栃木市の坂-1
2008年4月2日
新大平下駅(東武日光線)・・・如意輪寺・・・八坂神社・・・富田城跡(大平町)・・・(JR両毛線)・・・大中寺・油坂(大中寺七不思議の一つ)・・太平山(340m)・富士浅間神社・・・太平山神社・・・あじさい坂・・・六角堂・・・太山寺・・・信行寺・・・ニ杉橋(永野川)・二杉神社・・・勝泉院・白旗八幡・・・巴波(うずま)川・綱手道・・塚田歴史伝説館・・・横山郷土舘・・・県庁堀・栃木市役所別館・・・嘉右衛門橋(巴波川)・日光例幣使街道・岡田記念館・畠山陣屋跡・神明神社・・・妙唱寺・・・川上稲荷神社・・・八幡神社・・・油伝(あぶでん)味噌・・・下野新聞社・・・蔵の街美術館・山車会館・・・あだち好古館・蔵の街観光舘・山本有三ふるさと記念館・・・近龍寺・・・神明宮・・・日光神社・・・長清寺・・・栃木城跡公園・・・栃木駅(東武日光線)
油坂は通れない坂、花にはまだ早いあじさい坂と、坂はこの2本だけだが、桜が満開の晴天の下、山・川・池・城跡・神社・寺、そして巴波川の舟運と日光例幣使街道で栄えた「小江戸とちぎ蔵の街並み」と、ごった煮の坂道散歩を満喫した。
大中寺の七不思議は霊験あらたかな話より、暗くおぞましい怨念のこもった話が多いのが気に入った。大平山、大平山神社も春休みのこともあり、けっこうな人出だ。あじさい坂の坂上の随神門の前の通りは謙信平へ桜見物に向う車がひっきりなしに通る。
花の咲いていないちょっと味気ないあじさい坂を下って栃木市街地へ向う。途中の大山寺の枝垂れ桜は見事だ。直線的に北東にけっこう歩き、巴波川に出る。川沿いの綱手道は遊歩道になっていて蔵造りの建物が残りいい景観だ。北へぶらぶら歩き、嘉右衛門橋から例幣使街道へ出る。例幣使街道から少し入った妙昌寺の枝垂れ桜もなかなかのもの。住職から境内の片隅にひっそり咲いているカタクリの花を教えてもらう。川上稲荷まで行って引き返し、途中油伝味噌の茶店で味噌田楽を食べて一休み。甘味を抑えた味噌の味がいい。近龍寺から東へ入り、日光神社から南へ栃木城跡に寄り両毛線沿いに栃木駅へ向った。
*参考:『栃木観光協会』
【地図】
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天慶元年(938)藤原秀郷の開基という。下野観音三十三霊場第二十五番札所
大平西小学校付近
大中寺へ向う道の池から
大中寺由来書
この寺の縁起は、今昔物語』、上田秋成の『雨月物語』の「青頭巾」の話として知られている。
①東山一口拍子木
「土地の豪族晃石太郎が戦いに破れて寺へ逃げこんだとき、かくまってくれないのを恨み、馬の首を斬って井戸に投げ入れたが後になって井戸の中からいななきが聞こえたという」
「晃石太郎(佐竹小太郎)」、「馬首の井戸」・「不開の雪隠」については、「大中寺の悲話」に詳しい。寺の西方に晃石山(419m)・晃石神社もある。
雪隠とは便所のこと。
かまどは建物内にあるのだろう。
正面石段の上の部分
石段の上下に竹が渡してあって通行止め。
「大中寺開祖快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を弔うため墓標としてさした杖から成長したといわれる藤の古木」 上田秋成「雨月物語」 青頭巾の話
木の根道もある。
富士浅間神社・太平山城跡
太平山神社
仁王と左右大臣が背中合わせに座っている。
水戸天狗党太平山本陣跡あたり
六角堂から随神門までの表参道1000段の石段に2000株の西洋あじさい。
勝泉院の隣り
右半分が麻問屋、左半分が銀行だった。
日光例幣使街道(嘉右衛門町通りの所)
京都の朝廷から日光東照宮への使者が通った道。
畠山陣屋跡・岡田記念館前
妙唱寺境内
寛政12年(1800)の建立で、市内で最大級のもの。「右 おざく道 日光道 左 三ケ月道」とある。三ケ月道はどこへ向う道なのか?
油伝(あぶでん)味噌(嘉右衛門町5-27)
天明元年(1871)に初代伝兵衛が油屋を開業、幕末に三代目の油屋伝兵衛が味噌の醸造と質屋を始めた。
ほの暗い店内でいい雰囲気。味噌田楽(いも・豆腐・こんにゃく)3本で500円也。
あだち好古舘(左)・蔵の街観光舘(右)
長清寺(本町14)
関東八十八ケ所霊場 第十八番
栃木城跡公園(城内町1-6)
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