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2008年10月 1日 (水)

四国遍路道(徳島県-1)

2008年9月23日

Img_1801_2 徳島駅(JR牟岐線)→日和佐駅・・・国道55号(土佐東街道)・・・23番薬王寺男厄坂・女厄坂・還暦厄坂)・・・厄除橋(日和佐川)・・・御陣屋跡(美波町役場)・・・弘法寺・・・日和佐八幡神社・・・うみがめ博物館・大浜海岸・国民宿舎うみがめ荘

 徳島駅から日和佐駅までは55km足らずだが、待ち時間などで2時間近くかかった。以前来た時には日和佐町だったが、平成18年に由岐町と合併して美波(みなみ)町なっていた。「うみがめの来る町日和佐」のイメージが強く、「美波町」はどうもなじめない。ここから海岸沿いに高知県に入り、室戸岬を回り、27番神峯寺の先の土佐くろしお鉄道の安芸駅あたりまで、1週間かけて遍路道沿いを行く坂道散歩で、主に国道55号を行くことになるが、なるべく旧道や町中に入りゆっくり歩くつもりだ。

 駅前の国道55沿いの「道の駅日和佐」は物産館、足湯などもあり、休日で賑わっている。厄除け寺の23番薬王寺の厄坂の石段下には薬師本願経の経文を書いた小石が埋められていて、踏むごとに厄が払われるといい、厄年の人は一段ごとに一円玉のお賽銭を置いて上って行く。還暦厄坂上の瑜祗(ゆぎ)塔(上の写真)からは日和佐の町が一望できる。なかなかの景観だ。この寺は吉川英治の『鳴門秘帖』にも登場する。駅の反対側に出て日和佐川の河口の厄除橋を渡り、海亀が産卵に来る大浜海岸の方へ向う。町役場あたりが日和佐御陣屋跡で、その先に弘法寺、海岸近くに日和佐八幡神社がある。ここも鳴門秘帖の舞台となっている。海岸に出ると「うみがめ博物館」で、屋外の飼育プール、屋内の子ガメ水槽で泳ぐ亀を見ているとあきない。

 隣りの国民宿舎うみがめ荘が今夜の宿だ。今日の泊まり客は5、6組か。潮騒の音だけで静かだ。あまり歩いていないせいか疲れてなくなかなか寝つけない。さあ、明日からが本番だ。先月(香川県)のように雨に祟られなければよいが。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1804 JR牟岐線(道の駅日和佐の所)

中央奥は薬王寺の瑜祗塔(ゆぎとう)

Img_1787 23番薬王寺

【ル-ト地図】の158

Img_1788 説明板

Img_1790 女厄坂

33段

Img_1793 男厄坂

42段

Img_1794 本堂

本堂の右手からさらに上る。

Img_1797 還暦厄坂

61段。石段上は瑜祗塔。「瑜祗」の意味は?

Img_1798日和佐の町(瑜祗塔の前から)

日和佐城(右上)・立島(正面)・日和佐川の河口と厄除橋(左中央)・大浜海岸・うみがめ博物舘(立島の左手前)

Img_1786 案内図

写真と同方向

Img_1807 厄除橋から日和佐川河口、日和佐城(右上)

日和佐城は城山(65m)という小高い丘の上にある。

【ル-ト地図】の157

Img_1812 日和佐御陣屋跡(町役場の所)

【ル-ト地図】の155

海部郡代所が文化4年(1804)にここに移転された。

Img_1809 説明板

Img_1813 矢見立岩(的石)?

御陣屋の射場に立っていて、この岩陰で矢が的を射とめたかどうかを判定したという。

Img_1816 弘法寺法印堂

Img_1815 説明板

Img_1818 日和佐八幡神社

秋祭りには8台のチョ-サ(太鼓屋台)が大浜海岸へ練り出す、勇壮な「チョ-サお浜出で」が見もの。

Img_1819 説明板

Img_1824 うみがめ博物館

【ル-ト地図】の152

Img_1828子ガメ水槽

Img_1831 アカウミガメの子どもたち

Img_1838 大浜海岸

5月中旬から8月上旬に海亀が上陸して産卵する。

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