綾瀬市の坂-4
2008年4月1日
海老名駅バス停→綾瀬市役所・・・観音様の坂・観音橋(比留間川)・・・長龍寺・・・秀の木坂・・・ようさんの坂・・・綾瀬大橋(蓼川)・・・(宮坂・辻坂・台場の坂)跡あたり・・・中原街道・大坂・・・旧廻り(まわり)坂跡・新廻り坂・・・蓼川橋・・・下坂・・・南坂・・・深谷神社・・・浅間橋(比留川)・向こう坂・・・大法寺・・・新道橋(比留川)・・・春日原・・・綾瀬市役所バス停→海老名駅
風は強いが青く澄んでいる空の下を観音様の坂を観音橋まで下るが、子育て観音が見当たらない。市民スポーツセンター前にあるという子育て観音のことなのか。坂自体も車が多いだけで、観音さんでもなければ全く面白味がない坂だ。坂下から長龍寺の方へ上りとなって振り返ると富士山が見えるが救いだ。
秀の木坂を下り、ようさんの坂を上って工場街を抜け綾瀬大橋に出る。橋の北側の蓼川東側は工事造成中で、川沿いにあった3つの坂は消滅したようだ。綾瀬大橋交差点から大坂を下る。U字型の旧廻り坂も途中で廃道なり、今は大坂から続く上り坂を廻り坂と呼んでいるようだ。南坂を下って深谷神社に寄り、比留川の浅間橋から向こう坂を上るが、このあたりも開発造成中で昔の面影は消えている。浅間森は残っているのだろうか?大法寺から中原街道を南西に行き、新道橋から上りとなって坂上の交差点で右折し、春日原から左手に富士山を眺めながら、桜が満開の綾瀬市役所へ出た。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
観音様の坂(坂下方向) 深谷の観音橋から南西に上る。 【ルート地図】の①
途中に子育て観音があるはずだが見当たらず。工事中の所にあって移設されたのか?
曹洞宗の寺。江戸時代に深谷村を治めていた旗本の大橋氏一族の墓碑群がある。
秀の木坂(坂上から) 綾瀬小学校の南側から西に下る。 【ルート地図】の②
秀の木谷戸に下る坂。
ようさんの坂(坂上方向) 秀の木坂の坂下のさがみ野ホームの北側を東に上る。【ルート地図】の③
「ようさん」は人名。坂の近くに住んでいたのだろう。
大坂(坂下方向)本蓼科の綾瀬大橋入口交差点かた南西に下る中原街道。 《地図》
蓼川の谷に下りる新道(中原街道)の坂で、『綾瀬村風土記』に「険悪にして車馬大いに苦しむ」とある。
旧廻り坂 大坂の途中から北西からカーブして南西に下って大坂の坂下あたりに出る。《地図》
逆U字型に廻っていた坂。
中原街道(正面方向)に上っていたようだが、今は廃道になって途切れてしまう。
新廻り坂(坂上方向) 大坂の坂下の蓼川橋あたりから南西に上る中原街道。 《地図》
カーブはするが「廻る」ほどではない。坂上に廻り坂バス停がある。
下坂(坂下方向) 廻り坂の途中から南方向に下る。 《地図》
この坂の位置についてははっきりせず、大坂の途中から南方向に下る坂かもしれない。
南坂(坂上から) 深谷中7丁目の綾瀬中郵便局から南東方向に上る。【ルート地図】の④
何の南なのか? 深谷神社だろうか?
宮坂(消滅)の北側にあった山神社が合祀されている。
向こう坂(坂下から) 深谷の浅間橋から南西に上る。【ルート地図】の⑤
坂上台地上の浅間森に向う坂ということだが、浅間森は残っているのか?
浅間の森跡だろうか? 小さな社もあるが。坂周辺は工事中で近づけず。
中原街道の深谷交番の前の交差点の所
庚申塔道標(右・文化11年(1814)建立)・堅牢大地神(中)・地蔵 (左)
庚申塔の左側面に「南大山道」とある。堅牢地神は、もとインド神話の神で十二天の一つ。仏教に入り、大地をつかさどる。地天、地神ともいう。
春日局の所領だったという広い畑地。今も春日道、大邸(おやしき)などの地名がある。
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コメント
春日原といえば芝生を作ってる広場でよくラジコン飛行機を飛ばしてる人がいたのを思い出します。乙です。よく綾瀬車庫でバスを降り早川工業団地を歩いて帰ったものです。遠く離れてこのように生れ故郷の近況を知る事が出来てうれしいです。随分綾瀬は変わってしまってようですね。あいかわらず飛行機はうるさいんでしょうがw
投稿: | 2010年4月 3日 (土) 20:35