秩父の坂(秩父巡礼道)-4
2008年7月1日
大野原駅(秩父鉄道)・・・十九番龍石寺・・・旧秩父橋・・・二十番岩之上堂・・・県道72号・・・二十一番観音寺・・・薬師堂・・・明治巡礼古道・・・上寺尾町公会堂・・・二十二番童子堂・・・小鹿坂巡礼道・十三地蔵・小鹿坂峠・・・二十三番音楽寺・・・江戸巡礼古道(長尾根みち)・・・県道72号・・・二十四番法泉寺・・・酒蔵資料館・・・宝林院(秩父十三仏霊場)・・・県道72号・・・久那小学校・・・二十五番久昌寺・・・柳大橋(荒川)・・・一本木地蔵・・・国道140号・・・影森小学校・・・(秩父鉄道)・・・長福寺・・・元巡礼宿・・・二十六番円融寺・・・天神宮・・・昭和電工内・太子堂・琴平神社・・・岩井堂(二十六番の観音堂)・・・琴平ハイキングコース・・・護国観音(百衣観音)・・・二十七番大淵寺・・・(秩父鉄道)・・・黒沢家長屋門・・・(秩父鉄道)・・・不動堂(不動の名水)・・・浦上口駅(秩父鉄道)
二十番岩之上堂から二十七番大淵寺までの坂道散歩です。十九番龍石寺の脇を通り旧秩父橋に出る。昔の巡礼道は荒川へ下って梁場の渡しから舟で対岸へ渡り、途中に乳水場のある崖の道を上って二十番岩之上堂に向った。今は伝説のある乳水場まで下りる人は少ないようだ。二十一番観音寺の先の県道72号沿いの薬師堂の手前から二十三番音楽寺への巡礼道が上っている。明治時代末期までは二十二番はその途中にあった。今は県道の南の永田城跡にあって明治巡礼古道が通っている。
二十二番童子堂の愛嬌ある(威厳のない)仁王さんを見て、永田城の土塁跡の残る巡礼道を二十三番へ向う。県道を渡り上ると小鹿巡礼みちに入って小鹿峠への山道になる。しばらく行くと平坦な尾根道になり、左へ曲がって十三地蔵から二十三番の境内へ出る。秩父事件で決起の合図となった銅鐘をついて秩父市街地を見下ろす。駐車場の中から江戸巡礼古道へ入り、下って沢を小橋で渡るとまた上りとなる。その先、馬頭観音、二十二夜塔、弁財天碑など過ぎて桜久保沢を渡ると念仏坂の上りとなるのだが、何を勘違いしたのか沢の手前で車道に出てしまって気づかずそのまま佐久良橋から二十四番法泉寺へ出てしまった。引き返すにはかなり距離があるので今日はあきらめたが、今日唯一の坂名のある坂なので坂道散歩としては情けない。暑くて疲れてきて注意散漫になったのか二十四番から二十五番久昌寺へも途中で巡礼道からそれてしまって車道を歩くはめになった。
二十五番から二十六番円融寺へは柳大橋で荒川を渡るが、昔はここも柏木瀬の渡し(柳の渡し)で荒川を越え、影森へと入って行った。二十六番の観音堂の岩井堂への巡礼道は昭和電工の工場内に入り、琴平神社脇から約300段の石段を上るが、今日は琴平神社へ上って、その上で巡礼道に合流した。巨岩を背にして立つ岩井堂の舞台からの眺めは木々が前方を塞いでいて、武甲山の削られた山肌が一部見えるだけだった。岩井堂からは琴平ハイキングコースに入って二十七番に向う、けっこう起伏のある尾根道で疲れてきた足にはこたえる。護国観音(百衣観音)からは下りとなって、あじさいの間を下れば二十八番の大淵寺の月影堂だ。山門脇の延命水が冷たくてうまかった。もう5時を過ぎているので巡礼道を二十八番近くまで行って浦山口駅へ下った。駅のそばの不動堂にも不動の名水があった。
*参考:『秩父三十四観音霊場』(秩父札所連合会)
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
旧秩父橋(荒川) 《地図》
昭和6年竣工の鉄筋コンクリートの三連アーチ橋
明治18年竣工の洋式木橋。「簗場の渡し」があったのはこのあたりか。
現秩父橋
荒川左岸の崖上に立つ札所の中で最古の観音堂。
岩から水が落ちてきて頭を濡らすほどだ。
左下が荒川
二十一番観音寺 《地図》
別名を矢之堂という。平将門が矢を納めた、日本武尊が鏑矢を納めた、八幡大菩薩が放った矢がここに落ちた、もとは矢納村(現在の神泉村)にあった。など諸縁起がある。「火伏せ観音」として信仰を集める。
「田舎千両」と評判だった中村十九十郎の墓(二十一番の向い側)
薬師堂 《地図》
もとの二十二番は二十三番への長尾根道の途中の府坂にあった。
猫の手前を右に曲がり畑の中の道に入る。
二十二番童子堂(永福寺)に王門 《地図》
全然威厳のない表情がこっけいだ。
色がはげて胸の筋肉というより乳房のように見える。
古墳の小石室の感じだ。
頭が欠けている地蔵が並ぶ。つまりここは地蔵さんのお墓ということか。
永田城跡の土塁の上
「小鹿坂巡礼みち 徒歩40分」を行く。40分はかからない。
秩父市街地の方を向いている。
札所を開いた13人の聖者が松の梢を吹く風を菩薩の音楽と聞いたからという。
いろんな観音が浮き彫りされている。秩父事件の時、この鐘を打ち鳴らして秩父へなだれ込んだ。
右上に念仏坂がある。
天保8年(1837)建立。女の神、お産の神で、22日には女の人が集まって飲食、団欒したという。
宝暦13年(1763)の建立
「正面 櫻渡ヲ経テ秩父町・・・」
櫻渡から上るのが念仏坂だろう。
この先で江戸巡礼古道に入るはずだったが県道へ下りてしまった。
二十四番法泉寺の急な石段 《地図》
116段ある。一番上は観音堂の霊地で段数には入れない。
酒蔵資料館 《地図》
巡礼道だが、この先あたりで道を間違えて宝林院前に出てしまう。
宝林院《地図》
秩父十三仏霊場の一つで、普賢菩薩を祀る。
閻魔大王の手形の残る手判石が伝えられて、「御手判寺」ともいう。納経の際に希望すれば御手判の刷り物もらえる。これがあれば無事にあの世に行けるとか。あの世は極楽とは限らず、地獄かも知れないが。
左へ曲がり柳大橋の方へ
柳大橋 《地図》
ここも柏木瀬の渡し(柳の渡し)で渡っていた。
宝暦12年(1762)建立。「地蔵大菩薩」?の文字地蔵
『遊暦雑記』などの道中記によれば、このあたりは巡礼相手の旅籠や飲食店が軒を連ねていたという。
二十六番円融寺本堂 《地図》
本尊の聖観世音を祀る岩井堂の別当寺。今は本尊はこの寺にある。
昭和電工の工場敷地内にある。
左が巡礼道で、この先320段ほどの石段を上る。
断崖を背負うように建っている。
昭和10年建立で、高崎・大船と共に関東三大観音像の一つ。戦争が近づく頃で、左手に蓮華の代わりに剣を持ち、護国観音と呼ぶ。二十七番の観音像はもとはこのあたりにあった。今はここが奥の院。
このあたりにカタクリの群生地がある。
昔は山の上に堂があり、月の眺めがよかったことから「月影堂」と名づけられた。
この水を飲めば33ヶ月長生きするという。
影森用水跡(山門脇)
上影森村の名主が私財で引いた飲料水などの生活用水路。それまでは、「嫁にゆくなら影森ゃおよし 水もないのに米もない」と歌われるほど水に苦労していたという。
右は、「右二七番 左大宮四里」
左は、「正面 二十八番鍾乳洞ニ至ル」
二十八番橋立堂は橋立鍾乳洞の所にある。
二十八番へは車道へ出て左に上る。浦山口駅には右に下る。
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