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2008年10月 3日 (金)

四国遍路道(徳島県-2)

2008年9月24日

Img_2029 国民宿舎うみがめ荘・・・厄除橋・・・蛇責めの石・・・水産高校・・・国道55号弁財天交差点・・・奥潟トンネル(100m)・・・馬頭観音堂・・・日和佐トンネル(690m)・・・見守り観音・・・打越寺・・・吉野神社・・・山河内トンネル(124m)・・・寒葉坂・峠・・・遍路道・・・小松大師(番外霊場)・・・国道55号・・・牟岐橋(牟岐川)・・・長尾屋跡(山頭火宿泊宿)・・・旧土佐街道・・・(牟岐駅)・・・満徳寺・・・牟岐津神社・・・八坂橋(瀬戸川)・・・旧遍路道・・・大坂・大坂峠・・・草鞋大師(番外霊場)・・・内妻浜・・・国道55号・・・旧国道55号(あじさいの道)・・・内妻橋・・・(JR牟岐線)・・・目あき大師・・・春日神社・・・松坂・松坂峠・かずら大師・松坂隧道(88m)・・・古江浜・・・国道55号・・・福良坂・・・福良浜・・・鯖大師(番外霊場別格第四番)・・・土佐浜街道・馬ひき坂(上の写真)・・・民宿海山荘

 23番薬王寺から室戸岬の24番最御崎(ほつみさき)寺までは約80km。ほとんど国道55号を歩くことになる。今日の坂道散歩のメインは八坂八浜だ。日和佐駅そばに蛇責めの石がある。陰惨な由来話(後述)で歩き始めからこれではという感じだ。水産高校の弁財天交差点で国道55号に出る。昨日、うみがめ博物館近くですれ違った若い男女4人の遍路と牟岐駅近くまで先になったり、後になったりして進む。ここから先、幾つものトンネルを抜けて行く。遍路道の難所を「遍路ころがし」というが、最大の遍路ころがしはトンネルだろう。最近では歩行者用の安全設備がつけられて以前よりは歩きやすくなってはいるが。まあトンネルは本来の遍路道ではなく、遍路ころがしには入らないのかも。なるべくトンネルを迂回する旧道を歩くことにする。

 寒葉坂を上って美波町から牟岐町に入りカーブしながら下って行く。思ったより車の通行は少なく歩きやすい。坂下近くで遍路道に入る。国道から離れるとやっぱりほっとする。田園と民家の間を行くと小松大師がある。ここで国道に出て牟岐橋から牟岐川沿いを進む。山頭火の泊まった宿跡を過ぎ、牟岐の町中に入る。舞帳造りの民家や古い家並みが残っている。八坂橋を過ぎると国道55号と平行して旧道が大坂峠の方へ上っている。その途中で旧遍路道の山道が分かれて峠へと続く。遍路ころがしの一つ、八坂八浜の最初の大坂だ。今ではトンネルなどによって八坂の中いくつかは消滅し、幻の八坂になってしまった。また、坂の名、浜の名についても時代によるのか、人によるのかまちまちだ(後述)。

 大坂峠から内妻浜に下り、旧国道55号を上ると松坂峠で「かずら大師」が祀られ、昔ながらの松坂隧道を抜け松坂を下ると古江浜に出る。国道へ出て進むと福良トンネルの手前から左へ福良浜へ下る福良坂と、右へ上って鯖瀬大師へ下る土佐浜街道の馬ひき坂が通じている。ことに馬ひき坂の方は古道の面影が残り、大師の伝説(後述)もある坂で気に入った。 国道55号を少し進んで海側に上り今夜の宿、民宿海山荘に着いた。今夜の泊まりは自転車遍路と私の二人だけ。自遍はまだ到着してなく、夕食は舞台、カラオケ付きの大広間で一人きり。波の音、虫の声と有線だろうか拓郎の『結婚しようよ』など古いフォークの流れる中で、ビールを飲むうちにすっかり気持ちよくなっていった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1842 朝の大浜海岸

Img_1845 蛇責めの石 《地図

Img_1844 由来

うまい料理ができるなら蛇の煮汁でもよいのでは。殿様は蛇神の信奉者か、自身が蛇の化身だったのだろうか。

Img_1847 奥潟トンネル(100m) 《地図

Img_1848 馬頭観音堂

Img_1852日和佐トンネルへ緩やかに上る国道55号。

Img_1854 トンネルの手前

ボックスにはタスキ・リストバンドはなく、納め札が入っていた。

Img_1855_2 日和佐トンネル(690m) 《地図

歩き出すと少し前の歩行者専用の照明灯がつくようになっている。

Img_1860 見守り観音(打越寺前の国道55号の交差点の所)

Img_1858駅路山打越寺 《地図

慶長3年(1598)に初代阿波藩主蜂須賀家政が定めた藩内の重要な街道に沿った真言宗の8つの駅路寺(えきろじ)の一つ。

旅人やお遍路の休憩、宿泊の便宜を図ることよりも、主要街道の軍事、治安のためだったのだろう。

Img_1859 縁起

Img_1863吉野神社(打越寺前の国道上)

Img_1866 山河内トンネル(124m) 《地図

Img_1872 寒葉坂

美波町から寒葉峠へ上り、牟岐町へ下る国道55号。 【ルート地図】の①

Img_1876 坂上方向

Img_1885 寒葉峠を越えて牟岐町に入り下る。

峠に棲んでいた猿の主の『ひひ猿退治』の伝説がある。

Img_1887 坂沿いの石仏

Img_1890 国道55号から離れ右へ入る遍路道。

Img_1892 田園の中を行く遍路道

Img_1894 彼岸花と蝶々

Img_1898 旧家

Img_1900小松大師(番外霊場) 《地図

およそ370年位前のこと、大坂難波の里に住む石工が、来客から注文を受けた「三尺あまりの弘法大師座像石仏」を彫刻して仕上げ、引渡しを待っていたところ、夢枕に立った弘法大師から再三にわたり「石仏を阿州小松の里に送るように」との霊告を受け、船便に託してこの地に送り届けて来た仏像であり、霊験あらたかなり。という。

Img_1903 大師座像石仏(後ろ)

Img_1909 牟岐川

正面は牟岐橋

Img_1912 山頭火が泊まった宿跡

酒は置いてなかったようで、数町先の酒屋へ買いに行っている。同じ酒飲みとして気持ちは良くわかる。今はどこの民宿にもビールは置いてある。有難や、有難や。

山頭火も「酒好き酒飲みの心裡は酒好き酒飲みでないと、とうてい解るまい。」とこの日の日記に書いている。次ぎの日は風雨激しい中を八坂八浜を行っている。

Img_1911説明板

昭和14年11月3日の山頭火『四国遍路日記

「しぐれてぬれてまつかな柿もろた」

Img_1914 旧土佐街道へ

Img_1917牟岐駅

Img_1918 舞帳(ぶちょう)造りの民家

舞帳とは上下に開く二枚の板で中程でぴったりと合さる。夜は雨戸の役目をし、昼間は縁側の延長として使われるもので、商家などでは商品の陳列などにも使われていた。

Img_1921 縁側を上げ、上の板を降ろすと雨戸となる。

Img_1924 牟岐町の町並み

Img_1930満徳寺 《地図

門前の松は樹齢380年以上

Img_1929 由来

Img_1927満徳寺

Img_1931 牟岐津神社

Img_1937 大坂峠へ

右は国道55号

Img_1940 右へ旧道へ入る。

Img_1942 旧遍路道へ

Img_1944 大坂

八坂八浜の最初の坂。大坂峠に上り、内妻浜へ下る。 【ルート地図】の②

「八坂八浜」は、
①大坂・内妻浜、②松坂・古江浜、③福良坂・福良浜、④鯖瀬坂・鯖瀬浜、⑤萩坂・大綱浜、⑥鍛冶屋坂・鍛冶屋浜、⑦粟浦の坂・粟の浜、⑧借戸(かろうと)坂・三浦の浜 『徳島県の歴史散歩』 

①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③歯朶(しだ)坂・丸島浜 ④福良坂・福良浜 ⑤萩坂・おしろぼの浜 ⑥鍛冶屋坂・苧綱(おおづな)浜 ⑦楠坂・桶島浜 ⑧借戸坂・三浦浜 『空海の風景』(司馬遼太郎)

①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③しだ坂・福良浜 ④鯖瀬坂・鯖瀬浜 ⑤萩の坂・大綱浜 ⑥鍛冶屋坂・鍛冶屋浜 ⑦楠坂 ⑧借戸坂・三浦浜 『さあ 巡礼だ』(加賀山耕一)などさまざま。

今回歩いて確認できた(と思う)のは、①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③福良坂・福良浜 ④鯖瀬坂(馬ひき坂?)・鯖瀬浜(福良浜か?) ⑤萩坂・大綱浜(大砂海水浴場) ⑥粟浦の坂・粟の浜(粟浦) ⑦借戸坂跡・三浦浜跡。

Img_1946 大坂峠あたりから太平洋。

Img_1947 峠あたり

Img_1954 内妻浜

Img_1958 草鞋大師(番外霊場)《地図

石仏座像台座に「草鞋供養」と刻まれている。江戸時代のものらしい。もとは大坂峠にあったものをこの地に遷座した。難所の八坂八浜を無事通過できるよう、旅の安全と身体の息災を祈願して、遍路らが新しい草鞋を供えてきたという。この大師像が盲目の相であることから、眼病平癒を祈願した遍路がこの地に留まり、大師に祈願し続けた結果、不治の眼病が治ったという。それ以来、眼に霊験のあらたかな大師といわれるようになった。

Img_1971 牟岐線

松坂峠・松坂隧道へ続く旧国道55号の「あじさいの道」の上。

Img_1975 内妻浜

民宿内妻荘の前

Img_1978 目あき大師

Img_1979 春日神社

Img_1982松坂(坂上方向)

松坂峠へ上り、古江浜へ下る旧国道55号。 【ルート地図】の③

Img_1983 松坂峠・松坂トンネル

Img_1985_2 かずら大師(松坂隧道入口の松坂峠の所)

お遍路、旅人は松坂峠付近のマタタビの古木のかずらで草鞋を修理し、旅の安全を願って大師像を建てたという。

Img_1986_2由来碑

Img_1988松坂隧道(88m・旧国道55号) 《地図

1921年(大正10)完成。

Img_1994松坂

古江浜への下りとなる。

Img_1998 古江浜

Img_2002 福良トンネルへ国道55号

Img_2008福良坂

福良トンネルの手前から右へ福良浜の方へ下って行く。 【ルート地図】の④

Img_2010 福良浜へ

Img_2017 福良浜

Img_2018 鯖大師(番外霊場別格第四番)

馬頭観音堂

Img_2020 馬頭観音

Img_2019 説明板

Img_2021 本坊

Img_2023 馬ひき坂へ 【ルート地図】の⑤

Img_2026 坂上方向 

Img_2028 坂上近く

鯖大師伝説:「大師がこの坂を通りかかった時、塩鯖を運ぶ馬方に出会った。大師が鯖を一つ所望すると馬方は断ってさっさと行ってしまったが、しばらくすると馬が腹痛を起こし止ってしまった。弱った馬方は大師に薬を頼んだ。大師が作った加持水を飲ませるとたちまち治ってしまった。驚き喜んだ馬方が鯖を差し出すと大師はその鯖を海に放ってしまった。すると腹を割かれた塩鯖が生き返って泳いで行くように見えたという。馬も人も難儀する所ゆえ大切なのは布施の心という教え。

Img_2030 馬ひき(引き・曳き)坂(土佐浜街道)

八坂八浜の「鯖瀬坂」のことだろう。「馬止(うまじ)坂」ともいったという。

Img_2039 下りとなって

Img_2035_2福良トンネルの手前に出る。

Img_2036案内板

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