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2008年7月16日 (水)

秩父の坂(秩父巡礼道)-7

2008年7月12日

Img_0530_2西武秩父駅(西武池袋線) バス→小鹿野町役場・・・白山神社・・・大ケヤキ・・・金園橋(赤平川)・・・こんせい(金精)宮・・・大日峠巡礼道・・・大日峠・・・諏訪神社・・・三十二番法性寺・・・聖天宮(秩父大神社)・・・落合橋(般若川)・・・日本武神社・・・荻平橋(長留川)・・・県道43号・・・松井田橋(山口沢)・・・泉龍寺・・・国道299号・・・赤平橋(赤平川)・・・県道283号・・・二十三夜堂・泉田会館・・・妙見宮・・・奈倉橋(赤平川)・・・三十三番菊水寺・・・桜井橋(赤平川)・・・取方交差点・永法寺・・・番戸橋(赤平川)・・・(秋葉神社?)・・・柴宮神社・・・県道270号・・・奈良川橋(赤平川)・・・平石馬頭尊堂・・・頼母沢・・・札立峠・・・三十四番水潜寺・皆野町営バス→皆野駅

 昨日の続きで、秩父札所の三十二番から結願寺の三十四番までの坂道散歩です。小鹿野町役場前から赤平川へ下って金園橋を渡り、こんせい(金精)宮の小堂を過ぎて左へ三十二番への大日峠越えの山道へ入る。ここにも「熊出没注意」の標識が架かっている。薄暗い山道を一人で上って行くのは気持ちのいいものではない。足早に大日如来の石像が座っている峠まで上りつめる。下って車道に出て左に行くと三十二番法性寺は近い。まだ9時前なのに参拝者も多い。

 三十三番へは東へ県道?に出て北へ向い、日本武神社の先から江戸巡礼古道に入る。巡礼道はこの先の民家の脇を通って下って赤平川を渡っていたようだが道筋がはっきりせず、車道を進み、萩平橋で長留川を渡って上り、県道43号に出て北へ行くと、国道299号の松井田バス停近くへ出た。赤平橋を渡って泉田交差点の手前で県道283号に入る。泉田会館のそばの二十三夜堂の前から三十三番の標識に従って斜めに入る。巡礼古道はもっと先の大徳院の所から下って赤平川を渡っていたらしい。仁王門がある妙見宮を過ぎ、奈倉橋を渡り北へ進むと元巡礼宿が見えてくる。その前が三十三番菊水寺だ。

 さあ結願寺の三十四番へ最後の一踏ん張りと言いたいところだが、札立峠まで上らねばならないし、峠から水潜寺まで下りの道もけっこうきつい。予定では三十三番から北に進み永法寺の前を西に吉田下橋で赤平川を渡り、平石馬頭尊堂の脇から藤芝の集落の方へ上って頼母沢から札立峠へ向うコースだった。永法寺の前まで来ると東の方向にも道が伸びていた。こっちの方が少し近道のようだ。持っていた1/25000の地図は1992年発行のもので、この道は載っていない。番号の変わっている県道もある。やっぱり地図はケチらないで最新の物を携帯すべきだ。広い車道をどんどん進むが、どのあたりを歩いているのか分からない。とにかく奈良川橋で赤平川を渡らねばならないのだが。結局行き過ぎて中大田のバス停まで行ってやっと道筋が飲み込めた。

 奈良川橋を渡り、平石馬頭尊堂脇の切通しの苔むした崖の坂(上の写真)を上って細い巡礼道に入り、頼母沢の集落あたりで水抜からの道と合流して札立峠へ最後の上りだ。とにかく暑い、少し風のある所で何度も休みながらの行軍だ。途中で会った人たちとは、お互いに「暑いですね」の繰り返しだ。峠の頂上に着き一安心、一休みして、沢沿いの道を一気に下って、やっと水潜寺の屋根が見えてきた時はほっとした。

 三十四番水潜寺は結願寺だし、本尊開帳の最後の土曜日でもあり、境内と周辺は人と車でいっぱいだ。今は結願の水垢離の水は潜らず、近くの満願の湯につかって帰る人たちが多いようだ。水潜寺から皆野駅までの町営バスの本数は少ないので、これから7kmくらい歩くのを覚悟していたが、30分ほど待つだけでバスが来た。バスは混んで、途中の「満願の湯」からは満員状態だった。

 今日の秩父地方の最高気温は34.2度だった。500mlのお茶のペットボトルを4本飲んだが、思ったより楽に歩けた。(終わってみればの話だが) これも一番から三十四番まで完歩したご利益だろうか。

  参考:『秩父三十四観音霊場』(秩父札所連合会)

  【ルート地図】(三十二番への大日峠越えの山道と、平石馬頭尊堂から札立峠を越えて三十四番までの山道のルートは正確ではない。)

 写真をクリックすると拡大します。

Img_0403 案内板

現在地から大日峠越えで三十二番へ。

Img_0406 白山神社

車の後ろに小祠がある。

Img_0408 大ケヤキ

Img_0412赤平川へ下る途中

右石垣上に地蔵菩薩道標

Img_0410 地蔵さん

安永4年(1775)建立、台座の左側面に「右三十二番みち」とあるそうだ。

Img_0413 金園橋へ下って行く。

Img_0414 金園橋から赤平川 《地図

今日は赤平川を何度も渡る。

Img_0417小判沢に沿って上る。

Img_0419 こんせい(金精)宮

男根をまつった神で、御神体は男根に似た自然石、または石・金属・木で男根を形どったもの。五穀豊穣・子孫繁栄・子宝・安産・縁結びなどにご利益あり。金精大明神、かなまら様、などともいう。

Img_0420 石棒の男根の金精さま

Img_0423 大日峠越えの巡礼道(左)へ入る。

入口近くに「熊出没注意」の掲示板が掛かっていて、誰も通っていない薄暗い中、一人で歩くのは気分のいいものではない。

Img_0425 薄暗い山道を上る。

熊でも出そうな雰囲気だ。口笛を吹き、歌いながら上る。そこまでしなくてもいいだろうとは思いながら。

Img_0427 明るくなって大日峠は近い

Img_0428 大日峠の石造大日如来座像

峠上からの見晴らしはない。

Img_0430 峠から下りとなる。

下りになるとなぜかもう熊は出ないと思うようになる。同じ山道で熊の出る確率は同じだろうが。

Img_0433 六十六部塔

Img_0434 柿の久保の集落に出て左に曲がる。

Img_0435 地蔵と笠付き石塔道標

右側面に「順禮道」・左側面に「左山道」

Img_0436 諏訪神社

柿の久保集落の鎮守。社殿は宝永3年(1706)の再建という。

Img_0439 三十二番法性寺 【ルート地図】の①

「般若山」の扁額をかかげた山門は、札所では唯一の鐘楼門。

Img_0442 観音堂

宝永4年(1707年)の建立という。

Img_0445 舞台造りはここと二十六番岩井堂

Img_0448 長享二年(1488)の秩父札所番付(県指定文化財)

札所の数は33ヶ寺だった。順番も江戸時代、現在のものとは違う。

Img_0453 聖天宮

札所32番の近くに歓喜天を祀った聖天社が起源と伝える。棟札には寛政8年(1796)に再建と記す。神仏分離後は、「秩父大神社」と改称された。

Img_0450 説明板

Img_0464 秩父の山並み

Img_0465 日本武(ヤマトタケル)神社

「尊」はついていない。平成10年築造の新社殿。

このあたりに、「お塚」と呼ばれる直径15mほどの円墳があり、伝説の「羊太夫」の墓という言い伝えがあるが見逃した。

Img_0466 神社の先から右へ入る

Img_0468 道標(大正8年建立)

「→小鹿野下吉田方面道」

Img_0469 弁財天?と前は?

Img_0472                    

萩平橋(長留川)へ下って行く。

Img_0474_2 萩平橋 《地図

Img_0484 泉龍寺(国道299号松井田バス停そば)

Img_0486 赤平橋から赤平川 《地図

Img_0487

二十三夜堂 【ルート地図】の②

泉田会館のそば

Img_0489 二十三夜堂内

月の化身と考えられていた「勢至菩薩」を祀った石塔。

Img_0495 妙見宮 《地図

妙見宮の創立は永禄元年(1558)奈倉氏が秩父の妙見菩薩(秩父神社)を勧請したものと伝える。神仏分離後、仁王像は大徳院に移されたが、大正時代にここにに戻って妙見宮を守護している。

Img_0493 説明板

Img_0497 奈倉橋から赤平川《地図

Img_0499三十三番前の元巡礼宿

Img_0501 三十三番菊水寺 【ルート地図】の③

Img_0502 説明板

Img_0503 芭蕉句碑

寛保年間(1741~49)に建てられた、秩父で最も古い句碑だとか。

「寒菊や こぬかのかかる 臼のはた」

どこに刻まれているのか分からず。

Img_0507 桜井橋から赤平川 《地図

Img_0512 道標

「左三十四番」

Img_0516 番戸橋から赤平川 《地図

Img_0520 ゆるやかに上る。

Img_0522_2   

急な石段の上に秋葉神社?があるが暑そうで上らず。

Img_0523 庚申塔

Img_0527 奈良川橋から赤平川 《地図

Img_0528 平石馬頭尊堂 【ルート地図】の④

元禄の頃、修験者「一山宗念」が、「水月庵」を結び、宝永8年(1711)に馬頭観世音を安置したと伝える。

Img_0529 馬頭尊堂から上っていく巡礼道

左の崖の苔が見事だ。

Img_0531_3 じゅうたんのような苔 

Img_0532 石造物

Img_0533 江戸巡礼古道(右)へ入る。

Img_0535 江戸巡礼古道

Img_0538 道標か

Img_0540 頼母沢の集落へ下る。

Img_0546 札立峠への巡礼道(右)に入る。

Img_0548 上って札立峠へ

Img_0553 峠茶屋跡

札立峠のすぐ下にあり、巡礼相手に茶や団子を出した。

Img_0555 札立峠

天長年間(824~834)の頃、東国は大干ばつになり、人々は苦しんでいた。一人の旅の僧が、峠の茶屋で一休みしていた時この話を聞き、茶屋の主人から一枚の板を借りて、「澍甘露法雨(じゅかんろ ほうう)」と書いた札を峠の頂上に立てた。そして「この言葉を唱え毎日、観音菩薩に祈りなさい」と教えた。茶屋の主人は農民たちにこのことを伝え、皆でこの言葉を唱えた。すると雨は降り出し、水は湧き出し豊作になったという。『秩父の伝説』より

Img_0554 説明板

Img_0559 水潜寺へ下って行く。

Img_0561 札立峠越えで三十四番に向う人たちも多い。

Img_0562 三十四番へ着いた。

Img_0563 三十四番水潜寺 【ルート地図】の⑤

本尊開帳の最後の土曜日で晴天で、すごい人出だ。バス、マイカーで来る人が多いが。

Img_0565 巡礼たちは左奥の岩窟の清水で結願の水垢離をして、胎内くぐりの清めと再生の儀礼を行ない笈を解いて俗世にかえったといわれる。寺名の「水潜り」はこれに由来する。

現在は立入り禁止

Img_0566 説明板

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2008年7月14日 (月)

秩父の坂(秩父巡礼道)-6

2008年7月11日

Img_0178白久駅(秩父鉄道)・・・玉姫稲荷・・・三十番から三十一番への江戸巡礼古道・・・古井戸跡・・・秩父往還・・・薬師堂・・・二見沢橋・・・円通寺入口・・・中野地蔵尊入口・・・(秩父鉄道をくぐる)・・・道標(太陽寺・巡礼道分岐)・・・六所神社・・・六所橋・・・栃の木坂(右の写真は坂下の荒川の栃の木坂の渡し跡あたり)・・・栃の木坂・・・(秩父鉄道をくぐる)・・・三峰駅・・・白川橋(荒川)・・・国道140号(彩甲斐街道)・・・贄川(にえがわ)宿・・・御堂鐘地蔵尊・江戸巡礼古道・・・荒川西小学校・・・県道37号(皆野・両神・荒川線)・・・江戸巡礼古道・・・贄川・・・県道37号・・・双神トンネル・・・八坂宮・・・馬坂・・・県道37号・・・小森橋(小森川)・・・薬師の湯・・・法養寺薬師堂・両神神社・・・両神庁舎・両神中学校・・・江戸巡礼古道・・・薄(すすき)川・・・(県道両神小鹿野線)・・・権五郎落峠・・・飯田橋(赤平川)・・・国道299号・・・三田川郵便局・・・宮平橋(岩殿沢)・・・三十一番入口道標・・・大日堂・・・たらちね観音(光珠院)・・・地蔵寺・・・観音山トンネル・・・三十一番観音院・・・国道299号・・・十一面観音堂・・・小鹿野町役場・小鹿神社旧本殿・小鹿野町役場前バス停→西武秩父駅

 秩父札所三十番から三十一番への長い坂道散歩です。白久駅からの三十番への上り坂の途中で江戸巡礼古道に入る。秩父往還に出て、秩父鉄道をくぐり、太陽寺の道標から右へ巡礼道を進む。栃の木坂を下って荒川に出る。栃の木坂の渡しがあったところだ。浅瀬を渡れなくもないが、対岸の道も工事中のようではっきりせず引き返し、秩父鉄道沿いに三峰駅に出る。

 荒川を白川橋で越えると贄川宿で、御堂鐘地蔵尊の所から江戸巡礼古道に入る。荒川西小学校の脇を上って峠を下り、県道37号に出る。少し北に進み、贄川へ下る江戸巡礼古道へ入る。贄川までやぶ蚊にまとわりつかれながら下り、川を渡って上って行くがまた贄川?に出てしまう。行ったり来たり何度か流れを渡っても道が分からず県道まで引き返すことにしたが、最初に渡った所が分からず、あっちこっちへウロウロ、おまけに滑って片足を川の流れに入れてしまい情けない。なんとか県道まで戻ったが、ロスタイムと暑い中、消耗度は大きい。

 単調な県道歩きが続くが、歩道もついているし車はほとんど通らないのが救いだ。双神トンネルを抜け、大指のバス停を過ぎると下りとなって、小鹿野町の道路標識が掛かっている。両神村のはずだがと思ったが、3年前に合併していた。
 江戸巡礼古道は馬坂を上って小森川へ下りて川を渡っていたようだが、道標もなく道筋もはっきりしないので県道に戻って、小森橋で小森川を渡る。レトロチックな建物が並ぶ三叉路を過ぎると、多くの巡礼達が立ち寄った法養寺薬師堂で、ここがやっと三十一番までの中間点あたりだ。両神庁舎の所で県道を離れ江戸巡礼古道に入る。薄川にゆるやかに下り、切通しの急坂を上るこの道は古道の面影を残していて、ずっと県道を歩いてきたのでほっとする気分だ。

 さて次ぎは権五郎落峠を越える。名前から急な山道の峠越えだろうと覚悟していた。「権五郎落し」の由来も「権五郎という山賊がこの峠を通る旅人を襲い、身ぐるみ剥いで峠から突き落とした。」なんて想像していた。ところが傾斜もさほどでないただの広い車道で峠の上からの眺望もきかず、名前の由来もたわいのないもの(後述)でちょっとガッカリ、拍子抜けだが疲れてきた足には歩きやすいのを感謝すべきか。峠を下り、赤平川を渡り、国道299号を東に進み、三田川郵便局から江戸巡礼古道に入り、岩殿沢の宮平橋を渡ると、栗尾から来る三十一番への上り坂に出る。

 長くゆるやかに上って、途中に大日堂、地蔵寺の水子地蔵などを見ながら観音山トンネルを巡礼道で迂回して過ぎると三十一番観音寺の仁王門が見えてきた。ほっとするのも束の間、仁王門から観音堂までは252段の石段がこたえる。涼しげな聖浄の滝を見ながら観音堂前のベンチで一休みする。後は、栗尾まで下りと小鹿野町役場までの平坦な道なので気が楽だ。国道299号から小鹿野町の広いメイン通りに入る。このあたりは古来、武蔵、上野、甲斐、信濃への交通の要衝で市場町として栄えてきた。今でも古い建物の商店、旅館なども残り、けっこう賑やかな明るい商店街という感じだ。

 明日は秩父札所の坂道散歩の最後で、ここから大日峠越えで三十二番へ出て三十三番へ向い、札立峠越えで結願寺の三十四番まで歩く予定だ。今日以上の距離があるかも。今日の秩父地方の最高気温は30.5度だった。明日はもっと暑くなるらしい。途中の峠越えや、道に迷って熱中症でぶっ倒れたりしないだろうかなど考えながら、まだ西日が強い中、小鹿野役場前からバスで西武秩父駅に向った。

  参考:『秩父三十四観音霊場』(秩父札所連合会)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0143 玉姫稲荷

白久駅から三十番法雲寺への途中。

Img_0147

江戸巡礼古道(玉姫稲荷の少し先から右へ入る。)

小祠の先に巡礼達ものどを潤したという湧き水の古井戸があるが、汚れがひどく写真は撮らず。

Img_0149 道標庚申塔

安永9年(1780)建立で、「右三十番」とある。左は二十三夜塔?

Img_0150 薬師堂

秩父往還沿い

Img_0151 二見沢橋

秩父往還を三峰駅の方へ下って行く。

Img_0159 正面に道標

Img_0160 道標「東国高野大日向山入口」(文化6年(1809)建立)

高野大日向山は太陽寺(秩父十三仏霊場の11番)で左へ、江戸巡礼古道は右へ栃の木坂を下って、「栃の木坂の渡し」で荒川を渡っていた。

Img_0161 道標の下の注意書きのプレート

「荒川は渡れません・・・」とある。それでも栃の木坂はあるだろうから行ってみる。

Img_0164 六所神社

新しい小社だ。六所大神は、麻疹(はしか、疫病除けの神。

Img_0163 説明板

Img_0165 六所橋

江戸巡礼古道に架けられた土橋だった。往時はもっと低い位置に架けられていた。

Img_0170 栃の木坂【ルート地図】の①

荒川へ下る坂。

Img_0186_2 坂下方向

左崖上に地蔵さん

Img_0179 栃の木坂の渡し跡あたりの荒川。

巡礼道はここを渡り、八幡坂を上っていた。

浅いので渡れないこともないが、対岸の道は工事中のようで、上れるかはっきりしないので引き返す。

Img_0189 三峰口駅(秩父鉄道)

Img_0193

白川橋から荒川 《地図

Img_0196 贄川宿へ

左へ上る。

Img_0198 贄川宿説明板

Img_0199 巡礼道は秩父甲州往還、渡船場は「栃の木坂の渡し」(八幡の渡し)で、荒川最上流にあった渡船場で、昭和4年に白川橋ができるまで続いた。巡礼道は荒川を渡って、八幡坂を上った。八幡坂がどうなっているかは未確認。

Img_0200 御堂鐘(みどうがね)地蔵尊

宝暦7年(1757)にこの先を上った巡礼道に建てられたものを平成7年にここに移した。

Img_0201 由来碑

三十一番へはここから三里(12km)とある。

Img_0202 御堂鐘地蔵尊

Img_0206 江戸巡礼古道

苔が見事だ。

Img_0208 荒川西小学校(右)の所に出て上りとなる。

Img_0210 もとはこの坂上近くに御堂鐘地蔵はあった。

Img_0211庚申塔

もとは2基あって、道標庚申塔(享保13年(1728))は御堂鐘地蔵のところへ移された。

Img_0215 下りとなって県道37号へ

Img_0218 県道37号

この先で、江戸巡礼古道は右へ贄川へと下って行く。手前は国道140号方向へ工事中。

Img_0217 県道と国道をつなぐ新しい道路?

Img_0221 江戸巡礼古道へ入る。

Img_0222 始めは気分のいい道だが、急な下りとなって贄川に出る。

Img_0225 贄川を渡る

Img_0227 渡って上る。この道を行けばいいはずだが・・・

後で調べてもこの道らしいが、この先、消滅寸前の道筋もあるようだ。

Img_0228 また流れに出てしまった。この後も何度か流れを渡っているうちに分からなくなって、引き返すのに苦労した。おまけに滑って片足はズブ濡れになった。

Img_0233 双神トンネルを抜ける。 《地図

Img_0234 旧家

Img_0236 下って小鹿野町へ入る。

両神村だと思っていたが、2005年10月に小鹿野町と合併した。

Img_0241 八坂宮

県道沿いの小さな社

Img_0245 馬坂(坂下から) 【ルート地図】の②

左の石垣上に地蔵や二十三夜塔が立つ。

Img_0246 地蔵、二十三夜塔

Img_0247 坂上方向

Img_0250 坂下方向

Img_0256 小森橋から小森川 《地図

Img_0257 レトロな建物が並ぶ両神山、旧荒川村への三叉路 《地図

Img_0260旧家

Img_0261 近藤酒店

大正時代からの日本酒造所。現在は観光スポットとしての資料館。

Img_0266 法養寺薬師堂仁王門 【ルート地図】の③

このあたりが、巡礼道の三十番から三十一番への中間点らしい。マラソンの折り返し地点のようにまだ先が長い。

Img_0268 説明板

Img_0267 法養寺薬師堂

室町時代の創建の古刹で、戦国時代に鉢形城主北条氏邦が古堂を移築したものと伝えられている。眼の病にご利益があり、「山の薬師」として庶民の信仰が厚い。仁王門の前に日本三体薬師尊の石柱が立っているが、日本三体薬師がどこなのか分からず。本尊の薬師如来は秩父十三仏の一つ。

Img_0275 二十三夜塔(両神庁舎の西側)

道標も兼ねている。「三十一ばんみち」とある。

Img_0278 両神中学校の西側を入って下って行く巡礼道。

Img_0280 下って薄(すすき)川へ

Img_0281 中央に橋が見える。

Img_0283 木橋を渡る

流れはすぐ下だ。

Img_0284 薄川

Img_0286 渡って急な上りとなる。

Img_0291 権五郎落峠

三田川と両神を結ぶ重要な峠道で、昔は狭く上り下りの激しい峠だった。

Img_0292 竹内いしの墓

峠へ上りはじめてすぐ左側にこの説明板があるが、墓は見当たらない。

Img_0293 ゆるやかに上って行く。

Img_0295 峠の最高点 【ルート地図】の④

両側は切通しの崖で眺めはない。

由来話① ある時、「ごんごろう」さんが馬を引いて峠を越そうとして足を踏みはずし、谷底へゴンゴロ、ゴンゴロと落ちてしまった。それから「ごんごろう落とし峠」となった。由来話②「昔、村人が峠を越そうとして、悪路に足を滑らせ持っていた大切な五合の品物(米だったとも)を落としてしまった。それ以来、「五合落とし峠」になった。『秩父の伝説』より
山賊か鎌倉権五郎にゆかりのある峠かとも思っていたが、見当はずれだった。

Img_0297 峠から赤平川へ下る。

こちらの方が急だ。

Img_0299 飯田橋(赤平川)

突当たりは国道299号

Img_0301 赤平川

Img_0315千部供養塔道標(三田川郵便局の所?)

左側面に「三十一番道」

Img_0320 岩殿沢を宮平橋で渡る。

往時の巡礼道は橋の手前で岩殿沢へ下り、沢を渡って対岸の斜面を上っていた。

Img_0324 三十一番への道標(安永9年(1780)の建立)

巡礼道古道はここへ出た。右側面に、「従是二十五丁」とある。

Img_0325 こんな注意書も

けっこう新しい感じだ。

Img_0332 大日堂

Img_0333 大日如来

Img_0367 たらちね観音(光珠院)

昭和43年にできた新しい宗教法人

Img_0366 説明板

Img_0337 地蔵寺

ぎっしり並ぶ小さな水子地蔵。道路の反対側にもある。

Img_0339 観音山トンネルを迂回する巡礼道。

馬頭観音と観音さんが立つ前を左に入る。

Img_0363 巡礼古道

Img_0341 トンネルの反対側へ出る。

大した距離ではない。

Img_0345 三十一番観音院仁王門

札所随一の高さ4m以上の仁王の石像。ここから252段の石段を上る。

Img_0346 説明板

Img_0352 観音堂 【ルート地図】の⑤

Img_0350 聖浄の滝

昔はもっと水量も豊富で、行者が水垢離(みずごり)した落差が60mほどの滝。

こちらも暑くて水浴びがしたい気分だ。

Img_0360 不動明王

滝下の池のそばに立つ。

Img_0356 磨崖仏

秩父地方で唯一の磨崖仏だが、風化摩滅が激しくはっきり見えない。俗に「十万八千仏」といい、室町時代の製作と推定されている。

Img_0355 小さな仏が彫られている。

Img_0354 説明板

Img_0369_2 三十一番から下って国道299号(正面)へ出る。

Img_0372_2 十一面観音堂

栗尾バス停そば

Img_0374 十一面観世音菩薩

顔が・・・

Img_0380 小鹿野町の通り

Img_0383 十輪寺仁王門

仁王(金剛力士像)は室町時代の作という。

Img_0382 指定文化財説明板

Img_0387 小鹿野町の通り

Img_0388 醤油店

Img_0389 本陣壽旅館

明和2年に代官の出役所として発足したのが創業の端緒。
平成23年10月に小鹿野町観光交流館になったようだ。

Img_0390 由来書

Img_0391太田甘池堂

「古代秩父練羊羹」の店

Img_0396 小鹿神社旧本殿 《地図

小鹿野町役場の裏にある。小鹿神社は、明治43年の洪水等により小鹿野1432へ移転し、本殿はそのまま残された。桁行142.0 ㎝、梁間153.0 ㎝、流造り、唐破風と千鳥破風の向拝が付き、精巧な彫刻を施した社殿である。

Img_0394_2 読みづらい説明板

Img_0398 馬頭観音(中央)(安永5年(1776))の建立

小鹿野町役場の東側の県道沿い。

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2008年7月 2日 (水)

秩父の坂(秩父巡礼道)-5

2008年7月2日

Img_0031 浦山口駅(秩父鉄道)・・・光西寺・・・二十八番橋立堂・・・諸下橋(橋立川)・・・旧名主家・諸の高札場跡・地蔵尊・・・諸の翁塚・・・諸上橋(浦山川)・・・花御堂橋・・・二十九番長泉院・・・清雲寺・若御子神社・・・(武州中川駅)・・・彩甲斐街道(国道140号・秩父往還)・・・即道薬師堂・・・安谷川・・・(武州日野駅)・・・秩父往還旧道・・・延命地蔵菩薩・・・将門橋(押手沢)・・・薬師堂・・・湯ノ入橋(湯ノ入沢)・・・薬師堂・・・高橋(谷津川)・・・(秩父鉄道)・・・笠間稲荷・・・三十番法雲寺・・・三十一番観音院への分岐・・・白久駅(秩父鉄道)

 梅雨の晴れ間の蒸し暑い中を秩父札所二十八番橋立堂から三十番法雲寺までの坂道散歩です。札所より鍾乳洞の方が有名な二十八番から諸下橋を渡り、左に上って旧名主家、高札場跡、地蔵尊が残る細い巡礼道を行く。この先で二十九番への古い巡礼道は浦山川のキャンプ場へ下り、川を渡るのだが道筋がはっきりせず。諸の翁塚の前を通る道を行く。浦山ダムが近づいてくる所で諸上橋を渡って坂(上の写真)を上ると、参道の入口に見事なシダレザクラの木が立つ二十九番長泉寺に出る。

 三十番へ向う途中の法雲寺前のシダレザクラ(エドヒガンザクラ)は県下で最大という。この寺は幕末に法雲寺事件があった所だ。地蔵道標などが並ぶ廃寺跡から右に入り、武州中川駅のそばで秩父鉄道を渡り、国道140号(秩父往還)に出て西に進む。安谷川を越え、武州日野駅を過ぎ、左に秩父往還の旧道に入る。薬師堂を過ぎ将門橋を渡り、谷津川の高橋から秩父鉄道を渡り、江戸巡礼古道に入り途中に道祖神の小祠のある林間を上る。しばらく行くと白久駅からの巡礼道と合流して三十番へと上って行く。本尊の如意輪観音は楊貴妃観音とも呼ばれ、マリア観音もあるエキゾチックな三十番法雲寺から白久駅に下った。途中で三十一番への江戸巡礼古道が分かれていた。三十一番までは20km近くあるようだ。7月に入り梅雨の湿気と暑さが増してきた。もう坂道散歩の季節ではないのだろう。本尊総開帳は今月18日まで、ちょうど梅雨明けの頃か。それまでには三十四番まで歩くつもりだが。

  参考:『秩父三十四観音霊場』(秩父札所連合会)

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_9978 浦山口駅から二十八番橋立堂への巡礼道

電柱下に道標:左裏面に「みぎ二十八番」

Img_9981 右側の光西寺の前に地蔵の小祠

Img_0002_2 二十八番橋立堂 【ルート地図】の①

大石灰岩の真下に立つ観音堂。堂の左下が橋立鍾乳洞の入口。

Img_9992 説明板

Img_9997 観音堂

本尊は馬頭観音

Img_9994 馬堂

Img_9995 白馬と栗毛馬の彫像

左甚五郎の作とする木札が打ちつけられている。

Img_0007 諸下橋(橋立川)

Img_0010 巡礼道は県道を離れ左へ上る。

Img_0011 旧名主家(左)とヒバの木(正面)

Img_0013 諸の高札場跡(右)・地蔵菩薩(左奥) 【ルート地図】の②

Img_0014 高札場の説明板

Img_0015 土台の石が残っている。

向い側には地蔵が立っている。

Img_0017 石の道標は「みぎ 二十九番 ひだり 日原」・新しいアクリルプレートの道標は、「←29番寺」

右へ曲がる巡礼道は、県道を横切り、浦山川のキャンプ場へ下り、川を渡り上って二十九番へ向うのだが、キャンプ場への下り口が分からず。新道の方を進んだ。

Img_0023 諸の翁塚 《地図

「草臥(くたび)れて 宿かる頃や 藤の花」 芭蕉

もとは諸下橋の脇にあった。

Img_0024 説明板

Img_0029 諸上橋から浦山ダム

Img_0030 諸上橋から二十九番へ上る坂 【ルート地図】の③

Img_0034 二十九番長泉院前のシダレザクラ

Img_0036 長泉院の参道入口 《地図

右は延命地蔵

Img_0038 説明板

Img_0041 本堂(観音堂)

別名を「石札堂」

Img_0052 清雲寺前の枝垂性のエドヒガンザクラ 《地図

埼玉県内で最も巨大という。

Img_0053 説明板

Img_0045 本堂

Img_0048清雲寺事件説明板

Img_0062 若御子神社

神武天皇を祀る。南に若御子山(853m)がそびえる。

Img_0056 由来書

Img_0057 若御子断層洞説明板

Img_0067 寺院跡に並ぶ石造物

右端の頭の欠けた地蔵は台座に、「右三十番」とある。明和7年(1770)銘がある。

Img_0068 三十番への江戸巡礼古道

Img_0069 分岐に立つ巳待塔(宝暦3年(1753))と道標「→札所三十番道」

Img_0073 武州中川駅(写真の右手前)近く

Img_0077 薬師堂 《地図

Img_0074 説明板

Img_0075_2薬師如来立像

上半身は隠されていたようだ。写真が切れているのではない。作者の即道は駿足だったといい、伝説の羊太夫を思い出した。上田野の薬師堂のそばには即道神社があり、即道の爪彫りの文字石が祀られているという。

Img_0081 馬頭観音(嘉永5年(1852))

国道140号沿い

Img_0083 国道140号から離れ左へ秩父往還の旧道へ入る。

Img_0086 分岐点の道標(三峰山講中の建立)

右側面に「三峰山新道」・左側面に「左旧道」

Img_0087 延命地蔵菩薩(宝暦14年(1764))

台座に「右浄光寺道 左大宮道」とあるそうだ。浄光寺は秩父鉄道の南側にある、大宮は秩父市街地。

Img_0088 将門橋の方へ下って行く巡礼道

Img_0090_2 将門橋 【ルート地図】の④

この橋の由来話はどのようなものなのか?手前右の馬頭観音がある。渡った左側にもある。

Img_0095 薬師堂

薬師像と馬頭観音(文化3年(1806))と地蔵が2体。

Img_0096 小さな木造薬師如来座像

Img_0099 秩父鉄道沿いの巡礼道

「熊出没注意」の看板

Img_0104 薬師堂

今にも崩れそうだ。薬師像があったかは未確認。

Img_0110白久の串人形の看板

三十番の縁日や神社の祭礼などで人形芝居が演じられた。

Img_0114 高橋(谷津川)手前の馬頭観音

享和3年(1803)

Img_0115 民家の脇を入る巡礼道

Img_0116 手前に立つ馬頭観音

Img_0118 笠間稲荷の小祠

Img_0119 林間を上る巡礼道

Img_0123 双体道祖神

平成になってここに移設されたもの。

Img_0124三十番へ車道へ出て右に上る。

Img_0131 三十番法雲寺 【ルート地図】の⑤

Img_0130 説明板

Img_0134 観音堂

本尊は唐の玄宗皇帝の作と伝え、楊貴妃観音とも呼ばれる如意輪観音で、開祖の道陰物恵禅師が楊貴妃の鏡とともに、中国から当寺へ伝えたという。
マリア観音と呼ばれる石像もあるというが見逃した。

Img_0139 三十一番への道標

白久駅へ下る途中から左へ入る。

Img_0140 三十一番への江戸巡礼古道

三十番から三十一番への間が秩父札所の中で一番距離がある。それでも18kmほどで、四国の札所に比べれば大したことはないが。

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2008年7月 1日 (火)

秩父の坂(秩父巡礼道)-4

2008年7月1日

大野原駅(秩父鉄道)・・・十九番龍石寺・・・旧秩父橋・・・二十番岩之上堂・・・県道72号・・・二十一番観音寺・・・薬師堂・・・明治巡礼古道・・・上寺尾町公会堂・・・二十二番童子堂・・・小鹿坂巡礼道・十三地蔵・小鹿坂峠・・・二十三番音楽寺・・・江戸巡礼古道(長尾根みち)・・・県道72号・・・二十四番法泉寺・・・酒蔵資料館・・・宝林院(秩父十三仏霊場)・・・県道72号・・・久那小学校・・・二十五番久昌寺・・・柳大橋(荒川)・・・一本木地蔵・・・国道140号・・・影森小学校・・・(秩父鉄道)・・・長福寺・・・元巡礼宿・・・二十六番円融寺・・・天神宮・・・昭和電工内・太子堂・琴平神社・・・岩井堂(二十六番の観音堂)・・・琴平ハイキングコース・・・護国観音(百衣観音)・・・二十七番大淵寺・・・(秩父鉄道)・・・黒沢家長屋門・・・(秩父鉄道)・・・不動堂(不動の名水)・・・浦上口駅(秩父鉄道)

 二十番岩之上堂から二十七番大淵寺までの坂道散歩です。十九番龍石寺の脇を通り旧秩父橋に出る。昔の巡礼道は荒川へ下って梁場の渡しから舟で対岸へ渡り、途中に乳水場のある崖の道を上って二十番岩之上堂に向った。今は伝説のある乳水場まで下りる人は少ないようだ。二十一番観音寺の先の県道72号沿いの薬師堂の手前から二十三番音楽寺への巡礼道が上っている。明治時代末期までは二十二番はその途中にあった。今は県道の南の永田城跡にあって明治巡礼古道が通っている。

 二十二番童子堂の愛嬌ある(威厳のない)仁王さんを見て、永田城の土塁跡の残る巡礼道を二十三番へ向う。県道を渡り上ると小鹿巡礼みちに入って小鹿峠への山道になる。しばらく行くと平坦な尾根道になり、左へ曲がって十三地蔵から二十三番の境内へ出る。秩父事件で決起の合図となった銅鐘をついて秩父市街地を見下ろす。駐車場の中から江戸巡礼古道へ入り、下って沢を小橋で渡るとまた上りとなる。その先、馬頭観音、二十二夜塔、弁財天碑など過ぎて桜久保沢を渡ると念仏坂の上りとなるのだが、何を勘違いしたのか沢の手前で車道に出てしまって気づかずそのまま佐久良橋から二十四番法泉寺へ出てしまった。引き返すにはかなり距離があるので今日はあきらめたが、今日唯一の坂名のある坂なので坂道散歩としては情けない。暑くて疲れてきて注意散漫になったのか二十四番から二十五番久昌寺へも途中で巡礼道からそれてしまって車道を歩くはめになった。

 二十五番から二十六番円融寺へは柳大橋で荒川を渡るが、昔はここも柏木瀬の渡し(柳の渡し)で荒川を越え、影森へと入って行った。二十六番の観音堂の岩井堂への巡礼道は昭和電工の工場内に入り、琴平神社脇から約300段の石段を上るが、今日は琴平神社へ上って、その上で巡礼道に合流した。巨岩を背にして立つ岩井堂の舞台からの眺めは木々が前方を塞いでいて、武甲山の削られた山肌が一部見えるだけだった。岩井堂からは琴平ハイキングコースに入って二十七番に向う、けっこう起伏のある尾根道で疲れてきた足にはこたえる。護国観音(百衣観音)からは下りとなって、あじさいの間を下れば二十八番の大淵寺の月影堂だ。山門脇の延命水が冷たくてうまかった。もう5時を過ぎているので巡礼道を二十八番近くまで行って浦山口駅へ下った。駅のそばの不動堂にも不動の名水があった。

  参考:『秩父三十四観音霊場』(秩父札所連合会)

  【ルート地図】(二十三番と二十四番の間、二十六番(岩井堂)と二十七番の間は正確ではない。)

 写真をクリックすると拡大します。

Img_9619 旧秩父橋(荒川) 《地図

昭和6年竣工の鉄筋コンクリートの三連アーチ橋

Img_9617 説明板

Img_9623 初代の秩父橋の橋脚

明治18年竣工の洋式木橋。「簗場の渡し」があったのはこのあたりか。

Img_9621 旧秩父橋から荒川下流方向。

Img_9629

現秩父橋

Img_9634 二十番岩之上堂 【ルート地図】の①

荒川左岸の崖上に立つ札所の中で最古の観音堂。

Img_9633 説明板

Img_9640 乳水場

岩から水が落ちてきて頭を濡らすほどだ。

Img_9639 乳水場伝説由来

Img_9646 江戸巡礼古道(寺尾みち)

左下が荒川

Img_9649 二十一番観音寺 《地図

別名を矢之堂という。平将門が矢を納めた、日本武尊が鏑矢を納めた、八幡大菩薩が放った矢がここに落ちた、もとは矢納村(現在の神泉村)にあった。など諸縁起がある。「火伏せ観音」として信仰を集める。

Img_9651 説明板

Img_9652 宝篋印塔(宝暦14年建立)と地蔵さん

Img_9654 「田舎千両」と評判だった中村十九十郎の墓(二十一番の向い側)

Img_9655説明板

Img_9656 薬師堂 《地図

Img_9657 薬師如来立像

Img_9658 薬師堂の手前の道標

もとの二十二番は二十三番への長尾根道の途中の府坂にあった。

Img_9662 現在の二十二番童子堂への明治巡礼古道

猫の手前を右に曲がり畑の中の道に入る。

Img_9664 畑の中を行く

Img_9669 県道に出ると二十二番入口の地蔵さん

Img_9670 坂を下って上ると左側に二十二番

Img_9671 二十二番童子堂(永福寺)に王門 《地図

Img_9673 阿像

全然威厳のない表情がこっけいだ。

Img_9674 吽像

色がはげて胸の筋肉というより乳房のように見える。

Img_9677 観音堂

Img_9672 説明板

Img_9679 地蔵塚

古墳の小石室の感じだ。

Img_9680 頭が欠けている地蔵が並ぶ。つまりここは地蔵さんのお墓ということか。

Img_9681 二十三番への巡礼道

Img_9686 地蔵の小祠

永田城跡の土塁の上

Img_9687 土塁跡

Img_9690 武之鼻橋と武甲山

Img_9691 案内板

「小鹿坂巡礼みち 徒歩40分」を行く。40分はかからない。

Img_9696 小鹿坂巡礼みち

Img_9699 山道を上る。

Img_9700 平坦地へ出て左へ

Img_9702 気持ちのいい道だ。

Img_9703 明るい所へ出る。

Img_9705 十三地蔵(十三権者の石仏)

秩父市街地の方を向いている。

Img_9718 二十三番音楽寺 【ルート地図】の②

札所を開いた13人の聖者が松の梢を吹く風を菩薩の音楽と聞いたからという。

Img_9720説明板

Img_9716 銅鐘

いろんな観音が浮き彫りされている。秩父事件の時、この鐘を打ち鳴らして秩父へなだれ込んだ。

Img_9711 説明板

Img_9712 銅鐘から秩父市街地

Img_9724 江戸巡礼古道案内図(二十三番から二十四番へ)

右上に念仏坂がある。

Img_9728 駐車場の中から巡礼道へ入る。

Img_9731 二十四番への江戸巡礼古道

Img_9735 下って小橋を渡る。

Img_9740 上りとなる。

Img_9743 馬頭観音

Img_9749 二十二夜塔(左)

天保8年(1837)建立。女の神、お産の神で、22日には女の人が集まって飲食、団欒したという。

Img_9754車道へ出て上る。

Img_9756 弁財天

宝暦13年(1763)の建立

Img_9760 弁財天と道標の間を下って行く。

Img_9762 道標(大正時代の建立)

「正面 櫻渡ヲ経テ秩父町・・・」

櫻渡から上るのが念仏坂だろう。

Img_9770 車道へ出て下る。

この先で江戸巡礼古道に入るはずだったが県道へ下りてしまった。

Img_9782 県道72号、左正面は佐久良橋(荒川)

Img_9793 二十四番法泉寺の急な石段 《地図

116段ある。一番上は観音堂の霊地で段数には入れない。

Img_9784 説明板

Img_9788 観音堂

Img_9800 県道72号から荒川、武甲山

Img_9802 江戸巡礼古道へ入る

Img_9803 馬頭観音

Img_9809 右側は高いコンクリートの壁?

Img_9810_2小トンネルをくぐる。

Img_9812 酒蔵資料館 《地図

Img_9811 説明板

Img_9816 江戸巡礼古道へ入る。

Img_9818 巡礼道だが、この先あたりで道を間違えて宝林院前に出てしまう。

Img_9821 宝林院へ下る新道

Img_9828 宝林院《地図

秩父十三仏霊場の一つで、普賢菩薩を祀る。

Img_9825 説明板

Img_9829 下って県道72号へ

Img_9832 武甲山

Img_9833 二十五番(正面)へ

Img_9836 二十五番久昌寺 【ルート地図】の③

Img_9840 山門

閻魔大王の手形の残る手判石が伝えられて、「御手判寺」ともいう。納経の際に希望すれば御手判の刷り物もらえる。これがあれば無事にあの世に行けるとか。あの世は極楽とは限らず、地獄かも知れないが。

Img_9844 観音堂

Img_9850 脱衣婆か

Img_9845 弁天池から本堂

Img_9846 本堂

Img_9858 二十六番への道標(正面左)

左へ曲がり柳大橋の方へ

Img_9863 柳大橋へ下って行く。

Img_9869 柳大橋 《地図

ここも柏木瀬の渡し(柳の渡し)で渡っていた。

Img_9871 荒川上流方向

Img_9880 柳橋を渡りしばらく行くと長い上りとなる。

Img_9883 一本木地蔵(坂上近く)

宝暦12年(1762)建立。「地蔵大菩薩」?の文字地蔵

Img_9891 長福寺の墓地前

Img_9893 元巡礼宿浅見家

『遊暦雑記』などの道中記によれば、このあたりは巡礼相手の旅籠や飲食店が軒を連ねていたという。

Img_9894 長福寺前

Img_9897 案内図

Img_9899 二十六番円融寺本堂 《地図

本尊の聖観世音を祀る岩井堂の別当寺。今は本尊はこの寺にある。

Img_9900 説明板

Img_9902 「景清牢破りの納額」説明板

Img_9903 天神宮

Img_9905 琴平神社 

昭和電工の工場敷地内にある。

Img_9906 案内図

Img_9907太子堂

左が巡礼道で、この先320段ほどの石段を上る。

Img_9910 琴平神社

Img_9913 説明板

Img_9921 岩井堂(二十六番の観音堂) 【ルート地図】の④

断崖を背負うように建っている。

Img_9925 堂裏の石仏

Img_9931 琴平ハイキングコース

Img_9935 尾根道

Img_9939 蛇のような木の根っこの岩を上る。

Img_9940 護国観音(百衣観音)へ岩を上る。

Img_9941 護国観音(百衣観音)

昭和10年建立で、高崎・大船と共に関東三大観音像の一つ。戦争が近づく頃で、左手に蓮華の代わりに剣を持ち、護国観音と呼ぶ。二十七番の観音像はもとはこのあたりにあった。今はここが奥の院。

Img_9942 護国観音前から

Img_9945 ここからは二十七番へ下りとなる。

Img_9948 あじさいロードだ

このあたりにカタクリの群生地がある。

Img_9958 二十七番大淵寺 【ルート地図】の⑤

昔は山の上に堂があり、月の眺めがよかったことから「月影堂」と名づけられた。

Img_9963 説明板

Img_9961 延命水

この水を飲めば33ヶ月長生きするという。

Img_9960 説明板

Img_9962 山門

Img_9965影森用水跡(山門脇)

上影森村の名主が私財で引いた飲料水などの生活用水路。それまでは、「嫁にゆくなら影森ゃおよし 水もないのに米もない」と歌われるほど水に苦労していたという。

Img_9964 説明板

Img_9967 黒沢家長屋門

Img_9968 二十八番への巡礼道

Img_9969 道標

右は、「右二七番 左大宮四里」

左は、「正面 二十八番鍾乳洞ニ至ル」

Img_9971 案内図

二十八番橋立堂は橋立鍾乳洞の所にある。

Img_9972 巡礼道

二十八番へは車道へ出て左に上る。浦山口駅には右に下る。

 

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