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2007年11月29日 (木)

金沢市の坂-6

2007年11月29日

金沢駅・・・武蔵ケ辻・・・小橋(浅野川)・・・俵屋(飴屋)・・・あめや(飴屋)坂・光覚寺・・・小坂神社・汐見坂・・・汐見坂緑地・うぐいす台・卯辰山工芸工房・卯辰窯・・・望湖台・・・一本松坂・宇多須神社奥社・・・松尾神社・・・宇多須神社・菅原神社・ひがし茶屋街・・・子来(こらい・こぎ)坂宝泉寺・東山蓮如堂・・・山野草園・・・子来坂・・・寿経寺・・・観音坂・・・観音院・・・観音女坂・・・山野草園・・・帰厚坂・・・花菖蒲園・・・千杵坂・三年坂・二年坂(開基坂)・一年坂・卯辰山三社・・・常盤町緑地・・・常盤坂・・・常盤不動尊・・・常盤橋(浅野川)・・・常盤橋バス停(金沢フラットバス)→武蔵ケ辻

 紅葉、黄葉、落葉の卯辰山と浅野川右岸の坂道散歩です。浅野川の小橋を渡り、あめや坂に向う途中で老舗の飴屋の俵屋があるのに気づく。店の若い女性の店員さん?に光覚寺の「あめかい地蔵」の聞いてみる。地蔵のことは知らないようだが、「飴買い幽霊」伝説のことは知っていた。導入寺にも同じような伝説があるのを教わり、さすがと思いちょっと嬉しくなる。あめや坂は国道に分断され坂とは呼べない有様だが、伝わる話は面白い(後述)。子供を虐待する今の母親(父親も)に聞かせたい話だ。

 小坂神社前から卯辰山公園への汐見坂の長い上りとなる。東京の汐見坂とは違い今でもちゃんと海が見える坂だ。坂上近くの紅葉が見事で望湖台まで上る。卯辰山工芸工房の前から下って宇多須神社奥社へ寄り、一本松坂を下る。ひがし茶屋街に来る観光客も急で長い子来坂までは来ない。子来坂は宝泉寺、蓮如堂を過ぎ山野草園の近くまで上っている。観音女坂も坂上近くで帰厚坂と合流し、卯辰山公園の花菖蒲園の前まで上る長い坂だ。ただし、今は観音院へは通じていない。

 帰厚坂を上り返し、花菖蒲園の中の千杵坂から卯辰山三社へ上り、常盤町緑地の方へ下る。この坂の紅葉もきれいだった。坂下の浅野川の常盤橋脇から常盤坂を上る。この坂は常盤不動尊の所で行き止まりとなる。お堂には何ともおかし味のある不動明王像が立っている。常盤橋を渡り、観光客と地元の人も乗っている金沢フラットバス(料金100円)で武蔵ケ辻へ出た。

  【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04734 俵屋(小橋町2-4)

天保元年(1830)創業のあめ(飴)屋。あめや坂の「飴屋」とは関係なさそうだ。

Dsc04735 あめや(飴屋)坂  森山2丁目の森山小学校の前から城北大通り(国道159号)を横切り光覚寺へ上る坂。 

藩政期のころはかなり長い急坂で、子供たちが荷車の後押しをして駄賃を貰っていたという。

「飴買い幽霊」の伝説 「藩政期初期のころ、光覚寺の門前の坂の飴屋に毎夜、飴を買いに来る女がいた。ある夜、「今夜が最後」と言い残し店を出て行った。店の主人が後をつけて行くと女は坂を上って光覚寺の墓地に入り、新しい土饅頭の前で消えた。それは子をはらんだまま急逝した若い母親の土饅頭だった。翌朝、役人や家人と掘り返してみると柩の中で男の子が生まれていた。赤子は元気だったが、一緒に埋めた六文の銭は一文も残っていなかった。母親の霊が坂を下りて、銭が無くなるまで赤子のために飴を買いに行ったのだ。それ以来、光覚寺の門前坂を「あめや坂」と呼ぶようになった。後に、男の子は立派な高僧になったという。『サカロジー 金沢の坂』より
 「あめや坂」は古事記の黄泉比良坂
出雲の坂-4と同じく、この世とあの世、生と死をつなぐ坂だったのだ。「飴買い幽霊 (子育て幽霊)」の話は、東京港区の中原街道 沿いの光福寺の「ゆうれい地蔵」、長崎市のゆうれい坂上の光源寺など各地にあり、上方落語にも「幽霊飴 」という話がある。

Dsc04736 国道159号を挟んで坂上に光覚寺

飴買い幽霊伝説の寺

Dsc04737 光覚寺説明板

最後に「飴買い幽霊伝説の寺としても知られていると。」とある。

Dsc04739 あめかい地蔵尊(光覚寺裏の墓地)

頭に苔が生え、歳月を感じる温和なやさし味が溢れる地蔵さん。

Dsc04753 小坂神社(山の上町42)

養老元年(720)の創建の延喜式内加賀十三座の中の一社で、小坂庄の総社。

Dsc04761 汐見坂(坂下近くから) 小坂神社の前から卯辰山公園に上る坂。

坂上近くから日本海が見える坂。

Dsc04758 小さな地蔵さん(坂下の小坂神社近く)

Dsc04767 汐見坂緑地付近から日本海

Dsc04770 坂上近くの紅葉

Dsc04772 卯辰窯

汐見坂の坂上近く。

Dsc04787 坂上方向

Dsc04781_2望湖台から

正面の高いビルが県庁。その向うに日本海。

Dsc04793 一本松坂 卯辰山の宇多須神社奥社の石柱前から松尾神社の方へ下る坂。石柱の前の坂。《地図

昔、旧社の辺りに「卯辰山一本松」という大きな松の木があった。「袈裟かけの松」とも呼ばれた。源義経が北陸道を経て奥州下りをしたとき、この松の下で休息をとり、袈裟を掛けたという。今は三代目の松が植樹されている。『サカロジー 金沢の坂』で名づけられた坂名で通称されている坂名ではないようだ。

Dsc04800 宇多須神社奥社

正面の松が三代目かの一本松なのか?

Dsc04794 説明板

Dsc04802 一本松坂(坂下方向)

Dsc04806 坂下方向

Dsc04811 松尾神社

一本松坂の坂下を進んだ所。

Dsc04809 説明板

Dsc04813 宇多須神社(東山1-30)

Dsc04812 説明板

Dsc04817 ひがし茶屋街(東山1丁目)

Dsc04818 説明板

Dsc04822子来(こぎ)坂 宇多須神社(左)の横から南東に上る。 

【坂標】の説明文 「慶応三年卯辰山が開発されたとき、作業に来た住民大勢が子供が来るようににぎやかに登ったのでこの名がついた。今はこらい坂と呼んでいる。」

Dsc04823 坂上方向

Dsc04826 坂下方向

左の石垣は宝泉寺。

Dsc04828 宝泉寺(子来町57)

Dsc04827 説明板

Dsc04840東山蓮如堂の蓮如像(子来坂の坂上近く)

昭和7年の建立の蓮如像。

Dsc04839 説明板

Dsc04852 観音女坂(正面)・観音坂(途中で右に入る。)

左は寿経寺(東山1-31)

Dsc04854 観音坂へ

Dsc04856 観音坂 観音院へ上る参道。 

【坂標】の説明文 「観音院の門前の坂で、加賀藩初期、同院の参道として作られた。明治四十二年北側に新しい坂路ができた。」 「新しい坂路」は観音女坂のこと。

Dsc04857 坂下方向

Dsc04860観音院

Dsc04855 説明板

Dsc04862 観音女坂 寿経寺の前から南東に上る。坂上近くで帰厚坂と合流し、花菖蒲園の前に出る。《地図

観音院の裏口へ上る坂だった。昭和41年の住宅地造成で観音院へ通ずる部分は切り崩され、今は観音院へは通じていない。女坂といってもかなりの急坂だ。

Dsc04865 坂下方向

Dsc04874 坂上近く

右から帰厚坂が上ってくる。

Dsc04876 坂上の車道(帰厚坂の新道)

子来坂の坂上の方へ上って行く。

Dsc04877 観音女坂(右)・帰厚坂(左)

Dsc04878帰厚坂 観音女坂の坂上近くから南西に下る。坂下を行くと天神橋(浅野川) 

【坂標】の説明板 「加賀藩主、前田慶寧が慶応三年卯辰山を開拓したときの坂で、「藩主の厚き徳に帰する」の意味から名づけられた。」

Dsc04879 坂下方向

一旦、平らになりまた急に下る。

Dsc04881 坂下方向

急になり浅野川へと下る。

Dsc04887 花菖蒲園(帰厚坂の坂上前)

Dsc04888卯辰山三社(卯辰神社・愛宕神社・豊国神社)案内図(花菖蒲園内)

千杵坂、三之坂、ニ之坂(開基坂)、一之坂の石段坂を上ると卯辰山三社。《地図

Dsc04890説明板

Dsc04892 千杵坂

Dsc04897 三之坂

Dsc04900 ニ之坂(開基坂)

Dsc04903 一之坂

Dsc04907謡曲「井筒」の業平の井筒

大和の在原寺から移されたというが、在原寺跡にも井筒跡が残る。『上街道・初瀬街道①

Dsc04906 説明板

Dsc04904 卯辰神社(天満宮)

Dsc04910 愛宕神社

Dsc04912 豊国神社

Dsc04916 常盤緑地・浅野川の方へ下る坂。《地図

手前へ下る。

Dsc04925 浅野川・常盤橋

Dsc04928常盤坂(坂下から) 常盤橋の脇から北東方向に常盤不動尊へ上る。《地図

Dsc04932常盤不動尊(東御影町)

Dsc04941常盤不動尊境内から(坂下方向)

Dsc04933_2 不動明王

黒目と歯が上下にズレているユーモラスな顔立ちの不動さんだ。

Dsc04940 行者窟跡

Dsc04926_2 ごり屋(常盤町60の常盤橋そば)

明和4年(1767)創業の金沢名物のごり料理が味わえる料亭。

(2010年8月に閉店したそうです)

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