« 横須賀市の坂-16 | トップページ | 鎌倉市の坂-3(鎌倉街道下の道②) »

2007年11月19日 (月)

鎌倉市の坂-2

2007年11月19日

大船駅(東海道線)・・・戸部橋(柏尾川)・・・玉縄首塚・・・龍宝寺トンネル・龍宝寺・旧石井家住宅・玉縄民俗資料館・・・諏訪神社・・・七曲り・玉縄城址辺り・・・陣屋坂・・・ふわん坂・・・久成寺・・・ふわん坂・・・七曲り・・・戸部橋・・・塩釜神社・・・大船駅

 大船観音はやさしい顔だが何となく不気味だ。玉縄民俗資料館はただ雑然と古民具などが置かれているだけ、重要文化財の旧石井家も保存状態が悪い。同じ鎌倉でもなんでこんなに違うのか、観光客が集まる所だけ金かけて、世界遺産にしようとする。情けない。

 玉縄城へ入る道だった七曲りは今でも未舗装で、何度も曲がりながら上っていく。坂下も坂上も新しい住宅街になっているがこの坂だけは昔の面影を残しているようだ。坂上の北条早雲の築城という玉縄城の本丸跡は警戒厳重な清泉女学院の敷地内で入れない。(事前に学校の許可があれば入れるらしい。) ここは城廻という名の残るところだが、まさに城の廻りをウロウロしただけ、難攻不落なことだけは昔も今も変わらないということか。

 七曲りの坂上から少し下ると陣屋坂の坂上に出る。坂上の一角に玉縄城址の碑、陣屋坂バス停、坂の途中に陣屋坂もず公園、坂下近くに陣屋坂公園、相模陣東公園などが並んでいるが、坂の説明板はない。玉縄城の見張り陣屋があったという。

 ふわん坂も玉縄城の本丸へ通じていた坂で、途中から急な切通しとなり、両側から木が覆って暗くなる坂で、七曲りと同様、往時の玉縄城の要害ぶりを感じさせるある坂だ。坂名の「ふわん」とは何か。昼でも暗いこの坂を、夜は一人で歩いたらさぞ、「不安」だろう。「ふあん」→「ふわん」に。まさか、こんな由来ではないだろう。

  【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04257大船観音(岡本1-5)

大船駅近くの新富岡橋(柏尾川)あたりから。

Dsc04174 玉縄首塚(中央右)(岡本2-2)

六地蔵、庚申塔、馬頭観音なども並ぶ。

Dsc04176 玉縄首塚(岡本2-2) 

Dsc04175 玉縄首塚由来碑

碑には、「大永六年(1526)・・・中略・・・南総の武将里見義弘鎌倉を攻略せんと・・・」とあるが、義弘の生年は享禄3年(1530)(大永5年(1525)の説もある。)で、ちょっとおかしい。鎌倉を攻めたのは、里見義豊か実堯では?

Dsc04182 龍宝寺山門(植木128)

元禄年間の建立。

Dsc04187 旧石井家住宅

17世紀後半の建築。関谷から移築。

Dsc04184 説明板

Dsc04192 七曲り坂の坂下へ

正面の小山あたりがが玉縄城址。

Dsc04196 七曲り(坂下あたりから坂上方向) 植木70の植木子ども会館の前から何度も曲がりながら西方向に上る。

Dsc04198 坂下方向

Dsc04205坂上から

Dsc04207 玉縄城址へは清泉女学院の校内のため行き止まり。まさに難攻不落の城だ。

Dsc04208 陣屋坂 植木337?と433の間を曲がりながら南東に下る。坂下は県道302号(小袋谷藤沢線)。

玉縄城の見張り陣屋があったという。坂上の左側の石段に玉縄城址の碑、庚申塔などが立つ。

Dsc04246 玉縄城址の碑

永正9年(1512)北条早雲が築くとある。

Dsc04247 庚申塔(左の3つ)と新しい道祖神(右)

Dsc04222 坂上方向

Dsc04226 ふわん坂(坂上から) 県道302号の久成寺の東側の植木484と479の間から入り曲がりながら北東方向に上る。 

坂名の由来不明。

Dsc04236 坂下方向

Dsc04237 坂上方向

Dsc04240 坂下(右の道がふわん坂へ)の帝釈天塔(右)・左は「従是・・・・」で道標のようだ。

|

« 横須賀市の坂-16 | トップページ | 鎌倉市の坂-3(鎌倉街道下の道②) »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 鎌倉市の坂-2:

« 横須賀市の坂-16 | トップページ | 鎌倉市の坂-3(鎌倉街道下の道②) »