城陽市(京都府)の坂
2008年6月1日
大久保駅(近鉄京都線)・・・奈良(大和)街道・・・芭蕉塚古墳・・・久津川車塚古墳・・・平川廃寺跡・・・(JR奈良線)・・・丸塚古墳・・・大谷川・・・古墳公園(①・②・③・④・⑤)・・・芝ケ原13号墳・・・正道官衙遺跡・・・久世の鷺坂・芝ケ原遺跡・久世神社・・・水度(みと)坂・水度神社・・・(JR奈良線)・・・水度神社一の鳥居(参道入口)・玉池・夜叉ばあさんのムクノキ・・・城陽駅(JR奈良線)
万葉集に歌われた久世の鷺坂、山背古道の水度坂、古墳の街、京都と奈良の中間の五里五里の里、城陽市の坂道散歩です。芭蕉塚古墳、久津川車塚古墳は竹薮と雑木林に覆われ墳丘がはっきりしない。丸塚古墳は入れないようで、古墳公園はどれも閑静な新らしい住宅街の間の高台にあるが、今は整備、手入れがされていないようで置き去りにされている感じだ。芝ケ原13号に上る石段下には鍵が掛けられて上れない。これでは古墳の街とは呼べない。
東京文京区の鷺坂の本家、元祖が久世の鷺坂だ。もっと車の通行の多いただの車道かと思っていたが、万葉の時代とは程遠いだろうが意外に静かな坂でほっとした。やっぱり本家の坂というところか。鷺坂の坂下から南に行き、直線の長く、ゆるやかな水度坂を上る。この坂は山背古道で水度神社の境内から鴻の巣山へ上って続いている。なぜか随分、遠回りする道筋になっていたようだ。水度神社に寄り、水度坂を引き返しJRの線路を越えた所が参道の入口で一の鳥居が立つ。すぐそばにこの地の伝説にちなむ「夜叉ばあさんのムクノキ」がある。古墳公園で転んでひねった右手首が放っておいたら夜になってうずいて、腫れてきた。これも夜叉ばあさんの祟りか?
【地図】
*文京区の鷺坂は「文京区の坂-6」に記載。
*参考:『城陽市』(城陽市観光協会)
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芭蕉塚古墳(前方部の南東側から 右に後円部が続く) 【ルート地図】の③
5世紀後半の全長110mの前方後円墳。2005年の調査で東西の対称位置に造り出しがあったことが確認された。
久津川車塚古墳の外濠跡(西側) 《地図》
2005年に外濠から中世(14世紀)の瓦器片が出土。古墳が造られてから約900年もの間、外濠がむき出しのまま残っていたらしい。
5世紀前半の全長約180mの南山城最大の前方後円墳。
平川廃寺跡(金堂跡(右の石標の所)から塔方向) 《地図》
奈良時代中頃(8世紀半ば)創建。伽藍配置は東に金堂、西に塔の法隆寺式。寺域は東西175m、南北115m。塔は国分寺に匹敵する規模だった。平安時代の初めに修理、その後火災で消滅。
丸塚古墳 《地図》
久津川車塚古墳より早い5世紀初頭?の全長104mの帆立貝式前方後円墳
閑静な新興住宅街だ。
4~7世紀築造の20基の古墳群(うち前方後方墳2基)。この中の9基を古墳公園に保存。
古墳公園の位置(左上が①・右上が②・中が③その下が④・下が⑤(尼崎6号円墳)(番号は便宜上、勝手につけたもの)
古墳公園①の8号墳。全長33mの前方後方墳だが墳丘ははっきりしない。
移築、復元したもの。6世紀後半の13mの円墳の横穴石室。
芝ケ原13号墳 《地図》
芝ケ原古墳群の東端の丘陵上。直径24mの円墳。5世紀後半頃の築造か。
説明板の左隣りに古墳へ上る石段があるが、鍵が掛けてあり入れない。墳頂から回りの住宅が見えすぎるからだろうか?
5世紀の小古墳、6~7世紀の集落遺構、7世紀以降の山城国久世郡の郡衙(郡の役所)の複合遺跡。
左が南門、右の大きな建物が庁屋、その後ろに副屋、正倉が並ぶ。
役所の正門で、両側に溝が掘られ、築地塀が立っていた。
役所の中心の建物。
久世の鷺坂(坂上から) 久世神社の東側に沿って北東に上る。 【ルート地図】の⑧
日曜のせいか予想外に車の往来も少なく静かな雰囲気の残る坂だ。以前は久世神社の西の旧奈良街道(現奈良街道(県道69号)の東側の芭蕉塚古墳と久津川車塚古墳の間の道)を鷺坂としていたという。
鷺坂の由来は、①各地の残る日本武尊(ヤマトタケル)の「白鳥伝説」の一つで、タケルが死後、白鳥と化してこの地にとどまったから。(久世神社の祭神は日本武尊) ②この地は、栗隈山の支峰が、木津川の湿原に向かって突出する先端にあたるところの坂であることから、むしろ崎坂、先坂と記すべきところを、鷺坂の字を当てたことから白鳥伝説が附会された。 ①は白鳥がなぜ鷺になったのか? 色が白いことくらいしか似ていないのでは。まあ、「鷺を烏と言う」よりはましか。②は地形的なもので、各地にある「ウトウ(善知鳥)坂」と同じだ。
山背古道の水度坂を下ってこの坂を上り、宇治川を宇治の渡しで越え宇治、近江に通じていた古道の道筋。
芝ケ原丘陵の古墳時代後半から飛鳥時代の集落跡。遺跡の範囲には芝ケ原古墳郡や久世廃寺(久世神社境内)がある。
「現在地」の下の道が鷺坂
右が久世神社
「山城の久世の鷺坂 神代より 春ははりつつ 秋は散りけり」 柿本人麿歌集
万葉集 巻第九-一七〇七
鷺坂(山)、久世を詠んだ万葉歌碑(正道官衙遺跡に設置してある。)
右の2首に鷺坂山、左の3首に久世が出てくる。右から3首目が「久世の鷺坂」の歌。
本殿は保存修理中で今年の11月末竣工予定。
水度(みと)坂(坂上方向) 【ルート地図】の⑪ 水度神社から西方向にゆるやかに直線的に下る坂。
一間社流造で文永5年(1488)建築。国の重要文化財
境内から鴻の巣山(117m)へ上って行く。
「夜叉婆さん伝説」
道路の反対側が玉池。
水度神社の参道はこの一の鳥居(夜叉ばあさんのムクノキのそば)から始まり、JRの線路を越え直線的に神社まで上って行く長い緩やかな水度坂だ。
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