四国遍路道(高知県-3)
2008年9月27日
ロッジおざき・・・国道55号・・・尾崎橋・・・夫婦岩・鹿岡(かぶか)鼻・鹿岡坂跡・・・旧道・・・捕鯨山見跡・・・丸山海岸・・・海洋深層水研究所・・・北明神・・・旧道・・・杉尾神社・・・三高小学校・・・国道55号・・・杉尾神社・・・青年大師像(番外霊場)・・・乱礁遊歩道(ビシャゴ岩・大師行水の池)・・・御蔵洞(みくろど)(番外霊場)・天狗岩・・・水掛地蔵・・・観音窟(番外霊場・24番最御崎寺奥の院)・・・捻(ねじ)り岩・・・24番最御崎(ほつみさき)寺・・・室戸岬灯台・・・室戸スカイライン(県道203号)・・・昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点碑・・・王子宮・兼山神社・・・室戸岬港(津呂港)・紀貫之泊舟所碑・野中兼山開鑿之室戸港碑・・・室津港・梅香(まいご)の井戸(紀貫之舟泊の地)・・・願船寺・25番津照寺(しんしょうじ)・・・太田旅館
今日はやっと室戸岬を回り、24番最御崎寺から西海岸へ出る。青年大師像あたりから観光ホテルなどが見え始め少し観光地の雰囲気になる。乱礁遊歩道に入り岩の上で太平洋を眺めながら、ロッジおざきでお接待でいただいた昼飯だ。しばらく休憩して大師修行の地、「空海誕生」の御蔵洞に入る。今は国道が間に入って海とは隔たりがある。岬の先端の方へ行き、観音窟から最御崎寺へ亜熱帯の植物の間の上りとなる。途中、前を行く女性との間を蛇が横切った。カーブで一休みする女性に「今、蛇が出たよ。」というと、「え、本当ですか。」とびっくりした表情。知らぬが何とかだろう。
標高165mほどの24番最御崎寺にはさほど苦もなく着いた。思えば23番薬王寺から5日がかりの道中だった。境内から少し下って室戸岬灯台へ寄り、室戸スカイライン(県道203号)のヘアピンカーブを下る。車は少なく、下に広がる海辺の景色を眺めながら下るのはいい気分だ。下って所々に「昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点」碑が立つ町中を進む。海嘯とは津波のことで、昭和9年の室戸台風の時の津波襲来のことだろう。王子宮を過ぎると室戸岬港(津呂港)で、その先、2kmほどで室津港がある。どちらも『土佐日記』の紀貫之が停泊した港としている。10日間も泊まったのはどっちなのか?
室津港上の25番津照寺の本尊の延命地蔵は、土佐藩主山内一豊が室津沖で暴風雨に巻き込まれた時に舵(楫・かじ)を取って救ったという。(『今昔物語集』に載る話を改変したらしい。) それ以来、「楫取地蔵」の名で呼ばれている。大師堂は石段の下にあり、石段を上ると竜宮門のような鐘つき堂の上にこれもユニークな造りの本堂が建っている。境内には室津港づくりに貢献した一木権兵衛さんを祀る一木神社もあり札所の中でもちょっと変わった風情だ。今日の宿、門前に近い太田旅館に向う。間口は狭いが奥行きがある昔ながらの旅館だ。
【ルート地図】(204→214)
写真をクリックすると拡大します。
「ロッジおざき」の部屋から。
左の小岩が夫婦岩。右の大岩は国道を通した時に削り崩した岩盤の残骸とか。本来、国道と大岩は一体で、その上の鹿岡坂を通り室戸へ向ったそうだ。
神火ではなく横切っているのは飛行機雲か。
「南路志に云う 往古より大晦日の晩 夫婦岩の間鵜の碆に「竜燈」がともると この神火を地元では「かしょうさま」と云い 立岩の峯々を越えて大滝の上に舞上がり四方山麓の家々請じ入れられて大年を迎える浄火となったと云う」 「碆」(は)とは、海水、樹木によって見え隠れする岩のこと。
なんとも神々しい情景が目に浮かぶようだ。
綿あめのような雲。
来遊する鯨を発見するため山見小屋が置かれ、山見番が詰めていた。標高約50mで、明治末期まで使われてきた。
日本では最初の研究所。
ちょっと不気味だ。
山頭火の日記(昭和14年11月6日)から、「室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある・・・」 「かくれたりあらはれたり岩と波と岩とのあそび」
苦行窟は御蔵洞のこと。このあと山頭火は最御崎寺で小犬に噛まれている。
大師修行の地で、『三教指帰』(さんごうしいき)に、「土州室戸の崎に勤念(ごんねん)す。谷、響きを惜しまず、明星、来影す」
修行中の大師の口の中に明星が飛び込み悟りを得たという。「空海」の誕生である。
【ル-ト地図】の210「大師一夜建立の岩屋」(空海の七不思議の一つ)の伝説がある。大師が唐から請来したという、如意輪観世音像は現在は最御崎寺に展示されているという。洞内には七観音が鎮座する。
大師の母が修行中の大師を訪れた時、大師が念仏を唱え、岩をねじ伏せ嵐を鎮めたという。明治初年まで女人禁制の寺だったので、このような伝説が生まれたのだろう。
24番最御崎寺 【ルート地図】の211
大師堂のすぐそばにある。団体さんが経を上げているので、小さく叩いてみた。
「空海の七不思議」とは、①一夜建立の岩屋、②捻り岩、 ③鐘石、 ④喰わず芋、⑤目洗いの池、 ⑥灌頂ケ浜 ⑦行水の池 だろうか?
岩見重太郎の塚
「狒々(ひひ)退治」で有名な岩見重太郎の墓?がここにあろうとは。墓ではなく供養塔みたいなものか?
薄田隼人(兼相)は岩見重太郎と同一視される人物。墓は大阪市天王寺区と大坂府羽曳野市にあるそうだ。『薄田隼人の墓』
四国南東端の灯台、向うは太平洋。
海嘯(かいしょう)は、津波のこと。
王子宮(室戸岬郵便局前) 《地図》
鯨の神社として漁業関係者の信仰が厚い。
野中兼山は、室戸岬港(津呂港)、室津港、手結港の港の建設に携わった土佐藩の家老。
紀貫之泊舟所の碑(右)・野中兼山開鑿之室戸港碑(左) 《地図》(ここだと思うが)
ここも紀貫之の泊舟の地としている。(梅香の井戸の説明板) 室戸岬港(津呂港)とは2km少し位の距離だ。紀貫之が承平5年(935)1月12日から10日間も滞在したのはどっちの港だったのか?
『土佐日記』(青空文庫より) 土佐日記がこんなに短いとは知らなかった。
25番津照寺(津寺) 【ルート地図】の213
石段上は竜宮門のような鐘つき堂。
石段の下にある。
舟の楫の紋がついている。
本尊の延命地蔵は土佐藩主山内一豊を楫を取って暴風雨の海から救ったといい、「楫取地蔵」と呼ばれている。『今昔物語集』巻17の6の津寺の「地蔵菩薩の霊験譚」がもとになっているようだ。
野中兼山と室津港の改修に努め、難工事のため切腹して人柱となった一木権兵衛を祀っている。
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