奈良(記紀)の坂
2008年5月16日
JR奈良駅(桜井線)→櫟本(いちのもと)駅・・・国道169号・・・柿本寺(しほんじ)跡・和爾(わに)下神社・古墳・・・国道169号・・・弁天池・・・和爾座赤阪比古神社・・・和珥坂下伝承地(上の写真)・・・国道169号・・・かぼちゃ薬師(興願寺)・・・楢(なら)神社・・・長寺(おさでら)遺跡跡・・・高良神社・・・極楽寺・・・櫟本駅→JR奈良駅
古事記、日本書紀の伝承の坂、丸邇(ワニ)坂(和珥坂)を訪ねる。和爾下座赤阪比古神社から「和珥坂下伝承地道」の案内道標に従って行くと、未舗装の細い下り坂となって伝承地に出る。先日歩いた幣羅坂と比べればまだ古代の面影が残るところか。まあ、いずれも伝承の坂ではあるが。この先(上の写真の前方)へ下って国道169号から上ツ道(上街道)に出ようとしたが畑の間に入って行き止まってしまう。畑で作業中の人に聞いたが道は続いていないという。ちょっと残念だ。
もどって、遠回りで国道を渡ると「かぼちゃ薬師」の案内標示が出ていたので寄って見る。立派な薬師堂に薬師如来座像が安置されていた。「かぼちゃ」の由来は何なのか、説明板もないので、近くで雑草を取っていた女性に聞いたみたが分からないとの返事。これにはちょっとびっくり、情けなく、がっかり。自分の身近なものでも興味がなければこんなものか、半分得心し、半分諦めの気分。
近くの寺社に寄り櫟本駅から奈良にもどり、まだ時間があるので好天の中、遠足、修学旅行の生徒、外国人観光客と鹿で賑やかな奈良公園を散歩して、今回の坂道散歩を終了した。
写真をクリックすると拡大します。
柿本寺は柿本氏の氏寺。歌塚は柿本人麻呂の遺骨を葬るという。
和爾下神社古墳の上に祀られている。このあたり一帯は大和政権の実力者、和爾氏の本拠地。和爾下神社古墳は和爾氏の奥津城と考えられている。下の柿本寺との位置関係から柿本上社ともいわれた。
和爾下神社古墳のものだろうか?
『日本書紀』の「武烈天皇に恋人の平群(へぐり)の鮪(しび)を殺された影媛が山の辺道を乃楽(なら)山まで泣きながら行った時の歌」(和爾下神社の下にこの説明板がある。)
和爾座赤阪比古神社 《地図》
日本書紀の神武天皇の和珥坂、古事記の崇神天皇の丸邇(和爾)坂はこのあたりをいう。
左に「←和珥坂下伝承地道」の石柱に従って進む。
右下に小石仏
右に小石仏たち
日本書紀の神武天皇、古事記の崇神天皇、応神天皇に関する記述に登場する坂。
崇神天皇の時代の建波邇安王(武埴安彦)の叛乱伝承は「山背古道-2(2008年5月14日)の幣羅坂の所に記載。
この先は畑で行き止まりで国道169号には出られない。正面は積水化学の工場。
何の建物かと思った。
初成りの南瓜(かぼちゃ)を供えるのでこう呼ばれている。「癪(しゃく)の病」、「耳の病」にご利益あり。
かぼちゃ薬師のそば
祭神は五十狭芹彦命(いさせりひこのミコト)(崇神天皇の四道将軍の一人、吉備津彦命のこと)。鬼子母神で子授け長寿招福の神。
弥生時代から平安時代にかけての遺跡。奈良時代前期の創建という長(おさ)寺は渡来氏族の曰氏(オサ氏・訳氏)の寺で、オサ氏は通訳の職務にあったようだ。
高良(こうら)神社 《地図》
ここは奈良時代前期建立の長寺(おさでら)跡という。
| 固定リンク
« 葛城古道 | トップページ | 足利市(栃木県)の坂 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント