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2008年5月23日 (金)

足利市(栃木県)の坂

2008年5月23日

Img_8156 足利市駅(東武伊勢崎線)・・・中橋(渡良瀬川)・・・足利デパート・・・法玄寺・・・織姫神社・機神(はたがみ)山山頂古墳・行基平古墳・・・三宝院・・・常念寺(足利七福神毘沙門天)・観音坂・子安観音堂・・・厳島神社①(長尾弁天・足利七福神の弁財天)・・・二重坂(の切通し(上の写真)・二重坂の地蔵・・・足利公園・足利公園古墳群・・・八雲神社①・・・福厳寺(足利七福神の布袋尊)・・・八雲神社②・・・鑁阿(ばんな)寺(足利七福神の大黒天)・・・御嶽神社(蔵王宮?)・・・御影寺・・・県立図書館・・・八幡神社・・・厳島神社②・・・善徳寺・・・足利学校・・・足利市駅

 足利氏発祥の地、織物業で栄えた足利市の坂道散歩です。暑くはなるとは予想していたが、今日は隣りの館林市(群馬県)では最高気温が32.2度だった。
 織姫神社の石段を上り、少し上の機神山山頂古墳(標高118m位)に上るだけで汗びっしょりになった。このあたりは両崖山の尾根の最南端で月見ケ丘といい、行基が月見の宴を開いたので行基平という名も残る。ここから長林寺へ向おうとしたが、両崖山の方へ上ってしまったり、行き止まりの道に入ってしまい、散歩中の人に聞いてもよく分からないようなので、再び織姫神社へ出てから石段を下った。鳥居脇の自然水が美味かった。

 三宝院から中央通りに出ると常念寺で、その西側を観音坂の石段が上っている。坂上の子安観音堂から両崖山へのハイキングコースに通られている道で一般道の坂ではない。常念寺から西に行くと中央通りの車道の両側は切通しの崖となる。どちらかの崖上に二重坂の地蔵が座っていて、切通された二重坂があるはずだが地蔵の姿は見えない。北側の崖の方だと検討をつけ細い道を入ってみたが行き止まってしまうようだ。民家が建て混んでいてあまりうろついているのもまずいので、南側の崖の方の探索に入る。

 観音坂の坂下、常念寺の向かい側から坂が緑町配水場の方へ上っている。途中から崖の方へ入る小道があるかもと思っていたら、すぐに右に入る道があり、少し上ると赤土のむき出た崖下に「足利開鑿二重坂之碑」が立っていた。切通しを抜けると道は細くなり、下の車道と平行して下って行く。見上げると左の崖の上(車道の崖上ではなかった)に地蔵さんがひっそりと座っていた。嬉しくなりほっとした。地蔵さんの所まで細い階段がつけられ、地蔵の前には花が供えられていた。もとは二重坂は地蔵さんの高さまで上って下っていたのを、切通して道を切り下げたので地蔵さんは崖上に残ったのだろうと勝手に推測した。折角、開鑿された道も今はあまり使われていない廃道寸前のようで、切通しの崖下には車が放置され、その先は細くなり民家の前の、人が一人通れる位の道になっている。道同様、開鑿碑も忘れられ気づく人も読む人もいないだろう。下の車道を走る車も地蔵さんが崖上から交通安全を祈ってじっと見守ってくれていることも知らずにスイスイ通過して行くだけだ。

 予定の坂は見つけられたし、後は気が楽だ。日本で一番最初に調査されたという足利公園古墳群から、「九・一そば」の第一立花で昼休みを取り、見学者の多い、読むのも書くのも難しい鑁阿寺、有名な足利学校などを回り、再び中橋渡って足利市駅に戻った。

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_8061 渡良瀬川(中橋から上流方向)

Img_8064 足利デパート

昭和25年創業の学校の制服を主に販売の衣料店のようだ。建物といい「デパート」といいいちょっとレトロっぽい所がいい。

Img_8067 法玄寺

Img_8069 説明板

Img_8070 織姫神社 【ルート地図】の①

ここから229段の階段を上ると織姫山(機神山)の中腹に社殿がある。

Img_8072 説明板

Img_8074 自然水

顔を近づけると自動的に水が出てくる、まさに「自然水」のすぐれもの。

Img_8075 説明板

Img_8080 織姫神社

約1300年の伝統を持つ足利織物の守り神。昭和12年にここに遷座。

Img_8085_2 説明板

Img_8083 渡良瀬川方向

Img_8090 機神山山頂古墳(織姫神社からさらに上った所) 前方部西側から

6世紀半ば頃築造の全長約36mの前方後円墳。

Img_8091 説明板

Img_8092 横穴石室

後円部の墳頂下

Img_8094 胴張りの無袖型で、南に開口。

Img_8102中央が機神山古墳

Img_8103 前方部から後円部方向(東側)

Img_8104 行基平古墳 《地図

機神山山頂古墳の北側。このあたりで行基が月見の宴を催したという。

Img_8105 前方部南側から

前方部を南に向けた全長約36mの前方後円墳。機神山山頂古墳より早い5~6世紀の築造と推定される。

Img_8202 厳島神社①

足利七福神の長尾「弁財天」

Img_8110 説明板

Img_8115 三宝院

藤原秀郷の子孫という藤姓足利氏の足利五郎太藤原行国の墓がある。足利藤原氏は源平合戦の時、平氏に味方し源頼朝に滅ぼされた。足利尊氏は清和源氏の家系。

Img_8114_2 説明板

Img_8121 常念寺(通7-3094)

時宗の寺、足利七福神の毘沙門天

Img_8120 説明板

Img_8137 観音坂 常念寺の西側を北西に上る石段。【ルート地図】の②

坂上に子安観音堂、右側は常念寺

Img_8135 坂下方向

左は常念寺

Img_8122 観音堂

幟には、「足利坂東三十一番子安観世音菩薩 多宝山 福厳寺」とある。

Img_8126堂内の子安観音

Img_8131 観音山、天狗山から両崖山(251m)へ続くハイキングコースの道。

正面の新しい馬頭観音碑の後ろ側を登って行くようだ。両崖山には藤原(足利)成行が天喜2年(1054)に築城した足利城(両崖山城)があった。

Img_8133 観音坂(坂下方向)

Img_8119 常念寺前の切通しの車道

左側の崖の裏側に、切通しの道の二重坂、二重坂の地蔵がある。

Img_8139_2 二重坂(坂上方向) 常念寺の向かい側から緑町配水場の方へ上り、途中から北西(右)に上り、車道の方へ下る。【ルート地図】の③

左下に「足利開鑿二重坂之碑」

二重の意味が分からない。

Img_8142 上部に「足利開鑿二重坂之碑」

本文は全部漢字でよみづらい。最後に明治11年9月とある。

Img_8144_2 坂下方向

Img_8145 坂上方向

左の方へゆるくカーブ。

Img_8153 崖上に地蔵

Img_8151 二重坂の地蔵

台座の左側面に宝暦13年(1763)と彫られている。

Img_8149 地蔵の所から車道を見下ろす。

Img_8152 道は細くなって車道へ出る。

もう民家の私道のような感じだ。

Img_8174 緑町配水場(左)へ上る坂から

「近代水道百選」に選ばれている配水場

Img_8179 足利公園古墳群案内板

Img_8186 説明板

Img_8183 2号円墳

Img_8192 八雲神社①

Img_8193 神鏡説明板

Img_8200 福厳寺 【ルート地図】の④

足利七福神の布袋尊

Img_8197 説明板

Img_8199 セキ(咳)地蔵

百日咳、ぜんそくなど咳の病にご利益あり。

Img_8198 説明板

Img_8203 八雲神社②

Img_8206 織姫交番

近くの織姫神社と合わせたデザイン・カラー(紅白)にしているのだろう。

Img_8218 鑁阿(ばんな)寺配置図

鑁(ばん)・阿(あ)はそれぞれ金剛・胎蔵の大日如来をあらわす種子で真言宗の理想を示す文字という。

Img_8219 説明板

Img_8212反り橋(太鼓橋)と楼門(山門)

Img_8215 説明板

Img_8221 鐘楼

Img_8220 説明板

Img_8224 大銀杏

Img_8225 説明板

Img_8226 多宝塔

Img_8228 説明板

Img_8230 経堂

Img_8229 説明板

Img_8233 中御堂(不動堂)

Img_8238 本堂

Img_8234 説明板

Img_8241 東門

Img_8240 説明板

*********************************************

Img_8265 足利学校入徳門 【ルート地図】の⑤

奥が学校門

Img_8254 稲荷社

Img_8253 説明板

Img_8258 遺蹟図書館

Img_8257 説明板

Img_8256 孔子廟

Img_8255 説明板

Img_8260 方丈(手前)・庫裏・書院

Img_8261説明板

Img_8264 庠主(学長)墓

Img_8263 説明板

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2008年5月16日 (金)

奈良(記紀)の坂

2008年5月16日

Img_7957 JR奈良駅(桜井線)→櫟本(いちのもと)駅・・・国道169号・・・柿本寺(しほんじ)跡・和爾(わに)下神社・古墳・・・国道169号・・・弁天池・・・和爾座赤阪比古神社・・・和珥坂下伝承地(上の写真)・・・国道169号・・・かぼちゃ薬師(興願寺)・・・楢(なら)神社・・・長寺(おさでら)遺跡跡・・・高良神社・・・極楽寺・・・櫟本駅→JR奈良駅

 古事記、日本書紀の伝承の坂、丸邇(ワニ)坂(和珥坂)を訪ねる。和爾下座赤阪比古神社から「和珥坂下伝承地道」の案内道標に従って行くと、未舗装の細い下り坂となって伝承地に出る。先日歩いた幣羅坂と比べればまだ古代の面影が残るところか。まあ、いずれも伝承の坂ではあるが。この先(上の写真の前方)へ下って国道169号から上ツ道(上街道)に出ようとしたが畑の間に入って行き止まってしまう。畑で作業中の人に聞いたが道は続いていないという。ちょっと残念だ。

 もどって、遠回りで国道を渡ると「かぼちゃ薬師」の案内標示が出ていたので寄って見る。立派な薬師堂に薬師如来座像が安置されていた。「かぼちゃ」の由来は何なのか、説明板もないので、近くで雑草を取っていた女性に聞いたみたが分からないとの返事。これにはちょっとびっくり、情けなく、がっかり。自分の身近なものでも興味がなければこんなものか、半分得心し、半分諦めの気分。
 近くの寺社に寄り櫟本駅から奈良にもどり、まだ時間があるので好天の中、遠足、修学旅行の生徒、外国人観光客と鹿で賑やかな奈良公園を散歩して、今回の坂道散歩を終了した。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7911柿本(しほん)寺跡の歌塚 《地図

柿本寺は柿本氏の氏寺。歌塚は柿本人麻呂の遺骨を葬るという。

Img_7910 説明板

Img_7919 和爾下神社

和爾下神社古墳の上に祀られている。このあたり一帯は大和政権の実力者、和爾氏の本拠地。和爾下神社古墳は和爾氏の奥津城と考えられている。下の柿本寺との位置関係から柿本上社ともいわれた。

Img_7918 説明板

Img_7914 和爾下神社古墳説明板

Img_7922 古墳の天井石(和爾下神社の下の旧柿本寺跡)

和爾下神社古墳のものだろうか?

Img_7915『日本書紀』の「武烈天皇に恋人の平群(へぐり)の鮪(しび)を殺された影媛が山の辺道を乃楽(なら)山まで泣きながら行った時の歌」(和爾下神社の下にこの説明板がある。)

Img_7926 弁天池から国道169号、JR奈良線方向

Img_7944 和爾座赤阪比古神社 《地図

日本書紀の神武天皇の和珥坂、古事記の崇神天皇の丸邇(和爾)坂はこのあたりをいう。

Img_7945善福寺

左に「←和珥坂下伝承地道」の石柱に従って進む。

Img_7953 和珥坂下伝承地(坂下方向)

右下に小石仏

Img_7956 石仏

Img_7960 坂上方向

右に小石仏たち

Img_7964 和珥坂下伝承地 

日本書紀の神武天皇、古事記の崇神天皇、応神天皇に関する記述に登場する坂。

Img_7962 説明板

崇神天皇の時代の建波邇安王(武埴安彦)の叛乱伝承は「山背古道-2(2008年5月14日)の幣羅坂の所に記載。

Img_7961 坂下方向

この先は畑で行き止まりで国道169号には出られない。正面は積水化学の工場。

Img_7972 カレス保育園

何の建物かと思った。

Img_7975かぼちゃ薬師堂 《地図

Img_7974 かぼちゃ薬師如来(興願寺境内の薬師堂)

初成りの南瓜(かぼちゃ)を供えるのでこう呼ばれている。「癪(しゃく)の病」、「耳の病」にご利益あり。

Img_7979 延命地蔵尊

かぼちゃ薬師のそば

Img_7981 楢神社

祭神は五十狭芹彦命(いさせりひこのミコト)(崇神天皇の四道将軍の一人、吉備津彦命のこと)。鬼子母神で子授け長寿招福の神。

Img_7991 長寺遺跡跡(櫟本公民館あたり)

弥生時代から平安時代にかけての遺跡。奈良時代前期の創建という長(おさ)寺は渡来氏族の曰氏(オサ氏・訳氏)の寺で、オサ氏は通訳の職務にあったようだ。

Img_7988 説明板

Img_7993 高良(こうら)神社 《地図

ここは奈良時代前期建立の長寺(おさでら)跡という。

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2008年5月15日 (木)

葛城古道

2008年5月15日

Img_7818_2JR奈良駅(関西本線・和歌山線)→御所(ごせ)駅・・・近鉄御所駅・・・柳田橋(柳田川)・・・鴨都波神社・・・柳田橋・・・崇道神社・・・鴨山口神社・・・六地蔵・・・駒形大重(おおしげ)神社・・・番水の時計・・・九品寺・・・綏靖(すいぜい)天皇高丘宮跡・・・一言主神社・・・龍正寺・長柄神社・中村家住宅・葛城酒造・・・春日神社・・・高木神社・・・住吉神社・・・極楽寺・・・橋本院・史跡高天原・・・高天彦神社・鶯宿梅・蜘蛛窟・・・高鴨神社・葛城の道歴史文化館・・・風の森峠・風の森神社・・・風の森バス停→天神橋・・・JR高田駅→JR奈良駅

 まさに風薫る五月、気持ちのいい快晴の中を古代の豪族、葛城氏、鴨氏が栄えた葛城山、金剛山の山麓の葛城古道を歩く。
 近鉄御所駅から西にゆるやかに上り、六地蔵から南にあぜ道に入って行く。右手に葛城山、左手に奈良盆地が広がる気持ちのいい道だ。名柄の家並みを抜けると上りとなる。春日神社、高木神社、住吉神社とかなりの上って極楽寺へ着く。ここから橋本院までが一番きつい所で薄暗い山道を抜けると橋本院、史跡高天原の開けた明るい高台へ出る。(上の写真) ここから高天彦神社は近い。神社の参道を抜けると鶯宿梅、蜘蛛窟がある。ここから先は杉木立の中を下って車道に出る。車の通行量は少ないので歩きやすく、どんどん下って行くと高鴨神社だ。峠の感じはしない風の森峠から風の森バス停は近い。

 参考:『近鉄てくてくマップ 葛城の道コース』・『葛城古道ウォーキングコースガイド』・『御所市観光HP

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7671鴨都波神社 《地図

葛城は鴨族発祥の地で、高鴨神社に対し下鴨社といわれる全国の鴨社、加茂、賀茂の元締め。

Img_7670 由緒書

Img_7675 葛城山

Img_7681_2崇道神社 《地図

怨念を持って死んだ桓武天皇の弟の早良親王(死後追称され崇道天皇)の怨霊を鎮める御霊神社。

Img_7684 説明板

Img_7690鴨山口神社

Img_7688 説明板

Img_7693 六地蔵の裏側から葛城山

このあたりは「櫛羅(くじら)」という地名。弘法大師が名づけた「クジラの滝」からとか、「クシヒト」が「クシラ」、「クジラ」になったともいわれる。

Img_7694六地蔵

六体の地蔵が浮き彫りされている。室町時代のものといわれる。

Img_7698 畑の間を行く葛城古道

Img_7701 大和三山の眺め

畝傍山(中央あたり右の木の向こう)・香具山(右端奥)・耳成山(畝傍山の左奥)

Img_7705駒形大重(おおしげ)神社

Img_7703 説明板

Img_7715 番水の時計(駒形大重神社と九品寺の間)

田んぼへの水の分配を示す時計。「ばんすい」と思っていたが、高丘宮跡あたりで畑で作業をしている人は「ばんみず」と言っていた。今年は5月25日から番水時計による水の分配が始まるそうだ。

Img_7713 番水の時計から九品寺の間

Img_7709 九品寺千体石仏(本堂裏手)

Img_7717 古道沿いの民家

Img_7718 石仏

Img_7727 綏靖天皇高丘宮址

いわゆる欠史八代(二代綏靖から九代開化天皇まで)の虚構の天皇だろうが、葛城王朝の実在の天皇とする説もある。

Img_7726 高丘宮あたりの葛城古道

Img_7725 説明板

Img_7733一言主神社

古事記に雄略天皇との逸話も残る神社

Img_7740 説明板

Img_7732 大イチョウ

樹齢1200年の神木の乳銀杏。

Img_7734 説明板

Img_7735 乳房が垂れたような乳銀杏の気根

Img_7739 蜘蛛塚(一言主神社境内)

大和政権に反抗してここに封じもめられた土蜘蛛一族の塚。ヤマトに滅ぼされた土着、先住の勢力だろう。

Img_7738 説明板

Img_7737 万葉集の歌碑

葛城長江襲津彦は葛城氏の祖。それ以前に葛城垂見宿禰という伝説上の人物がいる。ここあたりは長江(ナガエ)といい、長柄・名柄となりそれがナガラと読まれるようになった。

Img_7736 説明板

Img_7745 片上醤油

前に葛城古道を歩いた時に醤油の小ビンを買ったら、後でだんだん重さがこたえてきた。

Img_7749 葛城山(959m)

Img_7752 名柄の家並み

Img_7755 長柄神社

祭神は下照姫命。

Img_7754 説明板

Img_7759中村家住宅(右)は江戸初期に建てられ、名柄の代官をしていた家柄から代官屋敷という説もある。重要文化財。

葛城酒造(正面右) 純米吟醸の辛口「百楽門」

Img_7764 水越峠(葛城山と金剛山の間)への道

葛城酒造の前で右に曲がる。

Img_7767 葛城古道は直進

Img_7770 葛城山(右)・金剛山(左)

Img_7772 天得如来旧跡道の道標

極楽寺に天得如来像図があるがそのことか。旧跡というのがよく分からない。

Img_7777春日神社《地図

Img_7779 金剛山の方へ上りとなる。

Img_7780 高木神社

Img_7782 上りが急になる。

Img_7783 坂下方向

Img_7785 正面は畝傍山だろう。

Img_7786 金剛山(1125m)

Img_7790 住吉神社

Img_7788 説明板

Img_7795 極楽寺へと上りは続く

Img_7805極楽寺

Img_7807 橋本院への上り

Img_7809 畑の間ののどかな明るい道

Img_7810 坂下方向

Img_7814 ここから山道となる。

Img_7815 細い石堤を渡る。

Img_7817 木漏れ日の木立の中を登る。

Img_7819 明るい所に出ると橋本院は近い。

Img_7822 橋本院観音堂(本堂)

本尊の十一面観音立像が安置

Img_7820 説明板

Img_7823 橋本院の門前から金剛山

Img_7825 史跡高天原(たかまがはら)

古事記では、ニニギの命は高天原から高千穂の峰(宮崎県日向)に天孫降臨する。ここ葛城氏の地が古事記の伝承の元になっているのか。

Img_7827 正面は橋本院の屋根

このあたりは標高400m位か、一面平坦な所で、まさに高天原というところだ。

Img_7828 左下に高天彦神社

Img_7834 高天彦神社前の福蛙

福が帰(返)ったら、不幸が訪れないだろうか?

Img_7835 説明板

Img_7838_2高天彦(たかまひこ)神社

葛城氏の祖神の高皇産霊神(タカミムスビの神)を祀る。

Img_7839 説明板

Img_7844 参道を抜け鶯宿梅、蜘蛛塚へ

Img_7848 説明板

Img_7849 畑の向こうの木がこんもりしている所が蜘蛛窟(鶯宿梅の所から)

Img_7851 蜘蛛窟

ここも一言主神社の蜘蛛塚と同じ、ヤマトに滅ぼされたこの地方の土着先住者たちの供養、慰霊の墓の意だろう。

Img_7853 木立の中へ入って下る葛城古道。

Img_7855 木漏れ日の中を下って行く。

Img_7856 下って車道歩きとなるが通行量は少ない。

Img_7861 地蔵さん

Img_7863 東側の山並み

Img_7864 どんどん下る。

Img_7875 高鴨神社

鴨族発祥の地で全国の加茂(賀茂・鴨)神社の総社

Img_7869 由緒書

Img_7882葛城の道歴史文化館

高鴨神社の隣り

Img_7891 風の森峠・風の森神社

正面の木が茂っている所だが、峠の感じはない。

Img_7894 風の森のから金剛山方向

Img_7896 風の森神社 《地図

風の神の「志那都比古神」を祀る。

Img_7898 説明板

Img_7903 風の森バス停

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2008年5月14日 (水)

山背古道-2

2008年5月14日

Img_7551 奈良駅(JR奈良線)→玉水駅・・・玉川・・・椿坂下・橋本橋・・・橘諸兄旧跡・・・平ノ山橋(渋川)・・・以仁王墓・高倉神社・・・天神橋(天神川)・・・綺原(かんばら)神社・蟹満寺・・・(JR奈良線)・・・不動中橋(不動川)・・・(JR奈良線)・・・涌出宮・・・(棚倉駅)・・・和泉(わせん)寺・・・鳴子橋(鳴子川)・・・(JR奈良線)・・・西音寺・・・春日神社・・・(JR奈良線)・椿井大塚山古墳・・・阿弥陀寺・・・(JR奈良線)・・・松尾神社・・・(JR奈良線)・・・廻照寺・・・上狛環濠集落・大井戸・阿弥陀寺・西福寺・・・山城茶問屋ストリート・・・円成寺・地蔵石仏・泉橋(せんきょう)寺・・・木津川・・・狛の渡し跡・泉橋跡あたり・・・泉大橋(木津川・国道24号)・・・大智寺・・・和泉式部墓・・・(JR学研都市線)・・・正覚寺・・・北向地蔵・・・天王社・・・信楽寺・・・西蓮寺・・・大正橋(井関川)・・・新天神橋・・・・県道754号・幣羅(へら)坂(市坂)・市坂念仏石・幣羅坂神社・安養寺・・・幣羅坂・・・糠田橋(井関川)・・・文廻池・・・(JR奈良線)・・・跨線橋(JR奈良線)・・・岡田国神社・・・JR木津駅(JR奈良線)→奈良駅

 昨日の続きで山背古道を椿坂下から幣羅坂までの坂道散歩です。天気予報では晴れてくるはずだが、玉水駅から玉川沿いに歩き始めるとポツポツと落ちてきた。傘は置いてきたので帽子を被って雨除けだ。橘諸兄旧跡で参道の石段を掃き清めている人としばし雑談。「また来てください。」と言われたが、それはどうか・・・。山背古道には川が多い。昨日は青谷川、南谷川、今日は玉川、渋川、天神川、不動川、鳴子川、木津川、井関川を渡る。大きな川は木津川だけだが、天井川も多く大きな災害の歴史もあるようだ。

 蟹満寺の縁起話の「蟹の恩返し」(後述)は、東京福生市の「蟹坂」の由来話と同じだ。このような話は各地にあるのだろう。蟹満寺から南に行き、JR奈良線を渡る。ちょうど電車が南側のトンネルに入って行く。このトンネルは天井川の不動川の下を掘り貫いたものだ。上に川が流れているとは何度もこのトンネルを電車で通過しているのに知らなかった。
 昨日、飲みすぎたせいか疲れてきた。これも天井川の鳴子川を越え春日神社手前の小公園で昼飯とし、ベンチで一眠りする。風が少し強いが陽射しが暖かく、誰も来ないのでぐっすり30、40分寝たら頭も体もスッキリして再出発。

 三角縁神獣鏡が30数面も出土した椿井大塚山古墳は蟹満寺の蟹に切られた大蛇のように、JR奈良線の線路に胴体をちょん切られ、前方部の上には民家が並ぶ。そこで一句、「無惨やな 線路の下の 古代びと」 椿井大塚山古墳は邪馬台国畿内説を補強する古墳として語られることが多いが、古事記の崇神天皇の条にある建波邇安王(タケハニヤスノミコ)の叛乱伝承にからめて考えてみた。(後述)

 山背古道から少し離れた小高い松尾神社(上の写真は神社への坂)に寄り、上狛環濠集落内をグルッと回り、南に山城茶問屋ストリートを過ぎると木津川が近い。日本一の高さという泉橋寺の地蔵石仏は露座のままだ。木津川の土手に上り、少し下流に行くと狛の渡し跡で、川の中と岸辺に泉橋の残骸が残っている。泉大橋を渡り、西へ和泉式部の墓へ向う。無住の寺の堂の前の小さな盛り土の上に「和泉式部墓」の石柱が立つ。ちょっと見すぼらしい感じなので前の花を入れて写真を撮る。後日、知ったがこれは和泉式部の墓ではなく、墓への道案内標柱だった。うっかり、がっかりだが、昨日は美人の小野小町の墓に行っているし、才媛の舎利頭(しゃりこうべ)に会っても仕方ないと負け惜しみを言うしかない。

 南にあちこち寄りながら進み、JR奈良線を越えてしばらく行くと幣羅坂の上りとなる。ここはもう山背古道からは外れている。古事記に載る伝承の坂(後述)だが、今は市坂と呼ばれる国道754号で何の面白味もないただの直線的な車道で、おまけに工事中で騒音がひどく道沿いの商店も迷惑そうだ。もちろん伝承の坂で、どことは特定はできないが。坂上の幣羅坂神社に寄り、坂を下り途中から文廻池沿いを歩き、岡田国神社から木津駅に向った。

  【ルート地図】(山背古道から外れている所もある。)

  参考:『木津川市 文化財

 写真をクリックすると拡大します。

Img_7469 山背古道案内板(玉川の橋本橋の所)

Img_7472 顔が描かれている石仏。どれも女性の顔のようだ。

Img_7477 岡田池から西方向

Img_7488 橘諸兄旧跡への道

Img_7483 途中の井出火山灰層

Img_7478 旧跡参道

Img_7480橘諸兄旧跡 【ルート地図】の①

井出は諸兄の所有地で井出の左大臣と呼ばれ、広大な別業(別荘、別宅)があり、聖武天皇を招き壮麗な宴遊を催した。

Img_7481 由緒碑

Img_7490 山背古道(左)は下って渋川(右)の方が高くなる天井川。

Img_7493 以仁(もちひと)王墓(右)・高倉神社(左)

治承4年(1180)、以仁王は源頼政にかつがれ平家打倒に立ち上がったが宇治川の合戦で敗れ、奈良へ落ち延びる途中、ここで流れ矢に当りあえなく落命したという。邸宅が三条高倉にあったことから高倉宮と呼ばれた。

Img_7496 綺原神社

正式名は石柱に。

Img_7500 綺原(かんばら)神社

秦氏の一族の綺(かば)氏が養蚕及び衣服を織る技術者を祀って創建したともいう。ここの地名は「綺田(かばた)」

Img_7499 由来書

Img_7501蟹満寺(観音堂の扁額) 【ルート地図】の②

蛇に巻きつかれた蟹がハサミで蛇をちょん切ろうとしている。蟹満寺の登録商標だろう。

蟹満寺縁起「蟹の恩返し」(今昔物語集):「昔、この地に信心深い親娘が住んでいた。ある日、娘が村人につかまった蟹を助けてやった。父親もある日、大蛇に飲み込まれようとする蛙を、娘を大蛇の嫁にやると約束して助けた。数日後、約束通り大蛇が娘をもらいにやって来た。父娘は一心不乱にお経を唱え、大蛇が退散するのを願ったが、大蛇は怒り狂い家の回りを暴れ回った。しばらくすると静かになったので外へ出て見ると、無数の蟹と切れ切れになった大蛇が横たわっていた。娘が助けた蟹が大勢の仲間を引き連れて恩返しに来たのだった。親娘は蟹と蛇の霊を弔うため寺を建てた。それが蟹満寺である。」 約束を破られた大蛇が怒り狂うのは当たり前。人間の身勝手な言動で死んでいった蛇と蟹が哀れな話だ。寺を建て経をあげ、供養すればすむ話ではなかろう。

Img_7503 本堂は改築中

奈良時代の白鳳期の末期(680年前後)に創立されたという。かつては紙幡(織)寺、加波多寺ともいわれた。「かばた」→「かむはた」→「かにまた」→「かにまん」か? もっと複雑のようだ。「かばた」は地名の綺田、この寺も秦氏にゆかりのある寺なのだろう。本尊の銅造釈迦如来坐像は国宝。足腰に霊験あらたかとか。

Img_7505家並み

Img_7506

Img_7510JR奈良線を渡る。

正面のトンネルの上を天井川の不動川が流れている。(棚倉駅の北側)

Img_7514 不動中橋から不動川

右は不動公園

Img_7523 涌出宮(わきでのみや)参道

正式には「和伎座天乃夫岐売(わきにいますあめのふきめ)神社

Img_7522涌出宮

境内全体が弥生時代の集落跡。毎年2月の居籠祭は国指定重要無形民俗文化財。

Img_7524和泉(わせん)寺

高野山真言宗山城大師。和泉式部とは関係ない。

Img_7529 鳴子橋(鳴子川)から北方向

ここも天井川だ。

Img_7530 春日神社

Img_7534椿井大塚山古墳後円部 【ルート地図】の③

左はJR奈良線の線路

Img_7535 椿井大塚山古墳の後円部へ

Img_7533 説明板

邪馬台国大和(畿内)説を強調したいような説明文だ。出土した30数面の三角縁神獣鏡は、ここ山城の地の支配者(邪馬台国ではない)だった被葬者が各地から集めたのでは。この地の支配者は古事記の崇神天皇の時の叛乱伝承(幣羅坂の所に記述)の建波邇安王(タケハニヤスノミコ)の一族ではないだろうか。ここ山城の地と交通の要衝の木津川を押さえ、ヤマト(倭)と対峙し、ヤマトが北方に進出するのを妨げ、折あらばヤマトへの進出も考えていたのではなかろうか。

Img_7536 後円部の上

Img_7537 後円部の墳頂の左側をJR奈良線が縦断している。

3世紀末から4世紀初の築造。全長約180mの前方後円墳。

Img_7539 後円部の上から

下をJR奈良線が通る。

Img_7541 線路向こうの前方部方向

前方部上には民家が建っている。

Img_7542家並み

Img_7550 松尾神社へ林の中を上って行く。

Img_7558松尾神社

大宝元年(701)の創建、拝殿は慶長15年(1610)再建、本殿は文化5年(1808)奈良春日神社若宮本殿を移築。渡来人の秦氏の建立。

Img_7559 説明板

Img_7560 由緒碑

Img_7563 本殿

Img_7564 廻照寺?

Img_7578 上狛(大里)環濠集落 【ルート地図】の④

応仁の乱の時、外敵を防ぎ、村を守った堀割の名残りに、村人が団結した山城国一揆の面影が残る長径約600m、短径約300mのレモン形の環濠集落(周囲に濠をめぐらした集落。排水、外敵からの防御、集落の境界の機能をもつ。)

Img_7577 説明板

Img_7565 大井戸

狛氏の居館跡。狛氏は高麗寺を建立した高句麗からの渡来人だろう。環濠集落内には共同井戸の郷井戸もあるはずだが見当たらず。

Img_7571西福寺

環濠集落内

Img_7570 説明板

Img_7573家並み

Img_7576

Img_7579_2 山城茶業之碑

Img_7580 碑文

Img_7581 山城茶問屋ストリート

Img_7582 円成寺

Img_7583 地蔵石仏

高さ約4.5mで、日本一の石地蔵。

永仁3年から13年以上かかって完成。応仁の乱で焼かれ、頭部と両腕は元禄3年(1690)に補われた。

Img_7584 泉橋寺、地蔵石仏説明板

Img_7585泉橋寺

奈良時代の天平13年(714)に行基によって木津川(泉川)に架けられた泉橋を守護、管理、供養するために建立された寺。橋寺ともいう。

Img_7594 泉大橋

木津川は泉川といわれた。

Img_7588 狛の渡し跡の土手上の道標

明治時代?の建てられたそれほど古くないもの。

Img_7590 狛の渡し跡・泉橋跡あたり(泉大橋から500m下流(西側)あたり)

Img_7593_2 泉橋(明治26年に架けられたもの)の橋脚の残骸が川岸や川の中に見える。

奈良時代に行基が架けたという泉橋はその後、何度も流失し、平安時代には渡し船の「狛の渡し」に変えられ、明治26年に泉橋が架けられるまで続いた。

Img_7596 木津川(泉大橋から下流方向)

鴨長明の『方丈記』の出だし部分 「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」

Img_7599大智寺

弘安年間(1278~88)に叡尊によって建てられた。真言律宗西大寺の末寺。

Img_7602 境内の絨毯のような苔

Img_7601 説明板

Img_7606和泉式部の墓のある寺(無名、無住のようだ)

平安時代の女流歌人で三十六歌仙の一人。生没年不詳。紫式部らと一条天皇の中宮彰子に仕えた。『和泉式日記』・『和泉式部集』など。恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と言われたとか。

「あらざらんこの世のほかの思い出に 今ひとたびの逢ふこともがな」 『百人一首』

Img_7607 左の「和泉式部墓」石柱の所が墓ではない。石柱の上部に「このおく」と彫られている。小野小町同様、和泉式部の墓も各地にある。

Img_7609 正覚寺

Img_7612 北向地蔵

明治初年まで北大路中央にあり、廃仏毀釈で一時、正覚寺に移され、大正5年にここに安置された。

Img_7614 天王神社

応永年中(1394~1428)、京都の八坂神社を勧請したという。

Img_7613 由緒書

Img_7615 信楽寺

Img_7618 稲荷神社

氏子がいない神社だとか。

Img_7620 道脇の石仏たち

Img_7623 幣羅(へら)坂(坂上奈良方向) 坂上に幣羅神社 【ルート地図】の⑤

古事記に登場する幣羅坂:「崇神天皇の御世、四道将軍の一人、大毘古命(オオビコノミコト)を越(こし)国を平定に向わせた。大毘古命が山城の幣羅坂まで来ると、腰裳をつけた少女が歌って言うには、「御真木入日子(ミマキイリビコ・崇神天皇のこと)はまあ、自分の命をひそかに狙っている者がこっそり伺っているのも知らないで、御真木入日子はまあ」 そして少女(天津乙女命)はたちまち姿を消した。怪しんだ大毘古命は都(磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや))へ取って返し報告すると、天皇はその歌は山城の大毘古命の異母兄の建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が叛逆するということだと言い、丸邇(和爾)臣(ワニノオミ)の祖先の日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副えて遣わした。日子国夫玖命は丸邇(和珥)坂に斎み清めた酒瓶を据えて神を祭り下って行った。山城の和言可羅河(ワカラガワ・泉川(木津川)の古名)まで来た時、建波邇安王は軍勢を整え待ち受けて行く手を遮り、川をはさんで互いに戦をしかけた。 (以下略)

 *涌出宮の居籠祭(上述)は、この戦さの戦死者の霊を鎮めるために始まったとも言われている。

Img_7627 坂下方向

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Img_7964_2 丸邇(和珥)坂伝承地(奈良県天理市和爾町)

和爾座赤坂比古神社近く
(2008年5月16日撮影)

Img_7960 和珥坂伝承地碑前の坂

Dsc04991 崇神天皇磯城瑞籬宮跡(奈良県桜井市金屋)

「山の辺の道」の平等寺の南あたり
(2000年6月23日撮影)

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Img_7629 市坂念仏石堂

Img_7631 念仏石

法然上人が念仏の功徳を証明するため、「南無阿弥陀仏」の名号の紙と、大石に向かい「名号の功徳の大きいこと石より重し」と唱えると、石は浮き、名号の紙は地にぴったり貼り付いてしまったという。

Img_7638 幣羅坂神社参道

Img_7641 幣羅坂神社

祭神は大毘古命と天津乙女命

Img_7651 文廻池

Img_7653 井関川(左)・文廻池(右)・JR奈良線(正面)

Img_7655岡田国神社

近世まで「天神社」と称していた。鳥居の扁額には「天神宮」とある。

Img_7657 跨線橋

下をJR奈良線が通る。

Img_7663_2岡田国神社

広場の舞台を中心に拝殿、本殿(左右二つ)と並ぶ珍しい形式。

Img_7660 説明板

Img_7659 岡田国神社新社殿

昭和58年竣工

Img_7667 造営記録碑(新社殿)

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2008年5月13日 (火)

山背古道-1

2008年5月13日

Img_7467 長池駅(JR奈良線)・・・森山遺跡・・・(JR奈良線)・・・大蓮寺・・・常楽寺・・・(JR奈良線)・・・中天満神社・黒土古墳・龍福寺・・・市辺天満神社・・・西生寺・・・青谷川・・・念仏寺・・・西福寺・・・宮の前橋(南谷川)・・・高神社・谷川ほたる公園・・・高橋(南谷川)・・・小野小町塚・地蔵禅院・玉津岡神社・・・椿坂(上の写真)・井出町まちづくりセンター・石橋瓦窯跡・・・橋本橋(玉川)・・・玉水駅(JR奈良線)

 京都と奈良の間、南山城の山際を緩やかにうねりながら続くのが山背(やましろ)古道で、北から京都府城陽市、井出町、木津川市(旧山城町、旧木津町)へ約25kmの道のり。
 城陽市の長池駅から木津町までの2日間のゆったりの坂道散歩です。古道のルートは道路に下の写真のようなマークや道案内標示があるが、道が分かりにくい所もあり歩くには地図が必要だ。8年前に道沿いの商店でただでもらった詳細な「山背古道探検地図」(1996年10月現在の地図)を頼りにそれほど迷うこともなく歩くことができた。

 長池駅から線路を渡って、住宅の間を上ると森山遺跡へ出る。国指定遺跡だが殺風景な感じがする。下って線路の反対側の大蓮寺は団体さんで混んでいた。境内には「甘藷元祖の墓」があるのだが早々に立ち去る。道沿いの畑にはどこも「農場監視」の板が掛かっている。なんだか監視されているような気分だ。畑の間の道を抜けると中天満神社のある集落に出る。蔵造り風の家並みの集落を抜け車道を渡ると市辺天満神社への細い静かな道となる。

 西生寺のある集落から南の青谷川沿いをしばらく進み、青谷橋から南に山城多賀駅近くの集落を抜けると今度は南谷川の流れにぶつかる。高橋から南東に上る細い道が長く、人通りもなくこのまま峠を越えてしまうのではとちょっと不安になる。少し広い車道に出ると今度は下りとなって、小野小町塚や地蔵院のある井出の集落へ道は続いて行く。
 小野小町の生誕地、墓は各地にあり、先日も厚木市で出生地という小町山にある小町神社を訪れたばかりなので親しみがわく。雲行きがだんだん怪しくなってきて雨が落ち始めてきた。それでも今日のお目当ての椿坂はすぐそこなので気は楽だ。『大和物語』ゆかりの椿坂は田畑の間をなだらかに玉川の方へ下っている。坂の周辺をあちこちうろついている間に本降りの雨になって来た。今日は棚倉駅までと思っていたが、もう5時近くで雨であたりは薄暗い。今日はここで打ち止めにして日本六玉川の一つの玉川沿いに玉水駅へ向った。

  参考:『山背古道』(山背古道探検地図も載っている。)・『城陽』(城陽市観光協会)

  【ルート地図】(山背古道から外れている所もある。)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7309_2 山背古道マーク

道路に山の形のマークがあるが、これだけを頼りに歩くのは無理。

Img_7306この道案内標示がある路面もある。

Img_7305 森山遺跡 【ルート地図】の①

縄文から古墳時代までの集落跡。

Img_7304 説明板

Img_7303 遺跡配置図

Img_7315 大蓮寺そばの民家

Img_7313 大蓮寺

寺田いも(甘藷)の元祖、嶋利兵衛の「甘藷元祖の墓」がある。サツマイモと葉っぱをあしらっているとか。

Img_7319 農場監視の掲示板があちこちに立っている。

Img_7320 山背古道は道標「二本松の碑」が立つ二又を右へ青谷梅林、中天満神社の方へ。

Img_7322 道標

Img_7326 シブガキの大木

柿渋を採るのに利用。

Img_7325 説明板

Img_7331 人も車の往来は少ない

Img_7332 このような家並みの通りも多い。

Img_7333

Img_7334 中天満神社

黒土古墳群の上に立つ。慶応3年の「おかげ踊り」の絵馬が奉納されている。

Img_7337 黒土古墳1号墳 【ルート地図】の②

6世紀後半の楕円形墳

Img_7335 説明板

Img_7342 龍福寺

中天満神社の隣りの浄土宗の寺。

Img_7346 車道を横切り進む山背古道

Img_7347 市辺天満神社へ

Img_7352 市辺(いちのべ)天満神社

由緒、沿革は不明という。城陽市市辺は大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺された市辺押磐(いちのべおしは)皇子が住んでいたとも伝わっている。

Img_7351 説明板

Img_7355 西生寺(浄土宗)

Img_7360静かできれいな道を行く。

Img_7364 青谷川を渡る。

右に小堂

Img_7369 青谷川(右)沿いの山背古道

Img_7371 車道の傍らに石祠

山背古道沿いにはこのような小祠、小堂、小石仏が多い。

Img_7376 西福寺近く

Img_7391 高神社参道の石段

木に覆われ真っ暗という感じ。

Img_7389 高神社 【ルート地図】の③

和銅4年(711)創祀とあるが定かでない。高氏の祖神か。社殿は慶長9年(1604)の再建と伝う。

Img_7396 谷川ほたる公園前の山背古道

高神社前の南谷川の宮の前橋の所。

Img_7394 井出町源氏ボタル保護条例

Img_7399_2高橋(南谷川)あたりから南東に長い上り坂となる。

Img_7400 坂下方向

Img_7401_2 坂上方向

Img_7404 ここで右に曲がって下って行く。

Img_7407 車道へ出て下りとなる。この道も長い。

Img_7415 小野小町塚、玉津岡神社の方へ畑の間を行く山背古道。

Img_7416 道案内板がある所もある。

Img_7418畑の間を通り竹林の中へ

Img_7419 薄暗い竹林を進む。

Img_7427 小野小町塚近く

右は地蔵?の小堂

Img_7431 小野小町塚 【ルート地図】の④

平安時代の歌人で六歌仙の一人。絶世の美女として逸話も多く残る。小野小町のゆかりの所は各地にある。説明板にはここのが信憑性があると言っている。

Img_7437 説明板

Img_7438 玉津岡神社、地蔵禅院の方へ上る。

Img_7443 玉津岡神社

社伝では天平3年(731)に橘諸兄が下照比売を勧請したのが創祀とする。この地方一帯の産土神。

Img_7445 地蔵禅院

Img_7448 境内から井出の里の眺望

京都百景の一つ。享保12年(1727)の植樹というシダレザクラは京都府天然記念物。

Img_7457 椿坂へ

Img_7456 「宇治茶の郷」の幟のところから右へ椿坂が下っている。

Img_7458 椿坂(坂下方向) 傾斜はゆるい.。 【ルート地図】の⑤

平安時代中期に書かれた『大和物語』の中の『井出の下帯』:「ある時、都から大和へ向う内舎人(うどねり)の男がここを通りかかり美しい少女に出会って見初めた。男は結婚を申し出て迎えに来ると約束し、二人は帯を交換した。男はすぐに少女のことは忘れてしまったが、少女は帯を大切に持ち、男を思い続けた。7、8年が過ぎ、男はまた役目で大和へ向った。途中、ここ井出の里まで来ると井戸のそばで美しい女が水を汲みながら歌っていた。「山城の井出の玉水手にむすび 頼みしかひもなき世なり。 ときかえし井出の下帯行きめぐり 逢瀬うれしき玉川の水」 物語の結末は書かれていない。男は好色な女たらしの役人だろう。歌を聞いて女との戯れの約束を思い出しただろうが、ハッピーエンドとはならなかっただろう。

Img_7459 坂上方向

昔は椿の木があったのだろう。

Img_7460井出町まちづくりセンター椿坂

火曜日は休館日

Img_7470_2 椿坂の坂下の「井出の玉川」(橋本橋から)

日本六玉川の一つ。水量が少なく「水無川」ともいう。和歌に詠まれ、山吹、蛙が名物だった。小野小町も、「色も香も なつかしきかな蛙鳴く 井出のわたりの山吹の花」と詠んだとか。

井出は橘氏の所有地で橘諸兄(たちばなもろえ)は壮麗な別業(別荘、別宅)に聖武天皇招き宴遊を催した。

Img_7465 説明板

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2008年5月 7日 (水)

厚木市の坂-7

2008年5月7日

本厚木駅(小田急線) バス→小金・・・不動坂・・・白山(しろやま)坂斜度27%の急坂・白山神社・・・愛甲競馬場跡・・・大坂⑤・・・上千頭橋(小鮎川)・・・亀井坂・・・上千頭橋・・・東坂・・・西坂・・・辻坂(丹沢御林道)・・・堀切坂・・・観音坂跡あたり・・・稲荷坂跡あたり・・・栗矢橋(小鮎川)・・・光福寺・・・光福寺バス停→本厚木駅

 恩曾川と小鮎川の間を北西に飯山観音近くまでの坂道散歩です。白山坂の途中から下っている急坂には斜度27%の標識が立っている。短い坂だが確かに急で小樽の励ましの坂(最大斜度24%・全長904m)、長崎の変電所の坂(最大斜度23%?)、東京豊島区ののぞき坂と比べても斜度だけでは遜色がないようだ。

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_7195 不動坂(坂上方向) 飯山と緑が丘5丁目の境を南東から北西に上る。【ルート地図】の①

正面右に地蔵の小祠がある。

Img_7211 地蔵祠向かい側の道祖神

いずれも道祖神で不動さんではない。

Img_7197 坂下方向

Img_7213白山(しろやま)坂【坂標】

飯山の白山地方からこのあたりに何軒かが移り住んで白山地区と呼ばれ、坂名にもなった。

Img_7212 坂上方向

県道63号の飯山の白山交差点あたりから南西から南東に下る。《地図

Img_7217 坂下方向

Img_7216 坂上方向

Img_7220 斜度27%の急坂(坂下方向)

白山坂の途中から西方向へ下る坂。《地図

Img_7221_2坂上方向

Img_7225 白山神社

Img_7230愛甲郡競馬場跡

Img_7231 駒ケ原自治会館(飯山2644)

昭和初期まで競馬場があった。駒ケ原もそれにちなんだ地名。

Img_7232 大坂⑤(坂下方向) 飯山の県道63号の千頭橋(小鮎川)から南西に上る。【ルート地図】の②

Img_7236 坂上方向

Img_7237 坂下方向

Img_7238 上千頭橋(小鮎川)から

Img_7240 亀井坂(坂上方向) 飯山の県道60号の上千頭バス停から北西に上る。《地図

Img_7243 坂下方向

Img_7246 東坂(坂上方向) 飯山の東京工芸大学グランドと校舎の間を南東からカーブして南西に上る。【ルート地図】の③

Img_7247 坂下方向

Img_7248 坂上方向

Img_7254 西坂(坂上方向) 飯山の台ノ上交差点から北から北東に下る。《地図

Img_7257 坂上方向

Img_7259 坂下方向

Img_7261 坂上の馬頭観音

Img_7268 辻坂(坂下方向) 飯山の打越バス停あたりから北東から南東に上る。【ルート地図】の④

辻はこのあたりの集落名

Img_7265_2丹沢御林(おはやし)道の道標(辻坂の坂上)

徳川幕府直轄の丹沢の山林の見回りに役人が通った道。木材、木炭の輸送路でもあった。

Img_7272 坂上方向

Img_7274 坂下方向

Img_7277 堀切坂(坂下方向) 飯山の郵便局バス停近くから北西から北東に久保橋(小鮎川)の方へ下る。 【ルート地図】の⑤

堀切はこのあたりの集落名

Img_7278 坂上方向

正面に二股の所に石造物

Img_7276 石造物

Img_7282 坂下方向

Img_7286 馬頭観音

兵隊さんが建てたようだ。

Img_7288 観音坂跡あたり 《地図

左側にお堂(観音堂?)があったというが。

Img_7290 稲荷坂跡あたり 《地図

稲荷社も見当たらず。

Img_7292 正面の物寄峠の方へ上っていたのだろう。

Img_7294 馬頭観音

Img_7295 道祖神

栗矢橋から県道60号へ上る坂の途中。もとは上の県道60号沿いにあって、道路改修の際にここに移されたようだ。

Img_7300 光福寺

境内から山門

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2008年5月 1日 (木)

筑波山・つくば道(筑波街道①)

2008年5月1日

Img_7174 つくば駅(つくばエクスプレス) 筑波山シャトルバス→筑波山神社・・・大御堂・・・筑波山神社・・・男体山登山口・・・(御幸ケ原コース)・・・男女川源流・・・男体山(871m)・・・女体山(877m)・・・(白雲橋コース)・・・セキレイ石・・・ガマ石・・・大仏岩・・・北斗岩・・・裏面大黒・・・出船入船・・・胎内くぐり・・・高天原・・・弁慶七戻り・・・白蛇弁天・・・女体山登山口・・・楠正勝墓・筑波山神社・・・つくば道・・・白瀧橋(逆川)・・・神郡の家並み(上の写真)・・・普門寺・・・つくば道道標(北条)・・・筑波庁舎 北部シャトルバス→つくば駅

 筑波山神社から御幸ケ原コースで男体山に登り、女体山から白雲橋コースで下って、つくば道を北条の町まで歩く。平日とはいえさすがゴールデンウイークの最中で、筑波山はかなりの人で賑やかだった。女体山からの下りの細い岩場の道は登ってくる遠足のような小学生やら幼稚園の子ども達の長い列が続き、下るに下れずしばし立往生。下山後、つくば道(筑波街道)へ入ると車もあまり通らず、情緒ある古い家並みが残る道となり、何度も筑波山を振り返りながらのんびりと北条の町まで歩いた。

  【ルート地図】(筑波山神社→男体山→女体山→筑波山神社は省略)

  北条の町は、「つくば市の坂-1

  写真をクリックすると拡大します。              

Img_7050_2筑波山大御堂

坂東三十三観音霊場第25番札所。

Img_7055 筑波山神社随神門

Img_7054 説明板

Img_7057 筑波山神社

Img_7056 説明板

Img_7059 楠正勝墓

Img_7058 説明板

Img_7060 男体山登山口

Img_7063 石が多い山道

Img_7064 筑波石説明板

Img_7070 男女川源流(標高約600m地点)

小倉百人一首の陽成院の歌で知られる。

Img_7069 説明板

Img_7077 男体山山頂(871m)

Img_7079 女体山頂を望む。

Img_7086ぼけ除け地蔵

Img_7087 セキレイ石

この石の上に鶺鴒(せきれい)が止まり、男女の道を教えたとか。

Img_7088 ガマ石

元来「雄龍石」といい、傍らに「雌龍石」もある。永井兵介が「ガマの油売り口上」を考え出したことでガマ石と呼ばれている。

Img_7090 大仏石

高さ15mもあり、大仏のように見える岩

Img_7091北斗岩

北斗星のように動かない岩。

Img_7095 カタクリ

Img_7097 裏面大黒

大きな袋を背負った大黒様の後姿に見える。

Img_7099 出船入船

元来「熊野の鳥居石」といわれ船玉神を祀る。石の姿が出船と入船に並んで見える。

Img_7101

Img_7104 母の胎内くぐり

筑波山禅定(修験の行)の行場の一つ。岩を抜けることで、生まれた姿に立ち返ることを意味する。

Img_7107 高天原

「神の世界」を意味し、天照大神を祀る稲村神社がある。

Img_7108 弁慶七戻り

古来「石門」といい、聖と俗を分ける門。頭上の岩が落ちそうで弁慶も七戻りしたという。

Img_7119 女体山登り口

Img_7120

Img_7124 登山口の石標

Img_7130 つくば道(筑波街道)へ

歩道橋の手前を右に下る。

Img_7133つくば道

左下は筑波山荘ユースホステル

Img_7135 右は旧筑波山郵便局

Img_7137 旧家

Img_7139 北条の町へと下って行く。

Img_7141 つくば道

静かで、昔風情のある道だ。下っているのでなおさら気分がいい。

Img_7147 筑波山神社六丁目の鳥居

ここから御座替祭(おざがわりあい)の神輿が神社まで登って行く。

Img_7153

Img_7154 道沿いには昔風の立派な家が多い。

Img_7159旧家

Img_7160 筑波山方向

何度も振り返りながら進む。右の女体山の方が少し高いのだが、男体山の方が高く見える。写真の撮り方か。

Img_7166 道標

Img_7167 男体山

稜線が下まで延びている。

Img_7168旧家

Img_7177 道標

Img_7182 普門寺

鎌倉時代、乗海上人が開基の真言宗の寺、常陸国守護小田氏の祈願寺。常陸四か寺の一つ。

Img_7191 つくば道道標の立つ北条の町角

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