« 厚木市の坂-7 | トップページ | 山背古道-2 »

2008年5月13日 (火)

山背古道-1

2008年5月13日

Img_7467 長池駅(JR奈良線)・・・森山遺跡・・・(JR奈良線)・・・大蓮寺・・・常楽寺・・・(JR奈良線)・・・大和街道(奈良街道)分岐地点・・・中天満神社・黒土古墳・龍福寺・・・市辺天満神社・・・西生寺・・・青谷川・・・念仏寺・・・西福寺・・・宮の前橋(南谷川)・・・高神社・谷川ほたる公園・・・高橋(南谷川)・・・小野小町塚・地蔵禅院・玉津岡神社・・・椿坂(上の写真)・井出町まちづくりセンター・石橋瓦窯跡・・・橋本橋(玉川)・・・玉水駅(JR奈良線)

 京都と奈良の間、南山城の山際を緩やかにうねりながら続くのが山背(やましろ)古道で、北から京都府城陽市、井出町、木津川市(旧山城町、旧木津町)へ約25kmの道のり。
 城陽市の長池駅から木津町までの2日間のゆったりの坂道散歩です。古道のルートは道路に下の写真のようなマークや道案内標示があるが、道が分かりにくい所もあり歩くには地図が必要だ。8年前に道沿いの商店でただでもらった詳細な「山背古道探検地図」(1996年10月現在の地図)を頼りにそれほど迷うこともなく歩くことができた。

 長池駅から線路を渡って、住宅の間を上ると森山遺跡へ出る。国指定遺跡だが殺風景な感じがする。下って線路の反対側の大蓮寺は団体さんで混んでいた。境内には「甘藷元祖の墓」があるのだが早々に立ち去る。道沿いの畑にはどこも「農場監視」の板が掛かっている。なんだか監視されているような気分だ。畑の間の道を抜けると中天満神社のある集落に出る。蔵造り風の家並みの集落を抜け車道を渡ると市辺天満神社への細い静かな道となる。

 西生寺のある集落から南の青谷川沿いをしばらく進み、青谷橋から南に山城多賀駅近くの集落を抜けると今度は南谷川の流れにぶつかる。高橋から南東に上る細い道が長く、人通りもなくこのまま峠を越えてしまうのではとちょっと不安になる。少し広い車道に出ると今度は下りとなって、小野小町塚や地蔵院のある井出の集落へ道は続いて行く。
 小野小町の生誕地、墓は各地にあり、先日も厚木市で出生地という小町山にある小町神社を訪れたばかりなので親しみがわく。雲行きがだんだん怪しくなってきて雨が落ち始めてきた。それでも今日のお目当ての椿坂はすぐそこなので気は楽だ。『大和物語』ゆかりの椿坂は田畑の間をなだらかに玉川の方へ下っている。坂の周辺をあちこちうろついている間に本降りの雨になって来た。今日は棚倉駅までと思っていたが、もう5時近くで雨であたりは薄暗い。今日はここで打ち止めにして日本六玉川の一つの玉川沿いに玉水駅へ向った。

  参考:『山背古道』(山背古道探検地図も載っている。)・『城陽』(城陽市観光協会)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7309_2 山背古道マーク

道路に山の形のマークがあるが、これだけを頼りに歩くのは無理。

 

Img_7306この道案内標示がある路面もある。

 

Img_7305 森山遺跡 【ルート地図】の①

縄文から古墳時代までの集落跡。

 

Img_7304 説明板

 

Img_7303 遺跡配置図

 

Img_7315 大蓮寺そばの民家

 

Img_7313 大蓮寺

寺田いも(甘藷)の元祖、嶋利兵衛の「甘藷元祖の墓」がある。サツマイモと葉っぱをあしらっているとか。

 

Img_7319 農場監視の掲示板があちこちに立っている。

 

Img_7320 道標「二本松の碑」が立つ二又

左へ青谷梅林、中天満神社の方へ進んだ。

 

Img_7322 道標

 

JR奈良線の踏切を渡り、大和街道(奈良街道)と分れる。【ル-ト地図】の②

Img_7326 シブガキの大木

柿渋を採るのに利用。

 

Img_7325 説明板

 

Img_7331 人も車の往来は少ない

 

Img_7332 このような家並みの通りも多い。

 

Img_7333

 

Img_7334 中天満神社

黒土古墳群の上に立つ。慶応3年の「おかげ踊り」の絵馬が奉納されている。

 

Img_7337 黒土古墳1号墳 

6世紀後半の楕円形墳

 

Img_7335 説明板

 

Img_7342 龍福寺

中天満神社の隣りの浄土宗の寺。

 

Img_7346 車道を横切り進む山背古道

 

Img_7347 市辺天満神社へ

 

Img_7352 市辺(いちのべ)天満神社

由緒、沿革は不明という。城陽市市辺は大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺された市辺押磐(いちのべおしは)皇子が住んでいたとも伝わっている。

 

Img_7351 説明板

 

Img_7355 西生寺(浄土宗)

 

Img_7360静かできれいな道を行く。

 

Img_7364 青谷川を渡る。

右に小堂

 

Img_7369 青谷川(右)沿いの山背古道

 

Img_7371 車道の傍らに石祠

山背古道沿いにはこのような小祠、小堂、小石仏が多い。

 

Img_7376 西福寺近く

 

Img_7391 高神社参道の石段

木に覆われ真っ暗という感じ。

 

Img_7389 高神社 【ルート地図】の③

和銅4年(711)創祀とあるが定かでない。高氏の祖神か。社殿は慶長9年(1604)の再建と伝う。

 

Img_7396 谷川ほたる公園前の山背古道

高神社前の南谷川の宮の前橋の所。

 

Img_7394 井出町源氏ボタル保護条例

 

Img_7399_2高橋(南谷川)あたりから南東に長い上り坂となる。

 

Img_7400 坂下方向

 

Img_7401_2 坂上方向

 

Img_7404 ここで右に曲がって下って行く。

 

Img_7407 車道へ出て下りとなる。この道も長い。

 

Img_7415 小野小町塚、玉津岡神社の方へ畑の間を行く山背古道。

 

Img_7416 道案内板がある所もある。

 

Img_7418畑の間を通り竹林の中へ

 

Img_7419 薄暗い竹林を進む。

 

Img_7427 小野小町塚近く

右は地蔵?の小堂

 

Img_7431 小野小町塚 【ルート地図】の④

平安時代の歌人で六歌仙の一人。絶世の美女として逸話も多く残る。小野小町のゆかりの所は各地にある。説明板にはここのが信憑性があると言っている。

 

Img_7437 説明板

 

Img_7438 玉津岡神社、地蔵禅院の方へ上る。

 

Img_7443 玉津岡神社

社伝では天平3年(731)に橘諸兄が下照比売を勧請したのが創祀とする。この地方一帯の産土神。

 

Img_7445 地蔵禅院

 

Img_7448 境内から井出の里の眺望

京都百景の一つ。享保12年(1727)の植樹というシダレザクラは京都府天然記念物。

 

Img_7457 椿坂へ

 

Img_7456 「宇治茶の郷」の幟のところから右へ椿坂が下っている。

 

Img_7458 椿坂(坂下方向) 傾斜はゆるい.。 【ルート地図】の⑤

平安時代中期に書かれた『大和物語』の中の『井出の下帯』:「ある時、都から大和へ向う内舎人(うどねり)の男がここを通りかかり美しい少女に出会って見初めた。男は結婚を申し出て迎えに来ると約束し、二人は帯を交換した。男はすぐに少女のことは忘れてしまったが、少女は帯を大切に持ち、男を思い続けた。7、8年が過ぎ、男はまた役目で大和へ向った。途中、ここ井出の里まで来ると井戸のそばで美しい女が水を汲みながら歌っていた。「山城の井出の玉水手にむすび 頼みしかひもなき世なり。 ときかえし井出の下帯行きめぐり 逢瀬うれしき玉川の水」 物語の結末は書かれていない。男は好色な女たらしの役人だろう。歌を聞いて女との戯れの約束を思い出しただろうが、ハッピーエンドとはならなかっただろう。

 

Img_7459 坂上方向

昔は椿の木があったのだろう。

 

Img_7460井出町まちづくりセンター椿坂

火曜日は休館日

 

Img_7470_2 椿坂の坂下の「井出の玉川」(橋本橋から)

日本六玉川の一つ。水量が少なく「水無川」ともいう。和歌に詠まれ、山吹、蛙が名物だった。小野小町も、「色も香も なつかしきかな蛙鳴く 井出のわたりの山吹の花」と詠んだとか。

井出は橘氏の所有地で橘諸兄(たちばなもろえ)は壮麗な別業(別荘、別宅)に聖武天皇招き宴遊を催した。

 

Img_7465 説明板

|

« 厚木市の坂-7 | トップページ | 山背古道-2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山背古道-1:

« 厚木市の坂-7 | トップページ | 山背古道-2 »