所沢市の坂ー4
2008年1月30日
狭山ヶ丘駅(西武池袋線)・・・愛宕神社・・・狭山湖通り・・・能安寺・・・誓詞橋(砂堀川)・・・鎌倉街道上道(小手指道)・埋蔵文化財センター・白旗塚・小手指ケ原古戦場跡碑・・・小手指道・・・薬師堂・・・稲荷坂①(県道179号)・・・稲荷坂②(小手指ケ原古戦場通り)・・・稲荷坂③(狭山湖通り)・・・狭山自然公園・狭山湖(山口貯水池)・・・根古屋城跡・小太郎坂跡あたり・・・根古屋坂跡あたり・・・三ケ島八幡神社・・・狭山湖通り・三ケ島稲荷神社・・・大日堂バス停→小手指駅(西武池袋線)
久しぶりのポカポカ陽気で歩きやすかったが、坂の収穫は少ない坂道散歩だった。
鎌倉街道上道の支道の小手指道を南下して、鎌倉時代末の元弘の合戦ゆかりの誓詞橋、白旗塚、小手指ケ原古墳戦場跡をたどり県道179号に出る。
稲荷坂と稲荷社の位置がはっきりしない。3つの道筋が考えられるが特定できなかった。狭山湖は東京の水道源のため周囲が金網フェンスで囲われていて、北岸の根古屋城跡には近づけない。金網の隙間から写真を撮るだけであきらめた。周回道路から離れ、北東方向へ下り三ケ島八幡神社、三ケ島稲荷神社へ寄りバスで小手指駅に出た。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
二股の分岐点に「石橋二ヶ所供養塔」が立つ。
道標も兼ねていて、下の方に字が一部地面に埋もれているが、「右 川越 左 青梅」とあるようだ。石橋とは誓詞橋のことか。
誓詞橋(砂堀川)
鎌倉幕府倒幕に向う新田義貞がここで軍兵から忠誠の誓詞を取ったという伝説がある。
右 西国・坂東・秩父百番供養塔
小手指道
鎌倉街道上道の支道。右は埋蔵文化財調査センター(北野2-12)
合戦に向う新田義貞がこの塚の上に源氏の白旗を立てたという。
右が白旗塚碑
「小手指原古戦場」碑
元弘3年(1333)新田義貞軍と北条軍の古戦場
小手指ケ原はこのあたり一帯の入曾(狭山市)、藤沢(入間市)、南方の狭山丘陵を含む広い原野だった。
稲荷坂①(坂上から) 北野2丁目の県道179号の稲荷坂交差点から東に上る。
坂沿いに稲荷社は見当たらず、南の藤森稲荷神社のことか、西の三ケ島稲荷神社とはかなり離れている。
稲荷坂② 稲荷坂交差点から北東に上る小手指ケ原通り。 《地図》
この坂の近くにも稲荷社はないようだが。
稲荷坂③(坂下方向) 県道179号の狭山湖入口交差点から南に上る。坂上は狭山湖の上の狭山自然公園 《地図》
『所沢市史』はこの坂を「いなり坂」としているようだが、稲荷坂交差点からは遠く、稲荷社も見当たらなかった。
左側にかなり大きな「?道記念碑」が立つ。
東京市水道局の設置らしい、情けないが最初の字が読めない。
都民の水がめで、貯水池の回りは全部金網張りで入れない。
左が狭山湖、右は「トトロの森」4号地。地蔵の小祠もある。
このあたりが「根古屋城跡」だろう。金網内に道が下っている。金網の隙間からの写真。
「昔、星見(伏見?)小太郎と云人住せし所なるゆえにこの唱へありと」『新編武蔵風土記稿』
小太郎が根古屋城から馬でこの坂を下りて来た所をハサミ打ちで殺されたとの言い伝えもある。「小太郎」とは、根古屋城を築いた山口小太郎高忠のことか。それとも『新編武蔵風土記稿』の小太郎だろうか?
金網の住居標示には「所沢市勝楽寺438」
遊歩道の反対側
根古屋坂跡あたりか 《地図》
根古屋の西で北に上る坂で、田用水の溜池があったという。
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