長崎市の坂-5
2008年2月11日
長崎駅・・・旭大橋・・・旭町通り・・・ロシア村跡・・・三菱通り・・・恵美須神社・・・変電所の坂・九州電力飽浦変電所・・・三菱通り・・・上の坂・(右の写真)・・旭橋・悟真寺前通り・悟真寺・稲佐国際墓地の坂・・・泰三寺・・・弁財神社・・・数字坂・・・椿坂・・・淵神社・桑姫社・長崎ロープウエイ→稲佐山・・・椿坂・・・コンクリート坂・・・稲佐橋・・・県庁坂・・・新地中華街・・・湊公園・長崎ランタンフェスティバル・・・館内の坂(唐人屋敷通り)・土神堂・天后堂・福建会館・・・湊公園
1月に来た時の長崎は春のような陽気だったが、今回の坂道散歩は冬らしく寒くなるようだ。今日はまださほど寒くはないが。浦上川河口の旭大橋を渡り南に行き、飽の浦のバス停の手前から長崎で車が通れる坂で一番急な坂道という変電所の坂を上る。坂下へ引き返し、二つの銀行の間から長く細い上の坂を上る。小さな流れに沿ってくねくねと曲がりながら家々の間を上って行くと上の坂バス停近くの新道の車道に出る。坂下から旭橋まで来た道を戻り悟真寺へ向う。
稲佐国際墓地の坂の坂上からの眺めがいい。稲佐小学校そばの数字坂は面白い坂名だが坂自体に面白味はなく、椿坂は今は坂名のような風情はまったくない平凡な坂になっている。椿坂の坂下から淵神社へ入り、ロープウエイで稲佐山展望台へ。自慢の夜景にはまだ早いがけっこうな景色が広がっている。
コンクリート坂を下って稲佐橋を渡り一休み。長い日もとっぷり暮れた頃、新地中華街から長崎ランタンフェスティバル会場の湊公園へ向う。休日のこともありすごい人出だ。ついでに唐人屋敷通りの館内の坂まで足を伸ばしてみた。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
道永栄(稲佐のお栄)が明治22年頃開業したホテル「ヴェスナ」もこのあたりにあった。「ヴェスナ」とは「春」のこと。
変電所の坂(坂下から) 飽の浦町10と13の間を北方向に上る。
九州電力が変電所用として建設した私道。
坂下正面は三菱重工長崎造船所
上の坂(坂上方向) 入船町11の十八銀行と12の新和銀行の間を曲がりながら西方向に上る。
悟真寺山門(赤門) (曙町6)
現存する長崎の最古の寺。稲佐の地名の由来となった豪族、伊奈佐氏の館跡とも伝えられている。
稲佐国際墓地の坂 《地図》
墓地の中央の坂。坂上で稲佐山登山道路へ出る。坂本、大浦とともに長崎の3つの国際墓地の一つ。
「稲佐の弁天さん」
数字坂(坂下方向) 稲佐町11の稲佐小学校のグランドの北側を北方向に下る。坂下あたりで椿坂の途中に出る。
この坂を通って通学する旧制県立瓊浦中学校(現在の長崎西高の所にあった)の生徒たちが坂沿いの家の表札に数字がつく名前(たとえば一郎・五右衛門・平八郎など)が多くあることからこう呼び始めたという。『長崎文化 №41』
稲佐国民学校があった所。
昔は石畳の情緒ある坂で、坂沿いに沢山の椿が繁り、坂下の御手洗川には「つばき坂橋」が架かっていた。『長崎文化 №41』 今は椿も石畳も「つばき坂橋」もなく、かつての情緒、風情の面影はない。
右へ下るのが椿坂、左は数字坂の坂上方向
この下に「つばき坂橋」が架かっていたのだろう。今も小さな流れがあるが橋と呼べるものはない。
右の大石灯籠は昔は参道前の海中にあったという。
参道の下まで海が入り込んでいたようだ。
キリシタン大名大友宗麟の孫娘で、洗礼名をマキゼンシア。桑を植え養蚕を広め没後、「桑姫君」と呼ばれるようになった。キリシタンを祀る神社として、全国に珍しいという。
稲佐山展望台(340m)から
下は旭大橋(浦上川)、長崎港。函館、神戸と並ぶ日本三大夜景の所だが日暮れまではまだ時間がある。
コンクリート坂(坂上から) 稲佐町8の稲佐児童公園から北東に稲佐橋の方へ下る。《地図》
早くにコンクリートに舗装された坂。
正面は稲佐山
長崎ランタンフェスティバル 湊公園会場(新地町7)
もとは長崎に住む華人が旧正月を祝う祭りで中華街で行われていた。ランタンは中国提灯のこと。
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