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2008年9月 3日 (水)

四国遍路道(香川県-2)

2008年8月25日

みの駅(予讃線)・・・県道220号・・・浜堂川・・・水谷川・・・・・・八丁目大師堂・・・道の駅ふれあいパークみの・・・71番弥谷寺(いやだにじ)・・・(高松自動車道)・・・大池・上池・・・国道11号・烏坂(峠)・・・七仏寺(番外霊場)・・・県道48号・・・72番曼荼羅寺・・・73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)・・・柳の水・・・世坂・・・不食芋(くわずいも)・・・西行腰掛石・・・捨身ケ嶽本堂・・・捨身ケ嶽禅定(番外霊場)・・・世坂・73番・72番・・・74番甲山寺・・・中谷川・・・犬塚・・・75番善通寺・・・鎌倉神社・・・仙遊寺(番外霊場)・・・(土讃線)・・・(高松自動車道)・・・76番金倉寺(こんぞうじ)・・・葛原(かずはら)八幡神社・・・浄蓮寺・・・77番道隆寺・・・県道21号・・・幸橋(金倉川)・・・天満天神社・・・塩屋橋(西汐入川)・・・北向地蔵・・・丸亀城・見返り坂・・・本陣跡・・・丸亀駅(予讃線)

 みの駅から県道220号を進み遍路道に入る。緩やかに上って八丁目大師堂、ふれあいパークみのを過ぎると道端に石仏が並ぶ薄暗い道となり、古来死霊の登る弥谷山(382m)の弥谷寺に続く。仁王門手前の死者との「喰い別れの茶屋」の俳句茶屋は閉まっていた。歩き遍路が少ないからか。ところてんでも食おうかと思っていたのに。百八階段を上り、さらに本堂へと石段が続く。歩いて上ってくるとこの寺の持つ死霊のイメージがよく分かる。(気がする。)

 俳句茶屋前から72番への遍路道に入る。やぶ蚊に追われながら下って大池と上池の間を抜けると国道11号の烏坂の坂下近くに出る。右へ上れば烏坂峠だ。左に行き番外霊場の七仏寺から72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へ上り道となる。曼荼羅寺の不老松(笠松)は平成14年に松喰い虫によって枯れてしまっていた。大師さんの力も松喰い虫には及ばず、松も不老とはいかないということだろう。
 出釈迦寺から我拝師山の捨身ケ嶽禅定へ上る。柳の水を過ぎると、世坂の急坂となってカーブしながら上って行く。捨身ケ嶽本堂から下界の眺望を楽しんだ後、本堂裏手から急な岩場を鎖を頼りに登って、大師投身誓願の聖地まで100m足らずのひと登りだ。でも雨が降っていたら登らなかっただろう。(翌日からはずっと雨だった) 
 73番前の坂口屋で一休み。あるじと小雨、水不足の話になる。渇水は慢性的なようだ。でも明日は雨になるらしい。歩くのには困るが、けっこうなことだろう。(だが結局降っても水不足は全然解消しなかったのだから降らない方がよかった。) 冷やしうどん(すいか小片3つとおしんこつき)で250円は安い。これも「お接待」だろう。

 地図のコピーを落としてしまい、来た道を72番まで戻って74番甲山寺へ向う途中で迷ってしまった。甲山寺は改築工事中で新しい堂もできるようだ。ここから番外霊場仙遊寺に寄って75番善通寺へ行く予定だったが、仙遊寺が分からない。民家のおばさんに聞いてもそんな寺は聞いたことがないという。実際は200mも離れていなかったのだが。仙遊寺は後回しにして75番善通寺に向う。町中の大寺で京都、奈良の寺と同じ雰囲気で面白味はない。遍路より普通の観光客が全然多い。まあ自分も遍路ではなく、ただの物見遊山の一人だろうが。早々に切り上げ仙遊寺へ最挑戦だ。結局、何度も通った犬塚の近くの宅地造成工事中?の一画にあった。だいぶ時間をロスして76番金倉寺へ向う。

 土讃線、県道25号を越え、遍路道に入り高松自動車道をくぐって76番金倉寺へ着く。弘法大師の甥(姪の子という説もある。)の智証大師が誕生した寺で、天台宗というのが面白い。「乃木将軍妻返しの松」があるというが見逃した(あまり見る気もなかったが。) まだ松喰い虫に喰われ枯れてはいないようだ。77番道隆寺への途中の小さな社の前で、自転車に乗ったお爺さんから声を掛けられた。聞き取りにくかったが77番までの道筋を説明し、途中まで一緒に行ってやるということらしい。社に寄って何の神社か確かめたかったし、77番までの道は大体分かるので礼を言って断ったが、なかなかしつこい。まあ、「お接待」のつもりなのだろう。「お接待」は断ってはいけないというが、断るべき時、断りたい時は断ればいい。まして自分は遍路ではなく、遍路道の散歩者で札所の寺は通過点、チェックポイント、休憩所に過ぎないのだから。こんなことを考えながら、少し心に引っかかりを感じつつ77番道隆寺の仁王門をくぐった。

 朝の7時過ぎから歩きだし、弥谷寺、捨身ケ嶽禅定とかなり高い所を上り下りし、途中道に迷って大回りをしたこともありかなり疲れてきた。道隆寺から多度津駅まで戻ろうかとも思ったが、丸亀駅までは2駅で丸亀まで歩けば明日の行程が楽になるので、歩道はついているが歩きにくい県道21号を進み金倉川、西汐入川を渡り、南に入り北向地蔵から丸亀城へ向った。もう5時近くで閉門しているかと思ったが城内の遊歩道へは入れた。ウオーキングをしている人もいる。目当ての見返り坂を上り、夕刻間近な丸亀市街、讃岐冨士、丸亀港の景色を眺め城を出て、本陣跡から丸亀駅に向った。

  【ルート地図】(630→647)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0813 71番弥谷寺への遍路道

石灯籠、道路向こうに道標が立つ。

Img_0814 緩やかに上って行く。

Img_0815 車道へ出て振り返る。

今日もいい天気だ。

Img_0817 八丁目大師堂 【ルート地図】の630

Img_0821 薄暗い道になる。

Img_0825 両側に並ぶ石仏

Img_0826 車道に出ると「ふれあいパークみの」

Img_0828 弥谷寺石段下

死霊が登って行くのにふさわしく薄暗く不気味だ。

Img_0831 俳句茶屋(左)

死者との「喰い別れの茶屋」

遍路宿だったが、今は茶店だけのようだ。閉まっているが中でテレビの音がする。

Img_0832 71番剣五山弥谷寺の仁王門

【ル-ト地図】の632

大師が修行中、天から五柄の剣が降る霊を感じて剣五山。

Img_0837 百八階段

死霊の108の煩悩を1段づつ上りながら消していくのか。死霊に煩悩はあるのか?そもそも死霊は存在するのか?

Img_0850 十王堂

死者の生前の罪業を裁く、閻魔大王ら十王が並ぶ。

Img_0838 境内案内図

Img_0839 天霧城跡への標識

天霧峠から下って虚空蔵寺から海岸寺、仏母院の方へ抜けられる。

Img_0843 境内から

Img_0844 本堂 

本尊は千手観音

Img_0846 磨崖仏

平安から鎌倉時代に彫られたもの。弘法大師、あるいは一遍上人の作ともいうが。

Img_0848 説明板

Img_0851 大師堂

奥に「獅子の岩窟」といわれる行場がある。大師が求聞持法を修行した所。

Img_0829 俳句茶屋の前から直進して72番・73番へ向う遍路道

Img_0855 竹林の間を下る。

Img_0857 ため池の脇を通り

Img_0860 大池の西側を抜ける。

Img_0863細い遍路道を抜けて国道11号の烏坂へ

Img_0864 烏坂(とさか) 《地図

前方の烏坂峠へと上る国道11号

Img_0866 七仏寺(番外霊場) 《地図》(薬師堂と標示)

弘法大師が石仏本尊(薬師如来)を刻し開創。本堂(正面奥)は文化3年(1806)の建立で、古来、女性の乳の出が良くなる霊験ありという。

Img_0873_272番曼荼羅寺への遍路道から我拝師山(左・481m)と奥の院の捨身ケ嶽本堂(の所)

右は五岳山の一つ中山か。

Img_0875 72番我拝師山曼荼羅寺本堂 

【ル-ト地図】の635

Img_0876 西行昼寝石と笠懸桜

Img_0880 笠松大師

枯れた「不老の松」の幹から作られた。

Img_0881 由来

Img_0879 ありし日の不老の松(笠松)

Img_0891 73番我拝師山出釈迦寺の捨身ケ嶽遥拝所

Img_0889 説明板

Img_0899 柳の水

不治の病をも治す霊験水とか。三体の石仏の前に湧き水が貯まっている。

Img_0900 世坂 

73番出釈迦寺から奥の院の捨身ケ嶽へ上る参道の坂。72番曼荼羅寺は元は世坂寺といった。

Img_0955 坂下方向

庵治石の石灯籠が並ぶ。

Img_0957 不食芋(くわずいも)

Img_0906世坂

未舗装の遍路道に入り上る。

Img_0907 西行腰掛石

Img_0910 途中から

Img_0914 坂下方向

Img_0919 坂上近くから

Img_0923 捨身ケ嶽(73番奥の院)

後ろは我拝師山

Img_0932 本堂

Img_0926 瀬戸内海の眺め

Img_0928_2 

Img_0933 本堂裏から岩場を登る。

Img_0934 鎖場を登る

Img_0947 下を見ると

Img_0935 瀬戸内海

Img_0938 捨身ケ嶽禅定 【ルート地図】の637

弘法大師が7歳の時、衆生済度の誓願をかけ身を投じたという断崖上の大師像。

Img_0939 「捨身誓願之聖地」

7歳の大師がここから身を投じると天女が受け止めたとか。

Img_0943 下を見るとこんな感じだ。

Img_0959_2 74番甲山寺へ

Img_0960_2 我拝師山方向

Img_0961_2 74番医王山甲山寺

【ル-ト地図】の638

Img_0962_2 本堂

Img_0963_2 毘沙門天堂

Img_0971_15犬塚(仙遊寺の南)

【ル-ト地図】の639

鎌倉時代の笠塔婆だが、大師が飼い犬を埋めたという伝説もある。このあたりは仙遊ケ原といい、大師の子どもの頃の遊び場だった。

Img_0970_2 説明板

Img_0972_2 75番五岳山善通寺

【ル-ト地図】の640

済世橋

五岳山とは、香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山。

Img_0973_2 由来

Img_0974_2 境内案内図

Img_0977 仁王門

Img_0975_2 大師堂(御影堂)

ここが大師出生の地とされているが、海岸寺とする説もあり、近くの仏母院は大師の母の玉依御前の屋敷跡で、「えな塚」、「産湯の井戸」がある。

Img_0982 五重塔

「うれ稲はればれ塔が見えだした」 山頭火

「塔をめあてにまつすぐまいる」 山頭火  これなら私も作れそうだが。

Img_0980_2 本堂(金堂)

Img_0981 説明板

Img_0985_2 大楠

Img_0983_2 説明板

Img_0986_3 南大門

Img_0987_2 鎌倉神社 《地図

鎌倉権五郎を祀った神社がこんな所にあろうとは。鎌倉市に鎌倉権五郎神社(御霊神社)がある。(鎌倉市の坂-4に記載) また伊勢街道の鈴鹿市には鎌倉権五郎塚がある。『伊勢街道①

Img_0989_3 由来書

Img_0992_2仙遊寺(番外霊場) 《地図

このあたりは大師の幼い頃の遊び場で、仙遊ケ原地蔵堂という名だった。

Img_0991_2 縁起

Img_0993_2 76番金倉寺へ

土讃線を渡る。

Img_0995_2 76番へ

Img_0999_2 76番鶏足山金倉寺仁王門

【ル-ト地図】の642

Img_1000_2 本堂

Img_1007_2 77番道隆寺へ

右奥の橋のようなのは総合運動施設というのだが?

Img_1009_2 葛原正八幡神社 《地図

Img_1012 本堂と大楠(左)

Img_1010_2 説明板

Img_1018_2 77番へ

右に地蔵堂

Img_1023_2 77番桑多山道隆寺

【ル-ト地図】の644

正面が本堂、右が大師堂

Img_1024 多宝塔

天正3年(1574)長宗我部元親により焼かれた五重塔の跡に昭和55年に建てられた。

Img_1025もどり観音

Img_1026_3 由来書

Img_1030_2 天満天神社 《地図

Img_1029_2 由来書

Img_1034 北向地蔵堂(正面) 《地図》(もう一本南の角かも)

Img_1042_2丸亀城

【ル-ト地図】の646

Img_1044_2 城内案内図

中央下、右から左上に上るのが「みかえり(見返り)坂」↓の所

坂の途中に「帰厚の碑」がある。金沢(石川県)の「帰厚坂」を思い出した。

Img_1045_2 見返り坂(坂下から) 

Img_1047_3 坂上方向

右は三の丸の高石垣

Img_1054_2 右の山は別名を讃岐冨士の飯野山(421m)

Img_1058_2 丸亀港、瀬戸内海方向

Img_1071_2 丸亀本陣跡?

【ル-ト地図】の647

Img_1073_2 「史蹟 本陣址地」か

Img_1075まちの駅秋寅の館

旧秋山寅吉商店   

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