長崎市の坂-11
2008年3月12日
新地バスターミナル→鍛治町・・・恵比寿神社・・・八坂神社・・・円成寺・・・武家屋敷・・・深堀神社・・・貝塚資料館・・・地蔵堂・・・馬場崎経塚・・・菩提寺(十人義士の墓・鍋島家墓地)・・・五官の墓・・・女の坂・・・深堀陣屋跡・・・深堀漁港・・・深堀バス停→新地バスターミナル
長崎市唯一の城下町、大音寺坂(喧嘩坂)での長崎喧嘩騒動、深堀義士伝ゆかりの深堀を訪ねた。城下町といっても城はなく、武家屋敷あたりに面影が残る。菩提寺から女の坂への道がはっきりしない。墓地脇の石段を農具を持って上って行くお婆さんを手伝いながら聞いてみる。どうやら菩提寺の反対側の道のようだ。反対側に回ったが2本の道がある。もっと詳しく聞けばよかったものを。どっちの道もすぐ住宅街を離れ山道となって上って行く。キリシタン墓地の先の深堀八幡社の鳥居まで上った。地蔵があるというが見当たらなかった。もっと先か違う道だったか。いずれにせよこの道も昔からある峠越えの山道なのだろう。善長谷まで行くには時間に余裕がなく下り返す。深堀陣屋跡から深堀漁港に出て一休み。暑いくらいの晴天でのどかな半日だった。
*大音寺坂は「長崎市の坂-2」に記載。
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恵比寿神社 《地図》
ユニークな五色の塀と、寛保3年(1746)鋳造の梵鐘。
深堀武家屋敷跡 《地図》
深堀鍋島家の始祖は鎌倉時代に承久の乱の恩功により上総国深堀(千葉県大原町)から地頭として下向した深堀(三浦)能忠。
天保八年(1837)の再建。
菩提寺六代住職が無病息災、世間安泰を祈念して2、3cmの平石に写経したものを埋め碑を立てた。
山号の金谷山は三浦氏発生の相模国三浦庄金谷村による。正面は安政7年(1860)に領主や檀家の寄付により再建された内円外方の石門。
五官の墓 《地図》
女(おなご・おんな)の坂(坂上方向 菩提寺の裏あたりから大籠町善長谷に通ずる坂。 《地図》
この坂で領主の使者が、道端で休んでいた身重の女を斬り捨てた。その後、この坂を通ると、恨めしそうな姿をした女があらわれ通行人に声をかけるようになった。いつしかここを「女の坂」と呼ぶようになった。領主の声がかりで、女を慰霊する地蔵を立てたという。地蔵は見当たらず。もっと先なのか。一本道が違うのか?
坂というより峠越えの山道だ。
社殿はもっと先なのか。後日、深堀八幡社を調べたが分からず。
深堀陣屋跡 《地図》
深堀純心幼稚園の所。
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