厚木市の坂-6
2008年4月30日
愛甲石田駅(小田急線)・・・宮坂③・熊野神社・・・さんきゅう坂・小宮坂・・・屋敷添橋(東名高速)・愛甲三郎屋敷跡あたり・大坂④跡あたり・・・切通し①・・・車屋の坂・・・川久保坂・川久保橋(玉川)・・・内山さんの坂・・・赤坂⑤・・・小野神社・・・吉祥寺・・・切通し②・子安神社・・・山王坂③・・・彼岸坂・デー(台)の坂・・・実蒔原古戦場跡(伊勢原市)・・・はつみ坂・旧道・・・金井橋(玉川)・・・坂跡・・・聞修寺・・・かじやみねの坂・・・龍鳳寺・・・小町神社・・・小野宮バス停→本厚木駅
玉川近くの坂道散歩です。さんきゅう坂から続く小宮坂も今はさんきゅう坂と呼ぶようだ。車屋の坂、川久保坂、内山さんの坂は平行して玉川へ下る坂。彼岸坂を上るとデー(台)の坂となって、低い峠越えの感じで伊勢原市の実蒔原古戦場跡、はつみ坂の方へ下って行く。(上の写真) 里山の感じがするのどかな道で気に入った。はつみ坂の旧道は廃道寸前という様子だ。玉川沿いに金井橋を渡り、坂跡(坂の名)から聞修寺に寄り、急坂のかじやみねの坂から小高い小野緑地の小町神社に上った。各地にある小野小町伝説の残る所だ。小野小町の生まれた所だともいっている。出生地も死んだ所もあちこちにあるようで、これも絶世の美人?のなせる技か。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
熊野神社から
笠、竿、基礎は南北朝時代の物。
右は馬頭観音。江戸時代後期に愛甲地区には3人の地頭(旗本)がいて、「三給」といった。
坂下方向 《地図》
北東に下る坂で小宮坂へと続く。
地図では「さんきゅう坂」となっている所。
東名高速屋敷添橋の所
愛甲三郎季隆の屋敷がこのあたりにあった。
今は東名高速に沿って新しい道が下っている。
切通し①(坂上から) 東名高速の愛甲橋北側から北東に下る。《地図》
川久保坂(坂下方向) 川久保橋(玉川)の方へ下る坂。《地図》
内山さんの坂(坂下方向) 愛甲41と74の間を北東から北西に下る。 《地図》
左側が内山家
赤坂⑤(坂下方向) 愛甲の赤坂交差点から北西に下る。《地図》
片側に赤土の崖を切通した跡が残る。
小野神社(小野431)
愛甲三郎が再興したという。愛甲三郎の本家の横山党は小野妹子の子孫と伝えられているという。
近江の小野神社の小野氏系図によれば、小野小町は小野篁の孫で、篁は小野妹子につながっている。『西近江路②』
本山は京都の南禅寺。
左のは新しく建てられた道祖神。
切通し② (坂上方向) 岡津古久の子安神社に沿って北西に上る。《地図》
右は子安神社
正面は大山
右に庚申塔などが並ぶ。
その先にも首の欠けた双体道祖神(左)と女神が子どもを抱き、男神が女神の肩に手を回す新しい双体道祖神。
山王坂③(坂上方向) 岡津古久930と3の間を北から北東に厚木佐藤病院の方へ上る。《地図》
左の石垣のくぼみに庚申塔が入っている。
彼岸坂(坂上方向) 小野1052と1021の間を南西に上る。《地図》
坂下近くにお堂があったらしい。
台へ上る坂ということか。坂上は峠の感じで伊勢原市へと下って行く。
切通しの木に覆われた薄暗い坂。
坂下は伊勢原市
実蒔原(さねまきはら)古戦場説明板(伊勢原市日向・西富岡) 坂下の伊勢原市に入ったあたり。
長享2年(1488)の扇谷定正と山内顕定の長享の乱の合戦場。
上から水を流して動かしている。
はつみ坂(坂下方向)県道64号の伊勢原市との境のはつみ坂バス停前を北東に下る。
バス停はつみ坂の所から
はつみ坂旧道(坂下方向) 《地図》
バス停はつみ坂そばから右に入る。
傾斜はゆるい。ほとんど廃道に感じだ。
坂下で新道に出る。
左・旧はつみ坂、右・新はつみ坂(県道64号)
坂跡(坂上方向) 《地図》
坂という名の坂。
鍛冶屋峰だろうか?
東京駒込の吉祥寺の末寺。
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