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2008年9月15日 (月)

四国遍路道(香川県-6)

2008年8月29日

Img_1741 海岸寺駅(予讃線)・・・海岸寺(番外霊場)・・・弘田川(海岸寺橋)・(勢与津橋)・・仏母院(番外霊場)・えな塚・・・兼友橋(弘田川)・・・(予讃線)・・・八王寺池・・・虚空蔵寺(番外霊場)・・・海岸寺奥の院(番外霊場)・・・海岸寺駅

 今回の四国遍路道の坂道散歩の最後は、弘法大師誕生と大師の母、玉依御前ゆかりの地を歩く。海岸寺は海岸寺駅そばの県道21号沿いにあり、文字通り裏が海岸で、屏風浦公園、海岸寺海水浴場、ウィドサーフィンのメッカとか。仁王(二王)門の金剛力士像は郷土出身の相撲取りだ。東に弘田川を渡ると玉依御前の屋敷跡の仏母院で、産湯の井戸、えな塚が並ぶ。75番善通寺にも産湯の井戸があった。大師は二人いたのか、それとも一人は影武者ならぬ、影坊主だったとした方が面白いか。

 予讃線を渡り虚空蔵寺へ向う。白方小学校を過ぎて上りとなる。この道は天霧峠、天霧城跡、71番弥谷寺へと続く道だ。八王寺池を過ぎると虚空蔵寺で、雨の中ひっそりしている。同じ道を戻りかけたら自転車遍路が上って来た。自転車では天霧峠、弥谷寺へは無理だろうと思っていたら、しばらくして案の定、猛スピードで下りて来た。
 白方小学校の手前で細い遍路道に入り、上って下ると田んぼの向うに海岸寺奥の院の塔が見えてきた。(上の写真) 遠くから見ると高いので五重塔かと思ったが、二重塔だ。奥の院に着く頃にはあたりが真っ暗になり、冷たい突風が吹き、雷が鳴り始めた。夜のように暗い境内を抜け、山門で雨の弱くなるのを待ったが一向に変わらない。ここから海岸寺駅までは300m足らず、駅まで駆け足だ。5分ほどでうまい具合に高松行きが来た。雨は激しくなる一方で、窓にパチンコ玉が当たるようだ。駅でドアが開くと、雨と一緒にびっしょり濡れた乗客が飛び込んでくる。雨に祟られた6日間ではあったがほぼ予定通り歩けた。82番、83番へは行けなかったが、代わりに今日のコースを回って良しとすべきか。

  【ルート地図

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Img_1673 海岸寺二王門(別格20霊場の第18番)

弘法大師誕生の産屋がはじまりで、大師34歳の時の開創という。

Img_1676 二王門説明板

Img_1674 大関琴ケ浜像(右)

内掛けの名人だった。「琴ケ浜」は高知県の27番神峯寺から28番大日寺の間の海岸だが、大関琴ケ浜は香川県観音寺市出身。

Img_1680 本堂

海岸寺奥の院が大師堂

Img_1683 海岸寺橋(弘田川)から天霧山方向

Img_1684 瀬戸内海方向

Img_1690 産湯井戸

Img_1697 仏母院案内図

Img_1700 説明板

Img_1694 えな塚

Img_1691 説明板

Img_1695 弘法大師の母の玉依御前の屋敷跡という。

今は不動明王堂か

Img_1702 仏母院

大師の母、玉依御前の屋敷跡。大師が幼少の頃に泥土で作った仏像(童仏)が祀られているという。境内に白方保育園がある。

Img_1710 兼友橋から予讃線、天霧峠、71番弥谷寺方向

Img_1720 虚空蔵(こくぞう)寺から天霧峠、天霧城、71番弥谷寺への白方遍路道。

Img_1715 天霧城跡説明板

古くは大宝2年(702)の白方軍団が築いた城。

Img_1728 虚空蔵寺(番外霊場)

大師が虚空蔵求聞持法を修行した地。一時は七堂伽藍の栄えた寺であったが、天霧城が作られたのを機に衰退した。

Img_1727 虚空蔵寺本堂(左)・諸仏堂(右)

Img_1734 八王寺池から天霧峠方向

Img_1731

「八王子池」となっているが。このあたりは八王寺で、虚空寺を八王寺と呼ぶようだ。

Img_1738 白方小学校脇を上って下る遍路道。

Img_1740 下りとなる。右は白方小学校。

Img_1743 海岸寺奥の院の二重塔

Img_1750 海岸寺奥の院(番外霊場)

海岸寺の大師堂で、大師の産盥(うぶだらい)を安置していることから「産盥堂」とも呼ばれる。

Img_1753 門前から

激しい雨と突風と雷

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2008年9月12日 (金)

四国遍路道(香川県-5)

2008年8月28日

Img_1545 琴電志度駅・・・普門院・・・大橋・大橋金刀比羅宮・・・県道141号・・・(高松自動車道)・・・志度小学校末分校・・・霊芝寺(番外霊場)・・・野間池・・・願興寺・・・弁財天宮・・・杵築神社・鴨部川・・・(JR高徳線)・・・玉泉寺(番外霊場・87番奥の院)・・・造田神社・・・宮西地蔵堂・・・広瀬橋・・・県道3号・・・87番長尾寺・・・長尾駅(琴電)→高松築港駅・・・玉藻公園(高松城跡)・・・高松駅(予讃線)→鬼無駅・・・お婆さんの洗濯場(永代橋(接待橋)・本津川)・・・顎無(あごなし)地蔵・・・岩田神社・・・源岩田山観音堂・・・古宮社・・・光明寺・・・四ツ叉地蔵・・・潜水橋(香東川)・・・(高松自動車道)・・・成合神社・・・83番一宮寺・・・田宮神社・・・県道172号・・・(高松自動車道)・・・御坊川・・・(高徳線)・・・瓦町駅(琴電)

 86番志度寺の門前で右に曲がり、国道11号を渡り、しばらく高徳線と平行して進む。高松自動車道をくぐるこの県道141号は広い道だが車の往来は少なく、雨を跳ね上げらる心配は少ない。静かな番外霊場の霊芝寺の先に大きなため池の野間池が広がる。池の端を右に曲がって上る(上の写真)と願興寺へ出る。奈良時代の創建と伝える古刹だが、今は仮の本堂だ。住職の話では平成22年に新しい本堂ができるという。門前から未舗装の細い遍路道に入ったがどうも分かりにくい。舗装道路へ出た所で安全策を取って迂回して鴨部川へ出て高徳線を渡ることにした。渡る踏切も間違えてかなり先まで行ってしまった。

 玉泉寺に寄り、広瀬橋交差点から県道3号に入る。本来の遍路道はもう一本西だったが、雨で地図も破れかけて見づらくなっていた。雨脚が激しくなり、民家のガレージ、スーパーマルナカでしばし雨宿りだが降りが弱まる気配はない。門前に遍路宿が並ぶ(といっても3軒ほど)87番長尾寺もこの雨で参拝者もまばらだ。この先、88番大窪寺までは800m近い女体山越えとなる。ここが今回の坂道散歩の終点、香川県の四国遍路道歩きの打ち止めだ。

 琴電長尾線で高松築港駅に出て、玉藻公園の高松城跡を歩いた後、高松駅から鬼無駅の向った。8月26日の続きで、鬼無駅から遍路道を83番一宮寺まで行き、琴電の瓦町駅まで歩く。ここで昨日の84番屋島寺への遍路道とつながることになる。雨で変則的な歩きになったが仕方なし。鬼無駅からの遍路道沿いには、昔からの道標、地蔵や地域の風土を感じさせる物などが保存され説明板なども整備され楽しめる。顎無地蔵なんてのもあるが、これには説明板がなかった。由来を聞こうにも誰も通らず、顎はあるようだし、触ってみようかとも思ったが怪しまれるとまずいので止めといた。

 少し道に迷ったのと、疲れてきたのか一宮寺までけっこう時間がかかった。83番一宮寺はこじんまりした感じの境内で、隣りの讃岐一の宮の田村神社の方が大きく広い。こっちは現世利益を売り物にしているようで繁盛しているようだ。ここからは北へ高松の中心街への県道、車道歩きとなる。歩道がついていない所もあり、雨と疲れで歩きにくい。道路の端は傾斜がついているので、バランスが悪く疲れを増す。おまけに道沿いに見るべきものがない。あっても疲れていて見逃したかも。高松自動車道をくぐり、栗林公園の脇を過ぎて、高徳線のガードをくぐってやっとやれやれという感じで瓦町駅に着き、下のベンチに腰を降ろした。(遍路道の順路としては、ここから昨日(8/27日)の84番屋島寺へと続く。)

  【ルート地図】(1)(志度駅から87番長尾寺)・【ルート地図】(2)(鬼無駅~83番一宮寺~瓦町駅)

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Img_1498 普門院金剛寺

志度寺の塔頭の一つ。

Img_1500 大橋の石標

昭和16年に大橋川に架かる橋のたもとの土中から見つかったもの。

Img_1499 説明板

Img_1501 金刀比羅宮(大橋の所) 【ルート地図】(1)の①

Img_1505 87番長尾寺へ

高徳線沿いを行く。

Img_1508 緩やかに上って行く県道141号

Img_1512 藤の森地蔵

Img_1519 志度小学校分校

Img_1528 霊芝寺(番外霊場)へ

Img_1534由来

Img_1531 山門(大門)・鐘楼 《地図

Img_1535 境内図

Img_1532 山門

雨滝城の裏門を移したもの。雨滝城は高徳線の讃岐津田駅から1.5kmほどの雨滝山にあった。

Img_1533 本堂

高松藩主松平家の菩提寺。

Img_1536 三仏と地蔵

Img_1537 野間池から 【ルート地図】(1)の②

Img_1541 願興寺へ

左に地蔵祠

Img_1552施薬山悲田院願興寺 【ルート地図】(1)の③

奈良時代の創建といい、光明皇后の施薬院、悲田院による山号。

Img_1553由来書

Img_1554 仮本堂

住職の話によれば平成22年に新本堂が完成する。

Img_1557 願興寺前から

Img_1556 寺の前から入る遍路道

Img_1559 弁財天の小祠

Img_1562 杵築神社 

Img_1568 中央橋(鴨部川)から高徳線 《地図

Img_1572 長行踏切(正面)を渡った辻の道標

Img_1574 玉泉寺(87番奥の院・番外霊場) 【ルート地図】(1)の④

弘法大師の作という、「日切地蔵」が本尊。日を限って願を掛ければご利益があるそうだ。

Img_1575 説明板

Img_1573 本堂

Img_1584 宮西地蔵堂

Img_1582 地蔵さん

Img_1588 秀円寺

Img_1590 87番補陀落山長尾寺仁王門 【ルート地図】(1)の⑤

門前の経憧2基は重文。

Img_1591 経憧説明板

Img_1592 本堂・大師堂

静御前の得度した寺で、「剃髪塚」、「静薬師」があるが見逃した。

Img_1595 長尾駅

Img_1761高松城月見櫓(玉藻公園) 《地図

向う側は高松港

Img_1777 説明板

Img_1767 内苑御庭

Img_1770 天守閣跡

平成22年に復元工事に着工の予定。

Img_1773 桜御門跡

Img_1774 東之丸艮櫓(うしとらやぐら)

高松駅(予讃線)から鬼無駅へ

Img_1596 鬼無駅から83番へ続く遍路道

Img_1597地蔵祠

Img_1599 地蔵堂

Img_1600 地蔵さん

きれいに着飾らされているが、ちょっと暑そうだ。

Img_1601 あばあさんの洗濯場(本津川の永代橋(接待橋)の所。) 【ルート地図】(2)の①

洗濯をしていたのはおばあさんではなく娘で、舟で通りかかった桃太郎が娘を見初めたという話もあるそうだ。鬼無に伝わる桃太郎伝説の桃太郎神社は、「四国遍路(香川県-3)(8/26)に記載。)

Img_1603 永代橋から

遍路道にあり、もとは接待橋と呼んでいた。雨で水量が増えると橋板が流されたり、水没した。昭和44年にコンクリート製になり永代橋となった。

Img_1607 顎無(あごなし)地蔵堂と卒塔婆(後ろ)

Img_1605 顎無地蔵

顎はあるようだが、由来が分からず。聞こうと思っても誰も通らず。

Img_1604 説明板

Img_1610 飯田お遍路休憩所

7.8月は休業。暑い盛りに休業とは・・・・。まあ、ボランティアだからこんなものか。

Img_1615 岩田神社 【ルート地図】(2)の②

Img_1612 岩田神社の藤は「孔雀藤」と呼ばれる県自然記念物。左に枝が少し見える。

Img_1614 説明板

Img_1620 源岩田山蓮香寺本尊千手観音安置所(観音さん)

Img_1619 顔が見えないが千手観音だろう

Img_1621 地蔵堂

Img_1622 地蔵さん

ここも厚着だ。

Img_1624 古宮社

Img_1626 光明寺(正面左) 《地図

Img_1634 四ツ叉地蔵堂(橋の右側)

用水の流れが2つ合流し、四ツ叉になっている所に立つ。

Img_1633 四ツ叉地蔵

ここは女の子の着物だ。

Img_1632_2 由来

Img_1636 潜水橋(香東橋) 【ルート地図】(2)の③

中央の自動車が通る橋。上は高松自動車道。今でも川の水かさが増えれば水没するのだろう。

Img_1637 雨が続いているが水量はそんなに増えていないようだ。

Img_1644 遍路道

Img_1645成合神社 【ルート地図】(2)の④

Img_1653

お遍路休憩所

Img_1659 83番神豪山一宮寺仁王門 【ルート地図】(2)の⑤

讃岐の一の宮、田村神社の別当寺だった。

Img_1655 本堂

Img_1658 大師堂

Img_1656_2 薬師如来

石祠の中に頭を入れると、地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえるという。罪深き人は頭が抜けなくなるとか。地獄の釜音は聞こえず、頭も抜けた。なんだかつまらない。

Img_1657 縁起

Img_1667 田村神社(一宮寺の隣り)

讃岐の一宮、「定水大明神」とも呼ばれ、付近は香東川の伏流水が多く、湧き水にかかわり深い神社。

Img_1664 境内図

Img_1662 桃太郎の像

ここでは桃太郎を吉備津彦命としている。左は姉の倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)で田村神社の祭神。奈良の箸墓の被葬者とされ、卑弥呼に比定する説もある。

Img_1665 由来碑

Img_1661 讃岐七福神の布袋尊

Img_1666さぬき七福神

Img_1780 遍路道

Img_1781 地蔵さん

Img_1782 高松自動車道(正面)、その向こうが栗林(りつりん)公園のある紫雲山(200m) 

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2008年9月 9日 (火)

四国遍路道(香川県-4)

2008年8月27日

Img_1333_3 瓦町駅(琴電)・・・国道11号(志度街道)・・・向良神社・・下千代橋(御坊川)・・・新詰田川橋(詰田川)・・・新春日川橋(春日川)・・・新川大橋(新川)・・・大橋(相引川)・・・県道150号・・・潟元駅(琴電)・・・県道14号・・・道池(新池)・・・ 遍照院・・・屋島御加持水(番外霊場)・・・不喰梨(くわずなし・番外霊場)・・・畳石・・・84番屋島寺・獅子の霊厳・屋島城跡・血の池・・・(屋島ドライブウエイ)・・・佐藤継信の墓・・・安徳天皇社・・・菊王丸の墓・・・北向地蔵堂・・・義経弓流し・・・高橋(相引川)・・・洲崎寺(番外霊場)・・・県道146号・・・85番八栗寺・・・県道145号・・・大谷池・・・六万寺(番外霊場)・・・(六万寺駅)・・・(大町駅)・国道11号・・・(八栗新道駅)・・・(塩屋駅)・・・(房前駅)・・・(原駅)・・・平賀源内旧宅・・・地蔵寺(番外霊場)・・・常楽寺・86番志度寺・・・琴電志度駅

 今日も雨だ。雷、突風も吹くというので予定を変更し、源平合戦ゆかりの屋島へ向うことにした。84番屋島寺、85番八栗寺ともけっこう高い所にあるが、未舗装の遍路道は短いのでなんとかなるだろう。高松市街を国道11号を東へ、何本目かの川を渡り、潟元駅から屋島寺への上りとなる。起伏と変化のある道はウオーキングには格好なようで、雨にもかかわらず地元の人が軽装で行き交う。

 屋島寺はお遍路より、普通の観光客が多いというがこの天気で人出も少ない。かわらけ投げができる標高300m近い獅子の霊厳の展望台あたりは海からの風で寒いくらいだ。高松市街、瀬戸内海に浮かぶ鬼ケ島の女木島などの眺望を楽しんだ後、屋島城跡から血の池を通り、85番八栗寺への急坂の旧遍路道に入る。正面に八栗山(五剣山)の岩峰が見え、真下は檀ノ浦(源平屋島の合戦の「那須与一の扇の的」、「義経弓流し」などの話が伝わる所。平家が滅んだ壇ノ浦は下関の関門海峡)だ。(上の写真は屋島ドライブウエイを横切り、ガードレールの切れ目から直線的に下る遍路道。) 下ってまた八栗山を上り返すのはきついなと思いながらゆっくり下るが、急坂でおまけに雨でつるつるだ。案の定、滑ってビニール傘をついたら心棒から折れてしまった。注意深く、慎重に下っても滑るのだからたまらない。坂下あたりから源平合戦ゆかりの所が続く。「義経弓流し」の案内板の向かいのセルフうどん店で休憩し、高橋を渡り、洲崎寺から八栗寺へと上り始める。

 遍路道の所々に地蔵さんが立っている。遍路は地蔵さんを拝んではいけないという話があったような。地蔵さんに掛けられた願いを全部背負って行くことになるからとかいう理由だったと思う。別にかまいやしない、けちなことは言わない。全部背負って、引きずって行こうじゃないか。なんて、偉そうに。屋島寺へのケーブルカーは休業中だが、ここのは動いている。たいした距離でもないのにけっこう乗る人がいるようだ。八栗寺はバスの団体さんや車で来る人で混んでいた。皆、完全無欠な遍路姿で一部のスキもないが、雨の中、歩いてやっとここまで来て休んでいると、この人たちは何を考えて札所を回っているのだろうかと思ってしまう。今ではこっちが遍路でなく変路なのだろう。

 休憩もそこそこに86番志度寺への遍路道に入る。急な車道の下り坂だが車も通らず、雨でも寺の境内にいるより遍路道を歩いていた方がずっと気分がいい。志度寺との分岐の道標から六万寺に向う。両側の草むらからマムシでも出そうな雰囲気ではあるが、この道もなかなかいい。マムシの代わりにカタツムリが雨に濡れた道の真ん中を這っていた。六万寺は安徳天皇の行在所だった所で、何となく寂れた感じがいい。ここから六万寺駅までが今日の予定であったがまだ夕刻には間がある。国道11号を琴電沿いに東へ志度寺まで行くことにする。単調な国道歩きを続け、お遍路休憩所の辻から遍路道に入る。原駅の先の平賀源内旧宅、地蔵寺を過ぎると遍路宿が並び、突当たりが86番志度寺だ。

 志度湾沿いのこの寺はもとは「死度道場」といい、藤原家と海女にまつわる伝承の「海女の墓」がある。謡曲「海士の墓」の題材にもなったこの墓の前で、墓守(もちろんボランティアで5年前くらいから清掃などをしているという。)のあばあさんと、雨とやぶ蚊に苦労しながらしばし雑談。あばあさんは蚊に食われないようだ。これも精進の差か。遍路姿も前を通るが墓には注意を払わず足も止めない。まあ、そんなもんだろう。今日は琴電志度線の始点の瓦町から屋島、八栗山と大回りして、終点の志度駅まで歩いたことになる。雨もそんなに気にならなくなったと言いたいところだが、暑くてもやっぱり晴れていたほうがいい。

  【ルート地図

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Img_1234 向良神社(松島町) 【ルート地図】の①

讃岐三白(砂糖、塩、木綿)のうち、和三盆と呼ばれる砂糖の開発者二人が祭神。今では塩に替わって讃岐うどんか。

神社前の松島の通りは讃岐五街道の一つで、玉藻城(高松城)から志度方面に通じ、浜街道、東下道と呼ばれていた。

Img_1232 由緒

Img_1233 向良神社前の通り

Img_1237琴電(国道11号沿い)

瓦町←(琴電屋島)→琴電志度の「ことちゃん源平号」 この電車は大町止まり。「rua」のICカードが便利。

Img_1242 屋島方向(新春日川橋から)

屋根のように上部が平坦なので屋島というそうだ。

Img_1250 地蔵祠(大橋の所)

潟元駅近く

Img_1254 84番屋島寺へ

Img_1260 道池 《地図

通称「新池」、江戸時代に築造されたため池。

Img_1255 説明板

Img_1256 道池の堤の地蔵

享保11年(1726年)の銘があり、池の築造時に人柱の代わりに建立されたという説がある。

Img_1261 遍照院

Img_1269 遊歩道のような道になって上る。

雨でも健康ウオーキングをしている人が多い。

Img_1271 加持水(番外霊場)

Img_1270 由来

Img_1273 不喰梨(くわずなし)(番外霊場)

石標の後ろの木はヤブツバキ(左)・イロハモミジ(右)で梨ではなし。73番出釈迦寺から捨身ケ嶽禅定への途中の世坂には、同じ由来の「不食芋」があった。ちょっと意地悪をされたくらいで、貴重な食料を食べられなくするなんて弘法さんも度量が狭いよ。

Img_1272 由来

Img_1276 由来書そばの石仏

Img_1278 木々に覆われた坂道を屋島寺へ。

Img_1280 畳石

畳のような形の岩が重なる。中央下の割れている石は西行の歌碑で、「宿りしてここに仮寝のたたみ石 月はこよひの主なりけり」と刻まれているらしい。西行は屋島寺へ来たことがあるのだろうか?

Img_1283 84番南面屋島寺 《地図

鑑真和上の開基。

Img_1287 由緒

Img_1286 案内図

Img_1290 大師堂

Img_1314 境内(血の池近くから)

Img_1288 狸の蓑山大明神

太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸とともに日本三名狸で四国の総大将狸。水商売、夫婦円満、子宝、縁結びの神。

この狸は屋島寺の住職代わりの時は、屋島合戦の模様を鳴り物入りで演じたという。日清、日露の戦争に多くの乾分(子分)を連れて出征し、大いに働いた後、死んだとかいう話もある。

Img_1289由来碑

Img_1292 獅子の霊厳から(高松市街、玉藻公園・栗林公園方向)

この下の断崖に獅子の頭に似た岩が突き出していて、それを獅子の霊巌と呼ぶ。大師が屋島寺本堂の建立の際、工事の途中で日が沈みかけた。この霊巌に立った大師が扇で夕日を招き返し、一日で工事を完成させたと伝える。近くに談古嶺、遊鶴亭の展望所がある。

Img_1293 瀬戸内海の展望

右奥が瀬戸大橋

Img_1304 女木島(鬼ケ島)(左)・男木島(右)

Img_1310 説明板

Img_1313屋島城跡

Img_1312 説明板

Img_1316 血の池 【ルート地図】の②

Img_1315 説明板

Img_1317 「血を薄め 花清々(すがすが)し はすの池」(駄句烏)

Img_1324 五剣山(八栗山)

下の屋島湾の檀ノ浦(源平屋島の合戦の「那須与一の扇の的」、「義経弓流し」、「平家の舟隠し」の話が残る。)まで下りて五剣山の85番八栗寺まで上り返す。

平家が滅んだノ浦は下関の関門海峡。『山陽道(長府駅→下関駅)

夜景展望」(屋島談古嶺から檀ノ浦、八栗山方面)

Img_1328ホテル甚五郎跡近くから旧遍路道に入る。

Img_1329 急坂を下る 

Img_1336_3 檀ノ浦へと直線的に下る。

ここは急坂だがもう滑らない。

Img_1342 佐藤継信の墓 《地図

Img_1341 説明板

Img_1343屋島寺方向

Img_1347 安徳天皇社

安徳天皇の行宮があったという。

Img_1346 説明板

Img_1354 菊王丸の墓

Img_1352 説明板

Img_1355 北向地蔵堂

Img_1357 義経の弓流し 【ルート地図】の③

Img_1359 セルフうどん店で小休止

遍路道は左へ行く。

Img_1360 八栗山

高橋(相引川から)

Img_1361 洲崎寺(番外霊場)

Img_1362 説明板

Img_1364 真念の墓

「四国遍路道指南」の著者。牟礼町からここに移された。

Img_1363 説明板

Img_1368 85番八栗寺へ

Img_1369 地蔵堂

Img_1370 地蔵堂

Img_1372 85番への遍路道

Img_1377 85番へ上って行く。

Img_1380 ケーブル乗場 《地図

八栗寺までたいした距離ではない。もちろん乗らず。

Img_1381 かなり上って来た。

Img_1382 よもぎ餅の店

寅次郎の縁談」は「男はつらいよ」の46作目(1993年12月公開)マドンナは松坂慶子。八栗山のロケの際に、渥美清がこの店でよもぎ餅を食べたらしい。八栗山のシーンがあったのかは記憶にないが。

Img_1386八栗寺近く

Img_1391 85番五剣山八栗寺仁王門 《地図

Img_1394 本堂(正面)・聖天堂(左)

Img_1398 大師堂

Img_1399 86番志度寺への道標

Img_1403 86番志度寺へ下る遍路道

斜度21%の標識がある車道だが、車の往来は少なく、滑ることもない。

Img_1408 どんどん下る。

Img_1411 86番志度寺(左・県道145号)と六万寺(右)の分岐 《地図

Img_1412 道標

Img_1414 下って六万寺へ

Img_1416 雨で浮かれて出てきたかたつむり。

Img_1423 大谷池

Img_1427 六万寺(番外霊場) 【ルート地図】の④

源平合戦の際、安徳天皇の仮宮とされた寺。

Img_1426 説明板

Img_1428 六万寺山門から本堂?

Img_1429 大然黒殿?

Img_1433 86番志度寺へ

琴電(左)・国道11号(中)・JR高徳線(右)

Img_1440 お遍路休憩所 《地図

房前駅近くの国道11号と遍路道の間。

Img_1447 石灯籠

Img_1446 説明板

Img_1450 平賀源内旧宅 遺品舘 【ルート地図】の⑤

Img_1452 説明板

Img_1456 石鎚山奉献石灯籠

右側に山頭火の句碑がある。

Img_1457 説明板

Img_1458 山頭火句碑(昭和14年10月25日に小豆島から高松に渡り、屋島から86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺を巡拝した時の句)

「そのかみの おもひでの 海は濁りて」

海は屋島湾の檀ノ浦のことだろう。(壇ノ浦ではない。)

Img_1461 醤油店(茂登屋)

Img_1468 地蔵寺(番外霊場)

八十場の水と同じく讃留霊王の悪魚退治の伝説があり、悪魚の霊の祟りを封ずるのが魚霊堂(うおのみどう)の地蔵菩薩という。

Img_1471 説明板

Img_1470 境内

Img_1473 庚申宮

Img_1474

おへんろ道休憩所 《地図

さぬき市青少年交流プラザの一画。

Img_1478 自性院常楽寺

平賀源内の墓がある。

Img_1477 説明板

Img_1479 平賀源内の墓

Img_1487 86番補陀落山志度寺仁王門 《地図

Img_1488 説明板

Img_1489_2 案内図

Img_1483 本堂

Img_1484 大師堂

Img_1486五重塔

Img_1490 海女の墓(志度寺境内)

雨の中、やぶ蚊に食われながら左奥のほうきを持ったおばあさんとしばし歓談。

Img_1492 中央が海女の墓

両脇は経塚

Img_1491 説明板

近くの「房前」駅は海女と藤原不比等の子、房前の名からつけたのか。志度寺はもとは不比等が名づけた「死度道場」といった。

Img_1485 謡曲「海士」

Img_1496 志度駅(琴電)

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2008年9月 5日 (金)

四国遍路道(香川県-3)

2008年8月26日

Img_1220_2丸亀駅(予讃線)・・・県道33号・・・蓬莱橋(土器川)・・・岸落地蔵院・・・蓮華寿院・地蔵堂・・・宇夫階(うぶしな)神社・塩竃(しおがま)神社・秋葉大権現・・・本妙寺・・・78番郷照寺・浄泉寺・・・西光寺・大束川・・・伊勢之宮・・・(予讃線)・・・田尾坂公園・大日みかえり不動尊・・・(瀬戸中央自動車道)・・・八幡神社・・・坂出商店街・・・(予讃線)・・・八十場の水(番外霊場)・薬師堂・・・79番天皇寺(高照院)・白峰宮・・・(八十場駅)・・・(鴨川駅)・・・県道33号・・・(予讃線)・・・鼓岡神社・・・讃岐国府跡・・・県道33号・・・綾川大橋(綾川)・・・日向王の塚・・・80番国分寺・・・県道33号・・・(端岡駅)・・・桃太郎神社(上の写真は神社前から下る坂)・・・鬼無駅(予讃線)

 朝から雨で時々強く降る中を、怨念こもる崇徳上皇ゆかりの地と、お伽話の桃太郎の里の坂道散歩です。丸亀駅から県道33号を東に土器川を渡ると岸落地蔵院あたりで宇多津町となる。蓮華寿院、地蔵堂の先で南に入ると神社、寺の多い一画となり、地蔵餅店の先に78番郷照寺がある。ここでも松喰い虫にホルトの木がやられてしまい切り株だけ残っていた。隣りの浄泉寺の閻魔堂には香川県(自称四国一)で随一の大きさという閻魔大王がいつもの顔で十王の真ん中に座っている。大束川に映る西光寺を眺め、古いたたずまいの残る宇多津町の家並みの中を行く。

 県道33号に出て、しばらく東に行き車道の間の公園の遊歩道のような道に入り瀬戸中央道をくぐると坂出市で、この道には「本街道」の標識が架かっていて、直線的に進み八幡神社の参道前から坂出商店街を抜け県道33号へ続く。県道33号ができるまではこの道が「本街道」だったのだろう。県道33号に出る手前で南に入り、予讃線を渡り、崇徳上皇の死体を浸したという八十場の水の脇の清水屋でところてんを食べ小休止。白峰宮内の寺という感じの79番天皇寺(高照院)から下って予讃線沿いに八十場駅を過ぎると、自転車遍路の外人娘が追い越して行った。雨の中、自転車で回るのも楽ではないだろう。山道はどうするのだろうか。 

 鴨川駅あたりでどしゃ降りになってきた。雨具を着て傘をさしているので蒸し暑く、車から雨水を跳ね掛けられるし歩くのはきつい。予定では80番国分寺への遍路道から離れ、大回りして崇徳上皇の行宮(仮宮)だった鼓ケ岡神社、菅原道真も国司を務めた讃岐国府跡から80番国分寺へ向うのだが駅舎でしばらく考える。80番へ直行するか、雨は止みそうになく今日はここで打ち止めにするか。結局、予定のコースを行くことにした。平坦な道だし、ずぶ濡れになっても寒くもないし時間もまだ早い。幸い迷わずに鼓ケ岡神社、讃岐国府跡を回り、県道33号沿いのレストラン喫茶でゆっくり昼食をとって休憩する。

 県道33号を進み、石灯籠の立つ日向王の塚から遍路道に入ると80番国分寺は近い。この先、この雨と時間的にも400mの高さを越える山道を行く81番、82番へは無理だ。予讃線沿いに桃太郎神社へ寄って、鬼無駅へ出ることにした。袋山の麓の少し小高い所に桃太郎神社はある。どこにもある村の小さな神社だが、崇徳上皇の怨念渦巻く地よりはずっと身近で親しみがわく。降り続く雨の中、桃太郎に退治され鬼がいなくなった鬼無の町の鬼無駅に向った。

 明日は小雨ぐらいならこれも崇徳上皇ゆかりの81番白峰寺へ上り、82番根香寺から下って83番一宮寺まで行くのだが。さあどうなるか。崇徳上皇の祟りの雨はそう簡単に止みそうにない。いくら降っても水がめの早明浦ダムの貯水量が増えないのだからこれも怨霊の仕業というしかない。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1079 蓬莱橋から土器川 《地図

土器川は香川県唯一の一級河川。かつて河口付近の粘土で土器を作っていた。

Img_1082 岸落地蔵院 【ルート地図】の①

宇多津駅近くの県道33号沿い

Img_1083 蓮華寿院(78番郷照寺別院)

Img_1085 地蔵堂

Img_1088宇夫階神社

本殿は、伊勢神宮の外宮第一別宮である多賀宮御正殿を復元造営したもので、国の登録有形文化財。

Img_1093 由緒

Img_1090 塩竃神社(宇夫階神社と同じ境内)

塩業者から崇敬を受けてきた神社。

Img_1092 秋葉大権現

Img_1094 本妙寺(法華宗)

城郭のような寺だ。讃岐六番神の一つで、本妙寺七不思議があるという。

Img_1095 高橋地蔵餅本舗

まだ開店前のようだ。開いていても朝飯を食べて間もないのでムリだろう。「地蔵」は店の前の地蔵さんのことなのだろう。郷照寺門前にも「大吉地蔵」が座っているが。

Img_1097 地蔵餅店の前の地蔵の祠

宇多津の廻船業の商家が遠州駿河沖で海難に合った際に、この石に錨を引っ掛けて助かったので、その石を持ち帰り地蔵を祀ったそうだ。

Img_1096 地蔵さん

子どもを抱いているようにも見える。

Img_1098 大吉地蔵

78番仏光山郷照寺の門前 《地図

Img_1100 説明板

Img_1101 境内図

Img_1102 本堂

四国札所中、唯一の時宗の寺。「厄除けうたづ大師」という。

Img_1103 大師堂

Img_1104さぬきの三大ポックリ地蔵

ここの三体の地蔵さんが三大らしい。

Img_1107 万体観音

地下の万体観音堂。

Img_1108 回遊式庭園

正面右上の切り株が松喰い虫で枯れてしまったホルトの木。

Img_1113 閻魔堂(浄泉寺)

Img_1112 説明板

Img_1114 閻魔大王以下十王

「宇多津のえんまさん」 香川県一の大きな閻魔像。(看板には「四国一」とある。)

Img_1118 西光寺と大束川 《地図

Img_1119 宇多津町の家並み

Img_1121 伊勢之宮

Img_1126 静かな通り

Img_1129 銭湯「宝湯」か?

Img_1132 瀬戸中央道をくぐる遍路道。「本街道」といい坂出市に入って行く。

左に「大日みかえり不動尊」

Img_1134 大日みかえり不動尊 《地図

文久3年(1863)建立

Img_1138八幡神社へ

広く長い参道

Img_1139 八幡神社

境内も広い

Img_1140 坂出駅北側のアーケードの坂出商店街「ハッピータウン本町」。

一昔前の匂い、感じがする。

Img_1143 讃岐醤油画資料館(商店街の途中)

醤油を画材にした醤油画があるとは知らなかった。

Img_1145_2県道33号から離れ予讃線を渡る。

Img_1150 八十場(やそば)の水(番外霊場)(弥蘇場・八十蘇場・八十八) 野沢井ともいう。【ルート地図】の②

①景行天皇の御世、南海の悪魚を退治に向った讃留霊王(=武穀王)と兵士たちは悪魚の毒にあたって倒れた。童の捧げるここの水で蘇り、悪魚を征伐することができた。②保元の乱(1156年)で敗れ讃岐に流された崇徳上皇が鼓ケ岡の行宮で崩御した時、この水に浸して腐敗を防いだ。

Img_1149 説明板

Img_1157 79番金華山天皇寺・白峰宮門前 《地図

Img_1156 79番天皇寺は白峰宮の境内にある感じだ。

Img_1153 白峰宮

崇徳上皇鎮魂のため二条天皇が建立。

Img_1154 天皇寺本堂

Img_1155 大師堂

Img_1164 予讃線沿いに79番から80番国分寺へ向う自転車遍路の外人娘。

Img_1168 府中町案内図

Img_1170 鼓ケ岡神社 《地図

保元の乱(1156年)で敗れ讃岐に流された崇徳上皇の行宮(あんぐう・仮の御所)の木の丸殿があった所。ここで、「鳴けば聞き 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」と歌ったのでこの里でほととぎすは鳴かなくなったという。

その後、①長寛2年(1164)8月に上皇はここで崩御。→ ②死体は79番天皇寺に安置し、都の命があるまで遺骸を八十場の水に浸して腐敗を防ぐ。→ ③都から白峰山に葬れとの宣下がある。→ ④柩を運び白峰山麓の高家の阿気まで来ると、柩からが流れ落ちてきた。(その後、ここに高家神社「の宮」を建て上皇の霊を祀る。)→ ⑤白峰山頂近くで死体を荼毘に付すと、そのが都の方へたなびいて、児ケ嶽のふもとに落ちた。(その後、ここに青海神社「の宮」を建てた。→ ⑥上皇を81番白峰寺の御陵に弔い、頓証寺殿を御廟所とし霊を祀った。 『崇徳上皇ゆかりの地

 崇徳上皇といえば、百人一首の「瀬を早み 岩にせかるる滝川の 割れても末に 逢はんとぞ思ふ」で有名で、落語の「崇徳院」でもなじみ深い。歌にも表れているような熱情家だったのか。出生の秘密(父は鳥羽天皇でなく、鳥羽天皇の祖父の白河法皇との説あり。)から天皇、上皇、保元の乱で敗れ讃岐に流され死ぬまでどろどろした人生模様だった。そして死んだ後も怨霊として祟っている。

Img_1171 由緒

Img_1182 讃岐国府跡(正面奥が鼓ケ岡神社) 【ルート地図】の③

菅原道真も国司を務めたことがある。

Img_1178 説明板

Img_1184 旧家(国道11号沿い)

Img_1185 白峰山方向

Img_1186 県道から離れて左の遍路道へ

左に石灯籠、その手前の石積みが日向王の塚。日向王は景行天皇の御世、南海の悪魚を退治した讃留霊王(=武穀王)の七代目の子孫で、綾氏の祖先ともいう。《地図

Img_1188 説明板

Img_1190 80番白牛山国分寺仁王門 【ルート地図】の④

Img_1193 縁起

Img_1194 境内案内図

Img_1195 梵鐘

創建当時に鋳造された香川県最古の鐘。

説明板にこの鐘にまつわる《伝説》と《実説》が記載されている。《実説》も伝説だろうが、鐘の返却証文が寺に残っているという。返却証文は寺から殿様の方へ渡すはずだが?

Img_1196 説明板

Img_1199 創建当初の本堂(金堂)の礎石

正面は現在の本堂。

さぬき七福神」の弁財天でもある。

Img_1202 桃太郎神社へ

幟看板の後ろに藤の森地蔵堂

Img_1207 桃太郎神社 【ルート地図】の⑤

袋山の麓で、もとは熊野神社、その前は出城だったそうだ。

Img_1212 鬼無のいわれ

桃太郎を7代孝霊天皇の皇子の稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)としている。兄の吉備津彦命を桃太郎としている所もある。

Img_1214 一番右の小祠が犬の墓、一つおいて雉、猿の墓でその左が爺婆の墓か?

左端の石柱に、「桃太郎遺跡 桃太郎 爺婆犬猿雉之墓」とあるが、桃太郎の墓はないのでは?

Img_1210 桃太郎伝説碑

Img_1304 鬼が棲んでいたという女木島(正面)、鬼の灯台があるという。

右は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった男木島。
84番屋島寺の展望台から(8/27日撮影)

Img_1310 女木島の「鬼の灯台」の写真

Img_1601 おばあさんの洗濯場 《地図

鬼無駅から83番一の宮寺への遍路道の本津川の永代橋(接待橋)の所。洗濯をしていたのはお婆さんでなく娘で、舟でここを通りかかった桃太郎が娘を見初めたという話もあるそうだ。

Img_1226 鬼無駅(JR予讃線)

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2008年9月 3日 (水)

四国遍路道(香川県-2)

2008年8月25日

みの駅(予讃線)・・・県道220号・・・浜堂川・・・水谷川・・・・・・八丁目大師堂・・・道の駅ふれあいパークみの・・・71番弥谷寺(いやだにじ)・・・(高松自動車道)・・・大池・上池・・・国道11号・烏坂(峠)・・・七仏寺(番外霊場)・・・県道48号・・・72番曼荼羅寺・・・73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)・・・柳の水・・・世坂・・・不食芋(くわずいも)・・・西行腰掛石・・・捨身ケ嶽本堂・・・捨身ケ嶽禅定(番外霊場)・・・世坂・73番・72番・・・74番甲山寺・・・中谷川・・・犬塚・・・75番善通寺・・・鎌倉神社・・・仙遊寺(番外霊場)・・・(土讃線)・・・(高松自動車道)・・・76番金倉寺(こんぞうじ)・・・葛原(かずはら)八幡神社・・・浄蓮寺・・・77番道隆寺・・・県道21号・・・幸橋(金倉川)・・・天満天神社・・・塩屋橋(西汐入川)・・・北向地蔵・・・丸亀城・見返り坂・・・本陣跡・・・丸亀駅(予讃線)

 みの駅から県道220号を進み遍路道に入る。緩やかに上って八丁目大師堂、ふれあいパークみのを過ぎると道端に石仏が並ぶ薄暗い道となり、古来死霊の登る弥谷山(382m)の弥谷寺に続く。仁王門手前の死者との「喰い別れの茶屋」の俳句茶屋は閉まっていた。歩き遍路が少ないからか。ところてんでも食おうかと思っていたのに。百八階段を上り、さらに本堂へと石段が続く。歩いて上ってくるとこの寺の持つ死霊のイメージがよく分かる。(気がする。)

 俳句茶屋前から72番への遍路道に入る。やぶ蚊に追われながら下って大池と上池の間を抜けると国道11号の烏坂の坂下近くに出る。右へ上れば烏坂峠だ。左に行き番外霊場の七仏寺から72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へ上り道となる。曼荼羅寺の不老松(笠松)は平成14年に松喰い虫によって枯れてしまっていた。大師さんの力も松喰い虫には及ばず、松も不老とはいかないということだろう。
 出釈迦寺から我拝師山の捨身ケ嶽禅定へ上る。柳の水を過ぎると、世坂の急坂となってカーブしながら上って行く。捨身ケ嶽本堂から下界の眺望を楽しんだ後、本堂裏手から急な岩場を鎖を頼りに登って、大師投身誓願の聖地まで100m足らずのひと登りだ。でも雨が降っていたら登らなかっただろう。(翌日からはずっと雨だった) 
 73番前の坂口屋で一休み。あるじと小雨、水不足の話になる。渇水は慢性的なようだ。でも明日は雨になるらしい。歩くのには困るが、けっこうなことだろう。(だが結局降っても水不足は全然解消しなかったのだから降らない方がよかった。) 冷やしうどん(すいか小片3つとおしんこつき)で250円は安い。これも「お接待」だろう。

 地図のコピーを落としてしまい、来た道を72番まで戻って74番甲山寺へ向う途中で迷ってしまった。甲山寺は改築工事中で新しい堂もできるようだ。ここから番外霊場仙遊寺に寄って75番善通寺へ行く予定だったが、仙遊寺が分からない。民家のおばさんに聞いてもそんな寺は聞いたことがないという。実際は200mも離れていなかったのだが。仙遊寺は後回しにして75番善通寺に向う。町中の大寺で京都、奈良の寺と同じ雰囲気で面白味はない。遍路より普通の観光客が全然多い。まあ自分も遍路ではなく、ただの物見遊山の一人だろうが。早々に切り上げ仙遊寺へ最挑戦だ。結局、何度も通った犬塚の近くの宅地造成工事中?の一画にあった。だいぶ時間をロスして76番金倉寺へ向う。

 土讃線、県道25号を越え、遍路道に入り高松自動車道をくぐって76番金倉寺へ着く。弘法大師の甥(姪の子という説もある。)の智証大師が誕生した寺で、天台宗というのが面白い。「乃木将軍妻返しの松」があるというが見逃した(あまり見る気もなかったが。) まだ松喰い虫に喰われ枯れてはいないようだ。77番道隆寺への途中の小さな社の前で、自転車に乗ったお爺さんから声を掛けられた。聞き取りにくかったが77番までの道筋を説明し、途中まで一緒に行ってやるということらしい。社に寄って何の神社か確かめたかったし、77番までの道は大体分かるので礼を言って断ったが、なかなかしつこい。まあ、「お接待」のつもりなのだろう。「お接待」は断ってはいけないというが、断るべき時、断りたい時は断ればいい。まして自分は遍路ではなく、遍路道の散歩者で札所の寺は通過点、チェックポイント、休憩所に過ぎないのだから。こんなことを考えながら、少し心に引っかかりを感じつつ77番道隆寺の仁王門をくぐった。

 朝の7時過ぎから歩きだし、弥谷寺、捨身ケ嶽禅定とかなり高い所を上り下りし、途中道に迷って大回りをしたこともありかなり疲れてきた。道隆寺から多度津駅まで戻ろうかとも思ったが、丸亀駅までは2駅で丸亀まで歩けば明日の行程が楽になるので、歩道はついているが歩きにくい県道21号を進み金倉川、西汐入川を渡り、南に入り北向地蔵から丸亀城へ向った。もう5時近くで閉門しているかと思ったが城内の遊歩道へは入れた。ウオーキングをしている人もいる。目当ての見返り坂を上り、夕刻間近な丸亀市街、讃岐冨士、丸亀港の景色を眺め城を出て、本陣跡から丸亀駅に向った。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0813 71番弥谷寺への遍路道

石灯籠、道路向こうに道標が立つ。

Img_0814 緩やかに上って行く。

Img_0815 車道へ出て振り返る。

今日もいい天気だ。

Img_0817 八丁目大師堂 【ルート地図】の①

Img_0821 薄暗い道になる。

Img_0825 両側に並ぶ石仏

Img_0826 車道に出ると「ふれあいパークみの」

Img_0828 弥谷寺石段下

死霊が登って行くのにふさわしく薄暗く不気味だ。

Img_0831 俳句茶屋(左)

死者との「喰い別れの茶屋」

遍路宿だったが、今は茶店だけのようだ。閉まっているが中でテレビの音がする。

Img_0832 71番剣五山弥谷寺の仁王門

大師が修行中、天から五柄の剣が降る霊を感じて剣五山。

Img_0837 百八階段

死霊の108の煩悩を1段づつ上りながら消していくのか。死霊に煩悩はあるのか?そもそも死霊は存在するのか?

Img_0850 十王堂

死者の生前の罪業を裁く、閻魔大王ら十王が並ぶ。

Img_0838 境内案内図

Img_0839 天霧城跡への標識

天霧峠から下って虚空蔵寺から海岸寺、仏母院の方へ抜けられる。

Img_0843 境内から

Img_0844 本堂 【ルート地図】の②

本尊は千手観音

Img_0846 磨崖仏

平安から鎌倉時代に彫られたもの。弘法大師、あるいは一遍上人の作ともいうが。

Img_0848 説明板

Img_0851 大師堂

奥に「獅子の岩窟」といわれる行場がある。大師が求聞持法を修行した所。

Img_0829 俳句茶屋の前から直進して72番・73番へ向う遍路道

Img_0855 竹林の間を下る。

Img_0857 ため池の脇を通り

Img_0860 大池の西側を抜ける。

Img_0863細い遍路道を抜けて国道11号の烏坂へ

Img_0864 烏坂(とさか) 《地図

前方の烏坂峠へと上る国道11号

Img_0866 七仏寺(番外霊場) 《地図》(薬師堂と標示)

弘法大師が石仏本尊(薬師如来)を刻し開創。本堂(正面奥)は文化3年(1806)の建立で、古来、女性の乳の出が良くなる霊験ありという。

Img_0873_272番曼荼羅寺への遍路道から我拝師山(左・481m)と奥の院の捨身ケ嶽本堂(の所)

右は五岳山の一つ中山か。

Img_0875 72番我拝師山曼荼羅寺本堂 

Img_0876 西行昼寝石と笠懸桜

Img_0880 笠松大師

枯れた「不老の松」の幹から作られた。

Img_0881 由来

Img_0879 ありし日の不老の松(笠松)

Img_0891 73番我拝師山出釈迦寺の捨身ケ嶽遥拝所

Img_0889 説明板

Img_0899 柳の水

不治の病をも治す霊験水とか。三体の石仏の前に湧き水が貯まっている。

Img_0900 世坂 【ルート地図】の③

73番出釈迦寺から奥の院の捨身ケ嶽へ上る参道の坂。72番曼荼羅寺は元は世坂寺といった。

Img_0955 坂下方向

庵治石の石灯籠が並ぶ。

Img_0957 不食芋(くわずいも)

Img_0906世坂

未舗装の遍路道に入り上る。

Img_0907 西行腰掛石

Img_0910 途中から

Img_0914 坂下方向

Img_0919 坂上近くから

Img_0923 捨身ケ嶽(73番奥の院)

後ろは我拝師山

Img_0932 本堂

Img_0926 瀬戸内海の眺め

Img_0928_2 

Img_0933 本堂裏から岩場を登る。

Img_0934 鎖場を登る

Img_0947 下を見ると

Img_0935 瀬戸内海

Img_0938 捨身ケ嶽禅定 【ルート地図】の④

弘法大師が7歳の時、衆生済度の誓願をかけ身を投じたという断崖上の大師像。

Img_0939 「捨身誓願之聖地」

7歳の大師がここから身を投じると天女が受け止めたとか。

Img_0943 下を見るとこんな感じだ。

Img_0959_2 74番甲山寺へ

Img_0960_2 我拝師山方向

Img_0961_2 74番医王山甲山寺

Img_0962_2 本堂

Img_0963_2 毘沙門天堂

Img_0971_15犬塚(仙遊寺の南、青葉工業とある中)

鎌倉時代の笠塔婆だが、大師が飼い犬を埋めたという伝説もある。このあたりは仙遊ケ原といい、大師の子どもの頃の遊び場だった。

Img_0970_2 説明板

Img_0972_2 75番五岳山善通寺

済世橋

五岳山とは、香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山。

Img_0973_2 由来

Img_0974_2 境内案内図

Img_0977 仁王門

Img_0975_2 大師堂(御影堂)

ここが大師出生の地とされているが、海岸寺とする説もあり、近くの仏母院は大師の母の玉依御前の屋敷跡で、「えな塚」、「産湯の井戸」がある。

Img_0982 五重塔

「うれ稲はればれ塔が見えだした」 山頭火

「塔をめあてにまつすぐまいる」 山頭火  これなら私も作れそうだが。

Img_0980_2 本堂(金堂)

Img_0981 説明板

Img_0985_2 大楠

Img_0983_2 説明板

Img_0986_3 南大門

Img_0987_2 鎌倉神社 《地図

鎌倉権五郎を祀った神社がこんな所にあろうとは。鎌倉市に鎌倉権五郎神社(御霊神社)がある。(鎌倉市の坂-4に記載) また伊勢街道の鈴鹿市には鎌倉権五郎塚がある。『伊勢街道①

Img_0989_3 由来書

Img_0992_2仙遊寺(番外霊場) 《地図

このあたりは大師の幼い頃の遊び場で、仙遊ケ原地蔵堂という名だった。

Img_0991_2 縁起

Img_0993_2 76番金倉寺へ

土讃線を渡る。

Img_0995_2 76番へ

Img_0999_2 76番鶏足山金倉寺仁王門

Img_1000_2 本堂

Img_1007_2 77番道隆寺へ

右奥の橋のようなのは総合運動施設というのだが?

Img_1009_2 葛原正八幡神社 《地図

Img_1012 本堂と大楠(左)

Img_1010_2 説明板

Img_1018_2 77番へ

右に地蔵堂

Img_1023_2 77番桑多山道隆寺

正面が本堂、右が大師堂

Img_1024 多宝塔

天正3年(1574)長宗我部元親により焼かれた五重塔の跡に昭和55年に建てられた。

Img_1025もどり観音

Img_1026_3 由来書

Img_1030_2 天満天神社 《地図

Img_1029_2 由来書

Img_1034 北向地蔵堂(正面) 《地図》(もう一本南の角かも)

Img_1042_2丸亀城

Img_1044_2 城内案内図

中央下、右から左上に上るのが「みかえり(見返り)坂」↓の所

坂の途中に「帰厚の碑」がある。金沢(石川県)の「帰厚坂」を思い出した。

Img_1045_2 見返り坂(坂下から) 【ルート地図】の⑤

Img_1047_3 坂上方向

右は三の丸の高石垣

Img_1054_2 右の山は別名を讃岐冨士の飯野山(421m)

Img_1058_2 丸亀港、瀬戸内海方向

Img_1071_2 丸亀本陣跡?

Img_1073_2 「史蹟 本陣址地」か

Img_1075まちの駅秋寅の館

旧秋山寅吉商店   

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