三浦市(神奈川県)の坂-1
2007年12月10日
三崎口駅(京浜急行)・・・西瓜(すいか)坂(三崎街道)・・・引橋・・・横須賀三崎線(県道26号)・・・旧道・・・義士塚・・・なもた坂・真光院・・・向坂・・・油壺線(県道216号)・・・横須賀三崎線(県道26号)・・・真浄院・・・天神町交差点・・・屁っぷり坂・・・歌舞島公園・・・西浜地蔵堂・・・三崎公園・・・小桜姫坂・本端寺(桜の御所)・・・三崎公園・・・北条湾・・・ばんば坂・・・城ヶ島大橋・・・大椿寺(椿の御所)・・・北条湾への坂・・・天神町バス停→三崎口駅
三浦氏、源頼朝ゆかりの三浦半島南端の坂道散歩です。今の季節、西瓜坂にはむろん「すいか」を売る店は並んでなく三浦大根が干してある。冬は大根坂というところか。
鎌倉時代、いざという時に架けている橋を引いて敵の侵入を防いだ引橋があったあたりの引橋交差点から県道26号に入り南下し、途中から旧道へ入る。
小網代配水塔、小さな円墳のような二つの義士塚を過ぎ、左へ曲がりなもた坂の坂上に出る。樹木に覆われ薄暗く、枯葉、落葉、木漏れ日の、昔の面影をとどめているなかなかいい坂だ。県道ができるまでは小網代から三崎への主要道だったという。坂下から向坂となり、名向小入口交差点まで上る。
油つぼ入口交差点で県道26号に入り、真浄院の先の天神町交差点を右折して、途中地蔵さんやら庚申塔が並ぶ道を進み、屁っぷり坂の坂上へ向う。赤土の急坂だったという屁っぷり坂の途中には北原白秋文学コースの案内板が立っている。坂下から歌舞島に寄り、三崎港沿いの細い道を抜け、三崎公園から桜の御所の本端寺の前の石段、小桜姫坂を上る。小説に出てくる坂名のようだ。
小桜姫坂の坂下から北条湾沿いに、桜の御所と北条湾を挟んで反対側の椿の御所のバス停からばんば坂を上り、城ヶ島大橋の中ほどまで行って引き返す。城ヶ島へは小学校の遠足以来行っていないが名前のついている坂もないようだし割愛した。城ヶ島大橋の料金所の脇あたりから細い道がついていて途中から急な石段坂となって北条湾の方へ下っている。椿の御所の大椿寺に寄り、湾沿いに北条バス停近くまで戻り、北条湾への坂を上り、天神町バス停へ出た。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
西瓜坂(坂上方向) 京急三崎口駅前から南東にゆるやかに上る三崎街道(国道134号)。
夏場は沿道に三浦すいかの直売所が並ぶ。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の「三浦半島記」にも「三浦大根と隼人瓜」という章がある。
バス停引橋近く。坂上から県道26号に入ったあたりが引橋のあった所というがよく分からず。引橋とは敵の侵入の際に架けてある橋を引いて敵が攻め込んでこれないようにする役割の橋。ここのは外の引橋で、内の引橋は油壺の三浦氏が滅亡した新井城址近くにあった。
義士塚 《地図》
正面の二つの小円墳のような塚。三浦義同(よしあつ)家臣の大森、佐保田父子がここで切腹したとも、北条早雲の家臣をここに葬ったともいわれる。円墳説もある。
坂上の江戸時代に小網代の名主だった高橋家の屋号「なもた」による坂名。県道ができるまでは三崎から小網代に至たる主要道だった。
北条早雲に攻められ新井城の三浦道寸義同は永正15年(1518)自害する。道寸の身重の愛妾は城を逃れ、なもた坂の坂下の小川近くで赤子を産み落としてしまう。愛妾は橋のたもとに赤子を手厚く葬り、自ら命を断ったと言う。以来、この橋を産後三十三日を過ぎない女性が渡ると禍が降りかかるといわれ、塩で清めてから渡った。今は小川も暗渠となり橋もなくこの坂を通る人も少ないが、坂だけは昔の面影を色濃く残している。
なもた坂の坂下。
三浦道寸義同父子が帰依した寺。
向坂(坂上方向) なもた坂の坂下から南東から南方向に上る。坂上は県道216号の名向小入口交差点。《地図》
名向という字名からの坂名か、それとも何かに向う(例えば真光院)坂という意味か?
向坂新道(坂上方向) 真光院の前を南東に名向小入口交差点に上る県道216号。《地図》
真光院は坂下の右側。
「三浦地蔵尊霊場」の第14番札所「原の身代り地蔵」
石仏(県道26号の天神町交差点から右に曲がり、屁っぷり坂へ向う途中。)
かつては赤土の急坂で、雨の後などは滑らないように這うようにして上り、腹に力が入り思わず放屁してしまう坂だった。正しくは尾上(拝み)坂。源頼朝が歌舞島に遊覧に来た時は、三崎の人々はこの坂の上から拝んだという。
北原白秋は大正2年5月に東京から三崎に移った。大正3年2月に小笠原の父島へ渡るまでのわずかの間だったが、♪「城ヶ島の雨」♪など多くの作品を残した。
(北原)白秋文学コース案内板
「屁っぷり坂」の途中。
白秋文学コース案内板にある歌の「・・・一尺の赤き鳥居の光」と「坂の上り口の左側の屋敷稲荷」は階段沿いの小さな鳥居と小祠のことだろう。坂上の天神町の由来となった小さな天満宮は見当たらず。
白秋文学コースの説明板が立つ所。
歌舞島(公園) 《地図》
源頼朝ら幕府の面々が歌舞や宴楽を催したという。左は魚藍観音。
小村三千三作詞 「よい子が住んでる よい町は・・・」
三浦地蔵尊第十六番札所。
村井玄斎の小説「桜の御所」に登場する悲恋の小桜姫に由来する坂名。
正面は城ヶ島大橋。
源頼朝が設けた、桜、桃、椿の御所の「桜の御所」 桃の御所の見桃寺(白石町)に寄るのを忘れた。
ばんば坂(坂下から) 向ケ崎町の椿の御所バス停から南東方向に上り、向ケ崎跨道橋の下をくぐり北東に上る。
かつては道幅が狭く、暗い樹林の間の急坂で、年寄り、中でもお婆さんたちが難渋したという。「ばばあ坂」がいつしか「ばんば坂」になったという。
正面が向ケ崎跨道橋で右へ行くと城ヶ島大橋。跨道橋へばんば坂から上る階段がある。
車は有料道路だが、歩行者は無料。
城ヶ島大橋の料金所の先から北条湾、大椿寺の方へ下る急な階段坂の上から。
石段を上って左から城ヶ島大橋へ上る細い道がある。
大椿寺(だいちんじ)(向ケ崎町11)
源頼朝の「椿の御所」
三浦三十三観音の4番
北条湾への坂 城山町の三崎中学校の東側から南東に北条湾の方へ下る。《地図》
坂から北条湾は見えない。『坂道風土記 三浦半島』で名づけられた坂名で通称されてはいない。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- My郷散歩(松戸市・柏市)(2023.12.06)
- My郷散歩(柏散歩⑧)(2023.12.09)
- My郷散歩(松戸市・鎌ヶ谷市)(2023.12.05)
- My郷散歩(松戸)(2023.12.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント