« 三浦市(神奈川県)の坂-1 | トップページ | 宝篋山② »

2007年12月12日 (水)

市川市(千葉県)の坂-1

2007年12月12日

  矢切駅(北総開発鉄道)・・・腹切坂下・・・中原寺・・・じゅん菜池・・・国府台天満宮・・・総寧寺・・・里見公園(里見城跡・紫烟草舎・羅漢の井・夜泣き石・亡霊の碑・明戸古墳)・・・法皇塚古墳・・・下総総社跡・国庁跡・・・旅団坂・・・将軍坂・・・切通し坂・・・国府神社・・・真間川(根本橋)・・・江戸川・・・国府台駅(京成電鉄)

 縄文時代の貝塚から、古墳、下総国国府、総社、国分寺、国分尼寺、万葉の手児奈伝説、戦国時代の国府台の戦い、さらに明治から戦時中までの陸軍施設跡など、長い時代のさまざまな遺跡に彩られた市川市の坂道散歩です。

 矢切駅から松戸街道の栗山坂下交差点(腹切坂下)から左に入り、中原寺を過ぎるとじゅん菜池は近い。昔はじゅん菜がとれたといい、今ではきれいに整備された緑地公園となり、陽だまりの中を池辺を散策する人も多い。じゅん菜池から坂を上り松戸街道に出て、国府台天満宮、総寧寺、里見公園へと回る。このあたり一帯は陸軍の施設のあった所、さらに昔は里見城(国府台城)で国府台の戦いがあり、その前は下総の国府、総社があった。また古墳もいくつか残っている。

 里見公園に北原白秋が小岩にいた時に住んでいた家が復元されている。おととい、三浦市で北原白秋ゆかりの「屁っぷり坂」や白秋文学コースを歩いたばかりで、今年9月にも新潟の日本海沿いの「文学の砂山」で北原白秋とは出会っている。次回に訪れる予定の市川真間の亀井院にも白秋が住んでいたことがある。何の因縁か坂道散歩と縁のある御仁だ。このほかにも公園内には明戸古墳の石棺など見どころが多い。

 里見公園を出て松戸街道沿いの東京医科歯科大構内に入ると法皇塚古墳がある。市川市最大の前方後円墳だが、小高い林という感じで墳形ははっきりしない。歯科大と松戸街道を挟んで南側の国府台公園スポーツセンターの所はかつて陸軍国府台病院があり、古代には下総国の国庁と総社の六所神社があったというが、六所神社も移転し軍用地とされ、遺構などは何も残っていないようだ。

 スポーツセンター前のゆるやかに南方向に下る松戸街道が旅団坂で坂下近くの歩道橋脇あたりが旅団司令部があった所。この坂は大勢の囚人達に切り開かせた軍用の坂だ。歩道橋から江戸川の方向に上るのが将軍坂(この坂を旅団坂という人もいる。)で、東に弘法寺の方へ上るのが切通し坂だ。太平洋戦争が終わるまでこのあたり一帯は陸軍の施設で埋めつくされていて、まさに軍事基地だったようだ。
 今は公園、学校、スポーツ施設、病院などに一変して様変わりした。ことに学校が多く、東京医科歯科大、国府台高校、第一中学校、和洋女子大学、千葉商科大学、筑波大附属聾学校、そして幼稚園などが松戸街道沿いに目白押しで、学生が行き交っている。うっかり女学生にカメラを向けたらまずいので苦労する。国府神社へ寄り、真間川を越え、国府台駅近くの江戸川の土手で一休みして帰路についた。

  腹切坂は「松戸市の坂-2」(2006年7月2日)に記載。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_0321 じゅん菜池の西側の坂

Img_0323じゅん菜池緑地  《地図

Img_0325 じゅん菜池

昔は国分沼と呼ばれ、じゅん菜がとれたが、戦後、田んぼから泥沼化した。地元の要望により昭和54年にじゅん菜池緑地に整備した。

Img_0333

Img_0335まだ紅葉が残る。

Img_0342 国府台天満宮(正面奥)へ上る坂(坂上方向)

Img_0338「国府台天満宮」・辻切り説明板

Img_0339 国府台天満宮 《地図

文明11年(1479)太田道灌の建立という。明治までは法皇塚古墳の墳頂にあった。毎年1月、境内で辻切りが行われる。

Img_0343 説明板

説明板の夜泣き石は、今は里見公園内にある。

Img_0345 総寧寺(国府台3-10)

山門前の標柱に「曹洞宗里見城跡総寧寺」とある。

Img_0347里見公園

Img_0350 案内図

Img_0348 国府台(こうのだい)城跡の碑

Img_0349国府台城跡説明板

2度に渡る国府台合戦の地。別名を里見城、市川城。(市川城は別の城という説もある。)

Img_0353 紫烟草舎(里見公園内)

北原白秋が小岩に住んでいた時の家の復元。小岩に移る前は市川真間の亀井院に住んでいた。

Img_0351 説明板

Img_0356 江戸川(里見公園から)

Img_0364 明戸(あけど)古墳(里見公園内) 

全長約40mの6世紀後半の前方後円墳 左側の後円部上に箱式石棺が2基。国府台城の土塁とされていたため、墳形ははっきりしない。

Img_0359 箱式石棺

Img_0357 説明板

Img_0369 夜泣き石

国府台合戦にまつわる悲しい伝承のある石。下の平らな石はもとは箱式石棺の蓋だったもの。

Img_0366 夜泣き石伝説

Img_0368 亡霊(群亡)の碑

これも国府台合戦で敗れた里見方の慰霊碑。中央が「里見諸将霊墓」・左が「里見諸士群亡塚」で、文政12年(1829)の建立。右は建立年代不詳の「里見広次公廟」

Img_0367 説明板

Img_0370_2 見返地蔵

里見公園から法皇塚古墳(東京医科歯科大)へ向う道沿い。何を見返すのか、どこを見返すのか?

Img_0376法皇塚古墳(国府台2-8の東京医科歯科大構内) 《地図

全長54.5mの6世紀後半の前方後円墳。これも墳形がはっきりせず。

Img_0375説明板

古墳の前の大学の掲示板に貼ってある。ここでは直径58m、6世紀前半の築造となっている。

Img_0381 下総総社跡あたり 《地図

国府台公園スポーツセンターの野球場と陸上競技場の間。

Img_0380 説明板

Img_0382 国庁跡あたり

スポーツセンターの野球場あたり。

Img_0384 旅団坂(坂上から) 国府台2丁目交差点あたりから南方向に下る松戸街道。 《地図

坂下近くの歩道橋の西側(写真の右奥)に陸軍の野砲連隊第二旅団司令部があった。

Img_0386 坂下方向

歩道橋の所から右へ将軍坂、左へ切通しの坂が上る。将軍坂との間に旅団司令部が置かれていた。

Img_0388 坂上方向

歩道橋の上から

Img_0391 将軍坂(坂上方向) 旅団坂下近くの歩道橋の脇から北西に上る。《地図

坂沿いの東側(写真の右側)に旅団司令部があったのでこのように呼ばれたのか。司令部には少将がいたようだ。この坂が旅団坂かも?

Img_0394 第二旅団司令部跡は公園になっている。

Img_0399 坂下方向

Img_0390 切通し坂(坂上方向) 旅団坂下の歩道橋の脇から東に弘法寺の方へ上る。 《地図

Img_0407 坂上方向

Img_0411 説明板

Img_0412 国府神社 《地図

日本武尊の東征伝説のある神社。

Img_0414真間川

国府台駅近くの根本橋から

Img_0418 江戸川

海(東京湾)から13.5km地点。陸橋を京成のスカイライナー(成田空港行き)が渡る。すぐ近くに市川関所跡がある。

|

« 三浦市(神奈川県)の坂-1 | トップページ | 宝篋山② »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/17366901

この記事へのトラックバック一覧です: 市川市(千葉県)の坂-1:

« 三浦市(神奈川県)の坂-1 | トップページ | 宝篋山② »