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2007年11月 9日 (金)

志木市(埼玉県)の坂-1

2007年11月9日

Dsc03841_2 志木駅・・・ユリノ木通り・・・昭和新道・浪人坂(右の写真・坂下方向)・浪人窪・・・江戸道・・・県道36号・市場坂・西川家潜(くぐ)り門・・・栄橋(柳瀬川)・いろは橋(新河岸川)・・・いろは樋大枡・・・引又新河岸あたり・引又観音堂・・・富士見下橋(新河岸川)・・・いろは親水公園・かに(蟹)坂・・・敷島神社・田子山富士塚・・・東明寺(庚申供養地蔵)・・・宝憧寺・・・城山貝塚・・・柏の城大堀跡?・・・館の氷川神社・・・不動尊・・・(東上線)・・・大塚地蔵・・・鎌倉街道跡・・・大六天神社・・・塚の山古墳・・・(東上線)・・・千手院・・・神明社・・・柳瀬川駅

 志木も白子や新座と同様に新羅の転訛だろう。浪人坂の位置がはっきりしなかったが市場坂上交差点に移築、一部復元された武州一揆の刀傷が残る西川家潜り門の前で、郷土史研究家の牛山さんに声をかけられ、いろいろ教えていただき道筋もはっきりした。

 市場坂沿いは六斎市が開かれ賑わった所で、今でも古い造りの店が残っていて往時をしのばせる。蟹坂は敷島神社の裏から「いろは親水公園」の池に下りる遊歩道となっている。昔のままの道ではなく、蟹の代わりに池にはあひるや鴨が遊んでいるが、この遊歩道を蟹坂としてもいいだろう。市場坂上交差点近くには、いろは樋(野火止用水を引又から新河岸川対岸の宗岡村に引くための筧(かけひ))の大枡が残り、交差点の空き地はいろは樋の模型付きの詳しい説明と実物大?の小枡、大枡、受け樋が設置され、水も流れていてなかなか見ごたえがある。

 市場坂上交差点から県道113号を上り、蟇俣(引又=志木)の文字が光背に刻まれている東明寺の庚申供養地蔵を見て、宝憧寺に寄り、柏3丁目の志木中学校脇の坂を下ると城山貝塚だ。縄文時代前期の気候の温暖化で極地の氷が解け、海がこのあたりまでせまっていたらしい。最近の地球温暖化で、また海が押し寄せて来る日もそんない遠くないかも。坂上近くの柏の城大濠跡には福祉施設が建てられるようで建設工事中。大濠跡は残るのだろうか? 

 館の氷川神社に寄り、寂れた感じの不動尊前を右折し東上線を渡り、大塚交差点のなんとも愛嬌のある顔の大塚地蔵さんの前から坂を下り、細い道を入ると大六天神社の小祠がひっそりと立つ。坂を上り返すと鎌倉街道跡の説明板が道脇の空き地にポツンと立っている。鎌倉街道の上道と中道を結ぶバイパスがここを通っていたという。すぐ近くに塚の山古墳が頭に小祠を乗せてて残っている。直径6~7mくらいの小円墳で、近くの消滅した数基の古墳と大塚古墳群呼ばれていたという。大塚地蔵の前の道を北方向に進み馬頭観音を過ぎ、東上線の踏み切りを渡ると、右手に千手院がある。線路沿いの坂を柳瀬川駅方向に下る途中の神明社に寄り、柳瀬川駅に向った。

  【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03843 浪人坂(坂上方向) 本町3-15と4-6の間を北西に上る昭和新道。

江戸時代の事であろうが、定かではないがこの坂で浪人同士が斬り合ったことから浪人坂と呼ばれ、その時斬り殺された者の死体は村人がこの窪地に埋めたのでここを浪人窪と呼んだといわれている。『志木市史 民俗編』 左の木の茂っているあたりが浪人窪。

Dsc03849 市場坂(坂上から) 本町1丁目と2丁目の間を北東に下る県道36号。

寛文の頃に開設された引又の六斎市(月6回開かれる市)で賑わった通り。

Dsc03846 坂沿いの旧家①

亀屋商店(燃料・園芸土)

Dsc03848

旧家②

薬屋

Dsc03850 旧家③

Dsc03857旧家④

Dsc03852_2 旧西川家潜り門説明板

Dsc03855 西川家潜り門

本町2丁目の西川家の中庭にあった門をここに解体、復元。慶応2年(1866)頃の建築。

Dsc03853 門柱に残る武州一揆の刀傷

Dsc03863 村山快哉堂説明板

Dsc03862村山快哉堂(中宗岡5丁目)

明治10年に建築された、「中風根切薬」などを製造、販売する二階建て土蔵造りの薬店。本町3丁目からいろは親水公園内(栄橋そば)の移築・復元。

Dsc03901 市場坂(坂下近くから坂上方向)

傾斜はゆるい。

Dsc03860 栄橋から柳瀬川

正面左側から新河岸川が合流する。

Dsc03864 いろは橋から新河岸川

正面右側から柳瀬川が合流する。

Dsc03868 いろは樋の大枡

水を大枡に溜め、正面右の管(下り竜)から勢いをつけ樋に送り出した。

Dsc03866 説明板

Dsc03903 いろは樋の仕組み

Dsc03907 いろは樋の復元模型

手前の小枡から中央の大枡に野火止用水を流し込み水を溜め、その先の受樋に流し、対岸に掛け樋で対岸に渡す。

Dsc03902 新河岸川を渡るいろは樋

Dsc03875舟運で賑わった引又河岸あたりの新河岸川。

左から柳瀬川が流れ込んで合流したあたり。

Dsc03869 説明板

Dsc03899_2 引又観音堂(本町2丁目の新河岸川沿い)

屋根の右上向うに飛行船が飛んでいる。

Dsc03871説明板

Dsc03872 堂内の聖観音(中央・元禄10年?)と馬頭観音(左右・左は明和6年?)

Dsc03881 蟹坂下のいろは親水公園の池

Dsc03888 蟹坂(坂上方向) 本町2丁目のいろは親水公園の池の脇から敷島神社の方へ上る階段坂。

崖上からの急な小道があり、途中に清水が湧き、流れに沿ってサワガニが生息していた。町内の子どもたちはここに来てカニを捕って遊んだという。『志木市史 民俗編』から

Dsc03892 坂下方向

Dsc03894 敷島神社(本町2-9)

蟹坂の上の田子山にある。

Dsc03897 田子山富士塚(敷島神社境内)

もとは古墳だったらしい。

Dsc03896 説明板

Dsc03911 東明寺庚申供養地蔵(寛文7年(1667)・本町1-4)

Dsc03909 説明板

Dsc03912 光背の右側に「蟇俣」(引又)とある。

Dsc03916 宝憧寺(柏町1-10)

市内で一番大きい、高さ2.04mの馬頭観音文字塔がある。

Dsc03915 説明板

Dsc03919 城山貝塚(柏町3-3) 

Dsc03920 説明板

Dsc03924柏の城大堀跡?(志木小学校前の柏町3-9?あたり)

Dsc03923 説明板

薄くなって消えかかっている。いずれ撤去されてしまうのか?

Dsc03928 館の氷川神社(柏町3丁目)

左の狛犬の左側の石柱は嘉永6年(1853)の修復記念碑。

Dsc03926 説明板

Dsc03932 大塚地蔵(幸町2-10)

大塚交差点の所。大塚はすぐ近くの塚の山古墳による名か。

Dsc03933_2 大塚延命地蔵

正徳5年(1715)の建立。愛嬌のあるユーモラスな顔立ちの地蔵さんだ。

Dsc03948  由来碑

Dsc03946 大六天神社(幸町2-11)

安政6年(1859)の建立。

Dsc03944 由来碑

Dsc03947 鎌倉街道跡

右側の空き地に説明板が立つ。

Dsc03936 説明板

鎌倉街道の上道と中道のバイパスのような道で、大宮→与野→羽根倉の渡し→宗岡(志木)→大和田(新座・普明寺の前を通る道だろう。)→下宿(清瀬)→本郷(所沢)で上道に合流したらしい。

Dsc03941 塚の山古墳(幸町2-10) 

7世紀後半の径6~7m、高さ約3mの円墳。

Dsc03939 説明板

Dsc03949 馬頭観音(幸町2-10あたり)

Dsc03951千手院(柏町5丁目)

Dsc03953 神明神社(柏町5丁目の東上線沿い)

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コメント

最近話題のGoogle Mapの変調...グーグル側とゼンリンの提携大幅縮小が原因だそうですね。
当方も本来のマップ、ストリートビューともに使い勝手の低下にほとほと手を焼いておりますがストリートビューからも貴重な画像アーカイブスが何点か消えていることにお気づきでしょうか。
その中でも小生的に最も復活させてもらいたい傑作ビューとして当の志木市の市場坂上交差点付近のいろは樋復元模型周囲の2012年撮影のビューを挙げておきましょう。
県道36号線(保谷志木線)と県道113号線(川越新座線)が交差する同交差点にて後者側から東方(市役所方向)へ展開する歩道兼ポケットパーク入口付近に焦点を当てた同ビュー、車道と歩道を区切る曲線部分周辺に「県道36号」の白抜きの文字が配され、画像自体の色調・光加減の絶妙さと同時に「県道113号」の区画内に「県道36号」が部分的に重複する路線設定の巧妙さが表現された好画像だったと思います!!
尤も同画像が復活しなかったとして道路台帳内では依然いろは樋復元模型周辺は「県道113号でかつ県道36号でもある」という設定になっていること、当ポケットパーク構成部分である「模型の案内板」と「小桝展示部分の街灯」の二箇所に「県道㊱」という管理区域シールが設置されていることに免じて我慢すべきですかね。
お互いGoogleマップのさらなる改善を呼びかけましょう!!

投稿: 真鍋清 | 2019年6月16日 (日) 12:14

初めまして。
小生、志木市に育った人間ですが市場坂上のいろは樋、西川家潜り門ともに日常的にお目にかかっています。
志木市のクラシックで端正な街並みを引き立てる好モニュメントであるのと同時に、これらのモニュメントが配されたポケットパークは志木市を南北直線に貫く県道「保谷志木線」(主要地方道36号)が西南方向の県道「川越新座線」(一般県道113号)へとクロスする交差点たる「市場坂上交差点」の三角形の接続部分の中に設置されるその「区画形態」がユニークで心そそられます。
この三角形の地帯は、保谷志木線が南北に走る本線から20mほど同路線の支線を兼ねつつ川越新座線に向けて西南へと連結する部分で、まさに1975年以前は「浦和所沢線」として同交差点より西南の所沢方向へと展開していたバイパス路線の一角だったことにお気付きでしょうか?

投稿: 真鍋清 | 2014年9月15日 (月) 09:47

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