厚木市の坂-5
2008年4月21日
本厚木駅(小田急線)バス→鳶尾団地・・・赤坂①跡あたり・・・国道412号・・・荻野神社・・・蚕影神社・・・うとう坂・・・第六天の祠?・・・国道412号・・・赤坂②・・・鳶尾小学校・・・越路峰・赤坂③・・・知恩寺・・・道場坂・日本三躰地蔵尊(光善院跡)・・・ナリタの坂・・・鐘鋳(かない)神社・・・山中陣屋跡史跡公園・・・松葉橋(荻野川)・・・法界寺・・大山街道・・日枝神社・・・殿様道・板-(イテー)坂・・・セト坂(上の写真・正面はモチノキ)・(イタケ坂?(殿様道))・・淡島坂・・・上使橋(荻野川)・・・ツノ坂(矢名街道・県道63号)・・・赤坂④・・・国道412号バイパス・・・エドヤの坂・・・十二天坂・十二天神社・・・八幡神社・・・十二天橋(荻野川)・・・青蓮寺・・松蓮寺バス停→本厚木駅
荻野川の東側(左岸)の坂道散歩です。赤坂が4本もあったが、どれも舗装された普通の坂になっていて赤土のむき出した切通しの坂はない。越路峰の道標の立つ赤坂③に昔の面影が残るくらいか。うとう坂は車道脇の小さな坂で、坂上に坂標が立っていて坂名の由来が書かれているが、「鵜藤坂」同様、納得がいかない。バス停「うとう坂」のある県道?の坂ではない。道場坂の坂上には光善院の修行道場があったというが、今は堂内には日本三躰地蔵尊が祀られている。
ナリタの坂を下って変わった名の鐘鋳神社から、荻野川近くの国道412号バイパス沿いの小高い山中陣屋跡公園に寄った。犬を連れた人がやけに多いと思ったら、時々犬の変な、哀れっぽい鳴き声が聞こえる。陣屋の御殿跡の広場で犬の予防接種をやっていた。殿様もビックリというところか。
荻野川沿いにしばらく歩き、法界寺から日枝神社に出る。日枝神社の石段前には崩れて、溶けかかった幽霊のような石像(地蔵?)が立っている。がい骨のような頭が不気味で面白い。殿様道を行くと滑らないように板を敷いたという「板ー坂」(イテー坂)、セト坂が下っている。セト坂の坂上から続く殿様道を『厚木の地名』では「イタケ坂」としているが、傾斜はなく坂ではない。「イタケ」は「板ケ」で、一本隣の「板ー坂」と同じ坂のことではないのか? 淡島社があったらしい淡島坂あたりは新しい住宅地になっていて神社、祠も見当たらなかった。
淡島坂下から荻野川を渡り、矢名街道のツノ坂を上り、赤坂④を上って国道412号バイパスに出る。的場交差点から糟屋道に入りエドヤの坂を下る。バイパスに戻り、十二天神社前の十二天坂を下って、八幡神社に寄り十二天橋を渡り、青蓮寺に寄り松蓮寺バス停から本厚木駅へ出た。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
赤坂①跡あたり みはる野1丁目を北東に上る坂だった。《地図》
馬頭観音や馬を埋めた塚が2つあったという。今は「みはる野」の住宅街だが、昔は鳶尾山の方へ赤土の坂だったのだろう。この坂の少し南側にあった坂のようだ。
丹沢の山なみ、下は調整池
上・中・下荻野村の鎮守。御神体は自然石。
うとう坂【坂標】
人家も少なく寂しい坂なので歌を歌って通ったから「うとう坂」と呼ばれたというが、昔は暗く、寂しい坂がほとんどだった。この坂は荻野川の権現堂橋まで下っていた坂で車道沿いに旧道が残っている。各地にある「うとう坂」と同じで、台地から善知鳥(うとう)の口ばしのように延びていた坂なのでこう呼ばれるようになったのでは。
以前は「男坂」バス停だった。うとう(善知鳥・烏頭坂)坂→おとう坂→男坂→うと(歌)う坂、と変化したのか。
第(大)六天の祠が並んでいる。
赤坂②(坂上方向) 中荻野と鳶尾4丁目?の間を国道412号から北東に上る。 《地図》
越路峰道標(赤坂③の坂下)
恋路峰ともいうそうで、八王子市と町田市の境の「恋路(地)の坂」を思い出させる。由来話にも似通ったところがある。縁起が悪い道なので花嫁行列は避けたという。
左へ上る坂。分岐の所に越路峰の道標が立つ。
左側は切通しの石の崖になっている。昔は赤土のむきだした崖だったのだろう。
赤坂③から下って道場坂への途中の畑から
道場坂(坂上方向 下荻野の日本三躰地蔵尊の北側から北西方向に下る。《地図》
光善院(子合山安産寺、本山修験、明治初期廃寺)の修行道場があった。
行基が同じ木から作った三体の仏像の一つ、子合地蔵尊が安置されているという。あとの二つは大阪と福島にあるらしい。その地蔵尊を八幡太郎義家の六男の森冠者義高の息子が持っていて光善院(子合山安産寺・明治初期に廃寺)に納めたのか?
中央が子合地蔵尊か?
ナリタの坂(坂下方向) 下荻野420と1551の間を南西方向に下る。《地図》
ナリタ(成田?)という屋号の家があったのか。
鐘鋳(かない)神社(下荻野388)
祭神の「日本根古皇続弥照命」が分からない。
山中陣屋跡史跡公園(下荻野251・正面の小高い所)
天明3年(1783)頃に荻野山中藩が築いた陣屋跡。
溶けかかった幽霊みたいだ。
山中陣屋へ通ずる道で、荻野山中藩主が参勤交代の時に往来した道。800mくらいの短い間を殿様道といった。
板ー(イテー)坂(坂下方向) 荻野1305と及川2-13の間を北東に殿様道に上る。《地図》
殿様が来る時、道がぬかるので板を敷いたという道。
今は板ではなく、滑り止めのハイテクの舗装が敷かれている。
セトは集落名。背戸か瀬戸だろう。
『厚木坂の地名』では坂上の殿様道を「イタ(板?)ケ坂」としているが平らな道で坂ではない。
淡島坂(坂下方向) 及川2-11と2-15の間を南西に下る。《地図》
淡島社があったようだ。
ツノ坂 国道412号バイパスの及川中原交差点から北東に下る。
正面の右から左に上る坂。(県道63号・矢名街道)
坂名の由来不明
ツノ坂の坂上近く。八王子と矢名村(現秦野市)を結ぶ道。
赤坂④(坂上方向) 国道412号バイパスの天台・上の原交差点から東方向に下る。《地図》
左側の土の部分に昔の赤坂の様子が残るだけ。
エドヤの坂(坂上から) 及川541と966の間を南西に下る糟屋道。《地図》
右側に石祠、その下は道標か? エドヤ(江戸屋?)という屋号の家があったのだろう。
十二天坂(坂下方向) 及川の国道412号バイパスの児童館交差点から東へ十二天神社の前を下る。
正面左に小堂、その後ろが十二天神社
十二天神社(及川497)
八幡神社(及川624)
青蓮(しょうれん)寺(三田南2-2)
境内入口に松の木があったので、バス停の名は「松蓮寺」にしたのではないかといわれている。
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