箱根(旧東海道)の坂-2
2008年4月22日
関所跡バス停・・・国道1号(現東海道)・・・箱根駅伝往路ゴール地点・・・芦川入口バス停交差点・・・旧東海道(県道737号)・・・駒形神社(箱根七福神毘沙門天・犬塚明神)・・・旧道・石仏群・・・向坂・・・赤石坂(富士見橋(国道1号)をくぐる)・・・釜石坂・・・風越坂・・・国道1号・・・風越台(道の駅箱根峠)・・・挟石坂・・・箱根峠(846m)・・・箱根の親不知(脚気地蔵)・・・旧街道入口門柱・・・新箱根八里記念碑(峠の地蔵)・・・箱根旧街道西坂入口(茨ケ平(ばらがだいら))・八ツ手観音・・・甲石(かぶといし)坂(上の写真)・兜石跡・・・国道1号・接待茶屋バス停・・・旧街道・接待茶屋跡碑・徳川有徳公遺蹟碑・山中新田一里塚・兜石・・・施行平分岐・・・施行平・・・旧街道・・・石原坂・念仏石・・・大枯木坂・・・(国道1号)・・・小枯木坂・一本杉石橋・雲助徳利の墓・・・山中城跡歩道橋(国道1号)・・・駒形諏訪神社・山中城跡・・・宗閑寺・・・芝切地蔵・・・山中城岱崎出丸跡・・・旧街道・・・箱根八里記念碑・・・国道1号・・・旧街道・・・富士見平・国道1号・・・旧街道・・・上長坂・・・国道1号・ホテル箱根路跡・・・旧街道・馬頭観音・・・笹原一里塚・・・(国道1号)・・・下長坂(こわめし坂)・念仏石跡・・・天(山)神社・・・松雲寺・・・小時雨坂・・・大時雨坂・・・坂公民館・法善寺旧址・・・坂幼稚園・題目坂・七面堂旧址・・・出征馬記念碑・・・山神社・法善寺・・・六地蔵・・・臼転(うすころばし)坂・・・普門寺・山神社・・・宗福寺・・・国道1号・・・旧街道・初音ケ原の石畳・松並木・錦田一里塚・・・愛宕坂・・・(JR東海道本線)・・・今井坂・・・真立寺・・・愛宕橋(山田川)・・・新町橋(大場川)・・・守綱八幡神社・・・下田街道分岐地点・三嶋大社・・・桜川・白滝観音・・・浅間神社・・・三島駅
前回(4月16日)の続きで、箱根関所跡から箱根峠まで箱根東坂を上り、三島宿まで箱根西坂を下る坂道散歩です。駒形神社の先から旧道に入り、向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂と上ると国道1号に出る。雲り空で風越台からの展望は今ひとつだ。かつては箱根峠へ直線的に挟石坂が上っていたのだろうが、今は国道1号を歩いて箱根旧街道最高点の846mの箱根峠まで上らなければならない。
箱根峠の駐車場を抜けしばらく行くと、三島宿へ箱根西坂の下りとなる旧道の入口がある。ここから三島宿まで山中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市山新田、塚原新田と下って行く。最初の甲石坂は篠竹?のトンネルを下る坂(上の写真)、石畳のきれいな石原坂、明るい大枯木坂、杉並木の小枯木坂を下ると北条氏の山中城跡だ。広大な城域で要害を誇っていたが、秀吉の大軍に攻められ半日で呆気なく落城した。上長坂から牛のにおいのきつい旧道を下ると笹原一里塚で、国道を渡ると箱根西坂第一の難所だった下長坂となる。集落の間の坂なので石畳ではなく、今は舗装された普通の長い坂になっているが、昔は赤土の長い急坂で、背負っていた米が汗と熱でこわめしになったとのいわれから「こわめし坂」とも呼ばれた。
こわめし坂下から旧国道1号出て、天神社、松雲寺から普通の車道の小時雨坂、大時雨坂を下る。坂公民館前から旧道に入り、坂幼稚園の前から題目坂を下って、山神社、法善寺、六地蔵から牛だか臼が転がったという臼転坂を下り、普門庵、宗福寺の前から国道1号に出て、国道の初音ケ原の松並木と平行する旧道の石畳を行くと両側に錦田の一里塚がある。その先の旧道に入ると愛宕坂の急坂となって東海道線を越え、今井坂を下ると平坦になって坂はここまでだ。見どころの多い伊豆国一の宮の三嶋大社に寄って三島駅に向った。
『東海道(三島宿→沼津宿)』に続く。
*参考:『三島夢街道マップ』
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
ここからだと富士は山頂だけしか望めない。
箱根駅伝ミュージアム(往路ゴール地点)
旧東海道は右へ曲がる。左側に小堂がある。
右は馬頭観音か。
毘沙門堂(箱根七福神)
駒形神社境内
正面の国道1号(現東海道)をくぐる。
右側に挟石坂の説明板が立つ。
箱根峠へ上る今の挟石坂から
広い車道と暖かいせいで高さを感じない。
石柱は供養塔か? 地蔵像は見当たらず。
このあたりは茨ケ平(ばらがだいら)
兜石は接待茶屋跡の近くに移されている。
四国八十八ケ所札所の「ご接待」と同じで、無料で箱根を往来する人馬に粥、飼葉、焚き火を提供したボランティア活動だ。
接待茶屋、箱根旧街道の説明板、道標がある。
25番目の一里塚はどこにあるのか? 有徳公は八代将軍吉宗で、ここの茶店で休憩した時、永楽銭を賜ったことから永楽屋と称したという。
もとは甲石坂の途中にあった。
曇っていて見晴しはきかない。
石荒坂・石割坂とも。
明るく開けて中央あたりが国道1号(現東海道)
坂下の集落を左に曲がって国道1号を少し行くと小枯木坂の下りとなる。
願合寺地区に2ヶ所ある石橋の一つ。保存状態が良く当時の場所に整備・復元。
雲助徳利の墓近く
西国大名の剣術指南役だった大酒飲みの松谷久四郎は酒で事件を起こし、国外追放となり雲助になって仲間の世話、めんどうをみて親分以上に慕われた。死後、仲間達が徳利と盃を刻んだ墓を建てたという。
福島県白河市の皇徳寺には、徳利の形をした小原庄助さんの墓がある。『奥州街道(白河宿→笠石宿)』に記載。
このあたりは山中城落城後は宿場として栄えた。
樹齢500~600年で、天正18年(1590)の山中城合戦も見ていたのだろう。
山中城址説明板
正面は櫓台
本丸は右下
北条、豊臣方の武将の墓が仲良く並ぶ。
司馬遼太郎の「箱根の坂」の「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ」 と彫られている。
右後ろに小さな石仏
平成3年建立の新しい碑。南北朝時代の逸話だ。
富士見平から富士は見えず、芭蕉は「霧しぐれ 冨士を見ぬ日ぞ 面白き」と負け惜しみ風に詠んだが俗人にはやっぱり見えないとつまらん。
明るく広い遊歩道といった感じだ。別名を「かみなり坂」
右端は馬・牛頭観音
日本橋より27番目の一里塚。
右側に小堂
道祖神(右)・馬頭観音(左)?
こわめし坂の坂下
元禄17年(1704年)の開山。坂公民館、坂小学校校庭が寺跡。
玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名づけられた坂名。題目石は現在、坂下の法善寺に移されている。別名を法華坂
足利尊氏の建立という七面堂跡
途中の右に小祠がある。
馬頭観音か?
馬頭観音というところか。
元禄6年(1693)日宗上人によって開かれた日蓮宗の寺。題目碑、七面の石灯籠、疫病から守る帝釈天を祀る。
2組あるようだ。
牛が転がったとか、臼を転がしたためこの名がついたという。別名を「恋し坂」
後ろは山神社
正面の扉の隙間からのぞいたら、目の前にこのリアルな石像が坐っていてギョっとした。
釈迦の弟子の賓頭盧尊(びんずるそん)、通称「おびんずる様」、「撫で仏」で堂の前に置く。これを撫でると除病の功徳があるというが、撫でる気はしない。
伊豆霊場巡りの札所。
旧道は左側
旧道は直進して左へカーブして国道1号へ出る。工事中でここで左に曲がって国道へ。
左に国道1号の松並木が沿う。
国道1号を挟んで2基。日本橋より28番目の一里塚。
正面の細い道を入る。
三島東海病院(正面の小高い所)の所に愛宕社があった。
貨物列車が通る。
三嶋大社の前で南に下田街道が分岐する。樹齢1200年以上。国の天然記念物。
室町時代に三嶋大社の別当職だった市内随一の大寺院の庭園の一部ではないかという。
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