綾瀬市の坂-2
2008年3月27日
海老名駅(小田急線)・・・音坂・・・堂坂・・・四十坂(海老名市)・・・小園橋(綾瀬市)・・・子之神坂(宮の前坂・東向坂)・・・小園東公園・向坂跡あたり(北坂・南坂)・・・小園地蔵堂・・・お銀さまの墓・・・七曲り跡あたり(東名公園)・・・内藤橋(目久尻川)・・・第六天神社・・・谷戸坂・龍洞院・・・虚空蔵橋(目久尻川)・・・谷田坂・・・虚空蔵橋・・・尾ノ井戸坂・尾ノ井・・・五社神社・・・馬坂(土合坂)・・・綾瀬西高・・・瀬棚橋(目久尻川)・瀬棚坂・・・城山公園・早川城跡・・・込ノ内坂(上の写真)・・・武者寄(むしゃよせ)橋・赤坂・江川天神社・・・天神森隧道・・・綾瀬市役所バス停→海老名駅
音坂から堂坂の途中へ出て上り、ひさご塚の前から古東海道ともいう四十坂を下る。坂下の小園橋を渡ると綾瀬市に入り、子之神坂の上りとなる。向坂は小園東公園あたりを南北に通っていた坂だが今は跡形もない。小園地蔵堂から南に行くと貯水池の隣りの小公園にお銀さまの墓がある。渡辺崋山が赤坂(海老名市と綾瀬市の境)を通ってお銀さまを訪れた時の様子が「游相日記」に書かれている。七曲りは東名高速脇の東名公園あたりにあったというが、今は直線の坂だけになっている。
内藤橋で目久尻川を渡り、虚空蔵橋から西へ谷戸坂、東へ谷田坂と似たような名前の坂が上る。馬坂と思って上って行った坂の坂上近くに尾ノ井があった。この坂が尾ノ井戸坂で、五社神社裏手を下る静かで気分のいい坂だ。その東側の坂が馬坂だった。馬坂も途中に道標不動明王が立つ昔ながらの道の感じで、五社神社の参道前まで上っている。
瀬棚坂を上り、坂上あたりから新しい住宅街を抜けて早川城跡の城山公園に入る。物見塚などの城の遺構も残っている。込ノ内坂の上り口が分からず、あちこちうろついてから坂上の天神森隧道の上から下り口を見つけた。両側を木々が覆う未舗装の遊歩道といった坂道散歩にはうってつけの坂で、坂下は古矢橋(目久尻川)近くの道に出る。古矢橋の南が武者寄橋で江川天神社へ赤坂が上っている。武者寄橋の由来話がどうも納得がいかない。(後述) 赤坂の坂上で東郷道路と合流し、天神森隧道を抜け綾瀬市役所バス停へ向った。
*音坂・堂坂・四十坂は「海老名市の坂-2」に記載。
*参考:『あやせウオ-クガイド』の3・5
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
子之神坂(坂上方向) 小園の小園橋から北東に子之社の前に上り、早園小学校の方へ下る。
子之社から西側を宮の前坂、東側を東向坂ともいう。
小園地蔵堂(小園61) 《地図》
堂内の市内最古という「木造地蔵菩薩坐像」
地蔵堂の脇
お銀さまの墓(説明板の後ろのフェンス内) 《地図》
渡辺崋山の「游相日記」にお銀さまを訪ねた時の様子が書かれている。
第六天神社(早川) 《地図》
左角は不動講中供養塔
右側面に「相洲高座郡上早川邑」とある。不動明王の像はすり減っている。
谷戸坂(坂下から) 早川(地名)の虚空蔵橋(目久尻川)から西に龍洞院へ上る。《地図》
右へ上ると西山橋で東名高速を越える。
龍洞院の先は行き止まり。東名高速ができる前はもっと先まで道は続いていたのだろう。
馬坂(坂上近く) 尾ノ井戸坂の1本東側の坂。南に上り、カーブして西に五社神社の参道前まで上る。《地図》
土合坂ともいう。
五社神社(早川1603)
瀬棚坂 瀬棚橋から北東に城山中学校へ上る。《地図》
早川城跡説明板(城山公園)
中世の山城で、鎌倉幕府の御家人の渋谷重国一族の舘跡という。
塚の上の石碑は早川城主渋谷氏の末裔という東郷平八郎の「東郷元帥祖先発跡地碑」
込(こめ)ノ内坂(坂下方向) 古矢橋の城山公園の駐車場そばから南に入り、南東に天神森隧道の上まで上る。
『綾瀬村風土記』に、「河越三河入道圓重ナルモノ平宰相成輔郷ヲ此地ニ於いて害し奉り、依テ往古ヨリ此近辺ニアル一ノ橋ヲ武者寄橋」ト云フ」とあるというが、平成輔が殺されたのは小田原の早川の河口だ。(江川天神社の説明板にもそう書いてある。) とすると『綾瀬村風土記』の橋名の由来話はちと辻褄が合わないのでは。
祭神は菅原道真・平成輔
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