厚木市の坂-4
2008年4月15日
本厚木駅(小田急線)・・・県道603号・・・三島神社・宮坂①・・・厚木高校交差点(県道603号)・尼の泣き坂・・・紺屋(こ-や)の坂・・・大門の坂(右の写真)・浄雲寺・・・子之神社・お宮さんの坂・子之神水神宮・・・上の大坂・・・座頭ころがし・・・大坂②・・・小坂・・・七曲り④跡あたり・・・福伝寺・・・王子神社・・・大泉(でいじん)坂・・・林神社・・・県道60号(厚木清川線)・・・高札場跡・・・大坂②・・・温水(ぬるみず)交差点・・・浅間神社・宮坂②・興教寺・・・浅間山橋(恩曽川)・・・ドウコウ坂・・・巡見道・地蔵堂・稲荷社・・・春日神社・・・七曲り⑤・・・菩提寺・・・ショイ(背負い)坂(国道246号)・・・本盛寺・・・観音寺・・・大山道・・・愛甲宿の道標・大厳寺・・・円光寺・・・大坂③・・・愛甲石田駅(小田急線)
尼の泣き坂は坂名のいわれはともかく、坂自体に面白味はなく、北側の紺屋の坂、直線の切通しの大門の坂、子之神坂の方が歩きがいがある。座頭ころがしは草木が生い茂った深い谷で恐ろしい所だったというが、このあたりは今は起伏もない普通の住宅街で、場所も由来もどうも納得がいかない。北に大坂②を下った林交差点の所には、道標庚申塔、糟屋道標柱、地蔵堂、道祖神などがにぎやかに並んでいる。
小坂を上り、厚木東高と厚木商高の間から福伝寺へ出る。このあたりが七曲り④があった所だが今は跡形もない。福伝寺の北側の大泉坂を下って小高い林神社に寄り、県道60号から高札場跡を通り、再度、大坂②を上って南に、温水交差点から浅間神社の宮坂②を下って恩曽川の浅間山橋に出る。川沿いの菜の花、遠くに丹沢の山並みとのどかだ。
南東に温水橋あたりから南に入り、ドウコウ坂を上る。坂上は地蔵堂がある巡見道に突当たる。この道は新しく改修されて広く明るくなっている。ちょうど南毛利小学校の下校時間で生徒がにぎやかに下って行く。巡見道の下から春日神社への坂は静かで昔の面影が残っている。坂上近くに、無傷なくらいしっかりしたきれいな双体道祖神が佇んでいる。文化8年(1811)の銘があるから驚きだ。ひっそりした春日神社にも応永24年(1417)という石灯籠が社殿の前に建っている。
春日神社前から畑の間を抜けると今は2回曲がるだけの七曲り⑤が下っている。坂下から南東に進み、国道246号に出るとショイ(背負い)坂の下りとなる。今は幅の広い車道でさほど傾斜は感じないが昔は急坂だったのだろう。坂下から船子橋(玉川)を越え、坊中交差点で左折し途中に大山道の道標庚申塔が残る旧道に入る。大厳寺、円光寺から県道604号を横切り、大坂③を上って愛甲石田駅に着いた。今日はバスには乗らず、たった一駅間の坂道散歩だったが思ったより距離があり時間もかかった。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
宮坂(坂上方向) 恩名3丁目の三島神社の北側を北西に上る。《地図》
恩名の鎮守三島神社による坂名。
尼の泣き坂 戸室の厚木高入口交差点の北側あたりから南東に下り県道603と一緒になる坂。
昔、尼寺原に井戸はなく、尼寺の尼さんが緑が丘の方から水を汲みに坂下の湧き水池(大井)に来たという。坂が急でつらく、悲しいこともあってこの坂名がついたという。この坂名は『厚木の地名』には載っていない。そんなに古くない坂名(新しくつけられた)なのだろう。
左の木がある所の下の民家の敷地内に湧き水池の「大井」がある。
右上に小堂がある。
この堂が大日堂なら大日如来なのか? 馬頭観音のような感じだが。
紺屋(こ-や)の坂(坂下方向) 戸室2-13と2-14の間を北東に下る。《地図》
坂下に紺屋があったのでこう呼ぶようになった。左側に地蔵の小堂。
大門の坂(坂下から) 戸室3-14の浄雲寺の前から東に下る。
大門は浄運寺の門のことか。坂上を行くと浄雲寺に突当たる。切通しの直線的な坂。
曹洞宗の寺
お宮さんの坂(坂下方向) 戸室の子之神社の南側を東からカーブして北方向に下る。《地図》
左側が子之神社
戸室の鎮守。
子之神水神宮(お宮さんの坂の坂下近く。)
縄文時代からの住民の生活用水の水源という。
上の大坂(坂上方向) 戸室小学校の北側からカーブして東方向に下る。 《地図》
お宮さんの坂より北の集落を上といった。
左前方のガードレール前に地蔵などが並ぶ。
右から地蔵(享保3年?)・庚申塔?・西国秩父坂東四国百八十八?塔・地蔵(首が欠けている)
道標の位置(戸室4-18)《地図》 説明文:「座頭を蹴落としたということから名付けられた。霊石信仰に座頭伝説が加わって、この地名になったという説もある。」
左へ少し上りとなっているが「林と戸室の境で飯山を抜ける道」というから右の道だろう。厚木へ材木を運ぶ重要な道で、「宮が瀬道」「丹沢山道」とも呼ばれたという。『厚木の地名』ではこれより少し南西側の戸室4丁目と5丁目の境あたりとなっているが、そこも平坦な所だ。坂名というより、このあたりの地名とした方がよいかも。東京世田谷区にも「座頭ころがし 」がある。甲州街道の犬目宿にもある。
道標の後ろの高くなっている所には何基かの墓がる。
正面のかすや道と愛名道の分岐点に道標が立つ。
坂下の民右衛門地蔵は元はここにあった。地蔵さんは坂上が飽きたので、民右衛門に坂下まで運ばせたという伝承がある。(後述)
糟屋道の道標庚申塔・地蔵堂・双体道祖神などが左下に並んでいる。
彫り方が深く今でもはっきりしている。「北 おきの道 南 かすや道」 「東 あつき道」
厚木の昔話民右衛門地蔵 :「林村の働き者の民右衛門は大坂上の畑を耕作して、地蔵に礼を言い坂を下りかけると、後ろから「民右衛門」と呼ぶ。振り返っても誰もいない。歩き出すとまた呼ぶ。戻ってみると薄闇の中に地蔵が立ち上がっている。触って見ると軽く揺れ、持ち上げてみると軽い。さては坂の上が飽きたので、もっと広い場所へ行きたいのだなと民右衛門が背負ってくると、坂の下で急に重くなったのでそこに下ろし、後にお堂を建てたという。」『かながわ 坂のある風景』から
小坂(坂上方向) 大坂②の坂下近くから西に上る。《地図》
正面は福伝寺・右は厚木東高校・左は厚木商高
弘安4年(1281)の板碑が残る。
大泉(でいじん)坂(坂の途中から坂上方向) 王子の福伝寺の北側から北東に下る。《地図》
ダイセンという名の法印がいたという。福伝寺にいたのだろうか。
左に地蔵の小堂と二十三夜塔
林神社(林3-7)
高札場跡(大坂②の坂下近く)
宮坂②(坂下方向) 温水の浅間神社と興教寺の間を南西に下る。
右が浅間神社
浅間山村の鎮守
浅間山、曹洞宗。
ドウコウ坂(坂下から 温水658と681の間を南西に上る。《地図》
ドウコウの意味不明。坂上突き当りに地蔵堂がある。
地蔵堂前の巡見道を少し上った所。
江戸時代に巡見使が通った道。新しい広い道になっている。
巡見道の坂下から春日神社へ上る坂。《地図》
こちらは昔の雰囲気が残る道。
上は春日神社
文化八年(1811)の建立にしては、風化や摩滅、傷も少なくきれいな形で立っている。
温水(ぬるみず)の鎮守。社殿の前に石灯籠が一本立つ古い形態。
竿部に「應永二十四年九月二十九日」と彫られている。
七曲り⑤の上から 温水472と510の間を南西からカーブして北西方向に上る。《地図》
今は2回曲がるだけ。南側に旧道もあるようだがそれもくねくね曲がってはいないようだ。
松寿山、曹洞宗。七曲りの坂下北側。廃寺のような感じだ。
ショイ(背負い)坂(坂下方向) 船子交差点あたりから北東に上る国道246号。《地図》
子どもをおぶって上るのに大変な坂だった。
右上は本盛寺
妙栄山、日蓮宗。
船子山、浄土宗
大厳寺近くの大山街道沿い
中海山、曹洞宗
西嶺山、臨済宗
愛甲三郎季隆の守護仏の観音菩薩像か。
左に道標。大坂③(大山道)は写真の右端から左に曲がって上って行く。
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