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2008年4月30日 (水)

厚木市の坂-6

2008年4月30日

Img_6977_2 愛甲石田駅(小田急線)・・・宮坂③・熊野神社・・・さんきゅう坂小宮坂・・・屋敷添橋(東名高速)・愛甲三郎屋敷跡あたり・大坂④跡あたり・・・切通し①・・・車屋の坂・・・川久保坂・川久保橋(玉川)・・・内山さんの坂・・・赤坂⑤・・・小野神社・・・吉祥寺・・・切通し②・子安神社・・・山王坂③・・・彼岸坂・デー(台)の坂・・・実蒔原古戦場跡(伊勢原市)・・・はつみ坂・旧道・・・金井橋(玉川)・・・坂跡・・・聞修寺・・・かじやみねの坂・・・龍鳳寺・・・小町神社・・・小野宮バス停→本厚木駅

玉川近くの坂道散歩です。さんきゅう坂から続く小宮坂も今はさんきゅう坂と呼ぶようだ。車屋の坂、川久保坂、内山さんの坂は平行して玉川へ下る坂。彼岸坂を上るとデー(台)の坂となって、低い峠越えの感じで伊勢原市の実蒔原古戦場跡、はつみ坂の方へ下って行く。(上の写真) 里山の感じがするのどかな道で気に入った。はつみ坂の旧道は廃道寸前という様子だ。玉川沿いに金井橋を渡り、坂跡(坂の名)から聞修寺に寄り、急坂のかじやみねの坂から小高い小野緑地の小町神社に上った。各地にある小野小町伝説の残る所だ。小野小町の生まれた所だともいっている。出生地も死んだ所もあちこちにあるようで、これも絶世の美人?のなせる技か。

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_6829 宮坂③(坂上方向) 愛甲の熊野神社へ上る坂。【ルート地図】の①

Img_6853 坂下方向

熊野神社から

Img_6838 熊野神社

Img_6843 石灯籠

笠、竿、基礎は南北朝時代の物。

Img_6835 説明板

Img_6858さんきゅう坂

右は馬頭観音。江戸時代後期に愛甲地区には3人の地頭(旗本)がいて、「三給」といった。

Img_6854 坂下方向 《地図

北東に下る坂で小宮坂へと続く。

Img_6860坂上方向

Img_6862 小宮坂(坂下方向) さんきゅうの坂から続いて北東に下る坂。

地図では「さんきゅう坂」となっている所。

Img_6863 坂上方向

Img_6865 庚申塔(右)・左は?

東名高速屋敷添橋の所

Img_6872屋敷添橋(大坂④あたり) 《地図

愛甲三郎季隆の屋敷がこのあたりにあった。

Img_6873大坂③跡あたり 

今は東名高速に沿って新しい道が下っている。

Img_6874 切通し①(坂上から) 東名高速の愛甲橋北側から北東に下る。《地図

Img_6876 坂下方向

Img_6880 車屋の坂(坂上方向) 【ルート地図】の②

Img_6881 坂下方向

Img_6883 川久保坂(坂下方向) 川久保橋(玉川)の方へ下る坂。《地図

Img_6895_2 坂上方向

Img_6892 内山さんの坂(坂下方向) 愛甲41と74の間を北東から北西に下る。 《地図

左側が内山家

Img_6893 坂下方向

Img_6896 坂下方向

Img_6903 赤坂⑤(坂下方向) 愛甲の赤坂交差点から北西に下る。《地図

片側に赤土の崖を切通した跡が残る。

Img_6905 坂上方向

Img_6914小野神社(小野431)

愛甲三郎が再興したという。愛甲三郎の本家の横山党小野妹子の子孫と伝えられているという。
近江の小野神社の小野氏系図によれば、小野小町は小野篁の孫で、篁は小野妹子につながっている。『西近江路②

Img_6910_2 説明板

Img_6917 吉祥寺(岡津古久853)

本山は京都の南禅寺。

Img_6916 説明板

Img_6918 道祖神

左のは新しく建てられた道祖神。

Img_6919 後ろ側に寛政13年(右)と文政11年(左)の道祖神。

Img_6922 切通し② (坂上方向) 岡津古久の子安神社に沿って北西に上る。《地図

右は子安神社

Img_6923 子安神社

Img_6924 説明板

Img_6929 坂下方向

Img_6934 坂上から下る坂

正面は大山

Img_6936 山王坂③方向(正面の上り坂)

右に庚申塔などが並ぶ。

Img_6940 その先にも首の欠けた双体道祖神(左)と女神が子どもを抱き、男神が女神の肩に手を回す新しい双体道祖神。

Img_6943 山王坂③(坂上方向) 岡津古久930と3の間を北から北東に厚木佐藤病院の方へ上る。《地図

左の石垣のくぼみに庚申塔が入っている。

Img_6945坂下方向

Img_6948 坂上近くから

Img_6949 旧家の長屋門?

Img_6950 彼岸坂(坂上方向) 小野1052と1021の間を南西に上る。《地図

坂下近くにお堂があったらしい。

Img_6953 坂下方向

Img_6954デー(台)の坂 彼岸坂から続いて上る坂。【ルート地図】③

台へ上る坂ということか。坂上は峠の感じで伊勢原市へと下って行く。

Img_6955 坂下方向

Img_6957 デーの坂の途中から入る坂

切通しの木に覆われた薄暗い坂。

Img_6972 デーの坂(坂上近く)

Img_6974 デーの坂から下る坂

坂下は伊勢原市

Img_6975 庚申塔

Img_6978 坂上方向

Img_6979 実蒔原(さねまきはら)古戦場説明板(伊勢原市日向・西富岡) 坂下の伊勢原市に入ったあたり。

長享2年(1488)の扇谷定正と山内顕定の長享の乱の合戦場。

Img_6981 水車

上から水を流して動かしている。

Img_6982説明板

Img_6984 はつみ坂(坂下方向)県道64号の伊勢原市との境のはつみ坂バス停前を北東に下る。【ルート地図】の④

Img_6986 坂下方向

バス停はつみ坂の所から

Img_6987 はつみ坂旧道(坂下方向) 《地図

バス停はつみ坂そばから右に入る。

Img_6988 坂下方向

傾斜はゆるい。ほとんど廃道に感じだ。

Img_6989 坂下方向

坂下で新道に出る。

Img_6992 坂上方向

左・旧はつみ坂、右・新はつみ坂(県道64号)

Img_7005 坂跡(坂上方向) 《地図

坂という名の坂。

Img_7007 坂上方向

Img_7013 この先は道になっていない。

Img_7015 聞修寺山門(小野1207?)

Img_7014 説明板

Img_7016 かじやみねの坂(坂上方向) 聞修寺の東側を北方向に上る。【ルート地図】の⑤

鍛冶屋峰だろうか?

Img_7018 坂上方向

Img_7026 坂下方向

Img_7030 龍鳳寺

東京駒込の吉祥寺の末寺。

Img_7031 説明板

Img_7041小町神社

小町伝説七不思議

Img_7043 説明板

Img_7044 小町の化粧塚

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2008年4月28日 (月)

つくば市の坂-1・宝篋山③

2008年4月28日

Img_6718_3つくば駅(つくばエクスプレス)・北部シャトルバス→大穂庁舎・地域循環バス→小田城跡入口・・・道標庚申塔・・・解脱寺(二十三夜堂・十九夜堂)・・・三宝大荒神碑・・・小田城跡・・・稲荷神社・・・八幡神社(宝篋山登山口)・・・(小田城コース)・・・愛宕神社・・・尼寺コース分岐・・・堂平・・・純平歩道分岐・・・七曲り・・・硯石・・・下浅間・・・おみざらし・・・宝篋山(461m)・・・山口コース(2)・・・新寺コース・・・・北条大池・・・二十三夜塔・・・八坂神社・・・つくば道道標・市神様・・・宝安寺・・・鹿島神社・・・毘沙門天種子碑・・・日向廃寺跡・・・熊野神社・・・全宗寺・・・宝寿坂・・・無量院・・・伝多気太郎の墓・・・裏堀用水路・・・つくばりんりんロード・・・筑波庁舎・北部シャトルバス→つくば駅

 小田城跡から小田城コースで宝篋山に上り(上の写真は小田城跡からに宝篋山)、新寺コースで下って北条大池から筑波山神社の門前町として古くから栄え、道標や土蔵造りの町並みに往時を偲ばせる北条の町を歩く。20年ほど前までは筑波鉄道が通り、常陸北条駅があった所でもある。線路跡はサイクリングロードとして整備されている。無量院へ上る坂の途中で宝寿坂の石碑を偶然見つけた。今日は名前のついた坂はないはずだったが、一つでも新しい坂に出会え、収穫のあった坂道散歩だった。

  宝篋山は、「宝篋山①②」(2007年12月7日・14日)に記載。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_6698道標庚申塔

小田城跡入口バス停の四つ辻

Img_6704 解脱寺 《地図

このあたりは月待ち信仰が盛んなのか境内に二十三夜塔、十九夜塔、北条の道端にも二十三夜塔があった。

Img_6705 二十三夜堂

Img_6708 十九夜堂

Img_6711 三宝大荒神(解脱寺から小田城跡への途中)

屋外の文字碑は珍しいのかも。

Img_6713小田城跡

12世紀末に八田知家が築いた平城。南北朝時代に北畠親房がここで「神皇正統記」を書いた。

Img_6715 小田城址碑

Img_6721 説明板

「小田氏治は永禄12年(1569)の手這坂の合戦に敗れて土浦へ逃げた」とある。この手這坂は茨城県常北町石塚の佐竹氏の石塚城のあった所。

Img_6720小田城跡から筑波山

Img_6737宝篋山への小田城コース

下浅間

Img_6744 おみざらし(湧き水)

コースから脇道に入った所。

Img_6743 宝篋山から筑波山

Img_6749 新寺(にってら)コース下の旧家

このあたりは立派な農家?が多い。

Img_6751 田植えが始まっている。

正面は筑波山

Img_6753 道標

Img_6756 北条大池から筑波山 《地図

Img_6759 二十三夜塔など

北条大池から八坂神社への途中の角

Img_6761 八坂神社 《地図

Img_6762石造五輪塔

高さ201cm、花崗岩。天文6年(1537)造立。もとは別当寺の吉祥院にあった。明治の廃仏毀釈の際に移されたという。

Img_6763 説明板

Img_6764 旧家

Img_6766 宮本家(つくば道道標前)

国の登録有形文化財

Img_6769 市神様(右)・北条町道路元標

つくば道道標の向い側。

Img_6771 つくば道道標(手前右に入るのがつくば道) 

Img_6775 正徳5年(1715年・七代将軍家綱)に建立され、寛政10年(1798年・十一代将軍家斉)に再建された筑波山参詣道の道標。高さ306cm、花崗岩。

Img_6772 説明板

Img_6773 つくば道 《地図

筑波山方向

Img_6777 宝安寺

Img_6779 鹿島神社 《地図

背後は多気太郎が築いたともいわれる城山(じょうやま)城(多気城)

Img_6780 毘沙門天種子碑(左)碑と小堂 《地図

Img_6781 毘沙門天種子碑

鎌倉時代の制作という。

Img_6782 説明板

Img_6787 日向廃寺跡 (毘沙門天種子碑の西側)

平安時代末から鎌倉時代にかけて多気氏が造営したらしい。

Img_6785 説明板

Img_6786 礎石か?

Img_6791熊野神社 《地図

左右によれている石段が古さを感じさせる。

Img_6788 由来書

Img_6795 社殿前の石仏

元禄6年?の銘がある。鼻がつぶれているが顔立ちがはっきりしている。

Img_6818 宝寿坂 《地図

無量院に上る坂。電柱脇に「宝寿坂之碑」

Img_6807 宝寿坂之碑

Img_6809 坂上に無量院

Img_6814 無量院

建久元年(1190)多気太郎義幹が開いたという寺。

Img_6810 記念碑

Img_6813 多層塔

右の塔は延文6年(1361)と刻まれていて、南朝方の小田氏の家臣だった中久木家の祖先の墓という。

Img_6812 記念誌

Img_6824 石造五輪塔(伝多気太郎)と家来の墓 

地元では「多気太郎様」と称して、多気大掾氏第六代義幹の墓と伝える。花崗岩で高さ191cm。

Img_6825 説明板

Img_6826 裏堀用水路

多気城の外堀だったという。

Img_6828 つくばりんりんロード 《地図

1987年に廃線になった筑波鉄道の線路跡につくられたJR土浦駅(常磐線)からJR岩瀬駅(水戸線)の間の約40kmのサイクリングロード。

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2008年4月26日 (土)

箱根(旧東海道)の坂-2

2008年4月22日

Img_6306 関所跡バス停・・・国道1号(現東海道)・・・箱根駅伝往路ゴール地点・・・芦川入口バス停交差点・・・旧東海道(県道737号)・・・駒形神社(箱根七福神毘沙門天・犬塚明神)・・・旧道・石仏群・・・向坂・・・赤石坂(富士見橋(国道1号)をくぐる)・・・釜石坂・・・風越坂・・・国道1号・・・風越台(道の駅箱根峠)・・・挟石坂・・・箱根峠(846m)・・・箱根の親不知(脚気地蔵)・・・旧街道入口門柱・・・新箱根八里記念碑(峠の地蔵)・・・箱根旧街道西坂入口(茨ケ平(ばらがだいら))・八ツ手観音・・・甲石(かぶといし)坂(上の写真)・兜石跡・・・国道1号・接待茶屋バス停・・・旧街道・接待茶屋跡碑・徳川有徳公遺蹟碑・山中新田一里塚・兜石・・・施行平分岐・・・施行平・・・旧街道・・・石原坂・念仏石・・・大枯木坂・・・(国道1号)・・・小枯木坂・一本杉石橋・雲助徳利の墓・・・山中城跡歩道橋(国道1号)・・・駒形諏訪神社・山中城跡・・・宗閑寺・・・芝切地蔵・・・山中城岱崎出丸跡・・・旧街道・・・箱根八里記念碑・・・国道1号・・・旧街道・・・富士見平・国道1号・・・旧街道・・・上長坂・・・国道1号・ホテル箱根路跡・・・旧街道・馬頭観音・・・笹原一里塚・・・(国道1号)・・・下長坂(こわめし坂)念仏石跡・・・天(山)神社・・・松雲寺・・・小時雨坂・・・大時雨坂・・・坂公民館・法善寺旧址・・・坂幼稚園・題目坂・七面堂旧址・・・出征馬記念碑・・・山神社・法善寺・・・六地蔵・・・臼転(うすころばし)坂・・・普門寺・山神社・・・宗福寺・・・国道1号・・・旧街道・初音ケ原の石畳・松並木・錦田一里塚・・・愛宕坂・・・(JR東海道本線)・・・今井坂・・・真立寺・・・愛宕橋(山田川)・・・新町橋(大場川)・・・守綱八幡神社・・・三嶋大社・・・桜川・白滝観音・・・浅間神社・・・三島駅

 前回(4月16日)の続きで、箱根関所跡から箱根峠まで箱根東坂を上り、三島宿まで箱根西坂を下る坂道散歩です。駒形神社の先から旧道に入り、向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂と上ると国道1号に出る。雲り空で風越台からの展望は今ひとつだ。かつては箱根峠へ直線的に挟石坂が上っていたのだろうが、今は国道1号を歩いて箱根旧街道最高点の846mの箱根峠まで上らなければならない。

 箱根峠の駐車場を抜けしばらく行くと、三島宿へ箱根西坂の下りとなる旧道の入口がある。ここから三島宿まで山中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市山新田、塚原新田と下って行く。最初の甲石坂は篠竹?のトンネルを下る坂(上の写真)、石畳のきれいな石原坂、明るい大枯木坂、杉並木の小枯木坂を下ると北条氏の山中城跡だ。広大な城域で要害を誇っていたが、秀吉の大軍に攻められ半日で呆気なく落城した。上長坂から牛のにおいのきつい旧道を下ると笹原一里塚で、国道を渡ると箱根西坂第一の難所だった下長坂となる。集落の間の坂なので石畳ではなく、今は舗装された普通の長い坂になっているが、昔は赤土の長い急坂で、背負っていた米が汗と熱でこわめしになったとのいわれから「こわめし坂」とも呼ばれた。

 こわめし坂下から旧国道1号出て、天神社、松雲寺から普通の車道の小時雨坂、大時雨坂を下る。坂公民館前から旧道に入り、坂幼稚園の前から題目坂を下って、山神社、法善寺、六地蔵から牛だか臼が転がったという臼転坂を下り、普門庵、宗福寺の前から国道1号に出て、国道の初音ケ原の松並木と平行する旧道の石畳を行くと両側に錦田の一里塚がある。その先の旧道に入ると愛宕坂の急坂となって東海道線を越え、今井坂を下ると平坦になって坂はここまでだ。見どころの多い伊豆国一の宮の三嶋大社に寄って三島駅に向った。

 『東海道(三島宿→沼津宿)』に続く。

  参考:『三島夢街道マップ』(箱根西坂(甲石坂~今井坂)の位置も載っている)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6203 関所跡近くから芦ノ湖、富士山。

ここからだと富士は山頂だけしか望めない。

Img_6208 箱根駅伝ミュージアム(往路ゴール地点)

Img_6209 芦川入口バス停交差点

旧東海道は右へ曲がる。左側に小堂がある。

Img_6210 小堂内

右は馬頭観音か。

Img_6223 駒形神社

Img_6217 由緒書

Img_6218 毘沙門堂(箱根七福神

駒形神社境内

Img_6219 毘沙門天

Img_6216 犬塚明神(駒形神社境内)

Img_6214 説明板

Img_6228 旧道入口

Img_6230 説明板

Img_6229 石仏群

Img_6233 向坂【坂標】

Img_6234 説明板

Img_6237坂上方向 【ルート地図】の①

Img_6242 赤石坂

Img_6239 坂上方向(向坂から続く坂)

正面の国道1号(現東海道)をくぐる。

Img_6247 釜石坂

Img_6245 釜石坂(坂上方向) (赤石坂から続く坂)

Img_6235 風越坂

Img_6253 坂上方向(釜石坂から続く坂)

Img_6257 坂上で国道1号に出る。

右側に挟石坂の説明板が立つ。

Img_6265 風越台から神山(左)・駒ケ岳(正面)・二子山(右)・芦ノ湖

Img_6258 挟石坂【坂標】

Img_6259 説明板

Img_6260 「相模国と伊豆国の境の標示杭」説明板

Img_6267坂下方向

箱根峠へ上る今の挟石坂から

Img_6269 箱根峠(846m)

広い車道と暖かいせいで高さを感じない。

Img_6272 箱根峠の親不知(脚気地蔵) (箱根峠の交差点脇)

石柱は供養塔か? 地蔵像は見当たらず。

Img_6270 由来書

Img_6274 箱根旧街道入口門(箱根峠の駐車場脇)

Img_6275 峠の地蔵(新箱根八里記念碑)

Img_6278 説明板

Img_6283 旧道入口

このあたりは茨ケ平(ばらがだいら)

Img_6294 道標「是より江戸二十五里 是より京都百里」

Img_6300 甲石坂へと下って行く。

Img_6299 八つ手観音と呼ばれる馬頭観音

Img_6309兜石があった所

兜石は接待茶屋跡の近くに移されている。

Img_6310 甲石坂 【ルート地図】の②

Img_6315 接待茶屋跡あたり(国道1号の接待茶屋バス停のあたり)

Img_6317 説明板

Img_6319 接待茶屋(説明板の写真)

四国八十八ケ所札所の「ご接待」と同じで、無料で箱根を往来する人馬に粥、飼葉、焚き火を提供したボランティア活動だ。

Img_6316 旧道に入る。

接待茶屋、箱根旧街道の説明板、道標がある。

Img_6325 徳川有徳公遺蹟碑・山中新田一里塚(日本橋から26番目)

25番目の一里塚はどこにあるのか? 有徳公は八代将軍吉宗で、ここの茶店で休憩した時、永楽銭を賜ったことから永楽屋と称したという。

Img_6327 兜石(徳川有徳公遺蹟碑前)

もとは甲石坂の途中にあった。

Img_6326 説明板

Img_6330 施行平

曇っていて見晴しはきかない。

Img_6329 晴れていれば富士山、愛鷹連山、駿河湾が望める。

Img_6339 石原坂(坂下方向)

石荒坂・石割坂とも。

Img_6341_3石畳道

Img_6343念仏石

Img_6342 説明板

Img_6357 大枯木坂から

明るく開けて中央あたりが国道1号(現東海道)

Img_6362 大枯木坂

坂下の集落を左に曲がって国道1号を少し行くと小枯木坂の下りとなる。

Img_6374 小枯木坂

Img_6381杉並木の間の明るい坂だ。

Img_6387 一本杉石橋

願合寺地区に2ヶ所ある石橋の一つ。保存状態が良く当時の場所に整備・復元。

Img_6382 説明板

Img_6392 坂下

雲助徳利の墓近く

Img_6395 雲助徳利の墓

西国大名の剣術指南役だった大酒飲みの松谷久四郎は酒で事件を起こし、国外追放となり雲助になって仲間の世話、めんどうをみて親分以上に慕われた。死後、仲間達が徳利と盃を刻んだ墓を建てたという。

福島県白河市の皇徳寺には、徳利の形をした小原庄助さんの墓がある。『奥州街道(白河宿→笠石宿)』に記載。

Img_6397 由来話

Img_6404 駒形諏訪神社(山中城址内)

このあたりは山中城落城後は宿場として栄えた。

Img_6407 由来書

Img_6409 大カシの木

樹齢500~600年で、天正18年(1590)の山中城合戦も見ていたのだろう。

Img_6408 説明板

Img_6403山中城址説明板

Img_6422 本丸跡から二ノ丸方向。

正面は櫓台

Img_6424城域図

本丸は右下

Img_6435 宗閑寺

Img_6431 説明板

Img_6432武将の墓

北条、豊臣方の武将の墓が仲良く並ぶ。

Img_6438 芝切地蔵

Img_6437 説明板

Img_6442 芝切地蔵尊

Img_6456 旧道(右)・山中城岱崎(だいざき)出丸跡(左)

Img_6448 山中城岱崎出丸跡からの眺め

Img_6460_2 旧道に戻り杉並木の石畳を行く。

Img_6458_2 箱根八里記念碑

司馬遼太郎の「箱根の坂」の「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ」 と彫られている。

右後ろに小さな石仏

Img_6459 石仏

Img_6461 車道へ出る

Img_6465 菊池千本槍の碑

平成3年建立の新しい碑。南北朝時代の逸話だ。

Img_6464 由来碑

Img_6466 富士見平・上長坂へ

富士見平から富士は見えず、芭蕉は「霧しぐれ 冨士を見ぬ日ぞ 面白き」と負け惜しみ風に詠んだが俗人にはやっぱり見えないとつまらん。

Img_6476 上長坂へ

Img_6477 上長坂

明るく広い遊歩道といった感じだ。別名を「かみなり坂」

Img_6486 車道へ出て、旧道はホテル箱根路跡を左に入る。

Img_6491 右に馬頭観音の小堂

Img_6489 堂内の馬頭観音

右端は馬・牛頭観音

Img_6492 左方向の眺め

Img_6494 下って笹原一里塚へ

Img_6501 笹原一里塚

日本橋より27番目の一里塚。

Img_6502 車道を越えると下長坂(こわめし)坂の長い下りとなる。

Img_6510 下長坂(坂上近く) 【ルート地図】の③

右側に小堂

Img_6509 堂内

道祖神(右)・馬頭観音(左)?

Img_6521 坂下方向

Img_6525 こわめし坂の念仏石説明板

Img_6535 天神社(山神社)

こわめし坂の坂下

Img_6536 由来書

Img_6543 松雲寺

Img_6542 由緒書

Img_6549 小時雨坂(坂下方向)

Img_6556 大時雨坂(坂下方向)

Img_6563 法善寺旧址

元禄17年(1704年)の開山。坂公民館、坂小学校校庭が寺跡。

Img_6565 題目坂へ(右へ下る)

玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名づけられた坂名。題目石は現在、坂下の法善寺に移されている。別名を法華坂

Img_6567 七面堂旧址碑(題目坂の坂上近く)

足利尊氏の建立という七面堂跡

Img_6570 坂下方向 【ルート地図】の④

途中の右に小祠がある。

Img_6575 小堂内

馬頭観音か?

Img_6580 出征馬供養塔

馬頭観音というところか。

Img_6584 山神社

Img_6583 由緒書

Img_6585 法善寺

元禄6年(1693)日宗上人によって開かれた日蓮宗の寺。題目碑、七面の石灯籠、疫病から守る帝釈天を祀る。

Img_6586 六地蔵

2組あるようだ。

Img_6589 臼転(うすころばし)坂 右へ少し上って下る。

牛が転がったとか、臼を転がしたためこの名がついたという。別名を「恋し坂」

Img_6594 坂下方向

Img_6598 気持ちのいい道だ。

Img_6606 普門庵

後ろは山神社

Img_6607 正面の扉の隙間からのぞいたら、目の前にこのリアルな石像が坐っていてギョっとした。

釈迦の弟子の賓頭盧尊(びんずるそん)、通称「おびんずる様」、「撫で仏」で堂の前に置く。これを撫でると除病の功徳があるというが、撫でる気はしない。

Img_6610 宗福寺

伊豆霊場巡りの札所。

Img_6612 ここにも小さな石仏

旧道は左側

Img_6613 旧道は直進して左へカーブして国道1号へ出る。工事中でここで左に曲がって国道へ。

Img_6617初音ケ原の石畳

左に国道1号の松並木が沿う。

Img_6615 国道1号の松並木

Img_6619 錦田一里塚

国道1号を挟んで2基。日本橋より28番目の一里塚。

Img_6621 説明板

Img_6628 愛宕坂へ

正面の細い道を入る。

Img_6631 愛宕坂(坂下方向)

三島東海病院(正面の小高い所)の所に愛宕社があった。

Img_6633 説明板

Img_6636 坂下方向

Img_6635 愛宕神社跡の碑か?

Img_6646 東海道線の踏切を越えると今井坂の下りとなる。 

Img_6647 今井坂(坂下方向) 【ルート地図】の⑤

Img_6650 下って平になって箱根西坂も終わる。

Img_6655 愛宕橋(山田川)から東海道線

貨物列車が通る。

Img_6660 守綱八幡神社

Img_6662 三嶋大社

Img_6672 総門

Img_6671 説明板

Img_6665 本殿

Img_6666 金木犀(きんもくせい)

樹齢1200年以上。国の天然記念物。

Img_6668 頼朝、政子腰掛石

Img_6667 説明板

Img_6674 たたり石

Img_6673 説明板

Img_6675 源頼朝旗挙げの碑

Img_6680 安達藤九郎盛長警護の跡

Img_6681 説明板

Img_6678 若山牧水歌碑

Img_6679 説明板

Img_6686 桜川と白瀧観音堂

Img_6685 説明板

Img_6684 観音さんは見えず。

Img_6689浅間神社(右)・芝岡神社(左)

Img_6690 浅間神社由緒書

Img_6688 芝岡神社由緒書

Img_6693 愛染院跡の熔岩塚

室町時代に三嶋大社の別当職だった市内随一の大寺院の庭園の一部ではないかという。

Img_6691 説明板

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2008年4月21日 (月)

厚木市の坂-5

2008年4月21日

Img_6161_2本厚木駅(小田急線)バス→鳶尾団地・・・赤坂①跡あたり・・・国道412号・・・荻野神社・・・蚕影神社・・・うとう坂・・・第六天の祠?・・・国道412号・・・赤坂②・・・鳶尾小学校・・・越路峰・赤坂③・・・知恩寺・・・道場坂・日本三躰地蔵尊(光善院跡)・・・ナリタの坂・・・鐘鋳(かない)神社・・・山中陣屋跡史跡公園・・・松葉橋(荻野川)・・・法界寺・・・日枝神社・・・殿様道・板-(イテー)坂・・・セト坂(上の写真・正面はモチノキ)(イタケ坂?(殿様道))・・淡島坂・・・上使橋(荻野川)・・・ツノ坂(矢名街道・県道63号)・・・赤坂④・・・国道412号バイパス・・・エドヤの坂・・・十二天坂・十二天神社・・・八幡神社・・・十二天橋(荻野川)・・・青蓮(しょうれん)寺・松蓮寺バス停→本厚木駅

 荻野川の東側(左岸)の坂道散歩です。赤坂が4本もあったが、どれも舗装された普通の坂になっていて赤土のむき出した切通しの坂はない。越路峰の道標の立つ赤坂③に昔の面影が残るくらいか。うとう坂は車道脇の小さな坂で、坂上に坂標が立っていて坂名の由来が書かれているが、「鵜藤坂」同様、納得がいかない。バス停「うとう坂」のある県道?の坂ではない。道場坂の坂上には光善院の修行道場があったというが、今は堂内には日本三躰地蔵尊が祀られている。

 ナリタの坂を下って変わった名の鐘鋳神社から、荻野川近くの国道412号バイパス沿いの小高い山中陣屋跡公園に寄った。犬を連れた人がやけに多いと思ったら、時々犬の変な、哀れっぽい鳴き声が聞こえる。陣屋の御殿跡の広場で犬の予防接種をやっていた。殿様もビックリというところか。
 荻野川沿いにしばらく歩き、法界寺から日枝神社に出る。日枝神社の石段前には崩れて、溶けかかった幽霊のような石像(地蔵?)が立っている。がい骨のような頭が不気味で面白い。殿様道を行くと滑らないように板を敷いたという「板ー坂」(イテー坂)、セト坂が下っている。セト坂の坂上から続く殿様道を『厚木の地名』では「イタケ坂」としているが、傾斜はなく坂ではない。「イタケ」は「板ケ」で、一本隣の「板ー坂」と同じ坂のことではないのか? 淡島社があったらしい淡島坂あたりは新しい住宅地になっていて神社、祠も見当たらなかった。

 淡島坂下から荻野川を渡り、矢名街道のツノ坂を上り、赤坂④を上って国道412号バイパスに出る。的場交差点から糟屋道に入りエドヤの坂を下る。バイパスに戻り、十二天神社前の十二天坂を下って、八幡神社に寄り十二天橋を渡り、青蓮寺(バス停は「松蓮寺」)に寄り、松蓮寺バス停から本厚木駅へ出た。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6073 赤坂①跡あたり みはる野1丁目を北東に上る坂だった。《地図

馬頭観音や馬を埋めた塚が2つあったという。今は「みはる野」の住宅街だが、昔は鳶尾山の方へ赤土の坂だったのだろう。この坂の少し南側にあった坂のようだ。

Img_6075 坂下から

丹沢の山なみ、下は調整池

Img_6081荻野神社

上・中・下荻野村の鎮守。御神体は自然石。

Img_6082由来書

Img_6085うとう坂【坂標】

人家も少なく寂しい坂なので歌を歌って通ったから「うとう坂」と呼ばれたというが、昔は暗く、寂しい坂がほとんどだった。この坂は荻野川の権現堂橋まで下っていた坂で車道沿いに旧道が残っている。各地にある「うとう坂」と同じで、台地から善知鳥(うとう)の口ばしのように延びていた坂なのでこう呼ばれるようになったのでは。

Img_6084坂下方向 中荻野のうとう坂交差点下あたりから北方向に上る。 【ルート地図】の①

Img_6087 坂下近く

Img_6088 坂上方向

Img_6089 「うとう坂」バス停

以前は「男坂」バス停だった。うとう(善知鳥・烏頭坂)坂→おとう坂→男坂→うと(歌)う坂、と変化したのか。

第(大)六天の祠が並んでいる。

Img_6094 赤坂②(坂上方向) 中荻野と鳶尾4丁目?の間を国道412号から北東に上る。 《地図

Img_6095 坂下方向

Img_6097 坂上から

Img_6101 知恩寺

Img_6104越路峰道標(赤坂③の坂下)

恋路峰ともいうそうで、八王子市と町田市の境の「恋路(地)の坂」を思い出させる。由来話にも似通ったところがある。縁起が悪い道なので花嫁行列は避けたという。

Img_6105 赤坂③(坂上方向) 鳶尾団地東交差点近くから南西に上る。 【ルート地図】の②

左へ上る坂。分岐の所に越路峰の道標が立つ。

Img_6107 坂上方向

左側は切通しの石の崖になっている。昔は赤土のむきだした崖だったのだろう。

Img_6109 坂下方向

Img_6116 大山

赤坂③から下って道場坂への途中の畑から

Img_6118 道場坂(坂上方向 下荻野の日本三躰地蔵尊の北側から北西方向に下る。《地図

光善院(子合山安産寺、本山修験、明治初期廃寺)の修行道場があった。

Img_6124 日本三躰地蔵尊(ここでは日本三大地蔵尊となっている。)

行基が同じ木から作った三体の仏像の一つ、子合地蔵尊が安置されているという。あとの二つは大阪と福島にあるらしい。その地蔵尊を八幡太郎義家の六男の森冠者義高の息子が持っていて光善院(子合山安産寺・明治初期に廃寺)に納めたのか?

Img_6120 堂内

中央が子合地蔵尊か?

Img_6127 ナリタの坂(坂下方向) 下荻野420と1551の間を南西方向に下る。《地図

ナリタ(成田?)という屋号の家があったのか。

Img_6128 坂下方向

Img_6130 坂下(荻野川)方向

Img_6132 鐘鋳(かない)神社(下荻野388)

祭神の「日本根古皇続弥照命」が分からない。

Img_6133山中陣屋跡史跡公園(下荻野251・正面の小高い所)

天明3年(1783)頃に荻野山中藩が築いた陣屋跡。

Img_6134_2 説明板

Img_6135 説明板

Img_6137 陣屋跡の山中稲荷神社

Img_6147 法界寺

Img_6149 日枝神社(下荻野240)

Img_6150 地蔵だろうか

溶けかかった幽霊みたいだ。

Img_6152殿様道道標

山中陣屋へ通ずる道で、荻野山中藩主が参勤交代の時に往来した道。800mくらいの短い間を殿様道といった。

Img_6151 板ー(イテー)坂(坂下方向) 荻野1305と及川2-13の間を北東に殿様道に上る。《地図

殿様が来る時、道がぬかるので板を敷いたという道。

Img_6153 坂上方向

今は板ではなく、滑り止めのハイテクの舗装が敷かれている。

Img_6157 セト坂(坂上方向) 板ー坂の一本南の坂。殿様道に上る。 【ルート地図】の③

セトは集落名。背戸か瀬戸だろう。

Img_6162 坂上方向

『厚木坂の地名』では坂上の殿様道を「イタ(板?)ケ坂」としているが平らな道で坂ではない。

Img_6168 淡島坂(坂下方向) 及川2-11と2-15の間を南西に下る。《地図

淡島社があったようだ。

Img_6169 坂上方向

Img_6173 ツノ坂 国道412号バイパスの及川中原交差点から北東に下る。 【ルート地図】の④

正面の右から左に上る坂。(県道63号・矢名街道)

Img_6174 坂上方向

坂名の由来不明

Img_6175 坂下方向

Img_6176矢名街道道標

ツノ坂の坂上近く。八王子と矢名村(現秦野市)を結ぶ道。

Img_6181 赤坂④(坂上方向) 国道412号バイパスの天台・上の原交差点から東方向に下る。《地図

左側の土の部分に昔の赤坂の様子が残るだけ。

Img_6182 坂下方向

Img_6183 エドヤの坂(坂上から) 及川541と966の間を南西に下る糟屋道。《地図

右側に石祠、その下は道標か? エドヤ(江戸屋?)という屋号の家があったのだろう。

Img_6189 坂上方向

Img_6193 十二天坂(坂下方向) 及川の国道412号バイパスの児童館交差点から東へ十二天神社の前を下る。【ルート地図】の⑤

正面左に小堂、その後ろが十二天神社

Img_6194 小堂内

Img_6195十二天神社(及川497)

Img_6200 坂上方向

Img_6199 八幡神社(及川624)

Img_6202青蓮(しょうれん)寺(三田南2-2)

境内入口に松の木があったので、バス停の名は「松蓮寺」にしたのではないかといわれている。

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2008年4月16日 (水)

箱根(旧東海道)の坂-1

2008年4月16日

Img_5833_2箱根湯本駅(小田急線)・・・三枚橋・・・旧東海道・・・白山神社・・・早雲寺・・・石垣神社・・・正眼寺・・・双体道祖神・・・一里塚跡(日本橋から22番目)・・・猿沢石畳・・・福寿院(箱根観音)・・・観音橋・・・観音坂・・・葛原橋・・・葛原坂・・・箱根大天狗山神社・・・初花の滝碑・・・駒形神社・・・霊泉の滝・鎖雲寺(初花堂・初花と勝五郎の墓)・・・須雲川自然探勝歩道入口・須雲川橋・女転し坂跡・弘法のいぼ取水・・・須雲川自然探勝歩道・・・須雲川・・・割石坂・・・接待茶屋跡・・・大沢坂(上の写真)・・・畑宿(本陣跡・駒形神社・守源寺(箱根七福神)・一里塚(23番目))・・・西海子(さいかち)坂・・・七曲り・・・橿木坂・・・樫の木平・見晴し茶屋・・・山根橋・・・甘酒橋・・・猿滑坂・・・笈の平・親鸞上人旧蹟碑・・・追込坂・・・旧街道資料館・甘酒茶屋・・・お玉坂・・・白水坂・・・天ケ石坂・・・箱根の森展望広場・・・馬子唄碑・・・お玉観音堂・・・権現坂・・・杉並木・・・興福院(箱根七福神)・・・箱根神社一の鳥居・賽の河原・・・身代り地蔵・・・一里塚(24番目)・・・杉並木・・・箱根関所跡・・・関所跡入口バス停→小田原駅

 箱根湯本駅から芦ノ湖、箱根宿までの旧東海道の坂道散歩です。三枚橋を渡って旧東海道に入る。鎖雲寺あたりまでは見どころも多いがほとんど車道歩きとなり、車もけっこう通る。静かな散策道の須雲川自然探勝歩道から割石坂に入ると石畳の旧道となり、車道を横切ったり、平行したりして旧東海道の旧道は上って行く。箱根は街道一の難所で、坂道は雨が降ると脛(すね)までつかる泥道となるため、竹が敷かれた。しかし、竹を敷くには毎年多大の費用と労力がかかるため、江戸幕府は延宝八年(1680)に石畳に改修した。大沢坂の石畳は苔むしていて長い歳月を感じさせる。ただ湿っていて滑りやすく、下る時の方が苦労するだろう。

 大沢坂を抜けると畑宿の集落で、本陣跡、寄木細工会館、駒形神社などが並ぶ。一里塚を過ぎて西海子坂を上り、車道の七曲りに出て何度か折り返しながら上ると橿木坂の急な石段が直線的に上っている。昔はもっと長い急坂の難所で、「苦しくてどんぐりほどの涙こぼる」と歌われたほどだ。今はただの石段坂で味気ないが、うぐいすや小鳥のさえずりを聞きながら上れば大したこともなく街道上の見晴茶屋に着く。茶屋下の旧道はしばらく平坦で、山根橋、甘酒橋を過ぎると、猿も滑ったほどの急坂だったという猿滑坂だが、これも途中を車道で分断されていて往時の面影はない。

 笈の平を過ぎると追込坂からはなだらかになり、甘酒茶屋で一休みして、哀れな物語の残るお玉坂から白水坂、天ケ石坂、途中から入る箱根の森展望広場から二子山を眺め、馬子唄碑の前を通り、まだ新しいお玉観音堂に寄り、権現坂の坂上に出る。ここからは芦ノ湖へ向って下りとなる。石畳は上りより下りの方が歩きづらく、よそ見をしていると滑ったり転びそうになったりして気分的に疲れる。それでも下って行くのは早く、木々の間から芦ノ湖が見え始め、坂下の杉並木から観光客でにぎやかな湖畔の国道1号、現東海道へ出た。

 朝早く歩き始めたこともあり、ここまで車道以外では人にほとんど出会わなかったがさすが箱根、このあたりは平日とはいえかなりの人だ。外人さんも多い。賽の河原、箱根神社一の鳥居から旧道の杉並木を通り箱根関所の江戸口御門から入り、京口御門を抜けた所で今日の坂道散歩の終点とした。今日歩いた坂は箱根東坂といい、この先、旧東海道は向坂、赤石坂、釜石坂、挟石坂と箱根峠まで箱根東坂は上って行き、甲石坂から箱根西坂となって三島宿まで下っている。近々、天気にいい日に歩くつもりだ。

 『箱根の坂②』に続く

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5677 箱根湯本駅近くから三枚橋(早川)方向

早川には中洲が二つあり、小田原側から地獄橋、極楽橋、三昧橋が架かっていた。三昧橋を渡ると早雲寺領で、この寺へ逃げ込めばどんな罪人でも罪を免れたといい、追手も地獄橋までしか追って来なかった。三昧は仏三昧で、早雲寺に逃げ込んだからには仏三昧に暮らせということ。三つの橋と三昧をかけて三枚橋になったという。

Img_5680_2 双体道祖神(三枚橋を渡った右手)

石祠内の道祖神はまだ新しいようだ。

Img_5683 白山神社

Img_5685 早雲寺惣門

Img_5686 説明板

Img_5688 鐘楼

落葉の焚き火の煙で境内は煙っていた。

Img_5694 北条氏五代の墓

Img_5693 説明板

Img_5702 厄除け石垣神社

豊臣秀吉が北条攻めの時に築いた社という。

Img_5701 由来書

Img_5705 正眼寺

曽我兄弟の仇討ちのゆかりの寺

Img_5706説明板

Img_5704曽我兄弟供養塔、曽我堂、曽我五郎の槍突石など。

Img_5708_2双体道祖神

仲良く手を取り合っている。ここは旧湯本茶屋村の村境。

Img_5709 説明板

Img_5713 一里塚

日本橋から22番目

Img_5711 説明板

Img_5720 下って猿橋を渡る。《地図

Img_5725上って福寿観音(箱根観音)へ

今はこれが観音坂か。

Img_5728 箱根観音(福寿院)(箱根町湯本茶屋)

跨いで撫でさすって祈るという「跨ぎ撫で観音」がある。

Img_5727 説明板

Img_5735 観音坂(坂上方向・観音橋から) 《地図

このあたりを字古堂といい、昔、観音堂があったという。今の箱根観音ではない。

Img_5738 説明板

Img_5747 葛原坂(坂上方向) 【ルート地図】の①

葛原橋から

Img_5750 説明板

Img_5751坂下方向

Img_5755 箱根大天狗山神社

神仏金剛宗という新興宗教らしい。割石坂の坂下近くにも奥の院?がある。

Img_5760 初花の滝碑

箱根霊験躄(いざり)仇討(後述)の初花が水垢離した滝。

Img_5762 須雲川

対岸の湯坂山の中腹に初花の滝があるが見えず。

Img_5763 説明板

Img_5768 駒形神社

石段を上った小高い所にある。

Img_5772霊泉の滝(右は鎖雲寺)

Img_5773 鎖雲寺説明板

Img_5774 初花堂

Img_5776 浄瑠璃『箱根霊験躄仇討』:「大阪で町道場を開いていた父の仇討ちのため妻の初花と諸国を旅していた飯沼勝五郎は箱根に入った頃には足が不自由になって「躄(いざり)勝五郎」と呼ばれていた。初花は向かいの山中の滝にうたれ夫の病気平癒と仇討ち成就を祈った。その一念が天に通じ、仇の佐藤兄弟にめぐり合い見事、本懐を遂げた。」 父ではなく兄の仇とする話もある。

Img_5775 初花と勝五郎の墓(比翼塚)

Img_5783 須雲川自然探勝歩道入口 《地図

右に「女転し坂」の石柱

Img_5784 女転(ころば)し坂【坂標】

「登リ一町餘」とある。

Img_5778 女転し坂跡あたり 《地図

寛永年間(1624~44)に女の旅人が落馬して死んだのでこの名がついた。一町(109m)ばかりを直線的に上っていたのだろう。関東大震災で崩落してしまった。

Img_5779 弘法のいぼ取り水

石柱の前のくぼみの水に浸せばイボが取れるという。箱根火山の安山石で、保水性が高く水は涸れないそうだ。

Img_5789 自然探勝歩道から須雲川

Img_5792 橋はなく石と木をつたわって須雲川を渡る。

Img_5793 渡って上って車道へ出る。

Img_5801 割石坂の上り口 《地図

Img_5803 割石坂【坂標】

「登り一町餘」

Img_5802 説明板

Img_5809 坂上方向

このあたりは江戸時代の石畳。

Img_5815 箱根路うつりかわり

碓氷道→足柄道→湯坂道→旧東海道→国道1号

Img_5818 接待茶屋跡

Img_5822 木橋を渡って大沢坂へ

Img_5830 大沢坂【坂標】

「登り三町餘」

Img_5829 説明板

Img_5827 大沢坂(坂上方向) 【ルート地図】の②

「座頭転ばし」ともいった。苔むした石畳で気分がいいが滑りやすい。

Img_5828 石畳の構造

Img_5836_2 坂上方向

左側に排水路の説明板

Img_5837 説明板

Img_5842大沢坂を上って畑宿へ

Img_5856畑宿説明板

Img_5847 本陣跡説明板

Img_5849 本陣(茗荷屋)庭園跡

Img_5848 説明板

Img_5845本陣庭園跡の隣りの 旧家「つたや」

Img_5854 駒形神社の石段

寄木細工の板を干している。

Img_5851 駒形神社

Img_5850 説明板

Img_5855 畑宿寄木会館

Img_5857 旧道入口

右の石段は守源寺へ

Img_5859 守源寺

箱根七福神の大黒天

Img_5858 説明板

Img_5864 畑宿一里塚

日本橋から23番目。右側にもう一つある。塚は発掘調査に基づき平成10年に復元したもの。

Img_5865説明板

Img_5866 一里塚を過ぎた所から

道の両側に残るのは戸塚の品濃坂についで二つ目。

Img_5861石畳道説明板

Img_5880 西海子 (さいかち)坂【坂標】

「登り二町許」

Img_5871 坂上方向 《地図

Img_5875石畳が続く。

Img_5881_2説明板

Img_5885 七曲り標識

Img_5886 坂上方向 《地図

Img_5893 坂下方向

Img_5895 橿木坂バス停

正面右へ橿木坂の石段が上る。

Img_5897 橿木(かしのき)坂【坂標】

「登り五町許」

Img_5896 説明板

Img_5899_2 坂上方向 【ルート地図】の③

かつては五町(550m近く)ほど続く急坂で、「どんぐりぼどの涙こぼる」と歌われるほどだったが、崩落して今は石段になっている。

Img_5905 坂上方向

急だが鶯や小鳥のさえずる中を上って気分がいい。

Img_5911 見晴し茶屋 《地図

定休日

Img_5910 樫の木平説明板

見晴し茶屋の所

Img_5912 樫の木平から

Img_5922 旧道に戻って平坦な道を行く。

Img_5925 雲助説明板

雲助になるのはけっこう難しく、悪さをする者はいなかったというが。

Img_5927 山根橋

Img_5933 甘酒橋

「元箱根まで2.7km」

Img_5935 猿滑坂へ

Img_5946 猿滑坂【坂標】

「登り一町餘」

Img_5945 説明板

Img_5943 坂上方向 【ルート地図】の④

猿も登れないほどの急坂だったというが、車道で分断され面影が薄れてしまっている。車道に出てさらに上る。坂上からはゆるやかな道になる。

Img_5960 笈の平説明板

Img_5962 親鸞上人旧蹟碑

Img_5963 追込坂【坂標】

「登り二町餘」 

Img_5964 説明板

「フッコミ坂」といったとも。

Img_5965 坂上方向 《地図

この後の坂は傾斜がゆるくなり、権現坂で下って箱根宿へ入る。

Img_5966 傾斜はゆるく、旧街道資料館、甘酒茶屋の方へ続く。

Img_5970 旧街道資料館

Img_5971 説明板

Img_5972 展示品

Img_5974

Img_5977 甘酒茶屋

現在、改築中のようだ。甘酒1杯400円だが旨い。忠臣蔵「甘酒茶屋」のくだりで、神崎与五郎が馬喰の丑五郎に言いがかりをつけられたが、大事の前のためじっとこらえ詫証文を書いた所というが、説明板によると、実際は三島宿での大高源吾の話だという。

Img_5975 説明板

Img_5984 お玉坂【坂標】 「登り二町半餘」

元禄15年(1702)、奉公先から逃げ帰る途中、関所破りをして処刑された伊豆大瀬村の農家の娘、お玉にちなむ。北側にお玉の首を洗ったというお玉ケ池がある。獄門にかけられたのがこの坂とも、お玉ケ池のほとりともいう。

Img_5981 坂上方向 【ルート地図】の⑤

Img_5985 お玉の供養ための石積みか。坂標の立つ所。

Img_5989 白水坂【坂標】

「登り十二間餘」とあるが、もっと長い。

Img_5991 坂上方向 《地図

Img_5999 天ケ石(てんがいし)坂【坂標】

「登り七間餘」

Img_6000 坂上方向 《地図

もとは「天蓋石」でそれが訛ったとも。

Img_5997坂下方向

Img_6005 上二子山(1090m)

箱根の森展望広場から左側に見える山。

Img_6016 説明板

Img_6007 下二子山(1064m)

右に見える山。

Img_6012 石畳説明板

皇女和宮の降嫁ために改修されたが、ここ東海道を通らず中山道を下った。

Img_6013石畳道

Img_6017 箱根馬子唄碑

「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」

Img_6020 前方で湯坂道(鎌倉時代の東海道)との交差する。

Img_6021 説明板

Img_6025 お玉観音堂

まだ新しい堂と観音像だ。

Img_6033 権現坂【坂標】

Img_6032 説明板

Img_6034 坂下方向 《地図

坂の長さが八町あるので八町坂ともいう。下りの方が歩きづらい。昔はこの坂から箱根権現(箱根神社)への道が通じていた。

Img_6037 木の間から芦ノ湖が見える。

Img_6040 坂上(畑宿)方向

Img_6045 杉並木

Img_6046 説明板

Img_6049 興福院

箱根七福神の布袋尊

Img_6050 箱根神社一の鳥居

Img_6051 芦ノ湖

薄曇りで富士山も逆さ富士も見えず。

Img_6055 賽の河原(箱根神社一の鳥居脇の芦ノ湖畔)

江戸時代には地蔵信仰の霊地でもっと規模が大きく多数の石仏、石塔が並んでいた。

Img_6056 説明板

Img_6057 身代り地蔵 《地図

宇治川の先陣争いで武名を高めた梶原景季が父の景時と間違われて襲われた時、身代りになったという地蔵。刀傷が残っているとか。

Img_6059一里塚(葭原久保の一里塚)

江戸日本橋から24番目。

Img_6060 説明板

Img_6069

箱根関所(江戸口御門)

「入り鉄砲に出女」いわれたが、この関所では江戸からの出女が厳しく取り調べられた。

Img_6067_3説明板

Img_6068関所見取り図

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2008年4月15日 (火)

厚木市の坂-4

2008年4月15日

Img_5513 本厚木駅(小田急線)・・・県道603号・・・三島神社・宮坂①・・・厚木高校交差点(県道603号)・尼の泣き坂・・・紺屋(こ-や)の坂・・・大門の坂(右の写真)・浄雲寺・・・子之神社・お宮さんの坂・子之神水神宮・・・上の大坂・・・座頭ころがし・・・大坂②・・・小坂・・・七曲り④跡あたり・・・福伝寺・・・王子神社・・・大泉(でいじん)坂・・・林神社・・・県道60号(厚木清川線)・・・高札場跡・・・大坂②・・・温水(ぬるみず)交差点・・・浅間神社・宮坂②・興教寺・・・浅間山橋(恩曽川)・・・ドウコウ坂・・・巡見道・地蔵堂・稲荷社・・・春日神社・・・七曲り⑤・・・菩提寺・・・ショイ(背負い)坂(国道246号)・・・本盛寺・・・観音寺・・・大山道・・・大厳寺・・・円光寺・・・大坂③・・・愛甲石田駅(小田急線)

 尼の泣き坂は坂名のいわれはともかく、坂自体に面白味はなく、北側の紺屋の坂、直線の切通しの大門の坂、子之神坂の方が歩きがいがある。座頭ころがしは草木が生い茂った深い谷で恐ろしい所だったというが、このあたりは今は起伏もない普通の住宅街で、場所も由来もどうも納得がいかない。北に大坂②を下った林交差点の所には、道標庚申塔、糟屋道標柱、地蔵堂、道祖神などがにぎやかに並んでいる。

 小坂を上り、厚木東高と厚木商高の間から福伝寺へ出る。このあたりが七曲り④があった所だが今は跡形もない。福伝寺の北側の大泉坂を下って小高い林神社に寄り、県道60号から高札場跡を通り、再度、大坂②を上って南に、温水交差点から浅間神社の宮坂②を下って恩曽川の浅間山橋に出る。川沿いの菜の花、遠くに丹沢の山並みとのどかだ。
 南東に温水橋あたりから南に入り、ドウコウ坂を上る。坂上は地蔵堂がある巡見道に突当たる。この道は新しく改修されて広く明るくなっている。ちょうど南毛利小学校の下校時間で生徒がにぎやかに下って行く。巡見道の下から春日神社への坂は静かで昔の面影が残っている。坂上近くに、無傷なくらいしっかりしたきれいな双体道祖神が佇んでいる。文化8年(1811)の銘があるから驚きだ。ひっそりした春日神社にも応永24年(1417)という石灯籠が社殿の前に建っている。

 春日神社前から畑の間を抜けると今は2回曲がるだけの七曲り⑤が下っている。坂下から南東に進み、国道246号に出るとショイ(背負い)坂の下りとなる。今は幅の広い車道でさほど傾斜は感じないが昔は急坂だったのだろう。坂下から船子橋(玉川)を越え、坊中交差点で左折し途中に大山道の道標庚申塔が残る旧道に入る。大厳寺、円光寺から県道604号を横切り、大坂③を上って愛甲石田駅に着いた。今日はバスには乗らず、たった一駅間の坂道散歩だったが思ったより距離があり時間もかかった。

  【ルート地図

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Img_5472 宮坂(坂上方向) 恩名3丁目の三島神社の北側を北西に上る。《地図

恩名の鎮守三島神社による坂名。

Img_5473 三島神社

Img_5474 坂下方向

Img_5478尼の泣き坂 戸室の厚木高入口交差点の北側あたりから南東に下り県道603と一緒になる坂。【ルート地図】の①

昔、尼寺原に井戸はなく、尼寺の尼さんが緑が丘の方から水を汲みに坂下の湧き水池(大井)に来たという。坂が急でつらく、悲しいこともあってこの坂名がついたという。この坂名は『厚木の地名』には載っていない。そんなに古くない坂名(新しくつけられた)なのだろう。

Img_5487 坂下方向

左の木がある所の下の民家の敷地内に湧き水池の「大井」がある。

Img_5483_2湧き水池(大井)だろう。

Img_5491 坂上方向

右上に小堂がある。

Img_5492小堂内

この堂が大日堂なら大日如来なのか? 馬頭観音のような感じだが。

Img_5496 紺屋(こ-や)の坂(坂下方向) 戸室2-13と2-14の間を北東に下る。《地図

坂下に紺屋があったのでこう呼ぶようになった。左側に地蔵の小堂。

Img_5498 坂下方向

Img_5499坂上方向

Img_5506 大門の坂(坂下から) 戸室3-14の浄雲寺の前から東に下る。【ルート地図】の②

大門は浄運寺の門のことか。坂上を行くと浄雲寺に突当たる。切通しの直線的な坂。

Img_5515龍興山浄雲寺

曹洞宗の寺

Img_5517 お宮さんの坂(坂下方向) 戸室の子之神社の南側を東からカーブして北方向に下る。《地図

左側が子之神社

Img_5520 子之神社

戸室の鎮守。

Img_5523 坂下方向

Img_5530子之神水神宮(お宮さんの坂の坂下近く。)

縄文時代からの住民の生活用水の水源という。

Img_5526 坂上方向

Img_5535 上の大坂(坂上方向) 戸室小学校の北側からカーブして東方向に下る。 《地図

お宮さんの坂より北の集落を上といった。

Img_5540坂下方向

左前方のガードレール前に地蔵などが並ぶ。

Img_5536 右から地蔵(享保3年?)・庚申塔?・西国秩父坂東四国百八十八?塔・地蔵(首が欠けている)

Img_5542座頭ころがし

道標の位置(戸室4-18)《地図》 説明文:「座頭を蹴落としたということから名付けられた。霊石信仰に座頭伝説が加わって、この地名になったという説もある。」

Img_5544 左へ少し上りとなっているが「林と戸室の境で飯山を抜ける道」というから右の道だろう。厚木へ材木を運ぶ重要な道で、「宮が瀬道」「丹沢山道」とも呼ばれたという。『厚木の地名』ではこれより少し南西側の戸室4丁目と5丁目の境あたりとなっているが、そこも平坦な所だ。坂名というより、このあたりの地名とした方がよいかも。東京世田谷区にも「座頭ころがし 」がある。

Img_5545 坂下方向

道標の後ろの高くなっている所には何基かの墓がる。

Img_5556 大坂②(坂上方向) 林交差点から南方向に上る。 【ルート地図】の③

正面のかすや道と愛名道の分岐点に道標が立つ。

Img_5553地蔵道標

坂下の民右衛門地蔵は元はここにあった。地蔵さんは坂上が飽きたので、民右衛門に坂下まで運ばせたという伝承がある。(後述)

Img_5599坂下から

糟屋道の道標庚申塔・地蔵堂・双体道祖神などが左下に並んでいる。

Img_5561道標庚申塔(享和2年(1802))の建立。

彫り方が深く今でもはっきりしている。「北 おきの道 南 かすや道」 「東 あつき道」

Img_5564 地蔵堂・道祖神など

Img_5566 堂内の地蔵

厚木の昔話民右衛門地蔵 :「林村の働き者の民右衛門は大坂上の畑を耕作して、地蔵に礼を言い坂を下りかけると、後ろから「民右衛門」と呼ぶ。振り返っても誰もいない。歩き出すとまた呼ぶ。戻ってみると薄闇の中に地蔵が立ち上がっている。触って見ると軽く揺れ、持ち上げてみると軽い。さては坂の上が飽きたので、もっと広い場所へ行きたいのだなと民右衛門が背負ってくると、坂の下で急に重くなったのでそこに下ろし、後にお堂を建てたという。」『かながわ 坂のある風景』から

Img_5563 双体道祖神(左)・道祖神(中)

Img_5568 小坂(坂上方向) 大坂②の坂下近くから西に上る。《地図

Img_5572 坂下方向

Img_5574 七曲り④跡あたり 

正面は福伝寺・右は厚木東高校・左は厚木商高

Img_5575福伝寺

弘安4年(1281)の板碑が残る。

Img_5581 大泉(でいじん)坂(坂の途中から坂上方向) 王子の福伝寺の北側から北東に下る。《地図

ダイセンという名の法印がいたという。福伝寺にいたのだろうか。

左に地蔵の小堂と二十三夜塔

Img_5585 坂下方向

Img_5584 王子神社(大泉坂の坂上近く)

Img_5595林神社(林3-7) 

Img_5592 由緒

Img_5596 林神社の坂下の県道60号沿い

Img_5598高札場跡(大坂②の坂下近く)

Img_5600 宮坂(坂下方向) 温水の浅間神社と興教寺の間を南西に下る。 【ルート地図】の④

右が浅間神社

Img_5602 浅間神社

浅間山村の鎮守

Img_5608 坂上方向

Img_5610 興教寺

浅間山、曹洞宗。

Img_5611 浅間山橋(恩曾川)から

Img_5614 ドウコウ坂(坂下から 温水658と681の間を南西に上る。《地図

ドウコウの意味不明。坂上突き当りに地蔵堂がある。

Img_5616 坂下方向

Img_5618 地蔵堂

Img_5620 稲荷社

地蔵堂前の巡見道を少し上った所。

Img_5621巡見道

江戸時代に巡見使が通った道。新しい広い道になっている。

Img_5626 巡見道の坂下から春日神社へ上る坂。《地図

こちらは昔の雰囲気が残る道。

Img_5628 坂の途中の双体道祖神など

上は春日神社

Img_5629双体道祖神

文化八年(1811)の建立にしては、風化や摩滅、傷も少なくきれいな形で立っている。

Img_5640 春日神社

温水(ぬるみず)の鎮守。社殿の前に石灯籠が一本立つ古い形態。

Img_5634 由緒

Img_5635 石灯籠説明板

Img_5636 室町時代の石灯籠(応永24年(1417))

竿部に「應永二十四年九月二十九日」と彫られている。

Img_5642 七曲り⑤の上から 温水472と510の間を南西からカーブして北西方向に上る。《地図

今は2回曲がるだけ。南側に旧道もあるようだがそれもくねくね曲がってはいないようだ。

Img_5643 坂下方向

Img_5649 坂上方向

Img_5650 菩提寺

松寿山、曹洞宗。七曲りの坂下北側。廃寺のような感じだ。

Img_5653 ショイ(背負い)坂(坂下方向) 船子交差点あたりから北東に上る国道246号。《地図

子どもをおぶって上るのに大変な坂だった。

Img_5654 坂上方向

右上は本盛寺

Img_5655 本盛(ほんじょう)寺

妙栄山、日蓮宗。

Img_5656 観音寺(本盛寺の南側)

船子山、浄土宗

Img_5657道標庚申塔(左)

大厳寺近くの大山街道沿い

Img_5661 大厳寺

中海山、曹洞宗

Img_5666 円光寺

西嶺山、臨済宗

Img_5664説明板

Img_5665愛甲三郎季隆の守護仏の観音菩薩像か。

Img_5668 大坂③下

左に道標。大坂③(大山道)は写真の右端から左に曲がって上って行く。

Img_5669 「右 大山・・」と刻まれている。

Img_5672 大坂③(坂上方向) 愛甲石田駅南口近くから北東方向に下る大山道。【ルート地図】の⑤

Img_5674 坂下方向

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2008年4月12日 (土)

厚木市の坂-3

2008年4月12日

Img_5395_2本厚木駅(小田急線)・・・厚木バスセンター→上依知・・・長坂・・・日影坂・・・藤塚公園・・・藤塚中学校・・・大山道・・・諏訪神社・・・諏訪坂旧道・・諏訪坂(上の坂)・・・安産子育地蔵堂・・・諏訪橋(善明川)・・・中の橋・中の坂(葭坂)・・・寺坂②(下の坂)・・・源養寺・善明橋・・・日枝神社・・・お穴坂・・・大坂・・・長坂信玄歩道橋・・・井戸坂跡・・・七曲り③・・・長屋の坂・・・信玄道・・・御岳坂・・・天神坂・・・堂満坂・・・下依知入口バス停→厚木バスセンター

 久しぶりの晴天の中を、八王子街道(県道508号)から西へ長い長坂を上り、短い日影坂を上って南に、八王子街道と善明川、中津川の間の坂道散歩です。藤塚中学校の南の大山道を南西に行き、諏訪神社前から諏訪坂の旧道を下り、諏訪坂(上の坂)の途中に出る。坂下には安産子育地蔵堂があり、堂内には石造りの直立した男根が2棹祀られている。さぞかしご利益があることだろう。諏訪坂の南に善明川の中の橋から中の坂、善明橋から寺坂が上っている。日枝神社の急な石段下から大坂が上っていて、石段上の神社境内にはお穴坂の由来の横穴が残っていた。日枝神社の東側からお穴坂を下ると大坂の途中に出る。お穴坂と大坂を一緒に長坂と呼ぶようだ。(上の写真)

 大坂の坂上から信玄道を南に行くと、未舗装の井戸坂跡?七曲り、長屋の坂、御岳坂と似たような坂が中津川の方へ下っている。坂の下り口も分かりにくく、今はあまり通られていない道のようだ。天神坂も急カーブで八王子街道に上る坂だ。堂満坂は中津川の河川敷から上る坂だが、坂下は工事中らしく味気ない感じの坂になっている。坂上は八王子街道を越え東へ吾妻坂となって下っている。下依知入口からバスで厚木バスセンターへ出た。

  【ルート地図

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Img_5289 長坂(坂上方向) 上依知の上溝バイパス(国道129号・写真の上)下のバイパス下交差点あたりから北西に上る。【ルート地図】の①

Img_5292 坂下方向

Img_5299 日影坂(坂上方向) 長坂の坂上あたりから西方向に上る。 《地図

小字名に日影坂上がある。

Img_5300 坂下方向

Img_5303諏訪神社

下川入の鎮守。

Img_5304 説明板

Img_5309 諏訪坂旧道(坂下方向) 下川入の諏訪神社前近くから曲がりながら南西に下る。【ルート地図】の②

Img_5311 坂下方向

坂下で今の諏訪坂の途中に出る。

Img_5313 坂上方向

Img_5315諏訪坂(旧道の下から坂上方向) 下川入の諏訪橋(善明川)から北東から北西に上る。《地図

通称を(下川入)上の坂

Img_5321 坂下方向

自動車の左側が安産子育地蔵堂

Img_5344 諏訪橋の所から

カーブして右から左へ上る諏訪坂。

Img_5328 安産子育地蔵堂

Img_5334 地蔵さんの持ち物のようにも見える?

「安産」というより「子授け」、「五穀豊穣」にぴったしだ。

Img_5346 中の坂(坂下の中の橋から) 下川入の中の橋から北東に上る。 《地図

上の坂(諏訪坂)と下の坂(寺坂)の間の坂。葭の坂と呼ばれていた。

Img_5359 坂下方向

Img_5360寺坂(坂下方向) 下川入の源明寺の北側を大きくカーブして東に上る。【ルート地図】の③

坂下の善明山源養寺がある。下の坂という。

Img_5361 坂上方向

Img_5367 坂下方向

正面は源養寺

Img_5373 源養寺(下川入1151)

曹洞宗の寺

Img_5375 大坂(右へ上る)・日枝神社への石段(左端)

Img_5380 日枝神社

Img_5382 境内の横穴

Img_5384 日枝神社から「お穴坂」の坂上の方へ上る。このあたりは長坂緑地。

Img_5387 お穴坂(坂上から) 関口の日枝神社の東側を南西から南東に下る。 【ルート地図】の④ 

付近に横穴が多くあった。

 

Img_5390 坂上方向

Img_5391 途中の稲荷社

Img_5392 道標

お穴坂の坂下で、大坂の途中。

Img_5377 大坂(坂上方向) 日枝神社の南側下から南東に上る。《地図

お穴坂から大坂を長坂と呼んだ。

Img_5396 坂下方向

Img_5404_2井戸(えど)坂跡(坂上) 関口の信玄道から南西方向に下る。 《地図》(道の標示はない)

井戸へ行く道が訛ったようだ。

Img_5405 坂下方向

右の方へ下りられるかもしれない。

Img_5406 七曲り(坂下方向) 井戸坂跡の南側の坂 《地図

Img_5410坂上方向

Img_5415 坂下から

Img_5418 長屋の坂(坂下から) 七曲りの南側の坂 《地図

長屋は上古河で水車をやっていた藤野家の屋号。

Img_5422 坂上方向

Img_5425坂下方向

Img_5430 御岳坂(坂上から) 長屋の坂の南側の坂。《地図

小字名に御岳がある。御岳社があったのか?

Img_5432 坂下方向

Img_5440 坂下から

Img_5443 天神坂(坂上方向) 道満スポーツ広場の東側、御岳坂の南側の坂。《地図

天神も小字名。天神社があったのか?

Img_5444 坂上方向

坂上近くに信玄道道標が立つ。

Img_5458 信玄道から中津川の方へ下る坂

もう鯉のぼりが泳いでいる。

Img_5460 坂下の中津川近く

Img_5463 堂満坂(坂上方向) 下依知の吾妻坂上の交差点から西に下る。【ルート地図】の⑤

『新編相模国風土記稿』に載る坂。小字名に道満がある。

Img_5465 坂下方向

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2008年4月 5日 (土)

厚木市の坂-2

2008年4月5日

本厚木駅(小田急線)バス→才戸橋・才戸坂・・・貝殻坂・・・常昌院・・・上の坂・・・聖眼寺・・・鍛冶屋坂跡・鍛冶浦地蔵・新)鍛冶屋坂・・・八幡神社・八幡坂・・・清源院・・・山王坂・・・弔え坂・妻田(つまだ)薬師(遍照院)・・・妻田薬師バス停→本厚木駅

 中津川の西側を才戸橋から南へ歩く。春休みで、天気がいい土曜日、桜もまだ見ごろでどこものどかだ。清源院では本堂の花祭り演芸会、踊り、歌などで盛り上がっている。甘茶をいただきしばし見物して一休み。妻田薬師では本堂前でお花見のおばちゃん達が、かなり出来上がって、昔なら弔え坂を運ばれてきた死人もびっくりして生き返ってしまうような大声で喋っている。父ちゃんのカラオケの声もすっかりかすんでいる。坂を探して地道に歩いているのがアホらしくなるような坂道散歩の半日だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5163才戸橋から中津川

「才戸の渡し」跡あたり

Img_5166才戸の渡し」石柱と道標(右端)

Img_5169 才戸坂(坂上方向) 才戸橋から南西に上る相模原大磯線(県道63号)。 【ルート地図】の①

才戸という地名はサイトバライ(道祖神が立っている所を「サイト」または「サイトバ」といい、ここを祓うからサイトバライ)から由来する。「どんど焼き・どんどん焼き」と同じで、1月14日に道祖神の前に集められた正月の飾り物やお札を燃やし、木の枝につけた団子を焼いて食べる。

Img_5170 坂下方向

Img_5175貝殻坂(坂下方向) 棚沢137を南東に上る。 【ルート地図】の②

坂付近から貝の化石が出土。

Img_5178_2坂下方向

Img_5180 坂上方向

Img_5187常昌院の参道

文化7年(1810)年の銘。台座に石の輪が組み込まれている。

Img_5201 上の坂(坂上から) 三田3139から西に入り南西に上る。《地図

Img_5193 坂上方向

Img_5195 坂下近く

Img_5197 坂下の道祖神

Img_5207 聖眼寺(三田3105)

Img_5211 道祖神

聖眼寺から鍛冶屋坂跡への途中。

Img_5214 鍛冶屋坂跡 三田2763から西に上る坂だった。《地図

坂下に鍛冶屋があり、鍛冶浦地蔵が立っていたのだろう。今も板金工場がある。

Img_5212 今でも右の方へ上って行く道があるが。

Img_5221 鍛冶浦地蔵

平成4年にここに(少し南側の交差点前)移設された。

Img_5230 地蔵さん

鍵を掛けられ檻に閉じ込められているようで可哀そうだ。

Img_5220 立て看板の後ろが今の鍛冶屋坂。《地図

Img_5224 坂下方向

坂下の桜の木の所が鍛冶浦地蔵

Img_5229 坂上から

坂上から三田小学校の方へ続く。

Img_5231八幡神社

石段下は三田小学校跡

Img_5233 説明板

Img_5236 八幡坂(坂上方向) 三田の八幡神社の南側を西に三田小学校の方へ上る大山道。【ルート地図】の③

Img_5237 坂下方向

Img_5256清源院北側の坂(坂下方向)

Img_5248清源院

Img_5247 由緒

Img_5251 福寿観音

Img_5249 「福寿観音60周年花祭り大祭演芸会」(本堂内)

プログラムには、踊り・歌・民謡・大正琴・三味線・カラオケ・コーラス・マジック、そして「大福引大会」と盛沢山。

Img_5261 山王坂(坂下から) 三田と三田南の屋際交差点から北西に上る。【ルート地図】の④

坂の途中の北側に山王社があったようだが見当たらず。

Img_5264 坂下方向

Img_5281 弔え坂(坂上方向) 妻田西の遍照院脇に上る短い坂。【ルート地図】の⑤

死者を弔うためこの坂を上ったことからついた坂名だろう。

Img_5282 坂上から

Img_5277妻田薬師(遍照院)

右が薬師堂

Img_5273 説明板

Img_5267 清水池

池の奥に弁天の石像。

Img_5266 「清水の弁天様」

Img_5268 由来碑

Img_5275 大クスノキ

幹に武田信玄勢が放った火の傷があるという。

Img_5274 説明板

Img_5271 白根山王社(弔え坂の坂上)

左の猿は小猿?を抱いている。

Img_5272_2小堂内の石祠

寛文八年(1668)建立の市内で2番目に古い祠。

Img_5269 説明板

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2008年4月 3日 (木)

厚木市(神奈川県)の坂-1

2008年4月3日

本厚木駅(小田急線)・・・厚木バスセンター→依知神社・・・男井戸坂・・・鹿嶋坂・・・谷戸坂①・・・堂坂①・・・道標不動明王・谷戸坂②・・・宝泉寺・・・とんぼの池・・・馬坂①・・・七曲り坂跡①・・・七曲り②(隠居坂)・・・馬坂②・・・長福寺・・・鵜藤坂・・・御嶽坂・御嶽神社・・・関口日枝神社・馬坂③・寺坂・大信寺・・新坂・・・連生寺・蓮生寺坂・・・オトウ坂・・・上坂・・・サンノウ(山王)坂・・・林坂・・・下坂・・・浅間神社・・・堂坂②・・・吾妻坂・吾妻坂古墳・・・明神坂・金田神社・・・妙純寺・・・金田バス停→本厚木駅

 相模川の西側(右岸)と八王子街道(国道129号)の間を相模原市との境の昭和橋から南へと歩く。坂の数が多いのと同じ坂名のついた似たような坂が並んでいるので、歩き疲れというより坂名と坂の位置、形状をしっかり頭に入れることに苦労し疲れたが、それでもなんとか予定通り歩き帰りの電車ではグッスリ眠れた坂道散歩だった。

  【ルート地図】  

 写真をクリックすると拡大します。

Img_4898依知神社(上依知の八王子街道の昭和橋(相模川)の南側)

平将門ゆかりの神社でもとは赤城明神社といった。

Img_4902男井戸坂(坂下方向) 上依知72の八王子街道から入り南東に下る。 【ルート地図】の①

坂下に男井戸と呼ばれた湧き水があった。

Img_4906 坂下の交差点を渡った左角に井戸があったようだ。

Img_4907 鹿嶋坂(坂上方向) 男井戸坂の南側の坂。《地図

鹿嶋谷戸に下る坂の意か?

Img_4910 坂上方向

Img_4913 坂下方向

斜度24%の標識が立つ。

Img_4919 谷戸坂①(坂上方向) 上依知1574の八王子街道の旧道から西に上溝バイパス(国道129号)の方へ上る。《地図

Img_4922 坂上方向

Img_4923 坂下方向

Img_4926堂坂①【坂標】

Img_4928 堂坂①(坂下方向) 谷戸坂①の坂下を南に上る旧八王子街道。 【ルート地図】の②

坂の途中に七面堂(観音堂)があった。今は観音像は宝泉寺に安置されている。

Img_4929 坂上方向

Img_4936 馬頭観音(堂坂の坂上近くの二股に分かれる所)

高さ142cmで自然石では市内最大。

Img_4937説明板

Img_4938 坂上から

Img_4939 庚申塔

堂坂①上近く

Img_4940 谷戸坂②の坂上

不動道標、道祖神、庚申塔など。

Img_4954 谷戸坂②(坂下方向) 上依知の宝泉寺の北側から西方向に藤塚バス停近くに上る。《地図

Img_4956 坂下方向

Img_4958 坂上方向

Img_4964 宝泉寺(上依知1579)

堂坂①にあった観音像が祀られている曹洞宗の寺。

Img_4965 宇賀神

守護神の蛇。頭部は人の顔。

Img_4973 小祠(神明社?)と庚申塔(大山街道の宝泉寺から馬坂①の坂下の途中)

Img_4970 庚申塔(左側)説明板

Img_4972 台座の三猿

向き合い協力する姿とか。

Img_4974 馬坂①(坂下から) 大山街道の山際1258から何度も折り返しながらながら南西に上る。《地図

右下に道祖神

Img_4976道祖神(山際)

右端は弘化4年(1847)建立。

Img_4975 説明板

Img_4985 坂上方向

Img_4991 坂上方向

Img_4992 馬頭観音

馬坂①と七曲り坂①跡の間

Img_4997 七曲り坂①跡への下り口 上依知と山際の境のライオンズ第2マンションの前から曲がりながら下る坂。《地図》(道の標示はない。)

Img_4995 坂下方向

Img_4996 坂下方向

宝泉寺の裏あたりに下る。

Img_5005 七曲り②(隠居坂)(坂下方向) 大山街道の山際1212から折り返しながら南西に上る。《地図

坂下にどこかの隠居家があったので「隠居坂」とも呼ばれた。

Img_5006 坂上方向

Img_5014 坂下近く

Img_5021馬坂②【坂標】

Img_5017 馬坂②(坂上方向) 山際の長福寺の東側から南側を上る大山街道。 【ルート地図】の③

農耕馬や厚木方面への荷物輸送の馬が多く通った坂。

Img_5018 橋供養塔

Img_5019 説明板

Img_5027 坂下方向

Img_5032 坂上近く

Img_5035 不動道標(左)・庚申塔(右・万延元年(1860)) (馬坂②の坂上)

不動道標は高さ258cmで市内最大。

Img_5034 説明板

Img_5040 長福寺(馬坂②の坂上近く)

Img_5048鵜藤坂【坂標】

 

Img_5043鵜藤坂(坂上から) 関口の小平橋(山際川)から南西から北西に上る。【ルート地図】の④

江戸時代に相模川の鵜飼に藤兵衛さんがこの坂を通ったことからこう呼ばれた。この坂を通った鵜飼は藤兵衛さんだけではあるまい。「うとう坂」は各地にある坂名で、適当な字をあてたのだろう。「オトウ坂」・「音坂」・「歌坂」・「謡坂」なども「うとう坂」の転訛したもの。

Img_5047 坂上方向

Img_5044 坂下方向

Img_5056 元昭和音大裏

昭和音大は川崎市麻生区へ移転。

Img_5059 御嶽坂(坂下方向) 関口の御嶽神社の前を北東方向へ下る。《地図

Img_5061 御嶽神社

昔は旧関靴村の鎮守。

Img_5063 カーブして下る

Img_5064 坂下近く

Img_5070 日枝神社

関口の鎮守

Img_5072 馬坂③(坂下方向) 八王子街道関口バス停東の日枝神社の南側を東に下り、大信寺(関口494)前から寺坂につながる坂。《地図

Img_5074 坂下方向

Img_5075 坂上方向

Img_5078 寺坂(坂下方向) 馬坂③から続いて大信寺前を北東に下る。《地図

関口山仏性院大信寺、浄土宗。

Img_5081 坂上方向

Img_5083坂下近くから

Img_5085 新坂(坂下から) 大山街道の関口41から西に上る。《地図

Img_5089 坂下方向

Img_5090 坂上から

Img_5096 蓮生寺(中依知679)

由来書の「星下りの霊梅」の話。

Img_5093 由来書

Img_5099 蓮生寺坂(坂下方向) 蓮生寺参道前から南に下る。《地図

Img_5101坂上方向

Img_5104 オトウ坂(坂上から) 蓮生寺境内から西へ梅香(ばいこう)廃寺跡へ下る。《地図》(道の標示はない。)

オトウは「御塔」か、これも「ウトウ」の転訛か。

Img_5105 坂上方向

Img_5106 坂下から

Img_5108 梅香寺跡碑

正長年中(1428~29)、相模川の洪水で流損し、廃寺となる。本尊は蓮生寺祖師堂に安置された。『蓮生寺縁起』 由来書の碑文とは少し違うようだ。上部の「星下霊地本間役宅」は、ここが「星下り霊梅」の本間氏の屋敷内という意味だろう。

Img_5109 上(かみ)坂(坂上方向) 蓮生寺の坂下の中依知自治会館前を西方向に上る。《地図

改修後は「新坂」と呼ぶようになった。 

Img_5115 坂下方向

Img_5118 山王坂(坂下から) 中依知597から西方向に上る。上坂の南側の坂。《地図

山王社があったのだろう。見当たらず。

Img_5119 坂上近く

Img_5121 坂上から

Img_5125 林坂(坂下方向) 山王坂の坂下から南西に八王子街道の方へ上る。《地図

林は小字名か。「中の坂」ともいう。「上坂」と「下坂」の間という意だろう。

Img_5127 坂上方向

Img_5129 下坂(坂下方向) 中依知の依知中学校の西側から北西に上る。《地図

Img_5130 坂上方向

Img_5132 浅間神社(中依知476)

Img_5134銅鐘

貞和6年(1350)の銘があるという。

Img_5133 説明板

Img_5141 堂坂②(坂下方向) 下依知の依知南公民館前を東に上り、吾妻坂へと続く坂。《地図

坂の南側の広徳寺か、公民館のあたりにあった寺のお堂による坂名だろう。「堂坂の道祖神

Img_5142 坂上方向

吾妻坂へ続く

Img_5143 吾妻坂(坂上方向) 吾妻坂下交差点から西へ八王子街道へ上る。【ルート地図】の⑤

吾妻坂古墳の南側の坂。

Img_5147吾妻坂古墳(下依知355)

4C後半から5C初頭の築造。

Img_5148 坂上方向

右側が吾妻坂古墳

Img_5150 坂上から

Img_5153 明神坂(坂下方向) 下依知の金田神社前を南に下る八王子街道。《地図

金田神社の旧名の船来田明神社による坂名。

Img_5152 坂上方向

Img_5155 金田神社

Img_5156 由来書

Img_5158 説明板

Img_5161 妙純寺

この寺にも日蓮の「星下りの霊梅」伝説が残る。

Img_5160 説明板

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2008年4月 2日 (水)

栃木市の坂-1

2008年4月2日

新大平下駅(東武日光線)・・・如意輪寺・・・八坂神社・・・富田城跡(大平町)・・・(JR両毛線)・・・大中寺・油坂(大中寺七不思議の一つ)・・太平山(340m)・富士浅間神社・・・太平山神社・・・あじさい坂・・・六角堂・・・大山寺・・・信行寺・・・ニ杉橋(永野川)・二杉神社・・・勝泉院・白旗八幡・・・巴波(うずま)川・綱手道・・塚田歴史伝説館・・・横山郷土舘・・・県庁堀・栃木市役所別館・・・嘉右衛門橋(巴波川)・日光例幣使街道・岡田記念館・畠山陣屋跡・神明神社・・・妙昌寺・・・川上稲荷神社・・・八幡神社・・・油伝(あぶでん)味噌・・・下野新聞社・・・蔵の街美術館・山車会館・・・あだち好古館・蔵の街観光舘・山本有三ふるさと記念館・・・近龍寺・・・神明宮・・・日光神社・・・長清寺・・・栃木城跡公園・・・栃木駅(東武日光線)

 油坂は通れない坂、花にはまだ早いあじさい坂と、坂はこの2本だけだが、桜が満開の晴天の下、山・川・池・城跡・神社・寺、そして巴波川の舟運と日光例幣使街道で栄えた「小江戸とちぎ蔵の街並み」と、ごった煮の坂道散歩を満喫した。

 大中寺の七不思議は霊験あらたかな話より、暗くおぞましい怨念のこもった話が多いのが気に入った。大平山、大平山神社も春休みのこともあり、けっこうな人出だ。あじさい坂の坂上の随神門の前の通りは謙信平へ桜見物に向う車がひっきりなしに通る。
 花の咲いていないちょっと味気ないあじさい坂を下って栃木市街地へ向う。途中の大山寺の枝垂れ桜は見事だ。直線的に北東にけっこう歩き、巴波川に出る。川沿いの綱手道は遊歩道になっていて蔵造りの建物が残りいい景観だ。北へぶらぶら歩き、嘉右衛門橋から例幣使街道へ出る。例幣使街道から少し入った妙昌寺の枝垂れ桜もなかなかのもの。住職から境内の片隅にひっそり咲いているカタクリの花を教えてもらう。川上稲荷まで行って引き返し、途中油伝味噌の茶店で味噌田楽を食べて一休み。甘味を抑えた味噌の味がいい。近龍寺から東へ入り、日光神社から南へ栃木城跡に寄り両毛線沿いに栃木駅へ向った。

  *参考:『栃木観光協会

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_4692 如意輪寺(大平町冨田)

天慶元年(938)藤原秀郷の開基という。下野観音三十三霊場第二十五番札所

Img_4691 縁起

Img_4693 八坂神社(大平町)

Img_4697 富田城跡

大平西小学校付近

Img_4696 説明板

Img_4707 太平山

大中寺へ向う道の池から

Img_4717大中寺参道石段上から

Img_4728大中寺由来書

この寺の縁起は、今昔物語』、上田秋成の『雨月物語』の「青頭巾」の話として知られている。

Img_4729大中寺七不思議案内図                                                         

Img_4733_3大中寺七不思議

①東山一口拍子木

Img_4732_2 説明板

Img_4735 ②馬首の井戸

Img_4734_2説明板

「土地の豪族晃石太郎が戦いに破れて寺へ逃げこんだとき、かくまってくれないのを恨み、馬の首を斬って井戸に投げ入れたが後になって井戸の中からいななきが聞こえたという」

晃石太郎、「馬首の井戸」・「不開の雪隠」については、「大中寺の悲話」に詳しい。寺の西方に晃石山(419m)・晃石神社もある。

Img_4738 ③不開の雪隠

雪隠とは便所のこと。

Img_4737 説明板

Img_4739 ④不断のかまど

かまどは建物内にあるのだろう。

Img_4736 説明板

Img_4719 ⑤油坂

正面石段の上の部分

Img_4721 説明板

Img_4725 油坂上から

石段の上下に竹が渡してあって通行止め。

Img_4740 ⑥枕返しの間

Img_4730 説明板

Img_4731 左側の部屋に本尊があるのだろう。

Img_4727 ⑦根なしの藤

Img_4726 説明板

「大中寺開祖快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を弔うため墓標としてさした杖から成長したといわれる藤の古木」 上田秋成「雨月物語」 青頭巾の話

Img_4742大中寺から太平山へ

木の根道もある。

Img_4743 岩場?もある。

Img_4748 太平山山頂(340m)

富士浅間神社・太平山城跡

Img_4746 説明板

Img_4754平山神社

Img_4762 随神門

仁王と左右大臣が背中合わせに座っている。

Img_4761説明板

Img_4770 あじさい坂(坂上方向)

水戸天狗党太平山本陣跡あたり

Img_4767 説明板

Img_4780 説明板

Img_4774 坂下方向

六角堂から随神門までの表参道1000段の石段に2000株の西洋あじさい。

Img_4784 坂下の六角堂の所から

Img_4783 六角堂

Img_4781 説明板

Img_4788 大山寺の枝垂れ桜

Img_4800 ニ杉神社(永野川のニ杉橋)の所。

Img_4803白旗山勝泉院(湊町3-4)

Img_4805白旗八幡

勝泉院の隣り

Img_4813 巴波(うずま)川の綱手道から塚田歴史伝説舘(倭町2-16)

Img_4811 綱手道説明板

Img_4818 横山郷土舘

右半分が麻問屋、左半分が銀行だった。

Img_4816_2 説明板

Img_4820麻問屋の荷揚場(県庁堀)

Img_4824 説明板

Img_4823 市役所別館

Img_4830 日光例幣使街道(嘉右衛門町通りの所)

京都の朝廷から日光東照宮への使者が通った道。

Img_4833 例幣使街道

畠山陣屋跡・岡田記念館前

Img_4832 岡田記念館

Img_4829 説明板

Img_4835 神明神社

Img_4840 妙昌寺(嘉右衛門町11)

Img_4841 カタクリ

妙昌寺境内

Img_4844 ヤマサ味噌

Img_4847 道標庚申塔

寛政12年(1800)の建立で、市内で最大級のもの。「右 おざく道 日光道 左 三ケ月道」とある。三ケ月道はどこへ向う道なのか?

Img_4846 説明板

Img_4851 川上稲荷(大町5)

Img_4852 八幡神社(大町4)

Img_4854 油伝(あぶでん)味噌(嘉右衛門町5-27) 

天明元年(1871)に初代伝兵衛が油屋を開業、幕末に三代目の油屋伝兵衛が味噌の醸造と質屋を始めた。

Img_4857 油伝の茶店内

ほの暗い店内でいい雰囲気。味噌田楽(いも・豆腐・こんにゃく)3本で500円也。

Img_4860 国の有形登録文化財の洋館

Img_4861 下野新聞社の栃木支局(万町7-5)

Img_4863 説明板

Img_4864 蔵の街美術館

Img_4865 説明板

Img_4867 あだち好古舘(左)・蔵の街観光舘(右)

Img_4869蔵の街観光館

Img_4870 山本有三ふるさと記念館

Img_4872 近龍寺

Img_4873 説明板

Img_4880 日光神社(本町17)

Img_4887長清寺(本町14)

関東八十八ケ所霊場 第十八番

Img_4882_2 長清寺本堂

Img_4894栃木城跡公園(城内町1-6)

Img_4891 説明板

Img_4893 栃木城跡公園の隣りの旧家

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2008年4月 1日 (火)

綾瀬市の坂-4

2008年4月1日

海老名駅バス停→綾瀬市役所・・・観音様の坂・観音橋(比留間川)・・・長龍寺・・・秀の木坂・・・ようさんの坂・・・綾瀬大橋(蓼川)・・・(宮坂・辻坂・台場の坂)跡あたり・・・中原街道・大坂・・・旧廻り(まわり)坂跡・新廻り坂・・・蓼川橋・・・下坂・・・南坂・・・深谷神社・・・浅間橋(比留間川)・向こう坂・・・大法寺・・・新道橋(比留間川)・・・春日原・・・浅瀬市役所バス停→海老名駅

 風は強いが青く澄んでいる空の下を観音様の坂を観音橋まで下るが、子育て観音が見当たらない。市民スポーツセンター前にあるという子育て観音のことなのか。坂自体も車が多いだけで、観音さんでもなければ全く面白味がない坂だ。坂下から長龍寺の方へ上りとなって振り返ると富士山が見えるが救いだ。

 秀の木坂を下り、ようさんの坂を上って工場街を抜け綾瀬大橋に出る。橋の北側の蓼川東側は工事造成中で、川沿いにあった3つの坂は消滅したようだ。綾瀬大橋交差点から大坂を下る。U字型の旧廻り坂も途中で廃道なり、今は大坂から続く上り坂を廻り坂と呼んでいるようだ。南坂を下って深谷神社に寄り、比留間川の浅間橋から向こう坂を上るが、このあたりも開発造成中で昔の面影は消えている。浅間森は残っているのだろうか?大法寺から中原街道を南西に行き、新道橋から上りとなって坂上の交差点で右折し、春日原から左手に富士山を眺めながら、桜が満開の綾瀬市役所へ出た。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4594 観音様の坂(坂下方向) 深谷の観音橋から南西に上る。 【ルート地図】の①

途中に子育て観音があるはずだが見当たらず。工事中の所にあって移設されたのか?

Img_4599 長龍寺(深谷中4丁目)

曹洞宗の寺。江戸時代に深谷村を治めていた旗本の大橋氏一族の墓碑群がある。

Img_4600 長龍寺前の坂から富士山

Img_4601 秀の木坂(坂上から) 綾瀬小学校の南側から西に下る。 【ルート地図】の②

秀の木谷戸に下る坂。

Img_4603 坂下方向

Img_4604 坂上方向

Img_4607 ようさんの坂(坂上方向) 秀の木坂の坂下のさがみ野ホームの北側を東に上る。【ルート地図】の③

「ようさん」は人名。坂の近くに住んでいたのだろう。

Img_4609 坂下方向

Img_4616 大坂(坂下方向)本蓼科の綾瀬大橋入口交差点かた南西に下る中原街道。 《地図

蓼川の谷に下りる新道(中原街道)の坂で、『綾瀬村風土記』に「険悪にして車馬大いに苦しむ」とある。

Img_4636 坂上方向

Img_4639 旧廻り坂 大坂の途中から北西からカーブして南西に下って大坂の坂下あたりに出る。《地図

逆U字型に廻っていた坂。

Img_4624 坂上方向

中原街道(正面方向)に上っていたようだが、今は廃道になって途切れてしまう。

Img_4637 新廻り坂(坂上方向) 大坂の坂下の蓼川橋あたりから南西に上る中原街道。 《地図

カーブはするが「廻る」ほどではない。坂上に廻り坂バス停がある。

Img_4647坂下方向

Img_4642 下坂(坂下方向) 廻り坂の途中から南方向に下る。 《地図

この坂の位置についてははっきりせず、大坂の途中から南方向に下る坂かもしれない。

Img_4645坂上方向

Img_4651 南坂(坂上から) 深谷中7丁目の綾瀬中郵便局から南東方向に上る。【ルート地図】の④

何の南なのか? 深谷神社だろうか?

Img_4653 坂下方向

Img_4654 坂上方向

Img_4656 深谷神社

宮坂(消滅)の北側にあった山神社が合祀されている。

Img_4657 説明板

Img_4659 向こう坂(坂下から) 深谷の浅間橋から南西に上る。【ルート地図】の⑤

坂上台地上の浅間森に向う坂ということだが、浅間森は残っているのか?

Img_4663浅間の森跡だろうか? さ小さな社もあるが。坂周辺は工事中で近づけず。

Img_4662 坂下方向

Img_4664 大法寺(深谷中6丁目の中原街道沿い)

Img_4665 説明板

Img_4667 不動明王

中原街道の深谷交番の前の交差点の所

Img_4668

庚申塔道標(右・文化11年(1814)建立)・堅牢大地神(中)・地蔵 (左)

庚申塔の左側面に「南大山道」とある。堅牢地神は、もとインド神話の神で十二天の一つ。仏教に入り、大地をつかさどる。地天、地神ともいう。

Img_4684春日原から富士山

春日局の所領だったという広い畑地。今も春日道、大邸(おやしき)などの地名がある。

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