長崎市の坂-10(浦上街道)
2008年3月10日
長崎駅 バス→時津(とぎつ)・・・時津港・・・浦上街道(時津街道)・・・八幡神社・・・祐徳稲荷・・・茶屋(本陣)跡・・・鳥越橋・・・鯖くさらかし岩・・・打坂・打坂地蔵尊・打坂峠・・・道ノ尾駅(JR長崎本線)・・・岩屋神社鳥居・・・六地蔵・・・赤迫の坂・・・住吉神社・・・チトセピア前・・・長崎大前・・・本大橋(浦上川)・・・川上神社・ベアトス様の墓・・・フランシスコ・ザベリオ堂跡・・・浦上天主堂・・・宿ん坂・・・病院坂・・・山王神社・・・長崎四国霊場第八十八番坂本山王観音堂・・・坂本国際墓地・・・歴史民俗資料館跡・・・銭座天満宮・・・生目(いくめ)八幡宮・・・長崎平和資料館・長崎四国霊場第五十八番西坂町地蔵堂・・・聖フィリッポ教会・西坂・「浦上街道ここに始まる」碑・・・長崎駅
昨日とうって変わって気持ちのいい快晴の天気の中、浦上街道(時津港→西坂)の坂道散歩です。
浦上街道は西坂から時津宿の約12kmで、日見峠越えの長崎街道が一般化する江戸時代の中頃までは長崎の第一の街道だった。時津宿からは大村湾を舟で彼杵(そのぎ)宿へ渡った。今は国道206号が新浦上街道となっている。
時津港から旧道に入り、八幡神社、茶屋跡を過ぎ鳥越橋を渡ると国道と合流する。国道の崖上の鯖くさらかし岩の下を過ぎると打坂の上りが始まる。今は直線的な長いなだらかな坂だが、昔はカーブしながら上る急坂で浦上街道の難所だった。時津町と長崎市の境標識の所から打坂峠に上る旧道は短い区間ではあるが今でも昔の面影が残っている。
時津町から長崎市に入り、横道交差点から大クスノキ、道ノ尾駅前を通り国道を横切り、岩屋神社の鳥居前に出た。神社の本殿がないのでキョロキョロして、通りがかりのおばさんに聞いたら、この先2kmくらい上った所だと笑って(呆れてか)教えられた。
長崎本線沿いに進みガードをくぐり、国道の六地蔵歩道橋を渡ると、道路脇に六地蔵などの石仏が並んでいる。熱心に地蔵さんを水で拭いて手入れをしている女性がいた。赤迫の坂を上り下りしてきた後もまだやっていた。きっとご利益があることだろう。
浦上街道から離れ赤迫の坂をぐるっと一周する。急坂と聞いていたが思っていたほどでもない。住吉神社の先のチトセピア前の公園で一休み。ポカポカ陽気で、ベンチに座っているといい気持ちで眠くなってきた。長崎大を過ぎ、浦上川の本大橋から川上神社の方へ上り、フランシスコ・ザベリオ堂跡前の坂を下って、浦上天主堂前の天主公園脇から平野町へと上る。坂上は平野宿があった所だがその面影をとどめているのは宿ん坂という坂名だけか。ただ、この坂も平凡な石段坂で宿場の風情はない。
宿ん坂の坂下から浦上街道を山王神社に向う。途中、病院坂に寄るがこの坂は長崎大医学部附属病院内の坂で一般道ではない。緩やかに起伏のある浦上街道を山王神社の大クス、一本足鳥居、山王観音堂から坂本国際墓地の間へと進む。歴史民俗資料館跡の先あたりから下って行く街道沿いには小さな石祠や石仏などが残り、左右に細い石段坂が何本も上り下りしている。何本かの石段坂(そのうちの一つが上の写真)に入ってみたがあまり寄り道をしてもいられない。
銭座天満宮、生目八幡宮を過ぎると西坂の坂上近くだ。西坂町地蔵堂のあたりは江戸時代に処刑場があったところ。秀吉の頃にもあったのだろう。26人のキリシタンも時津港からここまで歩かされて処刑され、後に聖人に列せられた。長崎で最初の日に上った西坂を下り、途中の西坂公園で小休止した頃にはだいぶ日も傾いてきた。晴天の中を南方向に歩き1日中陽射しを浴びたせいか、風呂に入ったら顔がヒリヒリした。
*西坂は「長崎市の坂-1」に記載。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
「日本二十六聖人上陸地」の碑
豊臣秀吉により捕られた26人のキリシタンはここで船から降ろされ、浦上街道を歩かされ西坂で処刑された。右後ろは恵比寿像。
八幡神社(時津町の旧浦上街道沿い) 《地図》
石段右下に「ともづな石」
このあたりは文政年間頃までは海岸で、船をつないでおくための石。
時津街道を通る大名、幕府役人たちの休憩、宿泊所。
時津町の国道206号の継石バス停近く。《地図》
落語『蜀山人』
鯖「腐らかし」で、浦上街道を長崎まで行く魚売りが、この岩の下まで来た時、岩が落ちてこないか心配して落ちた後に通ろうと思い待っていたら売り物の鯖が腐ってしまったという話。確かに上の岩は地震でもあれば落ちてきそうだが。
太田蜀山人の狂歌が説明板に載っている。
長い急坂だったため馬や牛の尻を打って上った。
打坂地蔵尊(打坂途中のケンターッキーフライドトキンの向い側) 《地図》
バスが故障した時、身を挺して乗客を守り殉職した車掌さんを祀っている。
打坂の旧道(坂上方向) 《地図》
打坂橋から
長崎市との境
打坂峠へ 《地図》
戻るように右に上る未舗装の道。
江戸時代には打坂峠を越えてきた旅人の格好の休憩所だった。この木も被爆して黒こげになったが力強く再生した。
神社本体はここから2km位上ったところにある。
六地蔵(赤迫2丁目の国道206号の六地蔵バス停そばの歩道橋下) 【ルート地図】の③
赤迫の坂(南側の坂) 《地図》
赤迫2-6と2-7の間からカーブしながら北東に上る。坂上は浦上自動車学校。
赤迫の坂(北側の坂・坂下方向) 《地図》
赤迫2丁目と3丁目の間を北東から南東に上る。坂上は浦上自動車学校。
左下は公園
本大橋(浦上川)から川上神社の方へ上る浦上街道。《地図》
ベアトス様の墓(橋口町22)
フランシスコ・ザベリオ堂跡(橋口町7?) 中央右の木造家屋のあたり。《地図》
秘密礼拝堂の一つ。
天主公園から
浦上天守堂脇から平野宿の方へ上る浦上街道。《地図》
上って宿ん坂の下りとなる。
宿ん(しゅくん)坂 平野町12と22の間を北に上る石段。【ルート地図】の④
坂上あたりに平野宿があった。今はまったく面影なし。
病院坂(坂下から) 坂本1丁目の長崎大医学部附属病院へ上る坂。《地図》
山王神社(坂本2丁目)の被爆大クスの木
原爆により吹き飛ばされたニの鳥居の右半分。
聖観音菩薩(中央)と地蔵菩薩。
坂本国際墓地から下る坂 《地図》
この坂を下り聖徳寺、銭座跡、銭座市場を通り銭座天満宮の下へ出るのも浦上街道。
永井隆、グラバーの墓などがある。
歴史民俗資料館跡(上銭座町3)
平野町の長崎平和会館内に移転して今は埋蔵文化財調査センター?のようだ。
浦上街道 《地図》
緑町中部バス停そばから下る。
ユーモラスな表情だ。
銭座天満宮の方へ上る石段坂 《地図》
「いくめ」の由来には由緒書によると3説あるようだ。
公的な施設ではなく、市民が運営している。右側に石の祠がある。
長崎四国霊場第五十八番西坂町地蔵尊・西坂供養塔(右端) (西坂町7)
江戸時代、このあたりに処刑場があった。元禄7年(1694)に建てられた処刑者の供養塔。
聖フィリッポ教会(西坂町7)から<
右端に見えるのは長崎観音
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