厚木市の坂-2
2008年4月5日
本厚木駅(小田急線)バス→才戸橋・才戸坂・・・貝殻坂・・・常昌院・・・上の坂・・・聖眼寺・・・鍛冶屋坂跡・鍛冶浦地蔵・(新)鍛冶屋坂・・・八幡神社・八幡坂・・・清源院・・・山王坂・・・弔え坂・妻田(つまだ)薬師(遍照院)・・・妻田薬師バス停→本厚木駅
中津川の西側を才戸橋から南へ歩く。春休みで、天気がいい土曜日、桜もまだ見ごろでどこものどかだ。清源院では本堂の花祭り演芸会、踊り、歌などで盛り上がっている。甘茶をいただきしばし見物して一休み。妻田薬師では本堂前でお花見のおばちゃん達が、かなり出来上がって、昔なら弔え坂を運ばれてきた死人もびっくりして生き返ってしまうような大声で喋っている。父ちゃんのカラオケの声もすっかりかすんでいる。坂を探して地道に歩いているのがアホらしくなるような坂道散歩の半日だった。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
才戸橋から中津川
「才戸の渡し」跡あたり
「才戸の渡し」石柱と道標(右端)
才戸坂(坂上方向) 才戸橋から南西に上る大山街道(相模原大磯線(県道63号))。
才戸という地名はサイトバライ(道祖神が立っている所を「サイト」または「サイトバ」といい、ここを祓うからサイトバライ)から由来する。「どんど焼き・どんどん焼き」と同じで、1月14日に道祖神の前に集められた正月の飾り物やお札を燃やし、木の枝につけた団子を焼いて食べる。
坂付近から貝の化石が出土。
常昌院の参道
文化7年(1810)年の銘。台座に石の輪が組み込まれている。
上の坂(坂上から) 三田3139から西に入り南西に上る。《地図》
聖眼寺から鍛冶屋坂跡への途中。
鍛冶屋坂跡 三田2763から西に上る坂だった。《地図》
坂下に鍛冶屋があり、鍛冶浦地蔵が立っていたのだろう。今も板金工場がある。
平成4年にここに(少し南側の交差点前)移設された。
鍵を掛けられ檻に閉じ込められているようで可哀そうだ。
立て看板の後ろが今の鍛冶屋坂。《地図》
坂下の桜の木の所が鍛冶浦地蔵
坂上から三田小学校の方へ続く。
石段下は三田小学校跡
八幡坂(坂上方向) 三田の八幡神社の南側を西に三田小学校の方へ上る大山道。
プログラムには、踊り・歌・民謡・大正琴・三味線・カラオケ・コーラス・マジック、そして「大福引大会」と盛沢山。
山王坂(坂下から) 三田と三田南の屋際交差点から北西に上る。
坂の途中の北側に山王社があったようだが見当たらず。
死者を弔うためこの坂を上ったことからついた坂名だろう。
妻田薬師(遍照院)
右が薬師堂
池の奥に弁天の石像。
幹に武田信玄勢が放った火の傷があるという。
左の猿は小猿?を抱いている。
寛文八年(1668)建立の市内で2番目に古い祠。
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