八坂は小立野台地方向へ上る坂、新坂、嫁坂、中坂は小立野台地から犀川方向へ下る坂。塩屋町坂、四ツ割坂、漏尿坂は傾斜もほとんどなく今は坂とは呼べないだろうし、坂の場所もはっきりしたものではない。

 浅野川と卯辰山の眺めがいい鏡花の道を行くと主計町の茶屋街に出る。泉鏡花記念館前の「照葉狂言」に出てくる「爪先上りの小路」を上り、鏡花の子どもの頃の遊び場だったという久保市乙剣宮境内の裏から暗がり坂を下る。料亭街の路地の細い石段で木漏れ日がまぶしく、暗がりの雰囲気はない。今度は夜に歩いてみたい坂だ。すぐ隣りにももっと細い路地があり料亭の間を石段が上っている。昔は東京にもこんな感じの路地がいくつもあってよく遊んだ。今は懐かしい匂いのする秘密の抜け道といった感じだ。この坂を『サカロジー 金沢の坂』は「路地坂」と呼ぶ。

 橋場町交差点の金沢文芸舘の裏に枯木橋があるが、古い欄干だけが残っているだけでこの下を惣構堀が今でも細く流れているのは気づきにくい。枯木橋坂を上り、寺島蔵人邸から兼六坂下に出て兼六坂を上る。坂の半ばあたりから左に下りる石段坂がある。上の写真が石段上から建物の間を通してみる風景だがヨーロッパの田舎の感じがするようで気に入った。(といっても行ったことはないが) この石段を下ると小尻谷坂の途中に出る。小尻谷とは兼六坂のもとの名の尻谷坂によるもの。この坂も曲がりながらも石段坂よりもう少し坂上の兼六坂の途中に出る。

 小尻谷坂の坂下の東内惣構堀から賢坂を下り、賢坂辻から入って旧八坂を上り、八坂下の松山寺に出る。八坂は直線的なきれいな急坂で兼六坂まで上っている。兼六坂を上り、小立野通りの石引3丁目の交差点から右に入ると新坂の下りとなる。真っ直ぐ下って右に曲がる所から細い石段坂が左方向に下っている。この坂は坂下の唯念寺の所で再び新坂に出る。新坂の途中から真っ直ぐな石段坂の中坂が新坂を挟んで上下し、新坂の坂下近くの唯念寺の前からはきれいな石段坂の嫁坂が曲がりながら上っている。
 嫁坂には幸、不幸の由来話があるが坂標の説明文はもちろん幸の話だけ。このあたりは小立野台地から犀川方向に下る有名、無名の坂が密集していて以前は欠原町の町名もあった金沢の坂銀座といった感じだ。

 兼六坂は「金沢市の坂①」(2007年10月3日)に記載。

 ルート地図

 *参考:『金沢九十九坂

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03455 塩屋町坂(坂下から) 瓢箪町7-7と7-8の間を北に下る。《地図

『金沢九十九坂』によれば、塩屋町の頭より岩根町に下る坂で、それに当てはまるのがこの坂という。傾斜はほとんどなく今は坂とは呼べないかも。

Dsc03458 坂上から

「旧塩屋町」町標(瓢箪町7の四ツ割坂の辻の所)

説明文 「藩政の初め、金沢城北側の大手門付近に塩問屋があつまっていたので、この名がついた。寛永のころ、この地に移った。」

Dsc03464 四ツ割坂(①写真の左方向の昌永橋へ下る坂。②正面へ下る細い坂。③右方向へ下る坂。) 『金沢九十九坂』の《地図

塩屋町の北東角より岩根町に下る坂という。岩根町は小橋から中島大橋へ至る浅野川沿いの道筋で、現在の彦三1丁目、瓢箪町、笠市町。①②③のどれかの坂なのか? 『金沢九十九坂』は3つの坂が町を4つに割っているので、3つの坂が一緒になって四ツ割坂と呼ぶのではと考察している。①②③とも傾斜はほとんどないが。

Dsc03465①昌永橋(前方正面)からの坂。

この坂は漏尿坂へと続いているが。

Dsc03466 ①の隣りの坂

Dsc03467 ②の隣りの坂

Dsc03470 漏尿(ろうばり)坂(坂上方向) 四ツ割坂①のから南方向に続く坂。

藩政初期、浅野川に堀川揚場という船着き場があり、近くに「堀川新地」と呼ばれる遊郭があった。遊郭で遊んだ男たちが、帰路、立小便をした坂。『サカロジー 金沢の坂』 今の坂は広く明るい。ここで立小便をするのはへべれけに酔っているか、夜でも度胸?勇気?がいる。 『居眠り磐音江戸双紙』(佐伯泰英)の「雪華ノ里」では、「漏尿」を「いばり」と読んでいる。

Dsc03473 坂上から

Dsc03475 小橋近くから浅野川と鏡花の道

Dsc03482 泉鏡花の文学碑 「化鳥」(けちょう)

Dsc03479 鏡花の道から浅野川大橋、卯辰山。

Dsc03484_2 主計町(かずえまち)茶屋街

鏡花の道沿い。右は浅野川。主計町は加賀藩士、富田主計の屋敷があった場所で、平成11年10月、29年ぶりに復活した町名。旧町名復活は全国で初めてとか。

Dsc03521 爪先上がりの小路 《地図

「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上りの小路なり。」泉鏡花の小説『照葉狂言』の一文。

Dsc03514 坂上の泉鏡花記念館前から (尾張町2-12)

Dsc03485 久保市乙剣宮(尾張町2-16)

白山七社の一つで、「くぼいちさん」の愛称で親しまれている。泉鏡花の生家も近く、よくここで遊んだという。

Dsc03486暗がり坂 久保市乙剣宮境内から主計町茶屋街へ下る石段坂。《地図》(路地坂・枯木橋坂も掲載)

【坂標】の説明文 「久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。暗闇坂とも言う。」 

お茶屋町がはなやかなころ、尾張町界隈の旦那衆がこの坂を抜けて主計町やひがし茶屋街に通った。『サカロジー 金沢の坂』

坂上の久保市乙剣宮の境内から暗がり坂の下り口(坂上)へ。

Dsc03488 坂下方向

Dsc03494 坂上方向

暗いどころか眩しい。

Dsc03501 坂下の主計町茶屋街から

Dsc03512 路地坂(坂下から)

Dsc03503 坂上方向

Dsc03506 坂下の路地を石段上から。

Dsc03511 坂上の下り口から

Dsc03522 枯木橋説明板

3つの由来が書かれている。さらに、『サカロジー 金沢の坂』には、「山口記によると、枯木橋が架けられたのは慶長4年、関が原の合戦の前年である。」とある。いずれにせよ400年も前のこと。

Dsc03523 枯木橋

下に東内惣構堀が流れる。左が枯木橋坂。

Dsc03531 東内惣構堀だが、流れはわずか。

Dsc03530枯木橋坂(坂下から) 尾張町1丁目の橋場交差点から西に上る100万石通り。

左は金沢文芸舘。

Dsc03532 坂上から

Dsc03535森忠商店(尾張町2-11)

天保14年(1843)からの塗料店。

Dsc03540 寺島蔵人邸(大手町10-3)

Dsc03546 兼六坂の途中から小尻谷坂の途中に下る石段坂。《地図

Dsc03565 石段下から

Dsc03568小尻谷坂 東兼六町1と2の間を兼六坂(百万石通り)から曲がりながら北西から北東に下る。《地図

【坂標】の説明文 「藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。」

*尻谷坂は兼六坂のもとの名

正面の石段下から左に曲がってのぼるのが小尻谷坂。

Dsc03570 坂下の小将町地蔵橋地蔵尊

Dsc03564 坂上方向

Dsc03561 坂下方向

Dsc03551 坂上近く

正面は兼六坂

Dsc03575 賢坂(坂上から) 兼六元町と小将町の間を南東に賢坂辻に下る。《地図》(八坂・旧八坂も掲載)

丘陵の先端地であることから昔は剣先が辻と呼んだが、明治4年、賢坂辻と改めた。久保市乙剣宮と椿原神社の氏子の地境。

Dsc03578 坂下の賢坂辻から

Dsc03581 旧八坂(坂下から)

旧八坂町(現東兼六町の一部)から旧材木町2丁目(現在の扇町)に降りる坂。『金沢九十九坂』 途中で東外惣構堀の賢坂橋を渡る。

Dsc03582 地蔵堂?(坂の途中)

Dsc03583 坂上から

Dsc03585 坂上を左に曲がると八坂の坂下に出る。

正面右が松山寺。

Dsc03587八坂 東兼六町2と松山寺の間を南西に兼六坂へ上る。

【坂標】の説明文 「昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺さか、伊予殿坂とも呼ばれた。」 また、『サカロジー 金沢の坂』には、八坂と憧寺坂は別の坂で、法憧寺坂は、国立金沢病院の西端にあた法憧寺の門前坂で、当時の八坂は東兼六町にある永福寺の辺りから、材木町に下りる崖地ということになる。」とある。このあたりは坂が多く八坂町と名づけられ、この坂もその内の一つの坂だろう。

左に松山寺

Dsc03589 松山寺

Dsc03588説明板

Dsc03593 坂上方向

Dsc03596 坂下方向

正面は卯辰山。

Dsc03602 坂上から

Dsc03604新坂 石引町3丁目交差点から南西に入り曲がって西方向に下る。《地図》(中坂・嫁坂・新坂横の坂も掲載)

【坂標】の説明文 「加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂とも呼ばれた。」

新坂は真ん中の下り坂。

Dsc03608 坂上方向

ここから写真の左方向へ下る。

Dsc03616 坂下近く

左側は唯念寺で、その向い側から嫁坂が上る。

Dsc03617説明板

Dsc03609 新坂横の坂(旧新坂)

『金沢九十九坂』によれば、「もともとの新坂はこの坂で、明治になって改修され、新坂が崖を斜めに下るようになり、元の坂が残ったものかもしれない。」 とある。とすればこの坂は旧新坂ということになる。

Dsc03611 坂下方向

坂下の唯念寺で新坂に出る。

Dsc03613 中坂(新坂途中から上る石段の坂)

中坂は普通は左右の坂の間に新しく開かれた坂のことをいうが、藩政時代からある坂らしく、新坂、嫁坂とどちらが先に作られたのか分からない。むしろ新坂の真ん中にある坂で中坂と呼ばれるようになったのかも。

Dsc03620_2 石段上から

坂上を写真の右方向に行くと嫁坂の坂上に出る。

Dsc03614中坂(新坂途中から下る石段。)

坂下は新坂横の坂

Dsc03619 坂下から

Dsc03623嫁坂 新坂の坂下近くから曲がりながら北方向に上る。

【坂標】の説明文 「加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。」 また、『金沢古蹟志』には、「邪険な姑が嫁を谷へ落として殺したから」という。今でも石段の急坂をその昔、花嫁衣裳を着て下る(花嫁は現石引町に屋敷があり、主馬は坂下の本多町に住んでいた。)というのはどんなものか。とはいえ嫁が殺された坂に嫁坂と名づけるだろうか。両説ともいまいちの感じだ。

Dsc03631 坂上方向

Dsc03635坂下方向

Dsc03644 坂下から

坂下は新坂の途中。

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2007年10月23日 (火)

朝霞市の坂-5

2007年10月23日

Dsc03419_2 朝霞駅(東上線)・・・市役所通り・・・城山通り・・・金子坂・・・滝の根公園・神明坂右の写真)・・・綿屋の坂(二本松通り)・・・天神坂・・・二本松通り・・・二本松・・・荒船神社・・・朝霞駅

 今日の坂はすべて城山通りから西方向に下る坂でけっこう急坂だった。今はもう神明坂に神明社はなく、天神坂にも天神さんは祀られていない。神明坂沿いの滝の根公園の遊歩道には吊り橋が架っていて、渡ると吊り橋独特の揺れがあり心地良い。

 朝霞駅に向う途中の、二本松通りの由来の何代目かの二本松は、まだ若いのか細く弱弱しく頼りなさそうだが、松の下の二基の庚申塔は昔のままで今もしっかりと往来人を見守っている。

 綿屋の坂は、前回記載。

  【ルート地図

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Dsc03405 金子坂 溝沼1丁目と2丁目の境を南東方向に上る。《地図

Dsc03402坂上近くから坂下方向

Dsc03407 坂下方向

Dsc03409 滝の根公園

Dsc03414 神明坂側の入口近くから

Dsc03416 神明坂 溝沼2丁目と5丁目の境を南東に上る。滝の根公園の北側の坂。《地図

Dsc03422 坂上方向

神明社があったという1570番は溝沼5-6で写真の左側あたり。

Dsc03421 坂下方向

Dsc03436 天神坂 溝沼6-12と6-13の間を南東に上る。《地図

Dsc03432 坂上方向

Dsc03435 坂下方向

天神山があった1517番は溝沼6-12で写真の左側。

Dsc03443 二本松と庚申塔 本町1丁目の二本松通り《地図

田無、片山(新座市)、膝折、溝沼の方から根岸河岸へ向う道の目印となっていた。ここは、新倉(和光市)から越戸を通り引又(志木市)に通ずる道の辻になっていた。

Dsc03445荒船神社(本町2-20)

狭い境内にいろんな物が祀られている。

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2007年10月22日 (月)

朝霞市の坂-4

2007年10月22日

Dsc03293 朝霞駅(東上線)・・・根岸の馬頭観音・・・台雲寺・・・板石塔婆・・・郷戸遺跡?・・・台坂・・・ゴンボウジ坂・金剛寺・・・カツ坂・・・サカの坂・・・朝霞蕨線・・・根岸御嶽神社・仏坂・・・柊塚(ひいらぎ)塚古墳歴史広場・柊坂・・・一夜塚古墳跡(朝霞第二小学校)・・・岡氷川神社・・・城山公園・尾崎坂・・・城山通り・・・花の木橋(黒目川)・・・朝霞蕨線・・・美女神社・・・念法寺・・・ハケの坂(上の写真)・・・ハケの山古墳跡?・・・ハケのお大尽屋敷・・・地蔵堂・・・岡橋(黒目川)・・・中央通り(和光志木線)・・・朝霞市博物館・・・東円寺・不動坂・不動堂・・・中道跨線橋(東上線)・斜めの坂・・・溝沼氷川神社・・・二本松通り・綿屋の坂・光善寺・・・新高橋(黒目川)・・・弁財の坂・・・朝霞台駅(東上線)

 今日の坂道散歩はいろんな時代の遺跡が多く残る地域を行く。
 台の城山があったという台坂を下るとゴンボウジ坂の上りとなる。コンゴウジ(金剛寺)が訛った坂名ではなく、ここも古代の遺跡に由来する坂名だ。
 仏坂の根岸御嶽神社の位置がはっきりせず、ちょうど金剛寺で境内を掃除していた老刀自に尋ね、しばらくこの近辺の昔の有様などを伺う。カツ坂は坂沿いの雰囲気がちょっと変わっている感じだ。坂上に戻り、金剛寺前を通り名前の由来が不明のサカの坂を下って根岸御嶽神社へ。今は寂れた感じの参道が仏坂で、曲がりながら神社へと続く。

 柊塚古墳は前方部が削られているが、歴史広場としてきれいに整備、保存されている。それにひきかえ柊坂を上った朝霞第二小学校にあった一夜塚古墳は哀れだ。戦時中に小学校の増築のため一夜のうちに?破壊された。今は校庭の隅に石碑が残るだけ。戦後、後ろめたい気持ちからか東円寺境内に一夜塚供養塔が立てられたが。

 岡の城山から下の耕地へ下っていたという尾崎坂は今は城山公園内の道筋ははっきりしない。城山通りを進み、黒目川を花の木橋で越え、朝霞蕨線(東通)を北に、新河岸川手前の意外に小さな美女神社へ寄る。
 浜崎通りに入り、内間木農協前からハケの坂を上る。坂上のハケの山古墳も消滅寸前のようだ。このあたり一帯の地主だった「ハケのお大尽」の家の前から地蔵堂を経て、岡橋を渡り朝霞市博物館から東円寺に出る。仁王門脇から不動堂へ下る。この坂が今は不動坂だろう。東円寺前の古道は不動堂まで下ってはいるが境内には入れない。

 東円寺前の古道を南方向に行くと中道跨線橋で東上線を越え、斜めの坂の下りとなる。この古道は牟礼道というらしい。下って溝沼の氷川神社から二本松通りに入ると綿屋の坂の上りだ。途中に坂名の名残りの「わたや駐車場」があり、道路を挟んでだいぶ風化した庚申塔が一基、車の往来の前にポツンと場違いな様子で立っている。坂上の城山通りとの交差点まで行き、光善寺に寄って綿屋の坂を下り、新高橋(黒目川)を渡ると弁財の坂が緩やかに上り始める。坂下近くに小祠があるがこれが弁財天の社なのか? 坂上から朝霞台の駅は近い。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03187 根岸の馬頭観音 根岸台5-10の辻 《地図

江戸時代前半の建立。広沢から白子(和光市)方面・引又河岸(志木市)方面・内間木方面・膝折方面・片山方面(新座市)へ向う道の分岐点に立つ。『朝霞市歴史の道』

Dsc03192台雲寺(根岸台4-1)

鉄造阿弥陀如来立像が安置されている。

Dsc03194 板石塔婆(根岸台8-2の金子家内)

不動曼荼羅と五輪塔を刻む正安3年(1301)銘の板碑。敷地内で入れず塀の上から撮影。

Dsc03201 台坂 根岸台4-12と8-12の間を曲がりながら南東に上る。《地図

別名を大(だい)坂。台村より根岸村へ下る坂。

Dsc03200 坂下方向

Dsc03202 坂上方向

Dsc03208 ゴンボウジ坂 根岸台3-5と4-13の間を北西に上る。 《地図

Dsc03203 坂下から

Dsc03211 坂下方向

左に入ると金剛寺。

Dsc03212 金剛寺(根岸台3-4)

Dsc03214 庚申塔(金剛寺からカツ坂への途中。)

宝暦13年(1763)の建立。

Dsc03217 カツ坂(坂上から) 根岸台3-5と3-7の間を南西に上る。 《地図

別名をカチ坂、金剛寺の坂。昔、細沼某という人がこの急坂を大声をあげて修業にはげんだという坂である。『朝霞市史 民俗編』 大声で経でも唱えてたのだろうか?

Dsc03218 坂下方向

Dsc03225 坂下から

Dsc03228 サカの坂(坂上近く、金剛寺の方へ上る方向。) 根岸台3-2と3-10の間を南東に上る。朝霞蕨線の根岸坂下住宅バス停から金剛寺の方へ上る坂。《地図

坂名の由来不明

Dsc03229 坂下方向

Dsc03233 坂下から

Dsc03236 仏坂(坂下から) 根岸台3-14の根岸御嶽神社の参道の坂 《地図》(地図には御嶽神社の記載はないが、根岸郵便局の南隣。)

神社なのに仏とは?

Dsc03237 坂上方向

曲がりながら上って行く。参道脇に神社付近から見つかった板碑がたくさん並んでいる。

Dsc03246 坂下方向

途中に小さな社がある。

Dsc03243 御嶽神社(坂上)

背後が作られた小さな御嶽山だという。

Dsc03257 柊塚古墳歴史広場案内図

右側に柊坂がある。

Dsc03251 柊坂(坂下から) 根岸台2-11と岡3-17の柊塚古墳歴史広場の間を南西に上る。 《地図

Dsc03264 坂上から

Dsc03258柊塚古墳

6世紀前半の全長75mの前方後円墳。前方部は削られている。一夜塚古墳などとともに根岸古墳群を形成していた。

Dsc03259 説明板

Dsc03266 氷川神社(岡3-20)

岡・根岸・溝沼地区の鎮守。

Dsc03276 尾崎坂(城山公園から城山通りの方へ下る遊歩道から) 岡3-30の城山公園から城山通りを越え北方向に下る。《地図

岡の城山虎口前方で城山通りを挟む。『新編武蔵風土記稿』には、「城山ノ間ニアリ西ノ耕地ヘ下ル所ナリ」とある。異字に御前(おさき)坂とするものもある。『朝霞市史 民俗編』

Dsc03277 城山通りから城山公園。

太田道灌が作った城との言い伝えもある。

Dsc03280 坂下方向

城山通りから下る

Dsc03284 坂下には今も畑が広がる。

Dsc03285 美女神社(田島2-17)

今では「びじょ」と呼ばれているが、明治時代までは「うつくし」といわれていた。

Dsc03290 ハケの坂(庚申坂)(坂下から) 浜崎4-12と4-13の間を北西に上る。 《地図

地形が峡状にあり、この地の旧名主の屋号にも「ハケの家」という呼び名がある。『朝霞市史 民俗編』 「ハケの家」は「ハケのお大尽」の須田家のこと。坂からは少し離れているが、この辺一帯は同家が地主だったのだろう。のここの坂からは少し離れているが、この辺一帯は同家が地主だったのだろう。

Dsc03298 坂下方向

Dsc03303 ハケの山古墳(浜崎古墳)?(ハケの坂の坂上近く)

中央の木が茂っているところか。古墳時代後期に黒目川と新河岸川の間の台地上に作られた内間木古墳群の中で残存する唯一の古墳というが案内板も説明板もなく保存状態も悪い。

Dsc03305 「ハケのお大尽」須田家(浜崎4-10)

江戸時代からの旧家。慶応2年(1866)の名栗村から起きた武州世直し一揆で襲われた跡が屋敷に残っていたという。今は新しい家だが前面は長屋門など古い様式を残している。後ろのプラネタリウムも同家の中にある。意外と違和感のない景観だ。

Dsc03308 地蔵堂(浜崎4-7)

元禄5年(1692)僧旧西の開基創建という。彩色地蔵菩薩が安置され、右に高さ約50cmの石棒が立てられているという。

Dsc03317東円寺(岡2-8)

不動の瀧を見損なった。

Dsc03319 一夜塚供養塔

朝霞第二小学校の校庭にあった直径40mの大型円墳だった。戦時中に小学校の増築のため取り壊された。

Dsc03318 由来書

Dsc03345 不動堂への入口

Dsc03321 不動堂への坂(坂下方向) 岡2-8の東円寺の脇から不動堂へ下る坂。《地図

Dsc03329 不動堂

Dsc03327_2 不動の滝

弘法大師が錫杖をついた所から湧き出したという霊泉から流れ落ちる。滝の上に倶利伽羅竜王と不動明王が立っている。

Dsc03350 不動坂(坂上から) 岡2-7と2-8の間を北西に下る。 《地図

別名をタキ坂。『新編武蔵風土記稿』には「尾崎坂ノ南ニアリ坂ノ下ニ不動堂アリ故ニ名ツク」とある。荒澤不動尊又は弘法大師杖堀りの滝に由来する。『朝霞市史 民俗編』

Dsc03352 坂上方向

Dsc03354 坂下から

右が不動堂だが扉に鍵が掛かっていて入れず。

左は朝霞歴史博物館

Dsc03364 斜めの坂 溝沼6-18と7-5の間を東方向に上る。坂上を行くと東上線の中道跨線橋に出る。《地図

牟礼道の道筋

Dsc03359 坂上から

Dsc03367 坂上方向

Dsc03371 小社と庚申塔(溝沼7-3?)

Dsc03372 氷川神社(溝沼6-23)

江戸時代に村人が畑から「地類権現」と彫られた石を発見し、領主の中山勘三郎が「地類権現社」を建てのが始まりという。

Dsc03377 綿屋の坂 溝沼6丁目交差点から北西に下る二本松通り。 《地図

Dsc03381 坂上近く

Dsc03379 坂下方向

坂下に「わたや駐車場」、反対側の道路脇に地蔵堂・庚申塔がある。

Dsc03387 坂下から

右下に地蔵堂

Dsc03374 光善寺(溝沼6-4)

江戸時代に領主中山勘三郎が開いたという。

Dsc03396 弁財の坂 黒目川の新高橋から北西に上る二本松通り。 《地図

Dsc03390 坂上方向

Dsc03391 坂下近くの小祠

これが弁財天か? 奥は稲荷社のようだが。石造物は左から庚申塔(2)・水神宮・馬頭観音・瘧神・延命地蔵。瘧とは、「えやみ」・「おこり」で悪性の流行病のこと。

Dsc03399 坂下方向

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2007年10月17日 (水)

和光市の坂-4・朝霞市の坂-3

2007年10月17日

   和光市駅(東上線)・・・笹目通り・・・武州白子諏訪神社・・・天王坂・八雲神社(牛蒡八雲台憩いの森公園)・・・松竹山観音寺・・・大坂上・旧川越街道・くらやみ坂・・・代官屋敷跡・馬頭観音・伯楽製鋲所・・・(東京外環)・・・朝霞警察署・警察の坂(国道254号)・・・かせぎ(稼)坂・膝折不動尊・・・一乗院・卵塔(蘭塔)坂・・・膝折浄水場・元坂・・・四里屋(ヨリヤ)の坂(ひざおり通り)・・・朝霞駅(東上線)

 和光市駅から笹目通りに出て南下し、諏訪神社前から天王坂への道に入る。清戸道の道筋だったというけっこう長い天王坂の坂下近くから八雲神社への石段を上る。以外に小さな社で物寂しく暗い境内だった。笹目通りに戻り、大坂上から旧川越街道に入る。

 朝霞警察署裏の警察の坂は別名のウイッパラ(上の原)の坂の方がいい坂名だと思ったが、今はそんな感じは全くないただの車通行のだけのための殺風景な車道だ。味気ない警察の坂の名で仕方なし。
 朝霞警察署の前から川越街道の旧道に入り、かせぎ坂を下り一乗院へ。一乗院の墓地脇の急な卵塔坂を上り、浄水場の脇の堂山の急坂の元坂を下る。このあたりは膝折宿の上宿があったところ。坂下からひざおり通りに出て朝霞駅方向に向かう途中で四里屋の坂の上りとなり、坂上から朝霞駅に出た。

  旧川越街道のくらやみ坂からかせぎ坂までは、「川越街道の坂」に記載。

 ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03118諏訪神社(白子2-13)

Dsc03122 天王坂(坂下方向) 白子2-28と2-1の間を北西に上る。《地図

牛房から北西に上る坂で、古くは清戸道の道筋だった。坂の横から階段を登れば牛房の鎮守八雲神社(天王様)があるため、天王坂と呼ばれた。『和光市史 民俗編』 清戸道は坂上近くで左へ分岐する道筋だが笹目通りの手前で途切れる。かつては笹目通りを横切り埼玉病院、諏訪原団地の中を通って西に向っていたようだ。

Dsc03138_3 坂上方向

Dsc03137 坂下近くから八雲神社・牛蒡八雲台憩いの森公園へ上る石段

Dsc03130_2 八雲神社(白子2-28)

古くは牛頭天王社だったのだろう。

Dsc03136 松竹山観音寺(白子2-28)

Dsc03133 説明板

Dsc03146警察の坂(坂下方向) 幸町2丁目の朝霞警察署の裏側を北西に下る国道254号。《地図

別名をウイッパラ(上の原)の坂という。下の原地区に対し上の原地区があり、これが訛ったのであろう。『朝霞市史 民俗編』  坂上に上の原公園、旧川越街道沿いにバス停上の原がある。別名の感じは今は全くない。

Dsc03145 坂上方向

正面左が朝霞警察署

Dsc03160 卵塔坂(坂下から) 膝折町1-16の一乗院の南側に沿って南東に上る。《地図

(一乗院墓地(左側)の)卵塔(蘭塔)による坂名だろう。『朝霞市史 民俗編』 「卵塔」とは卵型の墓石のこと。詳しくは「新宿区の坂⑦」 のニの坂(蘭塔坂)のところに記載。

Dsc03153 坂上方向

Dsc03154 坂下方向

右側が一乗院墓地

Dsc03167 元坂(坂上から) 幸町2-17の膝折浄水場と小寺堂山駐車場の間を北西に下る。《地図

古街道で旧膝折宿があった堂山の急坂をいう。『朝霞市史 民俗編』 右に小寺堂山駐車場がある。左側は膝折浄水場。

Dsc03174 坂上方向

Dsc03182 四里屋の坂(坂上朝霞駅方向) 幸町1丁目と膝折町5丁目の間を北東方向に上るひざおり通り。《地図

現在のひざおり通りで、かつて四里屋という店屋があった。『朝霞市史 民俗編』

Dsc03181 坂下方向

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2007年10月13日 (土)

和光市(埼玉県)の坂-3

2007年10月13日

和光市駅(東上線)・・・(東京外環自動車道)・・・谷中川・・・(笹目通り)・・・城山坂・・・市城通り・市場峡公園・・・稲荷坂・豊川稲荷神社・・・吹上通り・吹上観音(東明寺)・・・妙典寺・妙典寺坂(動坂)・・・下新倉氷川八幡神社・・・弥太郎坂(やたら坂)・・・金泉禅寺・・・壱鑑寺・・・弥太郎坂・・・氷川通り・・・長坂・・・牛王(ごぼう)山(新羅郡郡衙跡?)・・・大正通り・・・下井戸稲荷神社・とうか坂・・・半三池通り・・・(東京外環道)・・・天神坂・・・宮坂・・・新倉氷川八幡神社・天神宮・・・地蔵橋(谷中川)・地蔵坂あたり・・・さがしら坂・・・柿の木坂湧水公園・(東京外環道)・柿の木坂・柿ノ木坂児童公園・・・和光市駅

 城山坂は白子川近くから笹目通りの方へ上る坂だが、城山地域に城や舘跡の形跡は発見されていないという。市城通りから稲荷坂を上り、吹上観音通りに出て両脇にいい坂が下っている吹上観音へ。 
 白子、新倉は名の通り、新羅からの渡来者により開かれたところ。新倉3丁目の高台の午王山に新羅郡の郡衙(律令制下、郡を治める役所)があったとする説もある。とうか坂は、『和光市史 民俗編』では「稲荷(とうか)坂」といい、道路標識は「とう火坂」となっている。どっちが正しいのか? 天神坂沿いに今は天神社はなく、氷川八幡神社の境内に天神宮の小社が祀られている。

 外環自動車道の通っている所は起伏が波のように続いている。自動車道によりこのあたりの道筋も大きく変えられたのだろう。
 越戸川に合流する手前の谷中川に地蔵橋跡はあるがあちこち探しても地蔵は見当たらず、地蔵坂通路というのも自動車道の下に作られているが地蔵坂がどれなのか(どれだったのか)はっきりしない。地蔵坂の名は『和光市史 民俗編』には記載されていない。さがしら坂のことをいうのだろうか? 

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02854 城山坂(坂上近く) 白子3-6と3-33の間を北西に上る。笹目通りをくぐり右にカーブしてさらに上る。  《地図

白子の市城の城山から白子川の谷へ下りる坂。『和光市史 民俗編』 近くに旧石器から中世にかけての集落跡の城山南遺跡があるが、城跡、舘跡は見つかっていないようだ。なぜこのあたりを城山というのか?

Dsc02855坂下方向

正面の橋は笹目通り。

Dsc02869稲荷坂 市城通りから豊川稲荷神社へ上る坂。  《地図

引又道(志木街道)の道筋。引又とは現在の志木のことで、新河岸川の重要な河岸で定期市も開かれていた。白子から引又を目指す道は各ムラを起点にして何本もあった。『和光市史 民俗編』

Dsc02872 豊川稲荷神社(白子3-27)

Dsc02871 坂上から

Dsc02881 吹上観音(左)沿いの坂

Dsc02890 仁王門

Dsc02892 吹上観音(白子3-14)

Dsc02900 妙典寺(下新倉4-13)

日蓮が佐渡へ行く途中で、領主の妻のお産を助けたという伝説があり、「子安の池」が本堂裏にある。

Dsc02899 妙典寺縁起

Dsc02903 妙典寺坂(動坂) 妙典寺(右)に沿って南西に上る。《地図

動坂が本来の坂名のようで、『和光市史 民俗編』には、「これは現在ではあまり聞かれないが、『新編武蔵風土記稿』が「動坂 是モ吹上近辺ナリ、不動ノ辺ニアル故ニ名トセリ」と紹介している。その場所は下新倉の妙典寺の前から東本村の三叉路へ行く坂のようである。」とある。しかし、不動堂(尊)が近くに見当たらない。動坂の位置は違うかも知れない。坂上を行くと下新倉氷川八幡神社。

Dsc02905 坂下方向

左が妙典寺の墓地、坂上を行くと下新倉氷川八幡神社。

Dsc02908 下新倉氷川八幡神社(下新倉3-13)

Dsc02921弥太郎坂 下新倉4-18の酒井浄水場に沿って北東に下る。《地図

「やたら坂 字をあてれば弥太郎坂で、下新倉の三協から西本村へ下りる坂である。『新編武蔵風土記稿』に「弥太郎坂 吹上の辺ニアリ、其名ノ起ルユエンヲ知ラズ」と記す。」 『和光市史 民俗編』 坂の近くに弥太郎さんの家があったものだと思っていたがそうとは限らないようだ。

右側に庚申塔の小祠

Dsc02938 坂上から

左側が酒井浄水場

Dsc02925 金泉禅寺(新倉3-10)

「雨乞い竜伝説」がある。

Dsc02926 庚申塔(境内)

踏みつけられている邪鬼のメタボラ腹がおかしい。

Dsc02942 長坂(坂上から) 新倉2丁目と3丁目の間を南西に上る。《地図

新倉の「長坂」を通る坂。文字通りの長い坂で、下りきったところが「坂下」。

Dsc02947

坂上方向

Dsc02951 午王(ごぼう)山説明板

新羅郡の郡衙がここにあったという説もある。

Dsc02952 午王山(坂上方向) 新倉3-11あたり 《地図

Dsc02954狭間稲荷神社(坂の途中)

Dsc03052 下井戸稲荷神社

Dsc03048とう火坂道標 新倉2-30と2-23の間を北西に上る。坂下に下井戸稲荷神社。《地図

半三池から坂下の下井戸に出る道で、下井戸稲荷近くの坂。この稲荷は「とうかざか稲荷」と呼ばれている。トウカは稲荷であるから、稲荷坂稲荷ということになろう。『和光市史 民俗編』 確かに「とうか」は稲荷でも有り得るが。中央区日本橋にも「稲荷堀(とうかんぼり)」跡が「とうかん堀通り」として残る。すると道標の「とう火」は何なのか?市史の説明はあまり説得力がないような気がする。「とう火坂稲荷」ではなかろうか? では「とう火」とは何だ。分からん。

Dsc03058 坂下方向

Dsc02964 半三池通りの坂上あたり(とう火坂の坂上を進んだ所) 《地図

玉石垣が続く綺麗なところ。左からの道がとう火坂へ。

Dsc02969 天神坂道標(旧家の前)

Dsc02973 天神坂(坂下方向) 新倉5-19と氷川八幡神社の間を北西から北東方向に下る。坂下近くは石段坂。《地図

かつて坂の所に天神が祀られていたという。『和光市史 民俗編』 今は、新倉氷川八幡神社境内に小さな天神宮が祀られている。

Dsc02978 坂下近くから

Dsc02988 宮坂(坂上方向) 新倉5-18の新倉氷川八幡神社の西側に沿って北西に下る。 《地図

新倉氷川八幡神社による坂名。

Dsc02994 坂上近くから

Dsc02996 新倉氷川八幡神社

Dsc02997 天神宮(氷川八幡神社境内右奥の小社)

天神坂の由来の天神をここに移したのだろう。

Dsc02993氷川八幡神社由来書

Dsc03010 地蔵坂通路 《地図》(地蔵坂通路・地蔵橋あたり)

東京外環自動車道の下を通る。地蔵坂はどの坂か? 近くの坂をすべて歩くがどこにも地蔵さんは見当たらず。

Dsc03074さがしら坂 新倉1-29と1-23の間を南西に上る。《地図

柿の木坂の西側で、越戸川の谷へ下る坂。「さがしら」とは沢頭のことだろう。『和光市史 民俗編』

右の児童遊園地の右側に越戸川が流れ、坂下の地蔵橋そばで谷中川と合流する。

Dsc03077 坂下方向

坂下を右に曲がると地蔵橋、その先に地蔵坂通路がある。

Dsc03037 柿の木坂湧水公園

柿の木坂の坂上の東京外環自動車道沿い

Dsc03041 柿の木坂(坂上から) 新倉1丁目の柿ノ木坂児童公園の南側から南西に東京外環道路の方へ上る大正通り。《地図

新倉の原新田の北側から谷中川の谷へ下る坂。古くは坂の所に柿の木があったために付けられたのであろうか。『和光市史 民俗編』 東京外環自動車道が出来る前は、柿の木坂湧水公園のあたりから谷中川へ直線的に下っていた坂だったのだろうか? 坂上近くに地蔵堂がある。地蔵橋、地蔵坂の由来の地蔵堂がここに移されたのか? それとも昔からここにあるのだろうか? 

Dsc03042 坂下方向

Dsc03046 坂上方向

柿の木坂児童公園あたりから

Dsc03045 坂下から谷中川

今の柿の木坂は川のかなり上を通っている。左側が柿ノ木坂児童公園。正面の外環自動車道の下が地蔵橋。

Dsc03102 地蔵堂

柿の木坂の坂上近く。地蔵橋、地蔵坂にあった地蔵堂なのか? 左側に「地蔵堂改修供養塔」が立っている。いつ立てたものか確認するのを忘れた。

Dsc03097 堂内の地蔵さん?

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2007年10月 4日 (木)

金沢市の坂-2

2007年10月4日

Dsc02675 金沢駅・・・昭和大通り(県道146号)・・・御影大橋・・・犀川神社・・・新橋・・・室生犀星記念館・・・瑞泉寺・・・雨宝院・・・神明宮・弁慶坂跡・・・瓶割坂・・・にし茶屋街・・・瓶割坂・・・蛤坂新道への坂蛤坂・山錦楼・妙慶寺・・・寺町・妙立寺(忍者寺)・・・つば甚・甚兵衛坂・・・犀川・・・桜橋・・・新桜坂・W坂(石伐坂)・桜坂・・・野田往還(県道45号)・・・長良坂(上の写真)・・・新長良坂(仮称)・・・野田往還・祇陀(ぎだ)寺・・・不老坂・・・八幡坂(仮称)・・・不動坂(仮称)・・・野田往還・・・御参詣坂・・・新御参詣坂(仮称)・・・日吉神社・・・桃雲寺・・・覚尊寺・山側環状(県道22号)・・・野田山墓地・・・大乗寺・新大乗寺坂(仮称)・・・平和町バス停→出羽町・・・石川護国神社・・・県庁舎石引分室・能楽堂・・・県立美術館・美術の小径・・・中村記念美術館・旧中村邸・・・金沢中署・・・瞽女ごぜ)坂・・・天狗坂・・・(本多通り)・・・鈴木大拙生誕地・・・大乗寺坂・・・本多通り・・・県立図書館・・・21美術館裏・西外惣構堀宮内橋跡・・・香林坊・・・鞍月用水・・・金沢駅

 今日は犀川左岸を、御影大橋から上流に前田家の墓がある野田山墓地まで坂道散歩をした後、バスで兼六園の南の出羽町バス停に出て近辺の坂を歩く。

 新橋で犀川を渡り左岸へ。瓶割坂、弁慶坂は各地にある義経・弁慶伝説の一つ。ここ北国街道の瓶割坂は今はただの車道で面白味はないが、東京新宿区の靖国通りの瓶割坂よりはましだ。

 何度も折れ曲がる石段の甚兵衛坂は下り口も上り口も細い路地を入ったところなので分かりにくい。こんな所にも隠れ坂があるのかと嬉しくなるような坂だ。
 桜橋から新桜坂・W坂・桜坂が上っている。新桜坂は車用、W坂は歩行者専用、桜坂は車も通るが主に歩行者用の坂だ。もちろん歩行者は目的地によって通る坂を使い分けるだろうが。W坂は石伐坂を旧四高生がこう呼んだのが始まりという。小説などにも登場する坂で、坂の途中に井上靖の「北の海」の一節が文学碑で立っている。東京文京区のS坂(新坂)も一高生がつけた名で、森鴎外の「青年」に出てくる。共通点が多く面白い。

 長良坂、不老坂、御参詣坂は野田往還から犀川の方へ下る急坂で、片方に歩行者用の低い石段がついた綺麗な坂だ。長良坂の途中には地蔵さんが祀られていて脇に湧水が流れている。ここを通る中年以上?の女性は皆、地蔵の前で足を止め手を合わせて行った。幸せな地蔵さんだ。加賀の殿様たちが船で犀川を上り、法島あたりの船着場から御参詣坂を上って野田往来へ出て、先祖の墓のある野田山へと参ったという。今日は御参詣坂を下り、広い車道で途中からの眺めのいい新御参詣坂を上り野田山墓地へ向った。

 墓地内を横切り大乗寺へ向う途中には、「クマ」注意の看板がかかっている。墓の供え物などを目当てに熊が野田山から降りて来るのか。大乗寺はどっしりと風格のある寺で総門、山門、仏殿、墓地などが並ぶ広い境内だ。もとはこの寺は本多町にあった。元禄年間に寺はここに移り、大乗寺坂は本多町に残った。総門は大乗寺坂にあった門を移築したという。

 今日の予定の犀川左岸の坂道散歩はここまでだが、まだ日暮れは遠い。バスで兼六園の南の出羽町に出て、県立美術館脇から急な石段の美術の小径を下る、脇を滝のような流れが落ちている。石段が終わるあたりで滝の流れも忽然と姿を消してしまう。ゆるやかに下ると中村記念美術館の裏手へ出た。今は遊歩道のようなこの道は本田家の上屋敷と下屋敷を結ぶ古くからの道筋だったという。

 瞽女(ごぜ)坂、天狗坂は裏通りの細く、ゆるやかな坂で昔の面影はない。道筋もはっきりしないようだ。本多通りから大乗寺坂へ向う。県立工業高校の前あたりから薄暗い上り口が見える。大乗寺は坂下にあったという。石段の坂は木立の間を直線的に曲がりながら行く遊歩道という感じで、坂の途中にはベンチもおいてある。坂を上り下りして本多通りの県立図書館に寄り、香林坊から鞍月用水を通り金沢駅に向った。

 *坂名の後に(仮称)とある坂は、坂名がついていない坂(坂名があるかもしれないが不明)なので、私が仮につけた坂名。通称されている坂名ではない。

 ルート地図】①(弁慶坂~御参詣坂)・【ルート地図】②(美術の小径~大乗寺坂)

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc02553犀川(御影大橋近くから。正面は上流の新橋)

浅野川を泉鏡花が女川と表現したことから男川と呼ばれる。河畔の「犀星のみち」に「室生犀星の文学碑」が立つ。

Dsc02551 犀川神社(中央通町16)

Dsc02557室生犀星記念館(千日町3-22)

Dsc02562 雨宝院(千日町1-3)

室生犀星が幼少を過ごした寺。

Dsc02560 説明板

Dsc02563 雨宝院の前の坂

坂上は瓶割坂。左端は子安地蔵尊で唇を赤く塗られた跡があり、女性的な地蔵で女性の信仰を集めるという。

Dsc02564 坂下方向

Dsc02566 瓶割坂(坂上方向) 犀川大橋から南西に上る北国街道(国道157号)。《地図》 別名を神明坂。

源義経の一行が北陸道を経て奥州へ下るとき、この坂で北の方が産気づいた。慌てて衣類を瓶の中から取り出そうとして瓶を割ってしまったのが坂名の由来という。東京の新宿区の靖国通りにも瓶割坂がある。瓶とは腹の意で瓶割はお産のこと。弁慶が子どもを取上げたという各地に残る義経、弁慶伝説の一つがこの辺にあったのだろう。近くに弁慶橋もあった。『新宿区町名誌』 (「新宿区の坂-5」に記載) また、越後米山の北陸道沿いにも瓶割坂があり、義経の北の方がそこでお産をしたという。ここ(金沢)の瓶割坂の由来も器(うつわ)の瓶を割ったのではなく、北の方がお産をしたというのが本来の筋だったのでは。

Dsc02567坂下方向

Dsc02572 神明宮(野町2-1の瓶割坂沿い)

金沢旧五社の一つ。中原中也は子どもの頃、境内で軽業見た思い出を題材に、詩「サーカス」を作ったといわれる。室生犀星も境内ここで遊んだのだろう。

Dsc02584 説明板

Dsc02574 神明宮の大ケヤキ

Dsc02577 弁慶坂跡 神明宮の裏横から下る石段。 《地図

瓶割坂の弁慶・義経伝説からの坂名だろう。 

Dsc02583 弁慶坂跡(坂上の神明宮の境内から)

雑草に覆われ通られていないようだ。

Dsc02582 神明宮の境内から弁慶坂跡の下り口へ。通行不能の感じだ。

Dsc02580にし茶屋街(野町)

江戸時代に遊郭がつくられ、「にしの新地」と呼ばれた。明治以降も歓楽街として賑わった。

Dsc02579茶屋街

Dsc02587 右から蛤坂・山錦楼・蛤坂新道への坂・蛤坂新道・犀川

Dsc02590 蛤坂新道への坂

右は山錦楼の裏側・左が蛤坂新道・犀川

Dsc02593 坂上方向

山錦楼(明治28年創業の料理屋)もカーブして作られている。

Dsc02597蛤(はまぐり)坂 犀川大橋から南東から南西に上る。《地図

【坂標】の説明文:「加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保十八年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。」

火災で坂が拡張され、蛤の口が「火で開く」と連想してついた洒落た坂名。火元は雨宝院だそうだ。左側に山錦楼、右に妙慶寺。

Dsc02599 坂下方向

右は山錦楼の表側

Dsc02601 妙慶寺(蛤坂の途中)

蛤坂は以前は妙慶寺坂といった。

Dsc02600 説明板

Dsc02602 寺町

右奥が妙立寺

Dsc02603 妙立(みょうりゅう)寺(忍者寺)(野町1-2)

隠し部屋や階段、ドンデン返しなど複雑な仕掛けがあり、忍者寺と呼ばれる。

Dsc02605 つば甚(寺町5-1)

創業宝暦2年(1752)の料亭。前田家のお抱え鍔師だった鍔屋三代目甚兵衛が営んだ「つば屋」が始まりとされる。

Dsc02607 甚兵衛坂 寺町5-1のつば甚の南側から北東に曲がりながら下る階段坂。《地図

鍔屋甚兵衛にちなむ坂名。『サカロジー 金沢の坂』では、この坂を「つばや坂」と呼ぶ。

Dsc02615 坂上方向

Dsc02618 坂下

正面は犀川

Dsc02627 新桜橋(右へ)・W坂(石伐坂)(中央)・桜坂(左へ)

桜橋から

Dsc02632 新桜坂(坂上方向) 桜橋南詰から北西に上る本多通り。《地図

Dsc02641 坂上近くから

Dsc02629 W坂(石伐坂) 新桜坂の坂下からジグザグに南西に上る石段坂。《地図

WというよりΣか。旧四高生がつけた坂名という。

Dsc02629_2 倒してみると

Dsc02645 坂の途中から

正面は桜坂

Dsc02648 井上靖文学碑(坂の途中)

「W坂」が出てくる。『金沢W坂の殺人』(吉村達也)というのもある。この坂で同時刻にWの一辺ごとに四重殺が行われたという、荒唐無稽?なもの。トリックもいまいち。

Dsc02657 坂途中から

正面は新桜坂

Dsc02654 坂上の新桜坂緑地から

下の橋は桜橋(犀川)

Dsc02663 【坂標】(坂下近く) 「右 石伐坂 左 桜坂」

説明文:石伐坂 「藩政時代から坂の上に石工の職人町があった。清立寺坂、吹屋坂、くの字坂とも呼ばれ、現在はW坂という。 桜坂 「慶応元年に作られ、明治二十五年改修された。城からの眺めをよくするため、加賀藩時代、坂の上に桜が多く植えられたのでこの名で呼ばれた。」 以前は坂上を桜畠町といった。

Dsc02661 桜坂(坂上方向) W坂の坂下から南東に上る。《地図

Dsc02667 桜坂の坂下

左はW坂(石伐坂)の階段・正面から左方向へ新桜坂が上る。

Dsc02670 桜坂(坂下方向)

Dsc02676長良坂 下菊橋南詰から南西に上る。《地図

【坂標】の説明文:「旧長良町へ上がる坂なのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上ともよばれていた。」

Dsc02677 途中の地蔵さんと湧水

Dsc02679_2 坂下方向

右は金茶寮(料理旅館)(寺町1-8)

Dsc02683 坂上方向

Dsc02681 坂下から下菊橋方向

Dsc02685 新長良坂(仮称)(坂上方向)《地図

下菊橋から寺町1丁目交差点へ曲がりながら上る坂。坂上は不老坂の坂上近く。

Dsc02686 坂下方向

Dsc02695不老坂 上菊橋から南西に上る。《地図

【坂標】の説明文:「細く急な坂道であったが、明治の中ごろ上菊橋とつながり、のち拡張整備され縁起の良いこの名がつけられたという。近くに風呂場があり、不老長寿によいというので、この名で呼ばれたともいう。」  『サカロジー 金沢の坂』によると、坂上は市電の寺町の終点で、「終点坂」とも呼んでいた。(坂標の説明文の)風呂屋は坂下にあった法島湯で旅館を併設していた。 「終点」と「不老」の取り合わせがおかしい。

Dsc02697 坂上方向

Dsc02699坂下から上菊橋方向

Dsc02701 不動坂(仮称) (坂上方向)《地図

法島不動尊(正面右側の小祠)の前を通り共同墓地まで上る坂。

Dsc02703 法島不動尊(十一屋町4)《地図》

Dsc02716 途中から坂下方向

正面左側の不動尊の脇から十一屋町八幡神社へ上る石段が八幡坂。

Dsc02707 八幡坂(仮称) 《地図》 

石段上が十一屋町八幡神社の裏側。

Dsc02710 坂下方向

正面下の法島不動尊の前を右方向に上るのが不動坂。

Dsc02712 十一屋町八幡神社

Dsc02721御参詣坂 野田往還(県道144号・別所野田線)の平和町3丁目の交差点から北東に入り下る。 《地図

【坂標】の説明文:「藩政時代、法島村から祇陀寺の向うへ至る坂と、今一つ崖の下から桃雲寺手前の野田往来へ至るこの坂をこう呼んだ。野田山墓地に参詣することからこの名がついた。」 説明文には二つの道筋がある。「野田往来へ至る坂」はこの坂だが、「祇陀(ぎだ)寺の向うへ至る坂」というのはどの道か? 祇陀寺は不老坂の坂上の寺町1丁目の交差点のところにある。①昔は不老坂のことを御参詣坂と呼んだのか。②共同墓地の方へ出て、不動坂から八幡坂を上って祇陀寺の前へ出る道筋のことか。祇陀寺の「向う」というのもどこへ向うのか分からない。

Dsc02723 坂上方向

Dsc02725 坂下方向

Dsc02730 新御参詣坂(仮称)(坂上方向)《地図》 野田往還の野田町交差点から北東方向に大桑橋に下る野田上野町線。

Dsc02735 坂下方向

Dsc02738 坂下方向

Dsc02739 日吉神社(野田町交差点の所)

Dsc02741 桃雲寺(野田町)

Dsc02740 説明板

Dsc02742 覚尊院

Dsc02743 野田山墓地

野田山(標高約180m)の北斜面にある墓地。真っ直ぐ行くと前田家の墓がある。

Dsc02746 墓地内に何箇所も掲げられている。

Dsc02748 野田山墓地(右)と大乗寺(左)の間の坂(坂下方向)《地図

Dsc02760 大乗寺(長坂町)説明板

Dsc02753 山門(赤門)

Dsc02754 仏殿

Dsc02758 総門(黒門)

はじめは本多町の「大乗寺坂」にあった。

Dsc02757 総門説明板

Dsc02761 新大乗寺坂(仮称)(坂下方向) 長坂台小東交差点の南から大乗寺へ南西に上る。《地図

かつて本多町に大乗寺はあった。寺はここへ移転し、大乗寺坂は本多町に残った。

Dsc02763 坂下方向

Dsc02769 坂上方向

Dsc02773県庁舎石引分室(石引4-18)

旧陸軍金沢偕行社で、2007年から石川県立歴史博物館の分室となった。

Dsc02777 美術の小径(坂上方向) 中村記念美術館の裏から県立美術館へ上る。上部は石段。《地図

右に辰巳用水の分水が流れ落ちる。

Dsc02779 坂上の県立美術館方向

滝のように流れ落ちるがこの先で流れは消える。

Dsc02784 坂下方向

Dsc02788 坂下の中村記念美術館の裏から

Dsc02792 旧中村邸

Dsc02791 説明板

Dsc02794 瞽女(ごぜ)坂(坂上から) 茨城町15と23の間を北東に上る。《地図

加賀藩家老本田家の下屋敷に近く、御前坂から来ているという。『金沢九十九坂』 だとすれば、「瞽女」の字を当てるのはなぜなのか。

Dsc02795 坂下方向

Dsc02796 坂上方向

Dsc02798 天狗坂(坂下から) ごぜ坂の一本南側の坂。《地図

武家屋敷の邸内の木立が暗く、恐ろしい感じがあったからつけられたという。『金沢九十九坂』 暗くて天狗でも出そうなところだったのか。

Dsc02800 坂上方向

坂上は本多通りの本多町交差点のそば。

Dsc02802 坂上から

Dsc02807 大乗寺坂 県立工業高校の北側から本多2丁目と3丁目の間を曲がりながら北東に上る石段坂。《地図

【坂標】の説明文:「慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。同寺はのち長坂へ移転した。」

明治になって歩兵連隊の練兵場が建設され、大乗寺坂は場内に取り込まれ姿を消した。戦後、練兵場が民間に払い下げられた時、金沢市が大乗寺坂を復活させた。『サカロジー 金沢の坂』

Dsc02822 坂下方向

Dsc02811 坂上方向

Dsc02809 坂途中の石塔

何が書いてあるか分からず。

Dsc02832 西外惣構堀(宮内橋跡のところ)

Dsc02831 説明板

Dsc02833 鞍月用水

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2007年10月 3日 (水)

金沢市(石川県)の坂-1

2007年10月3日

金沢駅・・・六枚交差点・・・鞍月用水・・・高厳禅寺・・・真福院・・・玉川公園・・・大谷廟所・・・甚右衛門坂・・・尾崎神社・・・黒門・・・金沢城公園・・・いもり坂・・・尾山神社・・・いもり堀跡・・・石川橋(石川門)・下坂・・・紺屋坂・・・上坂・・・兼六坂(尻垂坂)・・・兼六園(随身坂・長谷坂・真弓坂・松濤坂・不老坂・桂坂)・・・石浦神社・・・広坂・・・金城霊沢(きんじょうれいたく)・金沢神社・・・県立歴史博物館・・・広坂・・・金沢市役所・・・香林坊坂・香林坊橋跡・・・香林坊109横の坂・鞍月用水・・・大野庄用水・・・老舗記念館・・・長町武家屋敷・・・鞍月用水・・・六枚交差点・・・金沢駅

  【ルート地図

 金沢駅から南東に金沢城公園、兼六園、小立野台地が続き、北東側を浅野川、南西を犀川が流れる金沢市街の坂を数回に分けて歩く予定で、今日は金沢城公園、兼六園内と兼六園沿いの坂道散歩です。

 金沢駅東口から南へ六枚交差点を越え、すぐに鞍月用水沿いの道に入る。鞍月用水は水量豊かで、音を立てて澄んだ水が勢いよく流れている。中央小学校の所で用水と別れ金沢城公園へ。甚右衛門坂は坂上近くの一画が工事中で歩行禁止。大回りして黒門から入り坂上からなんとか写真を撮る。いもり坂を下っていもり(宮守)堀園地、兼六園の真弓坂口から桂坂口へ。石川門の石川橋の所からお堀通りへ下る坂を『金沢九十九坂』では下坂と呼んでいるが、兼六園随身口の係員の女性は下坂の名は聞いたことがないという。通称されている坂名ではないようだ。

 紺屋坂を往復し、兼六園に沿って上坂を上り下りすると兼六坂の坂上近くに出る。兼六坂にはいくつもの坂名の変遷があるが、今の坂名が一番つまらない。兼六園は歩きたくないが坂名のついている坂が6つもあるので入らないわけにはいかない。上坂口から園内へ。平日でもかなりの人で外国人も多い。徽軫(ことじ)灯篭の前の虹橋の所では写真を撮る人が待っている。

 桂坂口から出て、真弓坂口前の石浦神社から広坂を上る。広くて美しい坂だ。車の往来もさほででない。途中、きれいにカーブして本多の森へと上っていく。坂上近くの金城霊沢は「金沢」の地名の起こりの地という。広坂を下り、百万石通りを、繁華街の香林坊へ。香林坊交差点の北国街道が香林坊坂で犀川大橋へと下っている。香林坊109脇の鞍月用水沿いから大野庄用水沿いに出て、長町の武家屋敷跡などを通り、再び鞍月用水に出て六枚交差点から金沢駅へ向った。

 *参考:『金沢九十九坂
 *兼六園内の坂は最後にまとめて掲載。

 写真をクリックすると拡大します

Dsc02376鞍月用水【ル-ト地図】の①

犀川の上菊橋上流右岸から取水し、市内繁華街を流れる用水。

Dsc02374 説明板

Dsc02379 中央小学校(左)の所の鞍月用水

Dsc02382甚右衛門坂 お堀通りの大谷廟所前あたりから南東に金沢城公園に上る。 《地図

【坂標】の説明文:「天正八年佐久間盛政の攻撃を受けたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。」

工事中で通行止め。警備員と押し問答するが通れず。

Dsc02388 坂上から

Dsc02386 尾崎神社(丸の内5-5)

Dsc02385 説明板

Dsc02391 いもり坂上から金沢城

Dsc02400 説明板

Dsc02396 いもり坂(坂下方向) お堀通りのいもり堀園地の北側から北東に金沢城公園に上る。 【ル-ト地図】の②

いもり(宮守)堀跡から上る明治以降に開かれた坂。

Dsc02398坂上方向

Dsc02402 坂下から

Dsc02416 いもり堀跡

いもり坂の坂下。

Dsc02410 尾山神社神門(尾山町11)

和洋混合のユニークな三層の門。国の重要文化財。

Dsc02412 説明板

Dsc02411 尾山神社

前田利家を祀る。明治6年卯辰山山麓から金谷御殿の跡地に新社殿を建築した。

Dsc02404 東神門

桃山風御殿様式の唐門。

Dsc02405 説明板

Dsc02427 下坂(右) 金沢城石川門の石川橋から南西にお堀通りに下る。坂上は紺屋坂の坂上。《地図

上坂に対しての坂名だが、通称されてはいないようだ。

Dsc02430 紺屋坂 石川橋から北東に兼六園下交差点に下る。《地図

【坂標】の説明文:「加賀藩初期に藩の御用染商、舘紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名がついた。」

Dsc02434坂上方向

Dsc02435坂下方向

Dsc02436 上坂(紺屋坂上から) 兼六園上坂口前を上り下りして石川橋(紺屋坂と下坂の坂上)に至る坂。《地図

坂名の由来が分からず。

Dsc02437 兼六園上坂口の方へ下って上る。

Dsc02439 兼六園「上坂口」近く

Dsc02457 左・上坂、右・兼六坂

Dsc02442 兼六坂(坂下方向・上坂から撮影) 兼六園下交差点から南から南東、南西に上る百万石通り。《地図

①「修理谷坂」(小幡修理の屋敷があった。)→②「汁谷坂」(いつも坂から水が滲み出ていた。)→③「汁垂坂」→④「尻垂(しりたれ)坂」(長い坂で大八車を押し上げる人足の尻が垂れているように見えた。) こんな風に坂名の変遷があったのか。「尻谷坂」とも呼ばれた。坂上近くから下る坂に「小尻谷坂」がある。

『サカロジ- 金沢の坂』には、「尻垂れている」は貧乏しているとか、ダウンしているという意味で、そんな名前はふさわしくないというので、昭和33年に住民の合意もあって兼六坂と改名された。」とある。

Dsc02446 坂途中から坂上方向

Dsc03545 坂途中から坂下方向

Dsc02497 石浦神社(本多町3-1)

石浦郷7カ村の郷社。天平時代の創立という。

Dsc02496 説明板

Dsc02500 広坂(坂上方向) 広坂交差点(お堀通・本多通)から東から南東に兼六園に沿って上る。 【ル-ト地図】の③

【坂標】の説明文:「坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。」 

「作事坂」は兼六園の所にあった土木工事を司る奉行所に通じていたから。「安房殿坂」は本多安房守の屋敷が坂上あったから。 『サカロジー 金沢の坂』 坂上は藩老本多蔵品館、県立歴史博物館などがある「本多の森

Dsc02509 坂下方向

Dsc02510 坂上から

Dsc02512 金城霊沢 【ル-ト地図】の④

「金洗沢」ともいわれる。「金沢」の地名の起こりという。

金沢の地名伝説『芋掘り藤五郎

Dsc02511 説明板

Dsc02513 今も水が湧いている。

Dsc02516 金沢神社(兼六町1-3)

Dsc02519 県立歴史博物館(出羽町3-1)

陸軍の兵器庫から戦後は金沢美大の校舎だった。

Dsc02520 説明板

Dsc02525 香林坊坂(坂下方向) 香林坊交差点から片町交差点の方へ下る北国街道(国道157号)。《地図

香林坊は僧の名。比叡山の僧だったが、還俗して金沢の向田家に婿入りした。目薬を調合する秘法を知っていて前田利家に献上した。香林坊が営む薬種屋のある町を香林坊とよんだ。『サカロジー 金沢の坂』

Dsc02529 坂上方向

Dsc02527 香林坊橋跡

欄干の石柱か

Dsc02526 説明板

Dsc02530香林坊109横の坂《地図

歩道の右側に鞍月用水の水が流れる。

Dsc02531 坂下の鞍月用水

上の写真のすぐ手前

Dsc02532 老舗記念館(長町2-2)

手前は大野庄用水。

Dsc02536 長町武家屋敷沿いの大野庄用水。【ル-ト地図】の⑤

犀川の桜橋上流で取水し、市街を抜けて北陸線以西の水田を灌漑している。金沢で最も古く、金沢城の築城に大きな役割を果たした。

Dsc02539 長町武家屋敷跡(長町1-3)

Dsc02540 説明板

Dsc02545武家屋敷

Dsc02460兼六園の坂の「地図

随身坂(坂下方向)

左は成巽閣。

Dsc02463 坂上方向

Dsc02469 長谷坂(坂上方向)

Dsc02467 長谷池

Dsc02475 真弓坂(坂上方向)

幕末まではここに物見所があった。

Dsc02476 坂上の瓢池と翠滝

Dsc02478 松濤坂(坂下方向)坂下は蓮池門。

松籟(しょうらい・松に吹く風の音)を濤(大きな波)にたとえて坂の名がつけられたとされる。

Dsc02424 蓮池門跡

Dsc02423 説明板

Dsc02482 不老坂

藤の旺盛な成長ぶりにあやかって名づけられたとされる。

Dsc02488徽軫(ことじ)灯篭と虹橋

写真撮影の定番スポット

Dsc02485 説明板

Dsc02495 桂坂(坂上方向)

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2007年10月 1日 (月)

新座市の坂-6・所沢市の坂-1

2007年10月1日

Dsc02304_3 新座駅(JR武蔵野線)・・・川越街道(新座和光線)・・・大和田の坂・鬼鹿毛の馬頭観音・・・下倉坂(川越新座線)・木の芽坂(右の写真)・氷川神社・・・鎌倉街道・・・普光明寺・・・観音堂・川越街道・・・英(はなぶさ)橋(柳瀬川)・・・浦和所沢バイパス・・・鎌倉坂(所沢市)・・・柳瀬荘長屋門(所沢市)・・・薬師寺(新座市)・・・中野坂・倶利伽羅不動尊・・・富士講碑・・・新座駅

  【ルート地図

 小雨が降る涼しい日、川越街道大和田宿付近の坂道散歩です。車の往来の激しい通りの脇に歴史を感じさせる所もあちこちに残っています。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02293 大和田の坂(坂下方向) 大和田小学校入口交差点から北西に下る川越街道。《地図

大和田宿の面影はない。本陣などもどこにあったのか分からないようだ。

Dsc02291 川越街道説明板

Dsc02287 鬼鹿毛の馬頭観音(大和田1-16、大和田の坂の坂上近く)《地図

新座の民話『鬼鹿毛さま』 名馬「鬼鹿毛」が死んでも亡霊となって主人のために走り続けたいう。元禄9年(1696)の建立。高さ約127cmで市内で最大、最古の石造の馬頭観音。保存状態も良く、脇に馬頭観音礼拝塔などもあり信仰の厚さが伺える。

Dsc02289 説明板

Dsc02298 下倉坂 大和田4丁目の氷川神社と大和田5丁目の間を北東に上る川越新座線。《地図

傾斜はほとんどない。このあたりの地名による坂名か。

Dsc02308木の芽坂 大和田5-7と5-8の間を南東に上る。《地図

Dsc02305坂上近く

一度平らになってさらに上る。

Dsc02312 氷川神社(大和田4-15)

Dsc02310 説明板

Dsc02314 鎌倉街道 《地図》(氷川神社の後ろ側から。正面右は普光明寺)

久米川宿(東村山)で鎌倉街道の上道と分かれ、柳瀬川沿いを通って宗岡(志木)で荒川を渡っていたという。

Dsc02322 鎌倉街道説明板

Dsc02320 普光明寺山門(大和田4-13)

享保年間(1716~35)の建立。

Dsc02319 説明板

Dsc02317 地蔵堂?

源頼家が奉納したという千体地蔵尊が納められている。

Dsc02324 観音堂(鎌倉街道が川越街道とぶつかる大和田郵便局の前。大和田4-6)

小さな屋根はあるがお堂はない。

Dsc02326 柳瀬川(英橋から)

Dsc02329 鎌倉坂(坂下方向) 所沢市坂之下の浦和所沢バイパスの坂の下交差点から南西に下る。《地図

鎌倉街道の上道の枝道(羽根倉道)へ通じていた坂だろう。

Dsc02331坂上方向

坂上で浦和所沢バイパスで遮断されその先は途切れる。昔は柳瀬荘あたりから跡見学園女子大の方まで上っていたのだろうか?

Dsc02330 天神社(鎌倉坂の西側沿い)

Dsc02334柳瀬荘長屋門(所沢市坂之下)

Dsc02338 長屋門脇から上る坂 《地図

坂上で黄林閣へ出る。

Dsc02343柳瀬荘黄林閣(左)に沿う坂 《地図

黄林閣は国指定重要文化財

Dsc02349 薬師堂(左)・黄林閣に沿う坂

Dsc02350 中野坂 中野1丁目と2丁目の間を北西に上る川越街道。(坂上方向)《地図

車の往来が絶えない。

Dsc02359 倶利伽羅不動尊?(中野バス停近くの小川沿い)

水神様として祀られているという。一番左が倶利伽羅不動だろうか?

Dsc02354 富士講碑(跡見学園の少し手前の川越街道沿い)

「三国第一山」と刻まれているようだ。

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