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2007年12月15日 (土)

市川市の坂-2

2007年12月15日

市川大野駅(武蔵野線)・・・万葉植物園・・・八幡神社・・・ワダ(和田)の坂・・・本住寺・・・春日神社①・・・春日神社②・・・安国寺・・・曽谷坂・・・春木川・・・国分橋(国分川)・・・御堂坂・・・経王寺・・・宝珠院・・・下総国分寺・・・天満宮・・・下総国分尼寺跡・・・北台庚申塔・・・石塔坂・仙元宮・・・持国(じこく)坂・・・亀井院(真間の井)・・・手児奈霊堂・・・弘法(ぐほう)寺・弘法山古墳・・・須和田公園・須和田遺跡・・・郭沫若記念館・・・六所神社・・・御堂坂下・・・伊弉諾(イザナギ)神社・・・国分駅(北総開発鉄道)

 万葉植物園は木にちなんだ万葉集の歌が掲げてあって面白いが、少し狭すぎる感じだ。ワダの坂には近くに和田義盛の城があったという言い伝えがあるそうだがどんなものか。
 国分川を渡り、バス通りを越えて御堂坂を上ると下総国分寺で、石塔坂の下りとなり、持国坂を上って下総国府、総社跡へと続く古道だが、住宅地となっていて昔の面影は薄い。

 万葉の歌人にも歌われた真間の手児奈を祀る手児奈霊堂あたりには今も訪れる人が多いようで、今日も団体さんが池辺で説明を聞いていた。弘法寺の境内は広く見るべき物も多いが、弘法山古墳は崩れて半壊(それ以上か)の状態だ。急で一段が高い石段の男坂と女坂で地元の高校の陸上部らしい生徒が何度も上り下りしてトレーニングをしている。かなりハードできつそうでご苦労なこった。かつては下総の総社で国府台スポーツセンターの所にあった須和田の六所神社へ寄り、北へバス通りを進み、伊弉諾神社から国分駅に出た。昼飯も食べずに今日はかなり歩いて疲れた。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0475 三社宮(市川大野駅そば)

迎米集落(現在の大野二丁目)の鎮守。

Img_0476 説明板

Img_0493 万葉植物園(大野町5-1857)

Img_0485説明板

Img_0492_2 しらかし

Img_0491 「しらかし」にちなんだ万葉集の歌が掲示してある。

Img_0513 八幡神社(大野町1-132)

道順が分かりにくく苦労する。

Img_0516_2 ワダ(和田)の坂(坂下から) 下貝塚1-2と1-4の間を西方向に上る。 【ルート地図】の①

流山市と同様、坂はサガと発音する。坂の南側(ゴルフ練習場?)あたりに和田義盛の城があったという言い伝えがある。

Img_0522 春日神社①(下貝塚2丁目)

Img_0524 春日神社②(曽谷2丁目)

近くに曽谷貝塚がある。

Img_0526 安国寺(曽谷1-35)前の坂

Img_0531 曽谷坂(坂下方向) 曽谷3丁目と4丁目の間を曾谷坂上バス停あたりから西に下る。 【ルート地図】の②

Img_0533 坂上方向

Img_0535国分川(曾谷坂の坂下の国分橋から) 

Img_0538 御堂坂(坂上方向)

国分3丁目の下総国分寺の東側、宝珠院の北側から東方向に下る。【ルート地図】の③

国分寺の堂(金堂、講堂それとも今の本堂か?)に由来する坂名か。 別名を「見通し坂」

Img_0542 坂上方向

正面は下総国分寺

Img_0545 宝珠院水子地蔵尊(国分2-24)

Img_0546 下総国分寺伽藍配置図

法隆寺様式の配置。

Img_0551仁王門

Img_0550 本堂

Img_056357 庚申塔の二つの祠(国分5-7)

前後の木のある所。後ろが「北台庚申塔」

Img_0556 国分尼寺説明板

Img_0558 国分尼寺跡(国分4-17)

Img_0557 伽藍配置図

Img_0566 石塔坂(坂下方向) 国分2-17と3-20の間を東から北方向に上る。坂上左側に国分寺。【ルート地図】の④

石塔とは何なのか? 坂途中の仙元宮の小祠のことか、それとも国分寺に関係するものか? 別名を「水汲み坂」、昔、国分寺あたりは水がなく、坂下の湧き水を汲みに通ったことからこの名がついたという。

Img_0575_2 坂上方向

左の鳥居は仙元宮

Img_0580 持国(じこく)坂(坂上方向) 千葉商科大の東側から真間5-21と5-22の間を東方向に下る。【ルート地図】の⑤

近くに国分寺の四天王の持国天をまつる堂舎があったという。別名を「時刻坂」、国府から国分寺にいたる使者がここで時刻(寺鐘の音)を聞いたからという。

Img_0584 右へ上るのが持国坂

少し上った左側に持国坂の道標がある。

Img_0589持国坂道標(坂の途中)

文化5年(1808)の建立。正面:国分寺へ五町、 右側面:総寧寺六所神社、左側面:真間山  (六所神社は下総の総社で国府台スポーツセンターの所にあった。軍用地となり、明治19年に須和田へ移転。) この道標も昔は坂上(千葉商科大の三叉路の所)にあったのだろう。

Img_0602 亀井院(真間4-4)

北原白秋はここで大正5年5月から一と月半暮らした。

Img_0604 真間の井(亀井院境内)

伝説の美女、真間の手児奈が水を汲んだという井戸。

「勝鹿(葛飾)の真間の井見れば立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ」 (高橋虫麻呂)

Img_0605 手児奈霊堂(亀井院の前)

美しさゆえ、多くの男から求婚され、自分のために人が争うのを憂い、真間の入江に身を投げたという手児奈を祀る。

Img_0613 真間の入江の名残りの池。

南には真間川が流れている。

Img_0609手児奈霊堂説明板

山部赤人の歌:「我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児奈の奥つき処(どころ)」
「勝鹿の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ 手児奈し思ほゆ」

真間の入江・手児奈を詠んだ万葉集の歌:『たのしい万葉集

Img_0642_2 弘法寺(真間4-9)

正面が男坂の石段・左は女坂。

Img_0618 真間の継橋説明板

Img_0620 弘法寺説明板

Img_0623 仁王門

Img_0625 鐘楼

Img_0626 伏姫桜

樹齢400年以上の枝垂れ桜。「南総里見八犬伝」の伏姫にちなんで名づけられた。

Img_0627 国府台砲兵の碑(伏姫桜の後ろ)

国府台一帯は軍用地で、砲兵連隊もあった。

Img_0637 弘法山古墳(弘法寺境内) 《地図

全長43mの前方後円墳。南側は崖で崩壊している。6世紀後半から7世紀前半の築造。古墳説明柱の正面に通行止めの看板を取り付けている。

Img_0633 前方部?後円部?

Img_0639 弘法寺女坂

Img_0645 須和田遺跡説明板(須和田2丁目)

縄文から弥生、平安時代までの複合遺跡。

Img_0646 弥生時代の復元住居があった所。

Img_0648 郭沫若(かくまつじゃく)記念館(真間5-3)

昭和3年から10年まで市川で亡命生活を送った旧宅を移築復元。

Img_0647 説明板

Img_0651 六所神社(須和田1-22)

もとは国府台スポーツセンターの所にあった下総国の総社。軍用地となったため明治19年ここに移転。

Img_0649 由緒碑

Img_0654 伊弉諾(イザナギ)神社近くの坂

正面は北総開発鉄道

Img_0656 伊弉諾神社(堀之内4-21)

かつては権現様と呼ばれ地域の氏神だった。 

                        

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