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2008年4月26日 (土)

箱根(旧東海道)の坂-2

2008年4月22日

Img_6306 関所跡バス停・・・国道1号(現東海道)・・・箱根駅伝往路ゴール地点・・・芦川入口バス停交差点・・・旧東海道(県道737号)・・・駒形神社(箱根七福神毘沙門天・犬塚明神)・・・旧道・石仏群・・・向坂・・・赤石坂(富士見橋(国道1号)をくぐる)・・・釜石坂・・・風越坂・・・国道1号・・・風越台(道の駅箱根峠)・・・挟石坂・・・箱根峠(846m)・・・箱根の親不知(脚気地蔵)・・・旧街道入口門柱・・・新箱根八里記念碑(峠の地蔵)・・・箱根旧街道西坂入口(茨ケ平(ばらがだいら))・八ツ手観音・・・甲石(かぶといし)坂(上の写真)・兜石跡・・・国道1号・接待茶屋バス停・・・旧街道・接待茶屋跡碑・徳川有徳公遺蹟碑・山中新田一里塚・兜石・・・施行平分岐・・・施行平・・・旧街道・・・石原坂・念仏石・・・大枯木坂・・・(国道1号)・・・小枯木坂・一本杉石橋・雲助徳利の墓・・・山中城跡歩道橋(国道1号)・・・駒形諏訪神社・山中城跡・・・宗閑寺・・・芝切地蔵・・・山中城岱崎出丸跡・・・旧街道・・・箱根八里記念碑・・・国道1号・・・旧街道・・・富士見平・国道1号・・・旧街道・・・上長坂・・・国道1号・ホテル箱根路跡・・・旧街道・馬頭観音・・・笹原一里塚・・・(国道1号)・・・下長坂(こわめし坂)念仏石跡・・・天(山)神社・・・松雲寺・・・小時雨坂・・・大時雨坂・・・坂公民館・法善寺旧址・・・坂幼稚園・題目坂・七面堂旧址・・・出征馬記念碑・・・山神社・法善寺・・・六地蔵・・・臼転(うすころばし)坂・・・普門寺・山神社・・・宗福寺・・・国道1号・・・旧街道・初音ケ原の石畳・松並木・錦田一里塚・・・愛宕坂・・・(JR東海道本線)・・・今井坂・・・真立寺・・・愛宕橋(山田川)・・・新町橋(大場川)・・・守綱八幡神社・・・下田街道分岐地点・三嶋大社・・・桜川・白滝観音・・・浅間神社・・・三島駅

 前回(4月16日)の続きで、箱根関所跡から箱根峠まで箱根東坂を上り、三島宿まで箱根西坂を下る坂道散歩です。駒形神社の先から旧道に入り、向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂と上ると国道1号に出る。雲り空で風越台からの展望は今ひとつだ。かつては箱根峠へ直線的に挟石坂が上っていたのだろうが、今は国道1号を歩いて箱根旧街道最高点の846mの箱根峠まで上らなければならない。

 箱根峠の駐車場を抜けしばらく行くと、三島宿へ箱根西坂の下りとなる旧道の入口がある。ここから三島宿まで山中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市山新田、塚原新田と下って行く。最初の甲石坂は篠竹?のトンネルを下る坂(上の写真)、石畳のきれいな石原坂、明るい大枯木坂、杉並木の小枯木坂を下ると北条氏の山中城跡だ。広大な城域で要害を誇っていたが、秀吉の大軍に攻められ半日で呆気なく落城した。上長坂から牛のにおいのきつい旧道を下ると笹原一里塚で、国道を渡ると箱根西坂第一の難所だった下長坂となる。集落の間の坂なので石畳ではなく、今は舗装された普通の長い坂になっているが、昔は赤土の長い急坂で、背負っていた米が汗と熱でこわめしになったとのいわれから「こわめし坂」とも呼ばれた。

 こわめし坂下から旧国道1号出て、天神社、松雲寺から普通の車道の小時雨坂、大時雨坂を下る。坂公民館前から旧道に入り、坂幼稚園の前から題目坂を下って、山神社、法善寺、六地蔵から牛だか臼が転がったという臼転坂を下り、普門庵、宗福寺の前から国道1号に出て、国道の初音ケ原の松並木と平行する旧道の石畳を行くと両側に錦田の一里塚がある。その先の旧道に入ると愛宕坂の急坂となって東海道線を越え、今井坂を下ると平坦になって坂はここまでだ。見どころの多い伊豆国一の宮の三嶋大社に寄って三島駅に向った。

 『東海道(三島宿→沼津宿)』に続く。

  参考:『三島夢街道マップ

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6203 関所跡近くから芦ノ湖、富士山。

ここからだと富士は山頂だけしか望めない。

Img_6208 箱根駅伝ミュージアム(往路ゴール地点)

Img_6209 芦川入口バス停交差点

旧東海道は右へ曲がる。左側に小堂がある。

Img_6210 小堂内

右は馬頭観音か。

Img_6223 駒形神社

Img_6217 由緒書

Img_6218 毘沙門堂(箱根七福神

駒形神社境内

Img_6219 毘沙門天

Img_6216 犬塚明神(駒形神社境内)

Img_6214 説明板

Img_6228 旧道入口

Img_6230 説明板

Img_6229 石仏群

Img_6233 向坂【坂標】

Img_6234 説明板

Img_6237坂上方向 【ルート地図】の58

Img_6242 赤石坂

Img_6239 坂上方向(向坂から続く坂)

正面の国道1号(現東海道)をくぐる。

Img_6247 釜石坂

Img_6245 釜石坂(坂上方向) (赤石坂から続く坂)

Img_6235 風越坂

Img_6253 坂上方向(釜石坂から続く坂)

Img_6257 坂上で国道1号に出る。

右側に挟石坂の説明板が立つ。

Img_6265 風越台から神山(左)・駒ケ岳(正面)・二子山(右)・芦ノ湖

Img_6258 挟石坂【坂標】

Img_6259 説明板

Img_6260 「相模国と伊豆国の境の標示杭」説明板

Img_6267坂下方向

箱根峠へ上る今の挟石坂から

Img_6269 箱根峠(846m)

広い車道と暖かいせいで高さを感じない。

Img_6272 箱根峠の親不知(脚気地蔵) (箱根峠の交差点脇)

石柱は供養塔か? 地蔵像は見当たらず。

Img_6270 由来書

Img_6274 箱根旧街道入口門(箱根峠の駐車場脇)

Img_6275 峠の地蔵(新箱根八里記念碑)

Img_6278 説明板

Img_6283 旧道入口

このあたりは茨ケ平(ばらがだいら)

Img_6294 道標「是より江戸二十五里 是より京都百里」

Img_6300 甲石坂へと下って行く。

Img_6299 八つ手観音と呼ばれる馬頭観音

Img_6309兜石があった所

兜石は接待茶屋跡の近くに移されている。

Img_6310 甲石坂 【ルート地図】の59

Img_6315 接待茶屋跡あたり(国道1号の接待茶屋バス停のあたり)

Img_6317 説明板

Img_6319 接待茶屋(説明板の写真)

四国八十八ケ所札所の「ご接待」と同じで、無料で箱根を往来する人馬に粥、飼葉、焚き火を提供したボランティア活動だ。

Img_6316 旧道に入る。

接待茶屋、箱根旧街道の説明板、道標がある。

Img_6325 徳川有徳公遺蹟碑・山中新田一里塚(日本橋から26番目)

25番目の一里塚はどこにあるのか? 有徳公は八代将軍吉宗で、ここの茶店で休憩した時、永楽銭を賜ったことから永楽屋と称したという。

Img_6327 兜石(徳川有徳公遺蹟碑前)

もとは甲石坂の途中にあった。

Img_6326 説明板

Img_6330 施行平

曇っていて見晴しはきかない。

Img_6329 晴れていれば富士山、愛鷹連山、駿河湾が望める。

Img_6339 石原坂(坂下方向)

石荒坂・石割坂とも。

Img_6341_3石畳道

Img_6343念仏石

Img_6342 説明板

Img_6357 大枯木坂から

明るく開けて中央あたりが国道1号(現東海道)

Img_6362 大枯木坂

坂下の集落を左に曲がって国道1号を少し行くと小枯木坂の下りとなる。

Img_6374 小枯木坂

Img_6381杉並木の間の明るい坂だ。

Img_6387 一本杉石橋

願合寺地区に2ヶ所ある石橋の一つ。保存状態が良く当時の場所に整備・復元。

Img_6382 説明板

Img_6392 坂下

雲助徳利の墓近く

Img_6395 雲助徳利の墓

西国大名の剣術指南役だった大酒飲みの松谷久四郎は酒で事件を起こし、国外追放となり雲助になって仲間の世話、めんどうをみて親分以上に慕われた。死後、仲間達が徳利と盃を刻んだ墓を建てたという。

福島県白河市の皇徳寺には、徳利の形をした小原庄助さんの墓がある。『奥州街道(白河宿→笠石宿)』に記載。

Img_6397 由来話

Img_6404 駒形諏訪神社(山中城址内)

このあたりは山中城落城後は宿場として栄えた。

Img_6407 由来書

Img_6409 大カシの木

樹齢500~600年で、天正18年(1590)の山中城合戦も見ていたのだろう。

Img_6408 説明板

Img_6403山中城址説明板

Img_6422 本丸跡から二ノ丸方向。

正面は櫓台

Img_6424城域図

本丸は右下

Img_6435 宗閑寺

Img_6431 説明板

Img_6432武将の墓

北条、豊臣方の武将の墓が仲良く並ぶ。

Img_6438 芝切地蔵

Img_6437 説明板

Img_6442 芝切地蔵尊

Img_6456 旧道(右)・山中城岱崎(だいざき)出丸跡(左)

Img_6448 山中城岱崎出丸跡からの眺め

Img_6460_2 旧道に戻り杉並木の石畳を行く。

Img_6458_2 箱根八里記念碑

司馬遼太郎の「箱根の坂」の「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ」 と彫られている。

右後ろに小さな石仏

Img_6459 石仏

Img_6461 車道へ出る

Img_6465 菊池千本槍の碑

平成3年建立の新しい碑。南北朝時代の逸話だ。

Img_6464 由来碑

Img_6466 富士見平・上長坂へ

富士見平から富士は見えず、芭蕉は「霧しぐれ 冨士を見ぬ日ぞ 面白き」と負け惜しみ風に詠んだが俗人にはやっぱり見えないとつまらん。

Img_6476 上長坂へ

Img_6477 上長坂

明るく広い遊歩道といった感じだ。別名を「かみなり坂」

Img_6486 車道へ出て、旧道はホテル箱根路跡を左に入る。

Img_6491 右に馬頭観音の小堂

Img_6489 堂内の馬頭観音

右端は馬・牛頭観音

Img_6492 左方向の眺め

Img_6494 下って笹原一里塚へ

Img_6501 笹原一里塚

日本橋より27番目の一里塚。

Img_6502 車道を越えると下長坂(こわめし)坂の長い下りとなる。

Img_6510 下長坂(坂上近く) 【ルート地図】の60

右側に小堂

Img_6509 堂内

道祖神(右)・馬頭観音(左)?

Img_6521 坂下方向

Img_6525 こわめし坂の念仏石説明板

Img_6535 天神社(山神社)

こわめし坂の坂下

Img_6536 由来書

Img_6543 松雲寺

Img_6542 由緒書

Img_6549 小時雨坂(坂下方向)

Img_6556 大時雨坂(坂下方向)

Img_6563 法善寺旧址

元禄17年(1704年)の開山。坂公民館、坂小学校校庭が寺跡。

Img_6565 題目坂へ(右へ下る)

玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名づけられた坂名。題目石は現在、坂下の法善寺に移されている。別名を法華坂

Img_6567 七面堂旧址碑(題目坂の坂上近く)

足利尊氏の建立という七面堂跡

Img_6570 坂下方向 【ルート地図】の61

途中の右に小祠がある。

Img_6575 小堂内

馬頭観音か?

Img_6580 出征馬供養塔

馬頭観音というところか。

Img_6584 山神社

Img_6583 由緒書

Img_6585 法善寺

元禄6年(1693)日宗上人によって開かれた日蓮宗の寺。題目碑、七面の石灯籠、疫病から守る帝釈天を祀る。

Img_6586 六地蔵

2組あるようだ。

Img_6589 臼転(うすころばし)坂 右へ少し上って下る。

牛が転がったとか、臼を転がしたためこの名がついたという。別名を「恋し坂」

Img_6594 坂下方向

Img_6598 気持ちのいい道だ。

Img_6606 普門庵

後ろは山神社

Img_6607 正面の扉の隙間からのぞいたら、目の前にこのリアルな石像が坐っていてギョっとした。

釈迦の弟子の賓頭盧尊(びんずるそん)、通称「おびんずる様」、「撫で仏」で堂の前に置く。これを撫でると除病の功徳があるというが、撫でる気はしない。

Img_6610 宗福寺

伊豆霊場巡りの札所。

Img_6612 ここにも小さな石仏

旧道は左側

Img_6613 旧道は直進して左へカーブして国道1号へ出る。工事中でここで左に曲がって国道へ。

Img_6617初音ケ原の石畳

左に国道1号の松並木が沿う。

Img_6615 国道1号の松並木

Img_6619 錦田一里塚

国道1号を挟んで2基。日本橋より28番目の一里塚。

Img_6621 説明板

Img_6628 愛宕坂へ

正面の細い道を入る。

Img_6631 愛宕坂(坂下方向)

三島東海病院(正面の小高い所)の所に愛宕社があった。

Img_6633 説明板

Img_6636 坂下方向

Img_6635 愛宕神社跡の碑か?

Img_6646 東海道線の踏切を越えると今井坂の下りとなる。 

Img_6647 今井坂(坂下方向) 【ルート地図】の62

Img_6650 下って平になって箱根西坂も終わる。

Img_6655 愛宕橋(山田川)から東海道線

貨物列車が通る。

Img_6660 守綱八幡神社

三嶋大社の前で南に下田街道が分岐する。

Img_6662 三嶋大社

Img_6672 総門

Img_6671 説明板

Img_6665 本殿

Img_6666 金木犀(きんもくせい)

樹齢1200年以上。国の天然記念物。

Img_6668 頼朝、政子腰掛石

Img_6667 説明板

Img_6674 たたり石

Img_6673 説明板

Img_6675 源頼朝旗挙げの碑

Img_6680 安達藤九郎盛長警護の跡

Img_6681 説明板

Img_6678 若山牧水歌碑

Img_6679 説明板

Img_6686 桜川と白瀧観音堂

Img_6685 説明板

Img_6684 観音さんは見えず。

Img_6689浅間神社(右)・芝岡神社(左)

Img_6690 浅間神社由緒書

Img_6688 芝岡神社由緒書

Img_6693 愛染院跡の熔岩塚

室町時代に三嶋大社の別当職だった市内随一の大寺院の庭園の一部ではないかという。

Img_6691 説明板

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