つくば市の坂-1・宝篋山③
2008年4月28日
つくば駅(つくばエクスプレス)・北部シャトルバス→大穂庁舎・地域循環バス→小田城跡入口・・・道標庚申塔・・・解脱寺(二十三夜堂・十九夜堂)・・・三宝大荒神碑・・・小田城跡・・・稲荷神社・・・八幡神社(宝篋山登山口)・・・(小田城コース)・・・愛宕神社・・・尼寺コース分岐・・・堂平・・・純平歩道分岐・・・七曲り・・・硯石・・・下浅間・・・おみざらし・・・宝篋山(461m)・・・山口コース(2)・・・新寺コース・・・・北条大池・・・二十三夜塔・・・八坂神社・・・つくば道道標・市神様・・・宝安寺・・・鹿島神社・・・毘沙門天種子碑・・・日向廃寺跡・・・熊野神社・・・全宗寺・・・宝寿坂・・・無量院・・・伝多気太郎の墓・・・裏堀用水路・・・つくばりんりんロード・・・筑波庁舎・北部シャトルバス→つくば駅
小田城跡から小田城コースで宝篋山に上り(上の写真は小田城跡からに宝篋山)、新寺コースで下って北条大池から筑波山神社の門前町として古くから栄え、道標や土蔵造りの町並みに往時を偲ばせる北条の町を歩く。20年ほど前までは筑波鉄道が通り、常陸北条駅があった所でもある。線路跡はサイクリングロードとして整備されている。無量院へ上る坂の途中で宝寿坂の石碑を偶然見つけた。今日は名前のついた坂はないはずだったが、一つでも新しい坂に出会え、収穫のあった坂道散歩だった。
*宝篋山は、「宝篋山①②」(2007年12月7日・14日)に記載。『宝篋山登山コース』
写真をクリックすると拡大します。
小田城跡入口バス停の四つ辻
解脱寺 《地図》
このあたりは月待ち信仰が盛んなのか境内に二十三夜塔、十九夜塔、北条の道端にも二十三夜塔があった。
三宝大荒神(解脱寺から小田城跡への途中)
屋外の文字碑は珍しいのかも。
12世紀末に八田知家が築いた平城。南北朝時代に北畠親房がここで「神皇正統記」を書いた。
「小田氏治は永禄12年(1569)の手這坂の合戦に敗れて土浦へ逃げた」とある。この手這坂は茨城県常北町石塚の佐竹氏の石塚城のあった所。
下浅間
コースから脇道に入った所。
このあたりは立派な農家?が多い。
正面は筑波山
北条大池から筑波山 《地図》
北条大池から八坂神社への途中の角
八坂神社 《地図》
高さ201cm、花崗岩。天文6年(1537)造立。もとは別当寺の吉祥院にあった。明治の廃仏毀釈の際に移されたという。
国の登録有形文化財
つくば道道標の向い側。
正徳5年(1715年・七代将軍家綱)に建立され、寛政10年(1798年・十一代将軍家斉)に再建された筑波山参詣道の道標。高さ306cm、花崗岩。
つくば道 《地図》
筑波山方向
鹿島神社 《地図》
背後は多気太郎が築いたともいわれる城山(じょうやま)城(多気城)
毘沙門天種子碑(左)碑と小堂 《地図》
鎌倉時代の制作という。
平安時代末から鎌倉時代にかけて多気氏が造営したらしい。
熊野神社 《地図》
左右によれている石段が古さを感じさせる。
元禄6年?の銘がある。鼻がつぶれているが顔立ちがはっきりしている。
宝寿坂 《地図》
無量院に上る坂。電柱脇に「宝寿坂之碑」
建久元年(1190)多気太郎義幹が開いたという寺。
右の塔は延文6年(1361)と刻まれていて、南朝方の小田氏の家臣だった中久木家の祖先の墓という。
地元では「多気太郎様」と称して、多気大掾氏第六代義幹の墓と伝える。花崗岩で高さ191cm。
多気城の外堀だったという。
つくばりんりんロード 《地図》
1987年に廃線になった筑波鉄道の線路跡につくられたJR土浦駅(常磐線)からJR岩瀬駅(水戸線)の間の約40kmのサイクリングロード。
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投稿: みんな の プロフィール | 2008年5月 1日 (木) 07:25