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2008年9月 9日 (火)

四国遍路道(香川県-4)

2008年8月27日

Img_1333_3 瓦町駅(琴電)・・・国道11号(志度街道)・・・向良神社・・下千代橋(御坊川)・・・新詰田川橋(詰田川)・・・新春日川橋(春日川)・・・新川大橋(新川)・・・大橋(相引川)・・・県道150号・・・潟元駅(琴電)・・・県道14号・・・道池(新池)・・・ 遍照院・・・屋島御加持水(番外霊場)・・・不喰梨(くわずなし・番外霊場)・・・畳石・・・84番屋島寺・獅子の霊厳・屋島城跡・血の池・・・(屋島ドライブウエイ)・・・佐藤継信の墓・・・安徳天皇社・・・菊王丸の墓・・・北向地蔵堂・・・義経弓流し・・・高橋(相引川)・・・洲崎寺(番外霊場)・・・県道146号・・・85番八栗寺・・・県道145号・・・大谷池・・・六万寺(番外霊場)・・・(六万寺駅)・・・(大町駅)・国道11号・・・(八栗新道駅)・・・(塩屋駅)・・・(房前駅)・・・(原駅)・・・平賀源内旧宅・・・地蔵寺(番外霊場)・・・常楽寺・86番志度寺・・・琴電志度駅

 今日も雨だ。雷、突風も吹くというので予定を変更し、源平合戦ゆかりの屋島へ向うことにした。84番屋島寺、85番八栗寺ともけっこう高い所にあるが、未舗装の遍路道は短いのでなんとかなるだろう。高松市街を国道11号を東へ、何本目かの川を渡り、潟元駅から屋島寺への上りとなる。起伏と変化のある道はウオーキングには格好なようで、雨にもかかわらず地元の人が軽装で行き交う。

 屋島寺はお遍路より、普通の観光客が多いというがこの天気で人出も少ない。かわらけ投げができる標高300m近い獅子の霊厳の展望台あたりは海からの風で寒いくらいだ。高松市街、瀬戸内海に浮かぶ鬼ケ島の女木島などの眺望を楽しんだ後、屋島城跡から血の池を通り、85番八栗寺への急坂の旧遍路道に入る。正面に八栗山(五剣山)の岩峰が見え、真下は檀ノ浦(源平屋島の合戦の「那須与一の扇の的」、「義経弓流し」などの話が伝わる所。平家が滅んだ壇ノ浦は下関の関門海峡)だ。(上の写真は屋島ドライブウエイを横切り、ガードレールの切れ目から直線的に下る遍路道。) 下ってまた八栗山を上り返すのはきついなと思いながらゆっくり下るが、急坂でおまけに雨でつるつるだ。案の定、滑ってビニール傘をついたら心棒から折れてしまった。注意深く、慎重に下っても滑るのだからたまらない。坂下あたりから源平合戦ゆかりの所が続く。「義経弓流し」の案内板の向かいのセルフうどん店で休憩し、高橋を渡り、洲崎寺から八栗寺へと上り始める。

 遍路道の所々に地蔵さんが立っている。遍路は地蔵さんを拝んではいけないという話があったような。地蔵さんに掛けられた願いを全部背負って行くことになるからとかいう理由だったと思う。別にかまいやしない、けちなことは言わない。全部背負って、引きずって行こうじゃないか。なんて、偉そうに。屋島寺へのケーブルカーは休業中だが、ここのは動いている。たいした距離でもないのにけっこう乗る人がいるようだ。八栗寺はバスの団体さんや車で来る人で混んでいた。皆、完全無欠な遍路姿で一部のスキもないが、雨の中、歩いてやっとここまで来て休んでいると、この人たちは何を考えて札所を回っているのだろうかと思ってしまう。今ではこっちが遍路でなく変路なのだろう。

 休憩もそこそこに86番志度寺への遍路道に入る。急な車道の下り坂だが車も通らず、雨でも寺の境内にいるより遍路道を歩いていた方がずっと気分がいい。志度寺との分岐の道標から六万寺に向う。両側の草むらからマムシでも出そうな雰囲気ではあるが、この道もなかなかいい。マムシの代わりにカタツムリが雨に濡れた道の真ん中を這っていた。六万寺は安徳天皇の行在所だった所で、何となく寂れた感じがいい。ここから六万寺駅までが今日の予定であったがまだ夕刻には間がある。国道11号を琴電沿いに東へ志度寺まで行くことにする。単調な国道歩きを続け、お遍路休憩所の辻から遍路道に入る。原駅の先の平賀源内旧宅、地蔵寺を過ぎると遍路宿が並び、突当たりが86番志度寺だ。

 志度湾沿いのこの寺はもとは「死度道場」といい、藤原家と海女にまつわる伝承の「海女の墓」がある。謡曲「海士の墓」の題材にもなったこの墓の前で、墓守(もちろんボランティアで5年前くらいから清掃などをしているという。)のあばあさんと、雨とやぶ蚊に苦労しながらしばし雑談。あばあさんは蚊に食われないようだ。これも精進の差か。遍路姿も前を通るが墓には注意を払わず足も止めない。まあ、そんなもんだろう。今日は琴電志度線の始点の瓦町から屋島、八栗山と大回りして、終点の志度駅まで歩いたことになる。雨もそんなに気にならなくなったと言いたいところだが、暑くてもやっぱり晴れていたほうがいい。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1234 向良神社(松島町) 【ルート地図】の①

讃岐三白(砂糖、塩、木綿)のうち、和三盆と呼ばれる砂糖の開発者二人が祭神。今では塩に替わって讃岐うどんか。

神社前の松島の通りは讃岐五街道の一つで、玉藻城(高松城)から志度方面に通じ、浜街道、東下道と呼ばれていた。

Img_1232 由緒

Img_1233 向良神社前の通り

Img_1237琴電(国道11号沿い)

瓦町←(琴電屋島)→琴電志度の「ことちゃん源平号」 この電車は大町止まり。「rua」のICカードが便利。

Img_1242 屋島方向(新春日川橋から)

屋根のように上部が平坦なので屋島というそうだ。

Img_1250 地蔵祠(大橋の所)

潟元駅近く

Img_1254 84番屋島寺へ

Img_1260 道池 《地図

通称「新池」、江戸時代に築造されたため池。

Img_1255 説明板

Img_1256 道池の堤の地蔵

享保11年(1726年)の銘があり、池の築造時に人柱の代わりに建立されたという説がある。

Img_1261 遍照院

Img_1269 遊歩道のような道になって上る。

雨でも健康ウオーキングをしている人が多い。

Img_1271 加持水(番外霊場)

Img_1270 由来

Img_1273 不喰梨(くわずなし)(番外霊場)

石標の後ろの木はヤブツバキ(左)・イロハモミジ(右)で梨ではなし。73番出釈迦寺から捨身ケ嶽禅定への途中の世坂には、同じ由来の「不食芋」があった。ちょっと意地悪をされたくらいで、貴重な食料を食べられなくするなんて弘法さんも度量が狭いよ。

Img_1272 由来

Img_1276 由来書そばの石仏

Img_1278 木々に覆われた坂道を屋島寺へ。

Img_1280 畳石

畳のような形の岩が重なる。中央下の割れている石は西行の歌碑で、「宿りしてここに仮寝のたたみ石 月はこよひの主なりけり」と刻まれているらしい。西行は屋島寺へ来たことがあるのだろうか?

Img_1283 84番南面屋島寺 《地図

鑑真和上の開基。

Img_1287 由緒

Img_1286 案内図

Img_1290 大師堂

Img_1314 境内(血の池近くから)

Img_1288 狸の蓑山大明神

太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸とともに日本三名狸で四国の総大将狸。水商売、夫婦円満、子宝、縁結びの神。

この狸は屋島寺の住職代わりの時は、屋島合戦の模様を鳴り物入りで演じたという。日清、日露の戦争に多くの乾分(子分)を連れて出征し、大いに働いた後、死んだとかいう話もある。

Img_1289由来碑

Img_1292 獅子の霊厳から(高松市街、玉藻公園・栗林公園方向)

この下の断崖に獅子の頭に似た岩が突き出していて、それを獅子の霊巌と呼ぶ。大師が屋島寺本堂の建立の際、工事の途中で日が沈みかけた。この霊巌に立った大師が扇で夕日を招き返し、一日で工事を完成させたと伝える。近くに談古嶺、遊鶴亭の展望所がある。

Img_1293 瀬戸内海の展望

右奥が瀬戸大橋

Img_1304 女木島(鬼ケ島)(左)・男木島(右)

Img_1310 説明板

Img_1313屋島城跡

Img_1312 説明板

Img_1316 血の池 【ルート地図】の②

Img_1315 説明板

Img_1317 「血を薄め 花清々(すがすが)し はすの池」(駄句烏)

Img_1324 五剣山(八栗山)

下の屋島湾の檀ノ浦(源平屋島の合戦の「那須与一の扇の的」、「義経弓流し」、「平家の舟隠し」の話が残る。)まで下りて五剣山の85番八栗寺まで上り返す。

平家が滅んだノ浦は下関の関門海峡。『山陽道(長府駅→下関駅)

夜景展望」(屋島談古嶺から檀ノ浦、八栗山方面)

Img_1328ホテル甚五郎跡近くから旧遍路道に入る。

Img_1329 急坂を下る 

Img_1336_3 檀ノ浦へと直線的に下る。

ここは急坂だがもう滑らない。

Img_1342 佐藤継信の墓 《地図

Img_1341 説明板

Img_1343屋島寺方向

Img_1347 安徳天皇社

安徳天皇の行宮があったという。

Img_1346 説明板

Img_1354 菊王丸の墓

Img_1352 説明板

Img_1355 北向地蔵堂

Img_1357 義経の弓流し 【ルート地図】の③

Img_1359 セルフうどん店で小休止

遍路道は左へ行く。

Img_1360 八栗山

高橋(相引川から)

Img_1361 洲崎寺(番外霊場)

Img_1362 説明板

Img_1364 真念の墓

「四国遍路道指南」の著者。牟礼町からここに移された。

Img_1363 説明板

Img_1368 85番八栗寺へ

Img_1369 地蔵堂

Img_1370 地蔵堂

Img_1372 85番への遍路道

Img_1377 85番へ上って行く。

Img_1380 ケーブル乗場 《地図

八栗寺までたいした距離ではない。もちろん乗らず。

Img_1381 かなり上って来た。

Img_1382 よもぎ餅の店

寅次郎の縁談」は「男はつらいよ」の46作目(1993年12月公開)マドンナは松坂慶子。八栗山のロケの際に、渥美清がこの店でよもぎ餅を食べたらしい。八栗山のシーンがあったのかは記憶にないが。

Img_1386八栗寺近く

Img_1391 85番五剣山八栗寺仁王門 《地図

Img_1394 本堂(正面)・聖天堂(左)

Img_1398 大師堂

Img_1399 86番志度寺への道標

Img_1403 86番志度寺へ下る遍路道

斜度21%の標識がある車道だが、車の往来は少なく、滑ることもない。

Img_1408 どんどん下る。

Img_1411 86番志度寺(左・県道145号)と六万寺(右)の分岐 《地図

Img_1412 道標

Img_1414 下って六万寺へ

Img_1416 雨で浮かれて出てきたかたつむり。

Img_1423 大谷池

Img_1427 六万寺(番外霊場) 【ルート地図】の④

源平合戦の際、安徳天皇の仮宮とされた寺。

Img_1426 説明板

Img_1428 六万寺山門から本堂?

Img_1429 大然黒殿?

Img_1433 86番志度寺へ

琴電(左)・国道11号(中)・JR高徳線(右)

Img_1440 お遍路休憩所 《地図

房前駅近くの国道11号と遍路道の間。

Img_1447 石灯籠

Img_1446 説明板

Img_1450 平賀源内旧宅 遺品舘 【ルート地図】の⑤

Img_1452 説明板

Img_1456 石鎚山奉献石灯籠

右側に山頭火の句碑がある。

Img_1457 説明板

Img_1458 山頭火句碑(昭和14年10月25日に小豆島から高松に渡り、屋島から86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺を巡拝した時の句)

「そのかみの おもひでの 海は濁りて」

海は屋島湾の檀ノ浦のことだろう。(壇ノ浦ではない。)

Img_1461 醤油店(茂登屋)

Img_1468 地蔵寺(番外霊場)

八十場の水と同じく讃留霊王の悪魚退治の伝説があり、悪魚の霊の祟りを封ずるのが魚霊堂(うおのみどう)の地蔵菩薩という。

Img_1471 説明板

Img_1470 境内

Img_1473 庚申宮

Img_1474

おへんろ道休憩所 《地図

さぬき市青少年交流プラザの一画。

Img_1478 自性院常楽寺

平賀源内の墓がある。

Img_1477 説明板

Img_1479 平賀源内の墓

Img_1487 86番補陀落山志度寺仁王門 《地図

Img_1488 説明板

Img_1489_2 案内図

Img_1483 本堂

Img_1484 大師堂

Img_1486五重塔

Img_1490 海女の墓(志度寺境内)

雨の中、やぶ蚊に食われながら左奥のほうきを持ったおばあさんとしばし歓談。

Img_1492 中央が海女の墓

両脇は経塚

Img_1491 説明板

近くの「房前」駅は海女と藤原不比等の子、房前の名からつけたのか。志度寺はもとは不比等が名づけた「死度道場」といった。

Img_1485 謡曲「海士」

Img_1496 志度駅(琴電)

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